第五章 女房鉄砲仏法 那古野弓対決(6)
控え場で待機する五人の参加者には、観衆の騒めきだけが聞えていた。
「何じゃろうかのぉ、あの大きな歓声は?」
「又が最初の足場で矢を的に当てたのであろう」
「そうかのぉ?」
五人が囁き合っていると、勝三郎が控え場に入って来た。
「次は助右衛門殿の番だそうです。よろしくお願いします」
まだ皆でこの控え場に来たばかりの所であった。助右衛門は不思議に思い勝三郎に問い掛けた。
「やけに回ってくるのが早いな、又はもう終わったのか?」
すると勝三郎はその言葉を待っていたかの様に、笑顔を見せて答えた。
「はい、又兵衛殿は最初の梯子の足場に登る時、段の間に弓を引っ掛けて転げ落ち無得点でした」
この勝三郎の言葉に皆が驚いた。
「なにー、又が無得点じゃと!」
「あの歓声はそれだったのか!」
「驚きじゃ、足場の問題はあるとして、又兵衛が弓の勝負で無得点とは」
「全く何ともドジじゃ、弓を梯子に引っ掛けるとは」
「そもそもあの又の弓、特別長いからな、足場の悪い高所射ちは駄目じゃろ」
「そうじゃな、又の自慢の弓が今回は致命傷になったな」
皆で一頻り又兵衛の結果について囁き合うと、助右衛門は徐に立ち上がって言った。
「よし、じゃあやってみるか?」
又兵衛も苦戦したあの足場への挑戦、観衆の注目が集まる中で先ずは悪い結果の想像を払拭させたい。控え場から出て行く助右衛門の健闘を残る四人が称えた。
「がんばれよ、助右衛門!」
四人は対決の相手と言うより、これから難題に挑戦する同年代の仲間として助右衛門を見送った。
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助右衛門は射場に着くと弓立ての前で暫し考え込んでいた。
そこには長い弓、短い弓、弦の硬い弓、柔い弓、減の太い弓、細い弓など、たくさんの弓が並べられている。
(高所で足場の悪い所であれば短かい弓の方が良い)
助右衛門は短めの弓を持つと、観衆の声援を受けながら観衆の前へと出た。その目の前には弓対決の足場としての梯子が聳え立っており、その隣には塀と庭木が並んでいる。
(これに登って射るのか!)
助右衛門は改めて普通の対決ではない様相に、少し緊張感を感じながら六本の矢を入れた矢筒を背負うと、青山の開始の声に合わせて、最初の高所射ちの足場となる梯子に登り始めた。
又兵衛に比べて軽快に登る助右衛門は、その天辺に登り着くと、会場の周囲を見回した。
「おぉ、皆が儂を見ておる」
大勢の観衆がこれから矢を放つ自分に注目しているのが見えた。
この前代未聞の興味深い高所射ち対決にて、最初の又兵衛は一矢も放っていない事もあり、観衆の皆が助右衛門の最初の一矢に注目していた。
助右衛門はたくさんの観衆の視線を受けると、対決への緊張感は薄れ、逆にいつも舞を披露している時の高揚感が湧き上がってきて思わず叫んだ。
「皆の衆見ておれー!」
助右衛門は観衆に注目される事を楽しみ、力に変える事ができた。最初の梯子の足場からの二本の矢を立て続けに命中させると、観衆の大きな盛り上がりを更なる力に変え、続く塀からの二本も的に命中させた。
そしてその勢いのまま助右衛門は最後の庭木の枝に登った。
(うっ、これは全く足場が定まらぬ!)
庭木の足場になる枝は、その足場の悪さと共に揺れが生じる。結局、助右衛門は的に狙いを定める事ができず、庭木からの二本は的に当てることが出来なかった。
「あー、残念じゃ!」
助右衛門は悔し気な表情を見せた。
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助右衛門の弓射ちが終ると、また勝三郎が控え場に現れて言った。
「次は左近殿です」
「よっしゃ!」
名を呼ばれた左近は飛び跳ねる様にして立ち上がった。
「左近、がんばれよ!」
残る三人に見送られて控え場を出た左近は、射場に入ると直感で自分に合っていると感じた弓を選び、梯子の足場の前に出た。
そして青山の開始の合図を受けると、一気に梯子の天辺まで梯子を登り、そこで助右衛門と同様にたくさんの観衆の視線を受けて気分が高揚するのを感じていた。
「おぉ、皆が儂に注目しておる!」
この反応も助右衛門と同じであったが、左近は更に上を行くお調子者であった。
「よいよいち~!」
対決の緊張感を他所に、梯子の上で一舞披露していた。
左近は観衆の目線にも高所にも慣れており、梯子と塀の上からの弓射ちを全く苦にせず、助右衛門と同様に立て続けに二本ずつの矢を命中させた。
そして最後の庭木に登った。
(こ、これは難しい!)
梯子や塀の上とは異なり、庭木の上は構える前から足場の枝が揺らいでおり、弓を構えた瞬間に更に大きく揺らぐ。
左近は前の二つの足場と異なり、なかなか矢を射てずにいた。
(これでは埒が明かぬ、致し方ない、一か八か…)
左近は枝の揺れに体を合わせると、機を見て素早く矢を構え矢を射ったが、その直後の大きな枝の揺れと共に体勢を崩し枝から落下した。
「あぁ!」
観衆は左近の落下に悲鳴の様な声を上げた。
すたっ
しかし体勢が崩れることを予測していた左近は、空中で一回転し華麗に着地した。直前で放った矢も的に命中していた。
観客は左近の見事な技に歓喜の称賛の声を上げ、左近も大きく手を上げてそれに応えていた。その中で青山は判定の声を上げた。
「左近落下、討ち死、ただし最後の一矢は有効」
華麗な着地ではあったが、判定としては途中落下の討ち死であった。しかし左近は最後も観衆の中で目立つ事ができて満足そうであった。
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「次は与兵衛殿です」
その勝三郎の声に控え場に座っていた与兵衛は、返事も無く立ち上がると、その直後に少しよろめいた。
「おい大丈夫か、与兵衛?」
「大丈(ぐ~)じゃ」
新助の問い掛けに与兵衛は腹を鳴らしながら返事をしていた。
「何じゃ与兵衛、腹が減っておるのか?」
「しかしここには何も無いなー」
「いや、問(ぐ~)無い」
腹を鳴らしながら応える与兵衛は、控え場を出ると一張りの弓を掴み、射場に向かって行った。
ぐ~(黙れ、褒美は豪華料理じゃぞ!)
与兵衛は梯子を登りながら、騒ぎ立てる自身の腹に言い聞かせ、梯子の上で何とか最初の二本の矢を的に命中させた。
ぐ~、ぐ~、ぐ~
(うおー、虫ぃ、暴れるな~)
与兵衛は弓の対決と共に、腹の虫との対決をしていた。そして塀の上で二本の矢も辛うじて命中させ、三つ目の庭木を登り、足場となる枝に右足を掛けた時であった。
ぐう~~~~~~~~~~っ
特大の腹の虫の攻撃に受けた与兵衛は一瞬立ちくらみを起こし、枝の上で大きく足を滑らせて落下した。
べたーん!
左近の時は異なり、地面に這いつくばる様な格好の悪い着地だった。
この時観衆からは与兵衛が庭木の枝で、突如自分から体勢を崩して落ちた様に見えた。
「何をやっておるのじゃ、与兵衛は?」
状況が理解できず困惑する観衆に向かって、青山の声が響く。
「与兵衛落下、討ち死」
ぐ~
この時与兵衛は尚も腹の虫と戦っていて、落下したその場に倒れたままの状態で動けずにいた。しかし青山は審判として尚もこの対決を進めなければならない。
「その討ち死に、邪魔じゃ、端っこに退けてくれ」
指示を出す青山に従い四郎と何人かの城の者たちが動き、与兵衛を射場の外へと運び出していった。
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残り二人となった控え場に勝三郎が赴いた。
「次は新助殿です」
新助は自分の名前が呼ばれると、緊張した面持ちになって孫介に言った。
「いよいよ儂の番じゃな、行って来る」
「ああ、がんばってこい!」
孫介は軽く返事をした。
(次は最後儂の番か、それまで暇だな、少し体を動かしておくか)
控え場で一人になった孫介は、高所射ちの足場を想像しながら、準備運動を始めていた。
新助は青山の開始の合図と共に、最初の足場となる梯子を登ると、たくさんの観衆の注目を浴びた。
(うわー、恥ずかしい、皆が儂を見ておる、格好悪い所は見せられぬ)
この弓対決は実際の戦を模してその設定が成されていたが、実際の戦で一個人が観衆に注目されながら行われる事は無い。普段あまり人前に出る事が無く、人前に慣れていない新助は極度に緊張した状態となっていた。
(当たってくれ!)
そう願いながら震える手先で放った新助の初矢は、大きく的を外れ、観衆からは大きな溜息が上がった。
「新助は駄目じゃな!」
新助の初矢を見て、観客がその期待を下げる中、新助は梯子の上で考え込んでいた。
(如何、この様に緊張していては的に当てられぬ!)
そう思いながらふと射場の端を見下ろした時、与兵衛が未だに無様な格好で倒れ込んでいるのが見えた。
(与兵衛、落ちたのか?)
その与兵衛の姿を見て、新助は何かふと吹っ切れた思いがした。
(格好は悪くても結果を第一にこだわるべきじゃな)
そう思った新助は弓を持つ左手の肘を梯子の最上段に着けると、梯子に足を絡めて体を固定させた。見た目には体が縮こまり格好は良くなかったが、体勢が安定すると同時に手の震えも収まり、的に対する集中力が高まっていくのを感じた。すると観衆の目線は自然と気にならなくなり緊張感も薄らいだ。
(よし!)
そして気を込めて射った新助の矢は見事に的の中心を射貫いた。
観衆が歓喜の声を上げる中、新助は次の足場となる塀の上に移動すると、体を寝かせて、更に安定した状態を作り瞬時に二本の矢を的に命中させた。
そして新助は観衆が盛り上がる中、三つ目の足場の庭木に登ると、少し考えた後、手足を枝に絡み付かせ、庭木と一体となる安定した状態を作り、見事に庭木からの二本も的に命中させた。
初矢で落胆していた新助への観衆の声は、この庭木の足場からの命中で、一転して賞賛の声となっていた。
「格好は悪かったが、良く当てた」
新助は多くの観衆の称賛を受けながら、照れた様子で庭木から下りてくると、近くの観衆に向かって問い掛けた。
「どなたか、すまぬが握り飯など持っていたら分けてくださらぬか?」
この状況で握り飯を所望する新助のことを、観衆の皆は変だと思ったが、何人かの観衆が応諾の声と共に、差し出してくれた。
「おう、儂もっとるぞ」
「私もありますわ」
新助はお辞儀しながら、その者たちからいくつかの握り飯を授り受けると、即座に与兵衛の腹の虫との対決の方に加勢に向かっていた。
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控え場では外から大きな拍手の音が聞こえてくる中で、最後に一人残った孫介が準備運動を行いながら、気合を入れ直していた。
(全ての矢を的に当てる!)
挽回に強い思いがあった。
「孫介殿」
控え場の入り口で勝三郎が呼びかけると孫介は瞬時に応えた。
「おう!」
とても最初の対決で断トツ最下位の者が見せる表情ではなかった。孫介は射場に着くと最も固く弦が張られた小弓を選び足場の前に出た。
観衆の皆の注目が孫介に集まる。
「孫介、今度はがんばれよー!」
その大きな声援を送る男の横で、内蔵助が普段あまり見せない心配そうな面持ちで兄の孫介を見ていた。
(孫介兄、今度はしっかりせよ!)
心配気に心で呟く内蔵助であったが、犬千代と九右衛門が自分の様子をじっと窺っている事に気が付くと、慌ててその表情をいつもの憮然としたものに戻した。
「何じゃ、心配などしておらぬ!」
その内蔵助の言葉に犬千代と九右衛門は呆れた様子で言った。
「素直に応援すれば良いものを、」
「全くじゃ」
二人から兄の孫介をしっかり応援する様に促されても、内蔵助はただ憮然とした表情を見せているのみであった。
「孫介、がんばれー、気合入れていけー!」
近くの観衆の男の声がまた内蔵助の耳に入る。
(兄者、がんばれー、気合入れていけー!)
内蔵助はその男の声に合わせ、心の中で応援していた。
会場中に応援の歓声が響く中で、孫介は目の前の三つの足場とその先にある的に集中していて、それらの声に応じる事はなかった。
「始め!」
そして青山の開始の合図を受けると、孫介は梯子を駆け登り、先ず最初の二本の矢を瞬く間に的に当てた。
力の強い孫介ならではであるが、固く張った弦は小さな引きで十分に的まで届く。孫介は足場の悪い状態でも体がぶれる事が無い小さな動作で、矢を放つことが出来た。
ばしっ
ばしっ
この対決に賭ける意気込みも最高潮に高まっていた。孫介は際立った集中力と安定した動作で、続く塀の上からの二矢も的に命中させた。
(最後の二本も当てる!)
大きな歓声の中、孫介はそう思いながら最後に難関の庭木に登り、弓を構えようとした時であった。
ずるっ
(うおっ)
与兵衛が落ちた時に出来たのであろうか、ちょうど孫介が右足を乗せた枝の樹皮が捲れており、そこで踏ん張りを入れた孫介は大きくその足を滑らした。
「あぁ!」
観衆から悲鳴の様な声が上がると同時に、孫介は庭木の上で大きく体勢を崩した。誰もが次の孫介の姿に先ほど落下した与兵衛と同じ姿を想像した。
「てぃ!」
しかし事前の準備運動が功を奏したのか、孫介は瞬間的に体を反応させて、大きな掛け声と共に右足一本を枝に絡めた。そして逆さまで宙吊りの状態ながらも何とか落下を免れた。
どさっ
孫介が背負っていた矢筒が地面に落ちる中、孫介は両手に弓と二本の矢を掴んでいた。
(くそ、負けるか!)
孫介はもう一度枝の上に上がり、体勢を立て直そうとしたが、両手が使えぬ状態のため思う様にならなかった。足一本を絡めているのがやっとで、宙吊りの状態は直せずにいた。
(致し方ない)
逆さの状態で体を揺らす孫介は、矢の一本を口に咥えると、その状態のままもう一本の矢を弓に構えた。
「おいおい、孫介はあの状態で射るつもりか?」
「まさか、冗談だろう、」
観衆の皆がそう思った。
参加者の皆も集まってきて無言で孫介の一矢に注目していた。
孫介は逆さの状態から射る矢筋を想像していた。
(逆さまだと矢はどう飛ぶか、えーと、いかん、考えられぬ、頭に血が上る、足も痺れてきた)
孫介の表情は見る間に険しくなっていたが、その表情に諦めの様相は無かった。
「儂は勝つ!」
そう叫んで放った孫介の矢は、奇跡を起こした。
ばしっ
矢は的の中央やや右に命中した。
「うぉ、すげー、あの体勢で命中させやがった」
「孫介、もはや人間技じゃねー」
観衆の皆が驚きの声を上げる中で、孫介は断末魔の様な悲鳴を上げた。
ぐぁー!
頭に血が上り足はつっていた。そして引っ掛けていた一本の足が離れると、孫介は弓と口に咥えていたもう一本の矢を両手でばたつかせながら落下した。
ごん!
孫介は受け身も取らず、頭から地面に落下し、頭の天辺を思い切り強打した。
「あたたっ!」
孫介が頭を押さて痛がっていた時であった。
「うおー、すげー!」
「奇跡じゃー!」
「嘘だろう、信じられぬ!」
観衆の皆が騒めきながら的に着目していた。
観衆の驚愕の声を耳にした孫介は頭を押えながら的の方を見ると、的に二本の矢が並んで突き刺さっているのが見えた。
「や、やった!」
何と孫介が落下しながら空中で放った二本目の矢も的に命中していた。
「もはや孫介、人間じゃねー!」
「神ってるー!」
観衆の歓喜の声と拍手が孫介に向けて鳴り止むことなく続いていた。
「兄者すごい!!!」
内蔵助も思わず興奮し、犬千代と九右衛門の目を気にする事無く、拳を突き上げながら叫んでいた。上座では政秀が観客と同様に驚きの表情を見せながら吉法師に言った。
「いやいや誠に信じられぬ、まさか孫介がこの様な力を発揮するとは」
この政秀の言葉に吉法師も頷きながら言った。
「爺、儂も驚きじゃ」
この時、横の沢彦は吉法師の様子を覗き込みながら思った。
予想外の対決方法に、予想外の褒美、これが予想外の結果に結び付き、時に人は能力以上の成果を発揮する。吉法師はこれを戦の大将の視線で見ており、将来実際の戦で常勝を得るために、この対決を催しものに見せかけた実験の場にしている。
(吉法師、全くすごいことを考えつく)
沢彦はこの対決の裏に秘められた吉法師の考えを理解し、感心していた。
会場では青山から高所対決の結果が公表されていた。
「今回の安定第一高所対決の結果は助右衛門四本、左近五本、又兵衛無し、与兵衛四本、新助五本、孫介六本、そして先の対決との合計は右衛門九本、左近十本、又兵衛八本、与兵衛九本、新助九本、孫介八本」
これを聞いて観衆の皆が話し合っていた。
「差が詰まったな!」
「誰が勝つか分からぬ様になったわ!」
「次が最後の対決じゃな!」
「面白くなってきた!」
弓対決は吉法師の実験としてだけでなく、興行的にも最高の盛り上がりを見せていた。




