第五章 女房鉄砲仏法 笠寺の姫(2)
舟は笠寺近くの桟橋で吉法師たちを降ろすと、船頭の掛け声の下、瞬く間に熱田湊に向けて戻って行った。
「高波での船行も緊張感あって楽しかったですね」
「しかしさすが図書助殿の紹介、あの船頭と漕ぎ手は良かった」
「そうですな、安心して乗れましたな」
勝三郎、友閑、又兵衛の三人は桟橋の途中で立ち止まり、高波の中を遠ざかって行く舟を見ていた。
「うえ~、気持ち悪い」
吉法師は三人の後ろで船酔いが回復せずへばっていた。いつも先頭を突っ走る吉法師であったが、この時は皆について行けない状況であった。その吉法師の様子を見た勝三郎は得意の余計な一言を発した。
「吉法師様、いつもあれだけ馬上で揺られているのに、舟上の揺れはまるでダメですねぇ」
「うるさい、勝三郎、まるダメ言うな!」
吉法師はムッとして勝三郎に言い返した。この勝三郎の言葉に友閑と又兵衛は思わず含み笑いを浮かべていた。
「吉法師様、どうぞお乗りください」
そう言って又兵衛は吉法師の前で背中を見せながら腰を下ろした。
「すまぬ、又兵衛」
又兵衛は吉法師を背に乗せて歩き始めたが、直ぐに吉法師に止まる様に指示された。
「ヴえ、やっぱり自分で歩く」
慌てて又兵衛の背中から下りる吉法師を見て友閑は笑いながら言った。
「ははは、又兵衛の背は荒波に浮かぶ舟の如くじゃな」
この友閑の言葉を聞いて勝三郎も笑いながら言った。
「又兵衛、馬の背になれば大丈夫かも知れぬ、四つん這いで行こう」
もちろん勝三郎は冗談で言っていた。しかし本日まで又兵衛は勝三郎の家臣である。又兵衛は意図不明のまま勝三郎の言う通り吉法師の前で四つん這いになって見せた。
「もうよいわ!幼子扱いすな!」
それに乗ればお馬さんごっこであった。
ここぞとばかりにからかわれた吉法師は腹を立て、体をふらつかせながらも一人で先頭を歩いて行った。その後を三人は笑顔を見せ合いながら着いて行った。
桟橋には完全に動けなくなっている山口親子が取り残されていた。
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- 笠寺 -
笠寺(笠覆寺)は天平五年(733年)僧の善光が浜に漂着した不思議な光る木を彫って作った観音像を祀るため、天林山小松寺として建立されたのが始まりである。
その後、平安期になると寺は受け継ぐ者なく廃れ放題となっていた。
ある雨の日、寺の前を通り掛かった一人の娘が雨曝しとなっていた観音像の姿を哀れに思い、自分が被っていた笠を観音像に被せて拝んでいた。するとその時偶然通り掛かった都の青年貴族藤原兼平が娘の心優しさに魅かれ、都に連れ帰って玉照姫と名付け妻とした。
二人は都で幸せな暮しを送ると共に、そのきっかけとなった寺を庇護した。小松寺は以降、笠寺(笠覆寺)と名を改め、二人の庇護と共に縁結びの寺として賑わう様になった。
寺の周辺の道沿いには良縁を求める民衆により笠を被った観音像や地蔵が延々と並べられ、縁結びの参拝の雰囲気が高められていた。
この日は厚い雲に蔽われ強い風が吹くあいにくの天候ではあったが、この日も多くの若い男女が平安期の物語の世界を楽しんでいた。
「うえ~、まだ気持ち悪い」
ようやく笠寺に着いた吉法師であったが、笠寺を行き交う人々とは対照的に、まだ苦悶の表情を呈していた。
「吉法師様、参拝大丈夫ですか?」
勝三郎はそんな吉法師が気になって問うた。
「勝三郎、大丈夫じゃ、しっかり戦勝祈願せねばならぬ、他国との戦に負けぬ様にとな」
その吉法師の答えに勝三郎は首を傾げながら言った。
「吉法師様、それはどうですかね、ここの御利益は縁結びみたいですからね」
「何?そうなのか?」
吉法師は驚きの表情を見せた。縁結びの御利益の所に戦勝祈願をかけるとどうなるのであろうか、そんな事を少し考えた後、ふと逆に勝三郎に問い返した。
「そう言う、勝三郎はここで何を祈願するのじゃ?」
訊ねる吉法師に勝三郎は力強く答えた。
「もちろん、しますよ、縁結びの」
「何?そうなのか?」
吉法師は再び驚きの表情を見せた。
「勝三郎、まさかぬしはもう嫁をもらうつもりか?」
この吉法師の言葉に勝三郎は右手を左右に振りながら、左手で隣にいる又兵衛を指差した。
「違います吉法師様、又兵衛ですよ、又兵衛に良い嫁が来ます様にって」
「あぁ、なるほど、じゃあ儂もそうしておくか」
吉法師は又兵衛を見て納得していた。
「お気遣い、すみませんねー」
又兵衛は子供の二人に自分の嫁の心配をしてもらい苦笑していた。
「吉法師殿、握り飯を戴いて参りました」
そこへ別の場所に行っていた友閑が合流し、握り飯の入った包みを差し出した。
勝三郎は早々に横から自分の分の握り飯を持って行き、美味しそうに頬張る中、吉法師の胃は未だ食事を受け入れられる状態では無かった。
「友閑先生、申し訳ないが儂は未だ食えぬ」
吉法師が辛辣な表情を浮かべて応えるのを見て、勝三郎は待ってましたとばかりに言った。
「そうですか、では私がいただきましょう」
その勝三郎の言葉を聞いた吉法師は、慌てて友閑から自分の分の握り飯を受け取った。
「勝三郎ぬしにはやらぬ、後で食うわ、まったく」
吉法師は勝三郎に向かって一喝する様に言った。友閑はそんな吉法師を笑いながら見ていた。
「はっはっは、吉法師殿、舟上の舞はきつかった様じゃな、此度は少し意地悪じゃった様じゃ、じゃが私の見立てなぞ本来無用ですぞ」
「え、友閑先生、どう言う事ですか?」
見立ての必要はない、この友閑の言葉に吉法師は不思議がった。
友閑は一つ間を置くと、今度は真剣な面持ちになり、吉法師に言い聞かせる様に言った。
「今のぬしにとって舞の道も、武の道も、そして世の道も全て始まったばかりじゃ」
吉法師も真剣な面持ちで聞いていた。
「吉法師殿、お方はまだ将来の領主という立場に対して、己の個としての成長を考えねばならぬ。その成長に妥協せず、満足せず、常に高みを、常に変化を求め続ければ、自ずと人が集まり目標は達成されるものじゃ」
吉法師は友閑のこの言葉に、気が引き締まる思いを感じた。
(そうか、何事も自分はまだまだと思いながらやらねばならぬ)
吉法師は何かうれしかった。
舟上での舞はただただきつく、その後で言われる事もまた厳しい忠言であった。自分の観点で出来ぬ事と判断しても能力が上の者、見方が異なる者からすれば出来る事かも知れぬ、その人の上を行く判断をしようと思えば、簡単に妥協や満足しない成長が必要である。今回友閑はそれを自身の舞を持って吉法師に伝えていた。
吉法師は笠寺についてようやく笑顔を見せた。そして吉法師の笑顔を見た友閑もまたいつもの笑顔に戻った。
吉法師と友閑が真剣な話をしている横で、勝三郎と又兵衛は握り飯を頬張り続けていた。吉法師はそんな二人を目にした後、友閑を見て言った。
「友閑先生は握り飯を戴いたのですか?」
この吉法師の問い掛けに友閑は軽く頷くと、南の丘の上の方を指差して言った。
「吉法師殿、実は一日遅れじゃが、私はこの後、あの丘の上の戸部の館に赴き会食の予定なのじゃ、そのため残念ながらお方とはここでお別れじゃ」
友閑は少し寂し気な笑顔を見せた。
(吉法師殿は自分が多くを語らずとも、自身で見て、聞いて、体験しながら成長できる若殿じゃ)
友閑は若子の吉法師に将来に通じる才能を感じていた。そしてその吉法師に舞を通じてその成長に関与できる事に、身内の親しみを感じていた。
一方吉法師はこの笠寺まで足を運んでも、友閑に自身の覚悟の舞を見定めてもらう事が出来なかったが、友閑が自身の舞を以て、自分の成長に対する考えを指し示してくれた事には、ここに来た成果を感じていた。
吉法師は友閑に笑顔を見せて言った。
「そうですか、友閑先生、此度はありがとうございました。また今度ご指導を願いします」
丁寧に頭を下げて礼を言う吉法師に、友閑は笑顔で吉法師の肩に軽く手を乗せた。この時友閑からの言葉は無かったが、吉法師は友閑から、がんばれよと言う気持ちが伝わるのを感じていた。
「友閑先生、さようならー!」
戸部館に向かって離れて行く松井友閑を吉法師は勝三郎と又兵衛と供に手を振って見送った。
(先ずは己の力を高めよ)
吉法師は遠ざかって行く友閑の後ろ姿を目で追いながら、友閑からの教訓の言葉を思い起こしていた。




