第五章 女房鉄砲仏法 笠寺の姫(4)
又兵衛と一益は急遽吉法師の要望で弓対鉄砲の異種的当て勝負を行う事になり、笠寺の門前町を出た地蔵が立ち並ぶ道端から少し畑の畦道に入った所で、その準備を行っていた。
吉法師は袖をたすき掛けで纏めている又兵衛に声を掛けた。
「又兵衛、弓は大丈夫か?」
又兵衛は那古野の弓対決の最後に自前の弓先を折っており今回熱田で新しい弓を新調していた。
「此度の弓は丈夫なので簡単には折れませぬ、少しこの時折吹き付ける風は気になりますが、まぁ問題にはならぬでしょう」
吉法師は天を見上げた。
雲は笠寺に来た時よりも厚くなっており、未だ日没までは時間があるはずだが、辺りはもう暗くなってきている様に思われた。そして時折吹き付ける風も更に強くなっていて、普通の弓射ちの者であれば、影響が出る程に感じられた。
吉法師は笑顔を見せながら又兵衛に言った。
「頼もしいのぉ、又兵衛、しかし儂はこの勝負で商人のたちが最新兵器と噂しておる鉄砲とやらがどんな物か見定めたいと思うておる。先ずはお手並み拝見と言うつもりで気楽にやってみてくれ」
又兵衛は吉法師の言葉にフッと笑顔を見せた。
これからは弓では無く鉄砲の時代じゃ!
又兵衛も最近、商人や一部の民衆からその様な声が上がっているのを耳にしていたが、実際に鉄砲を目にするのは初めてであり、同じ場でその実力を比較できるこの勝負に強い感心を抱いていた。
「分かり申した」
そう軽く返事をした又兵衛であったが、これまで歩んできた自身の弓の道がこの対決で一瞬にして否定されてしまうかも知れないと思うと、吉法師の言葉とは逆に、気合が入る一方となっていた。
吉法師はこの後、鉄砲の準備をしている一益の方に向かった。
鉄砲の真の実力を測るためには、遠射で競合する武器となる弓と比較することが良い。そのためには弓に手練れの者を当てるのが良く、今回は中野又兵衛と言う尾張でも指折りの者が一緒に来ている。
吉法師は我ながら良き案が浮かんだと思い、初めて見る鉄砲の実演に気分をワクワクさせていた。
その時対決の場を一周り確認し終えた勝三郎が戻って来た。
「吉法師さま、ここであれば対決の場として障害も無く大丈夫ではないかと思います」
吉法師は対決に支障無きことが確認できて、更に対決の楽しみを膨らませていた。
その様な時に勝三郎は一つの不安を述べた。
「しかし吉法師さま、大丈夫ですか、勝ったら名物料理を馳走するとか言って、此度の我らの出立はあまりにも急であったため、銭の持ち合わせは全くありませんよ」
吉法師はその勝三郎の言葉を聞くや否や、その歩みを又兵衛の方に戻し、又兵衛の所に戻って力強く言った。
「又兵衛、絶対勝つのじゃぞ、負けてはならぬ」
「は?」
つい今し方笑顔で気楽にやれと言っていた吉法師が、瞬時にして必勝を促して来た事に対し、又兵衛はキョトンとした表情を浮かべた。
弓の道を歩んできた者の代表としてこの対決に臨む、と先程の吉法師の言葉とは逆に意気込む様になっていた又兵衛であったが、その表情は鉄砲との勝負の前に、豆鉄砲を食らった鳩の様になっていた。
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一益は又兵衛の位置から少し離れた所で、射撃の準備を行っていた。
更に一益の少し離れた所では慶次郎が一生懸命に火を起こしており、一益の横では娘の玉が一生懸命に話し掛けていた。
「父上、我は先ほど門前町で見た”笠俵めし”と言うのが食べたい。何やらここの名物ので、何でも願いが叶うって言っておった。それを食べれば我の願いも叶うかも知れぬ、ねぇ、良いであろう、ねぇねぇ」
娘の玉はもうこの勝負に勝つ事を前提として、その後の御馳走選びの話をしていた。一益は火薬の袋を取り出し、その扱いに注意を払いながら玉に言った。
「そうじゃな、玉、その時は何でも好きな物を頼めば良い」
この一益の言葉に玉は気を良くした。
「やったー、あ、そう言えば笠俵めしの隣にあった”笠饅頭”と言うのも美味しそうであったなぁ、あぁ何か突然幸せがいっぱい来た感じじゃー、このまま”玉の輿”もあるかも知れぬ、先程の観音様の御利益じゃな、きっと」
一益と慶次郎がそれぞれ火薬と火を扱う緊張感の横で、玉は一人妄想の世界に入り込みながら呟いていた。吉法師と勝三郎が鉄砲の準備を拝見しに来たのはその様な時であった。
「はは、お供え物を盗って行こうとした娘っ子に御利益を与えるとは、何とも慈悲深き観音様じゃな」
吉法師が笑顔を見せながら言った。それを聞いた勝三郎も隣でクスクスと笑っている。皮肉られた玉は脹れっ面を見せていた。
吉法師はその後、真剣な表情で鉄砲の射撃の準備をしている一益の様子を観察した。
(なるほど、あの様にして鉄砲の玉を込めるのか)
一益は袋から取り出した火薬を銃口から詰め、一度棒で押し固めた後、鉛の玉を込めた。そして銃身の火皿に少量の火薬を入れると、離れた場所で火を起こしている慶次郎に向かって言った。
「慶次郎、火縄はできたか?」
その時慶次郎はちょうど起こした火種を火縄に移す所であった。
「良しできた、はいよ、おやじ」
一益は自分の方を覗っている吉法師を横目で見ながら火の付いた火縄を慶次郎から受け取った。
(手慣れたものだな)
吉法師は二人の準備の手際の良さに感心しながら見ていたが、一方で一益は吉法師に対して渋い表情を浮かべながら、火縄を鉄砲の火挟みに固定させていた。
(石問屋の嫡男だか何だか知らぬが、興味本位でこの様な勝負を持ち上げて来るとは、この格好といい、とんでもないうつけじゃな、この勝負に勝ったらこ奴本当に我らに馳走する気はあるのだろうか?)
今回戸部屋敷での鉄砲披露と宴が急遽無くなり、三人の子にがっかりする思いをさせている。思えば普段から三人には美味しい物を食べさせてやれず我慢させており、特に娘の玉には女子としての華やかさすら与えられずにいる。この先三人の将来を考えれば心配は尽きないが、先ずは今この時にがっかりさせる様な思いをさせたくなかった。
一益が吉法師に対して疑念を抱いていると、その様子を察してか慶次郎が声を掛けて来た。
「おやじー、何を考えておるじゃ、対決に自信が無いのか、御馳走が掛かっておるのじゃぞ?」
その慶次郎の御馳走と言う言葉を耳にして、娘の玉も重ねて言った。
「そうじゃ、父上、我の幸せも掛かっておるのじゃぞ、この勝負、負ける事は許されませぬぞ」
玉は一益に絶対の必勝を煽っていた。
(もう、ぬしらの事を思えばの悩みなのに)
一益は二人の言葉に気を散らしながら、火の付いた火縄を火挟みに固定するという慎重さを要する作業を行っていた。
吉法師は目で一益の鉄砲の準備を観察しながら、耳で二人の子の話を面白おかしく聞いていた。
「あぁ、大丈夫かのぉ、おやじはあんまり鉄砲うまくないからのぉ、心配じゃのぉ、儂が代わった方が良いのじゃないかのぉ」
慶次郎はこの対決を面白そうだと感じ自分がやりたいと思っていた。
「父上、玉の笠俵めしと玉の笠饅頭と玉の輿、我の幸せの全てが父上のその指先に掛かっておるのですよ、心してくだされ」
玉はこの対決を笠寺の玉照姫が得た様な幸せへの道の分岐点と思っていた。
二人の対決に対する思いは大きく異なっていたが、猶もそれぞれの思いで一益を捲し立てていた。延々と続く二人の言葉に、さすがに一益も煩わしく感じ始めていた。
「お前らな!」
そう叫んで一益が一喝しようと鉄砲の台尻を地面にドンと下ろした時だった。
バーン!
衝撃で火挟みに固定したはずの火縄が落ち、火皿の火薬に引火して、鉄砲が暴発した。
ヒュッ
銃口から飛び出した鉄砲の鉛玉は目の前にいた吉法師と勝三郎の間を、一瞬の風切り音と共に飛び去って行った。
吉法師と勝三郎は暴発の音と鉄砲の玉が耳横を掠めた事への驚きのあまり、思わずその場にへたり込んでしまった。
「び、びっくりした!」
立ち上がる事が出来ずにいる二人に、一益は笑いながら言った。
「あははは、あ、いや~、何と言うか、良かったのぉ~、鉄砲の射撃を近くで見る事ができて」
笑ってごまかす一益に二人は怒りを現しながら言った。
「冗談では無い、近すぎるわ、初めて見る鉄砲の玉にそのまま当たって死ぬ所であったわ!」
「全くじゃ、ヒュッて聞こえたぞ、ヒュッて、本当に当たってもおかしくなかったぞ!」
文句を言う二人に対して、一益は更に笑ってごまかそうとした。
「ははは、悪い悪い、鉄砲と言うのは火薬を使い危ないから、取扱には十分な注意が必要だという事を伝えたかったのじゃ」
しかしその様な言葉で吉法師と勝三郎は納得する筈もない。
「嘘じゃ、言い訳にしか聞こえぬ」
「絶対嘘じゃ、一益は我らを子供だと思って舐めておるじゃろう」
一方で慶次郎と玉の心配は増長していた。
「おやじぃ、大丈夫か、儂代わろうか?」
「父上、何たる不始末、しっかりしてくだされ!」
音源が四つに増えてしまった一益はもう静かにさせる事を諦め、聞えない振りをして淡々と砲筒の中の煤を取り除き、また最初から鉛玉込めの作業を行う事にした。
四人の子供の言葉はその後も収まることなく続いていた。一益は弓との一対一であるはずの勝負の前に、何か面倒な相手に囲まれている気がしていた。
ギャー、ギャー
ギャー、ギャー
ギャー、ギャー
ギャー、ギャー
しかし一益は再度鉄砲の玉込めに集中していくと、四人の声に何か変化を感じる様になっていた。
(あ、もう何かこの雑音、何か歌にしか聞こえぬ)
そう思いながら自分の周りを囲む四人の子を見て再度思った。
(あ、そうか、これを四面楚歌って言うんだ)
対決を前に一益は落情(落城?)寸前の状態に追い込まれていた。




