第五章 女房鉄砲仏法 笠寺の姫(8)
照と玉が退出した後、春は再び吉法師を追及する様に質問をした。
「ところで吉ちゃんは、何をしにこの笠寺に来たの?」
母の土田御前の様な厳しい様子を見せる春に対して、吉法師は緊張感を見せながらこの質問に対しても黙り込んでいた。
舞の師匠の松井友閑の訪問に付いて来た、そう答えれば次はなぜ舞を、となるであろう。その答えとして将来の領主としての覚悟を固めるため、と言えば何とも仰々しくなってしまい、望ましい話の展開ではない。
しかもその松井友閑の笠寺戸部館への訪問が一日遅れとなったのは吉法師たちが熱田で引き留めたためであり、これによって今日訪問する予定であった一益たちが煽りを受けたという話の展開も望ましい所ではない。
吉法師は緊張感を増長させる春の視線を逸らして考えた。するとその目の先に、これまで二つの対決で厳しい表情しか見せていなかった又兵衛が、水野家の侍女と酒を相手に、顔に可愛いいたずら描きをされ、デレデレしている姿が目に入った。
(そうじゃ、こういう時こそ使える)
吉法師は笑顔を見せて言った。
「皆で当てて見よ」
まともに応答せずに形を変えて挑む、この笠寺訪問の理由を訊ねられ返答に窮する中で、早速さっそく役に立ったと思った。吉法師のうまい返答の切り返しに一益は笑顔を返しながら言った。
「ここは笠寺だからのぉ、縁結びの願掛けであろう?」
一益は冗談で言ったつもりであったが、吉法師はニヤッと笑みを浮かべて言った。
「さすがは一益、その通りじゃ」
それは笠寺に来た時の勝三郎との会話であった。吉法師の言葉に勝三郎は笑顔を見せていたが、一益を含め皆は驚きを見せた。
「本当かいな、元服もまだであろう、もう嫁をもらうのか?」
「いやいや、いいなずけとかがいて、美人さんでありますように、という事であろう」
「そもそも尾張領主の嫡男が縁結びの願掛けなど必要無いのではないですか?」
「本当はお家繁栄の願掛けか、我らの様に商談でしょう」
吉法師は驚いた表情を見せる皆の顔を十分に楽しんだ後、先の言葉に付け加える様に言った。
「ははは、儂じゃなくて又兵衛のな!」
その言葉に皆の顔が拍子抜けた様になった。
「あぁー!」
皆が納得して少し離れた卓にいる又兵衛の方を振り向いた。すると又兵衛は侍女の一人と酒を酌み交わしながら意気投合し、完全に二人だけの世界を作っていた。
「早速願いが叶った様じゃのぉ」
この吉法師の言葉に皆が笑った。
「ははは、吉法師殿は家臣思いの良き城主様ですな」
「まったくです、家臣の嫁探しの願掛けにこの笠寺まで来られるとは」
信元と森隆は、吉法師がその言葉通りに又兵衛の縁結びを願うためにこの笠寺を訪れたとは思っていなかったが、その上手いはぐらかし方に思わず同調して笑った。
「本当に来てよかった、一益たちには初めて鉄砲というものを見せてもろうたし、盟約を結んだばかりの水野家の皆とも仲良くなれた」
吉法師から鉄砲の話が出た所で、今度は信元が吉法師に訊ねた。
「それで吉法師殿から見て、鉄砲は如何でありましたか?」
信元は商人たちの間で最新兵器といわれる鉄砲について、吉法師の見解を直接聞いておきたいと思っていた。この信元の問い掛けに対し、吉法師は少し昼間の対決を思い起こしながら今度は真面目に答えた。
「うむ、鉄砲については、まだ色々と考えるべき事があるが、何れ戦に勝つための重要な武器になると思う」
この吉法師の意見に対して皆が頷いている中で、春だけは違う様相を見せた。
「吉ちゃん、鉄砲も良いですが、あなたが将来の領主として今考えるべき事はもっと他にありますよ」
吉法師は至近距離から酒の匂いを纏わせて圧倒する春にたじろいだ。
「そ、そうじゃな、春殿、では如何すれば良い」
自分が言葉を並べて更に絡まれるよりも、相手に言いたい事を言わせた後、頃合いを見計らって引きたい。吉法師は酔払いの春に逆に問い掛けた。
「吉ちゃん、あなたが将来やるべき事は戦に勝つ事では無く、この乱れた世を治めることでしょう。そこに武だけを以て臨めば、一時的に人の身を治める事はできてもその心まで治める事はできませんよ、さすれば何れまた世は乱れましょう」
(うっ、確かに)
吉法師は春の返答を酔払いの言葉として受け流すつもり位で考えていた。しかし春のその忠告は吉法師の今の行動方針の急所を的確に突いている様に思えた。
春の言葉を真剣に聞き入れる様になった吉法師に春は話を続けた。
「安定した人の世を創るために今吉ちゃんが考える事は、如何に民の心身を治めるかです。そのためには先ず己を良く知りその心身の強さ、広さ、深さを育む事ですよ」
それはもう一武将の妻ではなかった。
「いや、春殿するどい、その通りじゃ」
「まるで軍師、いや、一国の宰相の様じゃのぉ」
「軽く信元殿の代わりができそうじゃな」
「ははは、まったくじゃ」
春の主観はこれまでの世を見つめる目から得た理想の領主の像なのであろう。一益と益氏は春の考えに感服していた。
「いやいや、ちょっと待ってくれ」
信元と森隆は酔った勢いで吉法師に説教をする春に困惑していたが、吉法師は一益、益氏と同じ様に春の考えに感服していた。
(個としての強さを学ぶか、友閑様と同じ事を言う)
吉法師はこの宴の場で自身の将来に向けた学びにつながる事があろうとは思っていなかった。
「春殿ありがとう、春殿の言われる通りじゃ、自らの心身を以て民を治める、良き事を学んだ」
春は自分の言った事を真剣な表情で吸収する様に聞く吉法師に対して、初めて笑顔を見せた。
「ふふふ、どうやら本当に那古野の吉法師様の様ですね、将来の尾張の領主、頑張りんしゃい」
春はうつけの格好をした吉法師の事を本人かどうか疑っていたが、真剣な表情で話を聞く姿を見てようやく本人と確信した。
(将来の領主として覚悟と自覚を持った表情、水野家の選択は大丈夫そうね)
春は泥酔した振りをしながら、信元と同様に自らも水野家の将来を託せる子か確かめていた。しかしそうとは知らぬ信元と森隆は、常に上位目線の春の言動に対して、水野家としての心象が気になっていた。
「吉法師殿、度重なる女房の無礼な態度、大変申し訳ない」
「吉法師様、実は水野四家は奥の女房衆が強くて、照共々申し訳ありませんでした」
戸惑いを見せながら話す二人に対して、吉法師は笑いながら言った。
「ははは、なるほどのぉ、水野家の強さが理解できた気がする」
「は、水野家の強さとは?」
信元と森隆はこの吉法師の言葉が理解できず、顔を見合せて不思議そうな顔をした。そんな二人に吉法師は話を続けた。
「恐らく表に出る四家の男衆以上に、奥の四家の女衆が和を以て強く家中を結束させておるのじゃろう、そこに水野四家の強さがあると見た」
確かに水野家には戦においても商売においても、意識的では無く自然と展開される家中の結束があった。吉法師に指摘された信元と森隆はお互いに顔を見合せて不思議がった。
その時春は吉法師の方を見て笑みを浮かべていた。水野家の結束は奥の女房衆が作り出している物であった。吉法師は真剣な表情のまま春に笑顔を返した。
(奥で強める女房衆の和の結束か)
吉法師は水野四家の他の者たちとも会い、その結束の程を見てみたいと思った。
吉法師が水野家の結束について考えていた時であった。
「おやじー、厠じゃー、我慢できぬ」
慶次郎が一益の所に来て叫んだ。
「お、何じゃ、まだ料理が残っておるではないか」
慶次郎はその時目に入った信元と森隆の膳に残った料理を頂こうと手を出した。
(こやつは何か一人で宴の和を乱しておるな)
吉法師は水野家の力となっている和の結束を知った直後で、滝川家の中で和を乱す慶次郎の行動が気になった。
「慶次郎、人様の膳にまで手を出してはならぬ」
そう言って慶次郎を制止したのは天心であった。
「もう皆も食べぬ様だし、もったいないであろう、それより厠じゃ、おやじ早く、もう限界じゃ」
一益は立ち上がりながら言った。
「仕方ない奴じゃな」
一益はそのまま慶次郎を部屋の外に連れ出して行った。
「父上、待って、私も行きます」
そう言うと天心も二人の後を追って部屋を出て行った。
その様子を見ていた勝三郎は慶次郎との食い倒れ対決で満腹となった腹を抱えながら吉法師の傍に来て、ボソッと呟いた。
「あの二人は全く性格が異なりますね、とても同じ一益の子とは思えませぬ」
その勝三郎の言葉は益氏に聞こえていた。益氏は一息入れると吉法師と勝三郎の方を向いて言った。
「娘の玉を含めてあの三人、本当は兄者の実の子では無いんじゃ」
「え?」
益氏の言葉に吉法師と勝三郎は驚きの表情を見せた。信元と森隆、そして春も静かに聞く中で益氏は三人についての話を始めた。
「儂と兄者は伊賀にある里から近江、伊勢、尾張を回って商売をしているのじゃが、三人との出会いはいつも突然じゃった。最初に出会ったのは赤子の玉じゃった。玉の生れた家は恐らく貧しかったのだろう、我らが夕方休息に訪れた伊勢にある神社の鳥居の下に置き去りにされておったのじゃ。その時我らは悩んだ。この見つけてしまった赤子をどうすれば良いのか、そのまま立ち去るのか、連れて行くのか、もし連れて行ったら育てるのかと・・・。しかしこのまま立ち去れば間も無く夜となって周囲は暗くなり野犬に襲われる恐れがある。少なくともこの場所に残すのは好ましくない。そう思いながら兄者が恐る恐る抱き上げると、その赤子は夕陽に照らされながら満面の笑みを浮かべたのじゃ。我らはその玉の笑顔を見て、これは拾い子ではない、天からの授かり子なのだ、我らは全力でこの子を育てねばならぬ、と思ったのじゃ」
皆がその情景を想像しながら神妙に益氏の話を聞いていた。その中で益氏は目を瞑り、その時を思い起こしながらまた話を続けた。
「次に出会ったのはまだ幼子の天心じゃった。天心には元々両親がおらず、生活は苦しいながらも祖父母に大事にされながら暮らしておった様じゃった。ある日の朝、祖父母と一緒に山に山菜採りに入った天心は、途中大きな筍を見つけて、一人夢中になって掘っておった。これは高く売れる、祖父母との生活が少し楽になる、そう思いながらようやくその大物を掘り起した天心は、祖父母の喜ぶ姿を思い描いて、二人の待つ山道脇の荷車の所へ向かったのじゃが、そこで待っておったのは倒れたまま物言わぬ二人の姿じゃった。祖父母の二人は盗賊に殺され荷車が奪われておったのじゃ。儂と兄者がその場を通り掛かったのはそれから二日ほど経った後の様じゃった。天心は祖父母の傍らでずっと泣き続けておった様で、我らが通り掛かった時には、その涙は枯れ、命までもが枯れそうなくらい衰弱しておった。その天心の姿は余りにも哀れで、我らはその場を素通りする事ができなかった。我らは墓を作って天心の祖父母を埋葬しました。その後儂は歩く事が出来なくなっていた天心を担いで山を下りた時、天心の体が異常に軽かったのを、今でも覚えておる」
この天心の境遇を聞いた皆は自然と一筋の涙を溢していた。
「そして慶次郎と出会ったのは半年ほど前に湊町を通り掛かった時じゃった。その時の慶次郎は物乞いの格好で、湊の漁師たちにうなぎを一匹分けて欲しいと必死に訴えておった。しかし忙しい漁師たちはその様な子供をいちいち相手にしていられない。慶次郎は無下な扱いをされ続けた挙句、強硬な行動に出たのじゃ。一人の漁師が運んでおったうなぎの籠を叩き落し、その弾みで道に撒かれたうなぎの一匹を拾って逃げ去って行ったのじゃ。我らは漁師たちが怒って追い掛けて行くのを見ながら、あの子供はそれほどにうなぎを食べたかったのか、と思うておった。その後、我らが湊町近くの草原の道を通り掛かった時、慶次郎は傷だらけになりながら草むらに倒れて、うなぎ、うなぎと呻いておった。どうやら盗ったうなぎを草原の中に落して見失い、探している間に自分が漁師たちに見つかって報復を受けた様じゃった。兄者が哀れに思うて近寄ると、その歩みの先に黒く長い物が動めくのが見え、兄者は蛇と思い大声を出して驚いておったが、それは水から出してもなお活発に動くうなぎじゃった。その後、我らは怪我を負っていた慶次郎と共にそのうなぎを山裾のある朽ち果てた民家に届けた。そして家に着くと慶次郎はうなぎを持って、家に入って行った。この様な所に誰か人が住んでおるのかと、我らが疑問に思っていると、家の奥から慶次郎の狂った様に泣き叫ぶ声が聞こえて来た。我らが入るとそこには一人の子供が死んでおった。流行り病の様であった。(この子供のために・・・、)我らはやせ細ったその子供を見て全てを理解した。慶次郎は自らも幼き子供でありながら、必死にこの病気の子の面倒を見ていたのじゃ。そしてあの様な酷い目に遭いながらうなぎを欲しがった。うなぎは生命力が強く、その胆には高い滋養強壮の効果がある。慶次郎はその効果にこの子の回復への望みをかけておったのじゃ。床に放り投げられたうなぎは未だ元気よく動いておった。儂と兄者は慶次郎の心境を思って一緒に泣いた。これまで一生懸命に面倒を見て来た結果が報われず、これから孤独の身となっていく、これからの慶次郎の身の上も余りにも哀れに思えた。我らは亡くなった子を一緒に埋葬した後、慶次郎に共に参ろうと声を掛けた。儂は朽ち果てたその家を離れる時、慶次郎が何度も何度も振り返っていたのを忘れられぬ」
吉法師、勝三郎、水野信元、森隆、そして春、皆が武家の裕福な暮らしの中に育ち、この様な戦乱の中に生きる民の不遇な話を聞く機会が無かった。あまりにも過酷な現実であり、自分たちはこれまで何と幸せな時を歩んできたのであろうか、皆の目からはもう大粒の涙がこぼれ落ちていた。
「そこ」
益氏は部屋の入口の方を指差した。そこには益氏が笠俵めしが一つ落ちていた。
(なぜあの様なところに)
吉法師が不思議がっていると益氏がその理由を教えてくれた。
「申し訳ない、恐らく慶次郎の袖からこぼれ落ちたものだと察します。あ奴の袖や懐には、食べずに取っておいた料理が詰め込まれておるのあろう、あ奴はそういう奴なのじゃ、自分が悪者になって皆の明日の食を確保しようとする」
皆が異常な食いっぷりを見せていた慶次郎に納得していた。実際に慶次郎は日持ちしそうな料理を食べた振りをして懐に溜め込んでいたのであった。
(慶次郎は慶次郎の和の結束を施そうとしておったのじゃな)
吉法師が慶次郎を見直していると、益氏は目を潤ませながら更に話を続けた。
「実は儂と兄者も互いに異なる没落した家の出で本当の兄弟ではありませぬ、我らの生活は決して豊かではありませぬが、共に笑って、泣いて、苦労して、楽しんで、思い出を共有して来た。我らはこの乱れた世で思い出を共有するための家族なのじゃ」
皆が涙を流しながらうん、うんと頷きながら聞いている中で、吉法師はこの家族をある意味で羨ましいと思った。
吉法師は物心付いた時には那古野の城主として両親の元を離れており、両親も兄弟も距離の離れた存在で、思い出を共有していない。
自分が思い出を共有しているのは政秀と勝三郎であったが、二人は自分の後見人と家臣という立場で家族とは異なる。
(思い出を共有する家族か…)
嫡男に王道を歩ませる、という父信秀の教育方針に対して不満がある訳ではなかったが、そのために思い出を共有する家族がいない事に対しては何か寂しい思いが募った。
「益氏殿も一益殿も御苦労されたのじゃな」
信元の言葉に益氏はぎゅっと拳を握りしめて言った。
「この様な世で思い出を共有できる人がいるというのは大事じゃ、我ら五人は皆この戦乱の世の犠牲者じゃが、戦乱の世で支え合うために生まれた家族なのじゃ」
益氏は吉法師に向かって哀願する様に言った。
「吉法師さま、もし吉法師さまが信元殿の申される通り、将来の天下の逸材となられる方なら、この乱れた世を平安な世に正して欲しい、今の世の仕組みは変わらねば成らぬ、我らの様な不幸な思い出を背負う家族は本来無い方が望ましい」
重い言葉であった。
将来の領主としての覚悟は出来ているものの、未だその下積みをしている段階で、自身を持って任せろ、と言う事は出来ない。しかし何か自分の将来への思いだけでも伝えて益氏への返答としたい、そう吉法師が思っていた時、徐に部屋の入口の襖が開き、ドヤドヤと厠に行っていた一益、慶次郎、天心の三人が戻って来た。
「さーぁて、食い直しじゃ」
「おい、もう止めとけ、食い過ぎで腹壊れたんだろうが」
「そうじゃ慶次郎、何事も度を過ぎて良き事はないぞ」
天心と慶次郎の姿を見て、皆は益氏が話をしたその過去の境遇の話を思い起こし一段と目を潤ませた。
「何じゃ、皆の衆、お通夜みたいな感じになっとるぞ」
一益が皆の様子を見て不思議に思っていると、再び部屋の入口の襖が開いた。
「さぁ、早く早く」
そう言いながら現れたのは照であった。
照は笑顔を見せながら後から来る人に早く部屋に入る様に促していた。そして笑みを浮かべながら照が部屋に入って来ると、照に続いて一人の美しい娘子が恥ずかしそうにしながら入って来た。その姿を見て皆が驚いた。
「玉、玉なのか?」
その娘子は高貴な家の娘の様にきちんと髪を結い、化粧をして、奇麗な衣装を纏っていた。一益は玉のあまりの変貌ぶりに、その娘子が玉本人である事が信じられずにいた。
「照、ぬしは知っておったのか?」
信元は照が玉の薄幸を早い段階で察し、この様な演出を施していると思い驚いた。そして皆が玉の美しさに見とれながら思わず呟いた。
「姫、姫じゃ、姫様じゃ!」
一益の両目からは涙が溢れていた。
日頃娘子らしい格好をさせてやる事が出来ずに申し訳なく思っていた一益は、着飾った玉がとても眩しく見え、あまりの嬉しさに涙が溢れていた。
「よかったのぉ、玉ぁ~」
益氏も一益と同じ思いで目を潤ましていた。そして他の皆も益氏の話の中で、捨てられた赤子の玉が、恐らく初めてであろう、美しく華やかな姿を見せていた事に感動していた。
皆が感動している中で、皆の注目に慣れた玉はその化粧と衣装に合わせる様にすまし顔をする様になっていた。それを見ていた慶次郎は不思議に思いながら天心に言った。
「おかしいぞ天心、玉がこの様に長い時間おとなしくしておれる筈がない」
それを聞いて天心も不思議に思った。
「うーむ、確かにあれは玉では無い様に見える」
慶次郎と天心は他の大人たちとは異なり疑念の目を向けていた。
「もしかしたら狐が化けておるのかも知れぬ、よし、確かめるか」
慶次郎は割箸を持ち笠俵めしを口に咥えて玉の面前に出ると、割箸を鼻と口に突っ込み、変顔をして見せた。
(何やっとんのじゃ、あ奴は?)
そう皆が思った時であった。
すまし顔を続けていた玉の口が緩むと同時にその拳が慶次郎と割箸と笠俵めしを吹き飛ばした。
「何をしとんのじゃ、おのれは!」
一瞬にして普段の状態に戻った玉に皆が笑った。
「おぉ、やはり玉じゃ」
「やっぱり、玉じゃった」
「ははは、早々に内面までは変えられぬなぁ」
一転して皆に笑顔が広がった。
皆はこの宴で互いを知り合い、楽しいひと時を過ごせた事を本当に良かったと思っていた。
吉法師は部屋の入口の所で奇麗な衣装を纏い御機嫌になっている玉と、その横で感極まって涙を見せる一益の姿を見ながら、二人の横に並び立った。そして皆の注目を集めた吉法師は、少しその身を震わせた後、皆に向かって言った。
「皆の衆、今日は本当に楽しかった。我らは今日出会ったばかりであるが、儂はこれは偶然では無いと思う。恐らくこれからの思い出を共有する家族になるためであろう。儂はそんな皆と共に天下を正す思い出を共有して行きたいと思う」
この吉法師の言葉に皆の心が揺さぶられた。
「おぉ、吉法師殿、我らを家族と思うてくださるか」
弾正忠家の嫡男が流浪の様な状況の自分たちを、家族の様な思いで信用し受け入れてくれる、一益と益氏は感動で流れる涙が止まらなくなっていた。
水野信元と森隆も同じ様に涙を流していた。
「吉法師殿、今日は本当に話ができて良かった」
これまで小競り合いを繰り返していた敵将の子が、非公式な宴の場とはいえ、思い出を共有する家族として、今後の付き合いを望まれている。二人は今日吉法師と出会えたこと、この宴で互いの心中に迫る話が出来た事、そして水野家の選択が確かであった事を確認できた事が本当に良かったと思った。
「滝川殿、今後よろしゅう」
「水野殿、我らの方こそ、よろしくお願い申す」
そして吉法師を中心に互いに一献を伴った仲として、家族の様な協力を約束しながら、信元と一益は硬い握手を結んだ。
その時春は吉法師の家族という言葉に呼応するかの様に、我が子を思う母親の様な目となって、吉法師を見ていた。まだまだ子供の吉法師が将来の領主として自覚し、皆からの期待の対し真剣に応え様としている様が健気に思えた。
(吉ちゃん、しっかりがんばりんしゃい)
吉法師はその後、少し渋い顔をすると襖を開けて部屋を出て行こうとしていた。春はそんな吉法師に向かって心の中で応援していた。
勝三郎は吉法師が部屋を出て、廊下を歩き始めた所で後ろから声を掛けた。
「吉法師様、どちらへ?」
その勝三郎に向かって吉法師は急ぐ様子を見せながら言った。
「厠じゃ、急がねば間に合わぬ」
吉法師は春から受けていた緊張感で発した尿意に対して、益氏の長い話で厠に行く機会が得られずいつしか我慢の状態になっていた。
「吉法師様、厠の場所は分かりますかー?、お供しますかー?」
小走りで自分から離れて行く吉法師に、勝三郎は声を高めて再度訊いた。それに対して吉法師はその走りを更に速めながら叫んだ。
「場所は分かる、供は無用じゃー」
次の瞬間、吉法師は厠に向かって廊下を疾走していた。




