第五章 女房鉄砲仏法 笠寺の姫(7)
宵の口となった時には弓対鉄砲の異種対決を強制的に終了させた激しい雨も上がり、笠寺の門前町には昼間とは異なる華やかな灯りと賑わいが広がっていた。
吉法師と滝川一益の一行はこの門前町で行われていた水野家の宴席に招かれ、楽しいひと時を過ごしていた。
「これおいひぃ、あぁ、これもおいひぃ、ひあわせやぁ、われにひあわせきたわぁ」
玉は口の中を食べ物でいっぱいにしながら、生れて初めて食の幸せを感じていた。そんな玉の隣では益氏が涙を浮かべていた。
「良かったな~、玉ぁ、これも笠寺の観音様のおかげじゃな~」
益氏は日々の苦しい生活の中で、苦労して食材を確保し、毎度工夫して料理を拵えていたが、それらは玉に幸せを感じてもらうにはほど遠いものとなっていた。益氏にとって玉の喜ぶ宴席の御馳走は笠寺の観音様が拵えたもの様に思えた。
「おいしいですね、叔父上、この様な料理今まで食べたことありませんでしたね、うーん、どうやって味付けをしているのかな、これは塩だけではないな」
玉と反対側に座る天心は御馳走の味付けに感嘆していた。益氏はそんな天心の方を振り向くと、潤んでいたその表情を現実の場に戻す様にして言った。
「天心、良く味わっておけ、後でこの料理の味を再現できるようにな」
男子の天心には自分と一緒に一団を支える義務がある。天心に対する益氏の対応は、玉の時とは異なっていた。
「はい、叔父上」
天心は快く返事をした。天心も自分の立場を理解していて、目の前の料理を目で良く観察し、香りと味を良く確かめながら食べる様にした。
食卓を挟んだ反対側では、慶次郎が山盛りに盛られた笠寺名物の”笠俵めし”を夢中になって食べていた。
「うまい!うまい!」
小さな俵の形をした笠俵めしを飽きる事無く食べ続ける慶次郎に、その横で自分の膳を黙々と食べていた勝三郎は、手に持った箸で笠俵めしの自分側に盛られた部分を指して言った。
「おい、この辺は儂の分じゃからな、残しておけよ」
そう言って、勝三郎は自分の分の領域を主張した。しかし慶次郎はそんな勝三郎の言葉を気にも留めず、勝三郎が示した領域の笠俵めしを次々と侵食していた。
(こいつ!)
そんな自分の主張を全く聞き入れない慶次郎に対し、業を煮やした勝三郎は突如実力行使に出た。
ひょいぱく!
ひょいぱく!
ひょいぱく!
勝三郎は慶次郎の目の前にあったもう一つの笠寺名物である”笠饅頭”を、一気に三つ自分の口の中に放り投げる様に詰め込んだ。
「あぁー、儂の笠饅頭がぁ!!!」
その笠饅頭は慶次郎が最後に食べようと取っておいたものであった。
「もぐもぐ、しゃすがめいぶつ、もぐもぐ、こりゃ死ぬほどうみゃいのぉ、もぐもぐ・・・」
慶次郎は勝三郎が自分の笠饅頭を味わられている様子を絶望的な目で見ていた。
(あー、飲み込まれる~)
慶次郎は勝三郎の口の中の笠饅頭と自分が同化する思いを感じていた。
「わしのかさまんじゅうー!」
ぼす!
突如慶次郎は笠饅頭を救出しようとして、勝三郎の腹を両手で力強く押した。
「ぶほ、ほほほ、ごっくん!、ふご!、ふご!、ふご!、ふご!」
慶次郎に腹を押された勝三郎は、口の中から吐き出しそうになった笠饅頭を我慢して、逆に一気に飲み込んでしまい、喉に詰まらせた。
ごほ!ごほ!
勝三郎は慌てて胸を叩きながら茶を飲み込み喉に詰まった饅頭を腹に流し込んだ後、慶次郎の方を睨んで言った。
「何をするか、本当に笠饅頭で死ぬところだったではないか!」
怒りを向ける勝三郎に慶次郎は逆に睨み返して言った。
「儂の笠饅頭のかたき討ちじゃ!」
「そりゃお相子じゃろ、儂の笠俵めしとの!」
年の近い勝三郎と慶次郎はお互いに怒りを膨らましていた。そして暫しの間、火花を散らす程に睨み合った後、二人は大きな声を上げた。
「勝負じゃー!」
「望むところじゃー!」
勝三郎と慶次郎による新たな対決の始まりだった。
二人は目の前の笠俵めしに食らい付くと、あっという間に残りの盛りを全滅させ、隣の一益と又兵衛の前にあった笠俵めしの盛りに襲い掛かった。
「ふははは、慶次郎、儂の速さには勝てまい!」
「なにおー、負けるか―!」
二人が始めたのは早食い対決であった。
二人は互いにその笠俵めしを食う速さを争っていたが、見る見る内にその笠俵めしの盛りが駆逐されていく様は、二人が笠俵めしを共通の敵にして、共同で戦っている様にも見える。
「はっはっは、けーちろー、つめがあまいのぉ!」
「にゃにお、わしのほうがすごいわー!」
二人とも口の中をいっぱいに膨らませて、負けず嫌いな所を見せていた。
その対決中の二人の横で、昼間の弓対鉄砲の異種対決の場で争った一益と又兵衛は、顔に何やら墨描きされた状態で酒を酌み交わし意気投合していた。
「なにやっとんじゃい、こ奴ら~~~」
「まぁ、何じゃ、たのしそうでよいの~~~」
二人の酒飲みにはそれぞれ店まで案内してくれた水野家の侍女が一緒にいた。二人はこの酒と女の絡みでいつもとは別人の様になっていた。
「わーはっは、この店はうまい酒があって良い、さすが水野家御用達の店じゃ~~~」
「わーはっは、全くじゃ、又兵衛殿、この店の美人さん付きじゃしのぉ~~~」
最初二人の侍女は一益と又兵衛に御酌をするだけであったが、ある時、逆に勧められた酒杯を切っ掛けに一緒に飲んで盛り上がる様になっていた。
「一さん、違います、私たちはお店の人じゃないですわよ~」
「そうそう、美人さんというとこは合ってるけどね~」
四人の周りには空となった徳利が残骸の様にたくさん転がっていた。
「ほら又さん、飲んで、飲んで、次の乾杯だよ~」
「お、おぅ」
ここでもまた別の対決が行われていた。
「乾杯!」
「乾杯!」
二人の侍女対又一(又兵衛と一益)の乾杯一気飲み対決であった。
しかし二人の侍女たちは異常に酒が強かった。
「ま、まいった、この美人さんには勝てぬ~~~」
あっけなく勝負に負けた又兵衛は、勝って楽しそうな笑顔を見せる侍女に顔に墨で落書きをされていた。
昼間の対決では勝つ事に拘った又兵衛であったが、この酒飲み対決では侍女を相手に早々と降参していた。そんな又兵衛に同じく顔に墨を塗られていた一益が言った。
「又兵衛殿、まだまだじゃ、降参は早いぞ~~~」
「そ、そうじゃな、一益殿、まだまだこれからじゃ~」
二人は武士としての威厳を掛け、互いに支えながら酒と女に勝負を挑む様な感じになっていた。しかしその時、二人の侍女たちの方は、又一の方とは異なり支え合いなど無く、何か言い争いを起こしていた。
「ふっ、私の一さんの顔の方が面白いわね、どう見ても~~」
「いえ、私の又さんの方が、おも可愛くなっていると思うわ~~」
その時二人の侍女は、一益と又兵衛との乾杯一気飲み対決ではなく、どちらが二人の顔に面白い墨描きができたかの対決をしていた。
その様子を少し離れた卓で見ていた水野森隆は、照の酌を受けながら思わず笑顔を溢して一句呟いた。
「酒女 弓と鉄砲に 勝る宵」
又兵衛と一益、二人の姿は昼間の対決の時とは別人の様であった。対決では弓と鉄砲で威勢を誇った二人も、この宵の酒と女の酔いの前では成す術が無い。
「森隆殿は上手いことを言う」
吉法師はその森隆の一句を横で聞いていた。
(そうじゃ、戦で勝つためには力や技だけで争うのでは無く、勝負その物を別の形に持ち込むという手段がある。絶望的な戦いとなった時の考え方として、この考えは大きな参考になるかも知れぬ)
吉法師は森隆の言葉に一人深く頷いていた。
するとそこへ森隆の義母で水野信元の妻の春が、目を据わらせ無言のまま吉法師の近くに来て坐した。
吉法師は明らかに酔っている春の視線に、母の土田御前の厳しい視線を感じ、思わず緊張して体を硬直させた。隣の森隆も日頃頭の上らない義母に何を言われるか、と緊張した面持ちになっていた。
その中で春はぼそっと吉法師に呟いた。
「やはり一城の殿には見えませぬな、本当に那古野の吉法師さまか、今時その辺の町にいるうつけの若造の様じゃ」
「おい、春、失礼じゃろ」
酒の酔いに任せてか会話を暴走させる妻の春に対し、水野信元が慌てて話に割り入って来た。
皆が宴席の場に遅れている間、一人酒を飲み続けていた春は、織田家の御嫡男様をここに連れて来るという、信元の話が信じられずにいた。
確かに織田家とは昨今盟約を結んだばかりであり、その嫡男である吉法師とこの笠寺で宴席を共にする事は非常に不自然であった。そして実際に目の当たりにした吉法師は確かに武家の嫡男たる風体を成していない。春の疑念は尤もであった。
このまま春に好き勝手な会話をさせる事は失礼を重ねる、と信元は懸念した。そして春はその信元の懸念を裏切らなかった。
「それでなぜ吉ちゃんはそんなうつけの格好をしているの?」
信元はこの春の質問に一瞬のけ反った。
(こらー!)
年上目線で吉法師を吉ちゃんと呼び、禁断の質問を直球でぶつける春に対して心の中で叫んでいた。
春の度重なる失礼に対して、信元は何とかしなければと思ったが、この吉法師の返答には少し興味があった。
(いや、もしかするとこの返答によっては、吉法師の本質を窺い知る事ができるかも知れぬ)
なぜ吉法師はこの様な格好をしているのか、吉法師はその理由を周囲に語っていないため、皆が疑問に思っていた。単にうつけというだけなのか、それとも何か意味があるのか、その様な格好をして将来の領主としての自覚があるのか、皆が理解出来ずにいた。
(その本質は如何に)
春の質問に対して今回信元は制止せず、逆に吉法師の返答に着目した。
しかし吉法師はこの時、笑顔を見せるだけで説明をする様子を見せなかった。
兵法家の平田三位と話をする中で、周辺国との情報戦を考慮した結果この結論に至った、などという説明は出来なかった。好きでやっている、吉法師はそう思わせておけば良いと思った。
吉法師からの説明が無い中で、酒杯と侍女の一人を連れて近くに坐した一益が言った。
「此度はお忍びでそう見せておるのだろう」
その一益の言葉に対して、慶次郎と食い倒れ勝負を続けていた勝三郎が応えた。
「普段からこうですけどね」
吉法師はその後も笑顔を見せたまま、特に説明することはなかった。しかし信元はその吉法師の様子を見て一つの結論を得たと思い、真剣な面持ちで言った。
「吉法師様、我らは先日お父上の弾正忠様に拝謁し、本日は吉法師さまと宴席を設ける事が叶いました。この間、我らが見定めたかったのは、我ら水野家の将来を織田の当主たるお二人に託した判断は如何だったか、ということです」
吉法師は突如本心を見せてきた信元に、頷きながら訊ねた。
「うむ、で、儂はどうであった?」
吉法師の問い掛けに信元は真剣な表情で答えた。
「人は見た目の成りで判断するものではなく、その本質を見極めねばなりませぬ。吉法師様はその若さで既に将来を見据えて色々な事を考えておられる、それは自身の将来に対する覚悟の現れとお見受けします。その御若さでの御覚悟、吉法師様は天下の逸材になられましょう」
「おぉ~」
皆が吉法師に対する信元の高評価に驚きの声を上げた。しかし目の前にいるのはうつけの格好をした子供である。一益は半信半疑に思った。
(知多で勢力を拡大するこの水野信元の情勢を見る力は確かじゃ、吉法師、本当に天下の逸材となるのか…)
信元の好評価に対しては、普段から吉法師の近くに控えているはずの勝三郎も驚いていた。
(えー、吉法師さまが天下の逸材???)
そして吉法師自身も信元に予想外な好評価を受けて驚いていた。
(儂が天下の逸材・・・、いやいや、儂はまだまだじゃ、この笠寺に来る時も友閑様にもっと個を磨かねばならぬと窘められたばかりじゃ)
吉法師は信元の好評価に気を緩ませず、逆に気を引き締める様に心掛けた。その吉法師の硬い表情を見ていた照が言った。
「将来の領主様というのも大変そうですわね、わたくしはその様な吉法師さまを吉法師さまとは知らず、強引にこの宴席に連れて来てしまったのですよね」
この照の言葉に、吉法師はその表情を笑顔に戻して言った。
「ははは、正直最初は戸惑う所もあったが、実際ここに来てこの様に水野家の皆と話ができて良かったと思うぞ」
照は吉法師の言葉に恐縮しながら、実父の信元の方を振り向いて言った。
「父上がちゃんと説明してくれなかったのがいけないのですよ、おかげでわたくしは吉法師さまに強引な女と思われたでしょう」
信元は実際にこうして吉法師を宴席に誘い出す事が出来たのは、照の天然的な所の貢献が大きい、と思いながら口では茶化して返した。
「何じゃ、ぬしは分かってやっておると思うたわ、どうやら勘違い多き上に強引な女と思われたのではないかのぉ?」
皆がその信元の言葉に声を上げて笑った。
「もう」
皆の笑いの対象になった照は拗ねて見せた。
皆がそんな照を見て再び笑った。
笑顔の渦が取り巻く中で、照はふと自分の横で、玉が腹を抱えながら苦しそうな表情を浮かべている事に気が付いた。
「もうお腹いっぱいで食べられぬ」
ここまでずっと食べ続けていた玉は、食の幸福感を遥かに通り過ぎ、満腹感の苦しさを感じる様になっていた。
「何じゃ、玉、もう食えぬのか?」
「折角の御馳走なのに」
慶次郎と天心はまだ御馳走を食べ続けていた。
「まぁ普段、腹いっぱいに食べる事など無かったからのぉ」
益氏は玉の腹の限界を気遣っていた。
照は苦しそうにしている玉に笑顔で話かけた。
「玉ちゃん、少し休んだ方がいいよ、奥の部屋に行く?」
玉は初対面の照のこの誘いに少し躊躇ったが、宴席の場の酒の臭いと騒がしさから少し離れたいと思った。
「行く!」
照はそう返事をして立ち上がった玉の手を取って言った。
「よし、行こ、行こ」
照は玉と侍女の一人を連れて、宴席の場を出て行った。




