第五章 女房鉄砲仏法 那古野弓対決(7)
那古野城の六人の弓対決は二つの勝負を終えた所で接戦となっていた。
青山は城の者たちにより高所対決の三つの足場が片付けられたのを確認すると、再び観衆の前に出て来て声を上げた。
「最後の対決は一発逆転超遠射対決である」
そして青山が大きく右手を振ると、大勢の城の者たちが勢い良く的場の方に走って行く。
ダダーッ!
カン!カン!カン!
バキバキ!
ダーッ!
「わ、若、何をさせているのですか?」
政秀の心配をよそにして、集まって来た城の者たちは凄まじい勢いで的場の後ろの壁に取り付くと、壁板を剝がし取り、あっと言う間にそれを担ぎ去って行った。
「何事じゃ?」
この時対決の参加者たちも、観衆の皆も、青山が彼等に何をさせているのか理解できなかった。
しかし的場の後ろの壁が取り払われ、その奥にある堀まで大きく見渡せるようになり、その堀の柵手前で、城の者たちが剥がした壁板を斜めに並び立て掛けているのを見た時、皆がその意味を理解した。
「おい、あの壁板を、まさか?」
「あぁ、次の対決の的になる様じゃな」
「確かに超遠射じゃ」
「かなり遠いのぉ」
観衆が囁き合っている中で、射場の孫介、助右衛門、左近、又兵衛の四人も射場からこの新たな的を見定めていた。
「あそこまでだと一町(109m)位はあるか?」
「うむ、そのくらいじゃな」
距離は確かに遠くなっているが、壁板の的も大きくなっている。
「あそこまでなら十分に狙えるじゃろう」
「あぁ、超が付くほどの遠射ではないな」
二人はこの最後の対決に自信を覗かせていた。
そんな二人の会話を聞いていた孫介が言った。
「助右衛門、左近、ぬしらは甘い、もっと先を見てみろ!」
助右衛門と左近はそう言われて、孫介が指差す柵手前の的の更に奥を眺めたが、その先は堀になっている。
「何じゃ、孫介、その先はもう堀じゃぞ!」
左近は孫介に訊き返したが、孫介は差した指を更に強く指し示して言った。
「違う、もっと先じゃ!」
そう言われた二人は、目を凝らしながら堀の更に先を見ると、堀を超えた城の外に、同じ様な壁板が設置されているのが見えた。
「おいおいあれも的か、あれは遠いぞ!」
「あれは無茶じゃろ!」
驚きの表情を示す二人に、孫介は笑顔を見せながら言った。
「吉法師様は試しておるのじゃ」
この言葉に二人は孫介の方を振り向いた。
「試しているだと?」
「どう言うことじゃ?」
自分たちは吉法師に何かを試されている。観衆向けの興行的な弓の対決として参加していたつもりの二人は、今更ながらこの対決の意図について考えさせられていた。
孫介は驚きの表情を見せる二人に、また少し笑顔を見せながら答えた。
「吉法師様は我らの限界、いや弓という武器の限界を見定めるためにこの様な対決を催されておるのじゃ」
それを聞いて助右衛門と左近は何か納得するものを得た。
「なるほど、それで観衆を前にした対決の場とか、実際を想定した対決内容とか、色々なな褒美とかを用意しておるのか」
「うーむ、あの若さで考えが深いのぉ」
孫介はその目線を二人から観衆に移して言葉を続けた。
「恐らく見物料を払って見ている観衆の殆どが、この対決にその様な意図が組まれていることに気が付いておらぬであろうな」
三人は改めて吉法師の考えの深さに感心していた。
そこにボロボロに破れた袴を纏っていた又兵衛が、相槌を打つ様にして三人の会話に入り込んできた。
「なるほどのぉ」
又兵衛は前の高所対決で一矢も放てずに足場から落下し、討ち死扱いで無得点と言う散々な結果となり、これまで培ってきた弓に対する自信が揺らいでいたが、堀の奥城外の的を見てその自信を取り戻していた。
「いずれにせよ、弓の勝負であれば、やはり最後に勝つのは儂じゃ!」
又兵衛は超遠射を日頃より得意としており、堀の奥城外の的までの距離を見ても普通に狙える距離で、この勝負は自分に分があると見ていた。
力強く言い切る又兵衛に、三人も対抗して言葉を並べた。
「ふっ、儂らもそう簡単には負けぬぞ!」
「そうじゃ、勝負は最後まで分からぬ!」
「今一番点数が高いのは儂じゃ、逆転してみよ!」
言葉では互いに意地を張って譲らぬ四人ではあったが、皆笑みを浮かべながら、この対決を楽しんでいた。
この様な対決の場で競い合っていても、戦となれば頼れる仲間である。四人は世間で黄金世代と謳われながら、この様な対決で競えることをうれしく思っていた。
そして四人が超遠射対決に向けて弓矢の選択をし始めた時、孫介は観衆の方から歩いてくる又兵衛と新助の姿を目にした。
「与兵衛、大丈夫なのか?」
孫介は先程の高所対決で又兵衛以上に派手な落下をした与兵衛の状態を気遣った。
「問題ない、退治した」
しかし与兵衛は孫介の気遣いを気にすることなく、一言だけを返し、その前を素通りして行った。
「退治、何をじゃ?」
孫介はその与兵衛の応えを不思議に思ったが、与兵衛はそのまま次の超遠射対決に向けた弓矢の選択に向かって行く。孫介は与兵衛に付き添っていた新助に、その解答を求め目を向けた。
新助は孫介の前を通る際に、複雑な表情を示す孫介と目が合うと、その意味を察して与兵衛の代わりに答えた。
「あぁ、退治と言うのは腹の虫のことじゃ、観衆からもろうた握り飯でやっつけた所じゃ」
新助はそう言うと、笑顔を見せながら、与兵衛の後に付いて、同様に弓矢の選択に向かって行った。
孫介は二人の後ろ姿を見ながら、フッと呆れ顔を含ませた笑顔を見せると、自身も長距離対決に向けて弓矢の選択を続けた。
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参加者の六人が弓矢の選択と調整を行う中で、青山は観衆に向けて説明を行っていた。
「遠射は敵が攻撃できない距離から攻撃することで、弓による攻撃の最大の特長であり、合戦と城攻めの両方で有用である」
青山は軍配を持ち上げ話を続ける。
「勝負は二回、号令と共に六人が一斉に矢を射つ」
そして軍配を的の方に向けて、更に説明を続けた。
「的は距離の異なる二つがあり、堀の柵手前の的が距離一町(約109m)で四点、堀の奥城外の的が二町(約218m)で八点、どちらの的を狙うかは、勝負する参加者次第じゃ」
観衆の多くはこの青山の説明で初めて、堀の奥の城外にも的が設置されている事に気が付いた。
「あんな遠くにも的が設置されていたのか!」
「八点の的は城外じゃないか!」
「かなり遠いぞ、届く者はおるのか?」
観衆の皆が驚きと疑問を抱く中、参加者の六人は黙々とこの超遠射に向けた弓矢の選定と調整を行っていた。
この時吉法師は上座から六人の様子をじっと見つめていた。
「若、いよいよ最後の対決ですな!」
隣に座る政秀は楽し気に声を掛けていた。
最初は自分の知らぬ所で始まったこの対決を訝しく思っていたが、勝負の盛り上がりの中で、すっかりその観戦を楽しむ様になっていた。
「若は最後に誰が勝つと予想しているのですか?」
そう問い掛ける政秀に対して、吉法師はその目線を射場の六人の様子に向けたまま答えた。
「順当であれば又兵衛であろうな」
その吉法師の言葉を聞き、政秀は頷いて言った。
「やはり又兵衛ですかな!」
他の者たちが弓矢の選定と調整にあれこれと考えを巡らせているのに対して、又兵衛は自前の弓矢を前にどっしりと自信を持って構えていて、ただ一人余裕が感じられた。
「まぁ、順当であればの話じゃがな」
その吉法師の言葉尻には何か含みが込められていた。その会話を横で聞いていた沢彦は思った。
(順当であれば、か、吉法師はまだ何か起きると予想しているのか?)
沢彦は吉法師がこの対決をどう予想しているのかを考えていた。
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一方で内蔵助、犬千代、九右衛門の悪ガキ三人組は、観衆の中で最後の対決前の様子を見ていた。
「内蔵助の兄者は大丈夫かの?」
犬千代と九右衛門は呟きながら内蔵助の方を振り向いた。
「大丈夫じゃ、孫介兄ぃの実力はあの黄金世代の中でも一番じゃからの」
内蔵助は相変わらずむすっとした表情を浮かべていたが、もう自然と兄の孫介を応援していた。
「じゃぁ明日は兄者殿の城主様姿が拝めるかのぉ?」
この犬千代の言葉に、内蔵助は城主としての武家の正装をして、大勢の城の者たちを従える兄孫介の姿を思い浮かべた。
(に、似合わん)
内蔵助はこの弓対決で兄が勝つ事を思いながらも、その暁である一日城主となった姿には違和感を感じていた。
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城の者より準備完了の連絡を受けると、青山は再び観衆の前に出て声を上げた。
「それでは最後の弓対決、一発逆転超遠射対決を始める」
この案内に会場は大いに湧き上がった。
板的の確認役として、堀の柵手前の的には四郎が付き、堀の奥城外の的には勝三郎が付いていた。
「射ち方構え!」
青山の掛け声に参加者六人は横一線で弓を構える。
「放て!」
びしっ!
びしっ!
びしっ!
びしっ!
びしっ!
ばしっ!
青山の号令と共に六本の矢の放たれる音が射場に響き、勢い良く放たれた矢はほぼ同時に堀の柵手前の板的に向かっていた。
どっ、かかかか!
そして激しい音と共に一斉に矢が板的に命中した。
「おぉ、すごい、皆譲らぬ」
「全員命中か?」
「いや、的の矢は五本のみじゃ」
「一人外したのか?」
観衆の皆がそう囁き合っていた時であった。
どかっ!
一本の矢だけが少しの間を置いて堀の奥城外の的に命中した。
「おぉ!一本は奥の的に命中したぞ」
「一体誰じゃ?」
観衆からはそれが誰であるのか判別し難かった。しかし射場の参加者の五人が又兵衛の方を向いているのを見て、それが又兵衛の矢と理解した。
「又兵衛の様じゃ!」
やがて確認の四郎と勝三郎の報告が青山に届くと、その結果が観衆に向けて伝えられた。
「助右衛門、左近、孫介、新助、与兵衛、堀手前の的に命中で四点、又兵衛は堀向こうの的に命中で八点じゃ」
この結果、合計の点数は又兵衛が十六点 左近が十四点、助右衛門、新助、与兵衛が十三点、孫介十二点となり、この時点で又兵衛が最高得点者となった。
「おぉー、ここで又兵衛が来たー」
「やはり弓の実力は一歩上じゃ」
「結局最後に勝つのは又兵衛か」
途中で予想外の結果が起き盛り上がっていたこの弓対決であったが、最後は順当な結果となるのであろうか、観衆は超遠射対決の最初の一矢で最終結果を見た様な思いを感じていた。
観衆が堀の奥城外の的に一人当てた又兵衛を称賛する中で、他の参加者の五人は又兵衛の方を見ながら思っていた。
(又兵衛め、余裕で当ておる)
(やるなー、又兵衛)
(くやしいが、あの奥の的までは届かぬ!)
(逆転された、こやつには敵わぬのか)
(握り飯、足りぬ!)
五人はこの超遠距離対決の初矢で、弓に対する又兵衛との実力差を痛感していた。そして又兵衛はこの時五人の半分勝負を諦めかけた視線を感じた。
「フッ」
又兵衛はそんな五人の視線を鼻で躱すと、もう勝負は決まったな、と言わんばかりの余裕の表情を五人に見せた。
この嘲る様な又兵衛の表情は、逆に失われつつあった五人の対決心に火を付けた。
「くそー、絶対負けぬ!」
「よぉし、もぉ一勝負!」
「栄光も褒美も又兵衛には渡さぬ!」
「弓矢の選定、見直しじゃ!」
「城主飯し喰いたい!」
もしこの対決が勝者への栄光と褒美の話だけであれば、この実力差が見えた時点でもう勝負は着いていたであろう。しかし最後の意地の勝負となれば、実力差などで負けを認める訳にはいかない。
(とにかくもう一度考え直しじゃ!)
まだこの対決において全てやり尽くしたとは思えない。五人は再度弓矢の選定の場に向かって行った。




