第五章 女房鉄砲仏法 那古野弓対決(9)
弓対決が終り城の者たちが会場の片付けを始め、観衆は帰途に着き始めていた。
参加者たちが控え場に戻った射場には、弓対決に感動した多くの若者たちが集まっており、青山は意気揚々とその者たちに弓射ちの基本を教えていた。中には青山の狙い通り、体付きが良く即戦力になりそうな者もいた。
「さて若、我らも戻りますか?」
「そうじゃな」
暫く上座で対決の余韻を味わっていた吉法師であったが、政秀に促され弓対決の会場を後にすることにした。
そして弓対決の会場を出た時であった。
「吉法師様!」
背後から自分を呼び止める声に吉法師が振り返ると、そこには対決の受付をしていた弥三郎が控えていた。
「おぉ、弥三郎ご苦労であった。これから帰る所か?図書助は?」
吉法師は弥三郎の父図書助が一緒でないことが気になり問い掛けた。すると弥三郎は特に困った様子もなく答えた。
「父上は受付けの際に最後に来られた方と一緒なので、もうすぐ会場から来るかと思います」
「そうか」
弥三郎の返答に吉法師は少しおやっと思いながら笑みを浮かべた。女子好きの図書助のことである。城内でまたどこぞの女子衆の中に紛れ込んでいるのかと思ったが、どうやら違う様であった。
「あぁ来ました」
そう言われて吉法師は弥三郎の指差す方向を振り向くと、会場の方から図書助が別の町人らしき姿をした男と一緒に歩いて来るのが見えた。
吉法師は遠目ながら、その男の芯の通った歩き方が気になり、じっと見つめていると、少し近付いた所で、覚えのある顔であることに気が付いた。
(あの方は、まさか?)
そう思いながら更に見つめていると、やがて図書助は吉法師たちの存在に気付いたのか、その男を連れ目の前まで来て、笑顔を見せながら吉法師に話し掛けた。
「吉法師様、弓対決は大変盛況でようございましたな」
しかし吉法師は図書助に応じることなく、図書助の隣の男に声を掛けた。
「友閑先生ではないですか、来られていたのですか?」
男は吉法師が津島で舞を教わった松井友閑であった。
「何じゃ、来ておったなら我らに声を掛けてくだされば良かったものを」
旧知の政秀も声を掛けた。
図書助は突如弓対決の観戦に現れた友閑を、自ら応対していたが、吉法師や平手政秀が周知の間柄であることを聞かされておらず、二人の驚きに驚いていた。
友閑は笑いながら言った。
「はっはっは、実は今朝方熱田に着いたのじゃが、そこで幾多の道行く人がこの催しの事を噂し合っているのを耳にしてのぉ、時間もあったので来てみたのじゃ」
一人笑う友閑に図書助は少し困惑した顔で言った。
「友閑様も人が悪い、吉法師様と平手様がお知り合いであれば、お二人に連絡して、上座の方にご案内致したものを」
友閑は図書助の困り顔を見てまた笑った。
「はっはっはっ、いやすまぬ図書助殿、今回は観衆の雰囲気を味わいたくてのぉ、儂もいつもは演じる側で見せる側じゃが、今回は図書助殿と一緒に見せられる側で何かと参考になり申した」
吉法師はこの友閑の言葉を熟考していた。
(なるほど、いつもと見方を変えれば印象も変わる、友閑先生はもしかすると儂の見方は足りぬ、上座から見ているだけでは、全てを把握することなど出来ぬ、と言いたいのであろうか?)
吉法師は友閑の言葉を貴重な意見と捉えて訊ねた。
「この弓対決で、友閑先生の参考になることがあるとは思うてもおりませんでした」
吉法師はその参考になったという所について、もう少し詳しく知りたいと思っていると、友閑の方からそれについて語り始めた。
「そう特にあれじゃ、あれ、あの…」
吉法師はじれったい思いを感じながら聞いていたが、直ぐには友閑の記憶から出て来ない。
「あれ、あれじゃ、あのあれ、そうそう、よいよいちー」
吉法師はその友閑の言葉を聞いてガクッと首を傾げた。
(そこか!)
しかし改めて考えてみれば、友閑は舞の先生であり、小豆坂七本槍、黄金世代の参戦を謳った弓対決より、助右衛門と左近が演じる一風変わった幸若舞の方が気に入るかも知れない。
「何といってもあの観衆受けの高い独特の振りとそれにあった衣装、斬新な与一の舞じゃ、二人の舞はもう少し見たかったのぉ」
暫しの間五人での立ち話が続いていた。友閑とあまり会う機会が無い吉法師は、もう少し友閑の時間を得て、話をしながら最近上達している自身の敦盛の舞を見てもらいたいと思った。
「友閑先生、今日はこの後何処に参られるご予定なのですか?」
思い切って問い掛ける吉法師に対して、友閑の目線を受けた図書助が代わりに答えた。
「吉法師様、実は松井様は本日我らの屋敷にお泊り頂く予定なのです」
それを聞いた吉法師は少し驚いた表情で松井に問い直した。
「そうなのですか?」
吉法師の強い目線を受けながら、友閑は少し引き気味になって答えた。
「ははは、まぁそうです」
友閑が少し引きつりながらも笑顔で承諾するのを見て、吉法師は即座に思い立った。吉法師の脳裏に、覚悟の敦盛の舞の事、そして津島での吉乃の事が思い起こされる。吉法師は図書助の方を振り向くと力強く言った。
「図書助、儂も行く、良いか!」
この言葉に今度は吉法師以外の者たちが驚きの表情を現した。
「これから直ぐですか、我らは良いですが?」
図書助はそう言いながら、困惑した表情の政秀を振り向いた。
「わ、若、これからですか?」
政秀は即座に止めようとしたが、吉法師はもう口にした時点で他を聞かない。逆に吉法師は直ぐにこの後の指示を出した。
「爺、それでは本日よりこの後より儂の代わりに新助を一日城主としてくれ、孫介と与兵衛はその護衛として一緒に城主体験をさせて欲しい」
「分かりました若、もう致し方ありませぬ」
更に吉法師は弥三郎に指示を出した。
「弥三郎、至急勝三郎と四郎に出陣と言って出立の指示を出せ、それから又兵衛は本日より勝三郎の家臣として池田家の旗印を掲げて参陣せよと伝えよ」
「了解致しました、吉法師様」
吉法師よりも若い弥三郎は直接の家臣では無かったが、商家の子として律儀な応対と気配りが出来る子であった。しかしそれが時には意の異なる方向に作用する。
「吉法師様、もし友閑様が御所望あらば、助右衛門様と左近様もご都合伺って、我屋敷にお呼び致しとうございますが、如何でしょうか?」
この弥三郎の提案に友閑は笑顔で興味を示した。
「おお良いのか、それは楽しみじゃ、あのよいよいちーの舞をもう一度間近で見てみたいものじゃ、はっはっは」
吉法師は友閑の興味もあり、この弥三郎の提案を受け入れるしか無かった。しかし正直な所、二人が一緒に来る事に関しては気が乗らなかった。
(あの二人が来れば、友閑先生は二人の与一の舞にのめり込むであろう、儂は儂の敦盛の出来を見て頂きたかったが、その時は無理であろうな、弥三郎め、余計な提案をしおって…)
そんな吉法師の思いを知る由もない弥三郎に非は無い。吉法師は少し苦々しい思いを抱きながら了承すると、弥三郎は自慢の足で颯爽と伝令に走り去って行った。
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暫くして城の大手門前に皆が集まると、隊列の中で吉法師は声を上げた。
「よし出陣じゃ!」
一番先頭を歩むのは、冴えない表情で旗印を掲げる又兵衛で、その後ろに馬に跨る勝三郎が続いていた。そして図書助、弥三郎、助右衛門、左近と続き、吉法師、友閑、そして最後に四郎が続く。
吉法師は先頭の又兵衛が掲げた旗印を見て疑問に思い、後ろの四郎に問い掛けた。
「四郎、あの又兵衛の持っている旗印は何じゃ?」
すると四郎は少し苦笑を交えながら答えた。
「あれは池田家の旗印の揚羽蝶なのですが、あいにく持ち合わせが無くて、慌てて手描きで拵えたものなのですよ」
手描きの揚羽蝶はうろ覚えで描かれていたため、全体が歪んでいる上に、細部がいいかげんになっていた。又兵衛は弓対決の最下位結果で勝三郎の家臣とされた上に、変な旗印を担がされ、屈辱感で冴えない表情となっていた。
「ふ~ん、ま、いいか、で四郎はなぜ舞装束を纏っておるのじゃ」
熱田神宮の宮司と武士の二足の草鞋を履く四郎は、この後の奉納の神楽舞の準備のため、既に舞装束を身に纏っていた。
「ぬしも忙しいのぉ」
そう言うと吉法師はその目を前方に戻した。
隊列の先頭は変な紋様の旗印を掲げボロボロの袴を履く者で、その後に派手な格好の傾奇者やうつけの格好をした子供、明らかな町人や、舞装束の者などが続いている。
長い一日の終りを演じる斜陽の中で、異様な集団が一路熱田の加藤屋敷を目指してその歩みを進めていた。




