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第一章 吉法師(3)

 吉法師は奥座敷で二人の家老と共に使者から詳細な合戦の報告を受ける事にした。


 上座に吉法師が座り、その前には政秀と秀貞の二人が向かい合って座り、使者はその後方から上座に向かって座っている。時折座敷の外からは合戦の勝利に湧く城内の者たちの歓喜の声が聞こえる中で、使者は尾張の軍勢についての報告を行っていた。


「本日夕刻、弾正忠様を初め諸将の方々は一度古渡の城に戻ります。そこで戦勝の宴の後、散開となる予定です。明日弾正忠様は清州に赴き此度の合戦の経過についてご報告される予定です」


 この報告に秀貞が応える。


「そうか、では明日、清州に向かう途中でこの城にお寄りになるやも知れぬな」

「いえ、それは伺っておりませぬので分かりかねますが」


政秀は周囲に一応明日、城で受け入れの準備をする事を指示していたが、吉法師は父がこの那古野の城に立ち寄って来る気はしなかった。


 明日父はこの城の近くを通っても恐らく立ち寄る事はないと思う。普段別の城に居る父は年中多忙で、最近は親子でありながら目通りも(まま)ならず何か遠い存在の様に感じる。那古野城下の領民は父の事を智勇仁を兼ね備えた立派な領主だと称えており、それがそのまま自分への期待に連動している。その期待は今の自分にとっては将来の大きな不安でしかない。


 将来自分が織田弾正忠家嫡男として将来家を継ぐ時のために今何をしておけば良いのか、父は自分と同じ様な時期にどの様な事を考え、どの様なことをして過ごされていたのか、一度存分に訊いてみたいと思う。


 吉法師が父の事を考えている中で、使者の男は合戦の詳細な報告を続けている。


 合戦は松平氏の本拠地岡崎に向けて小豆坂を進軍中、突如今川軍に遭遇して始まり、初戦にて劣勢であった所を佐々隼人正、孫介兄弟等の七本槍の奮闘で敵を追い崩したらしい。一連の使者の報告が終ると秀貞は即座に立ち上がった。


「まぁ、何にしても勝って良かった。ひと安心じゃ。儂は戻るぞ」


 そう言って秀貞は吉法師と政秀を残して使者と共に座敷を出て行った。座敷の外では合戦の結果を詳しく知りたがっている家臣や城の使用人らが待ち構えており、秀貞を囲って質問攻めにする。


「ご家老様、合戦の経過を教えてくだされ!」

「ご家老様、お味方大勝利で七本槍の選出があったとか」

「七本槍って誰ですか、どんな活躍されたんですか?」

「町ではもうものすごい評判ですじゃ!」

「詳しく教えてくだされ!」

「ご家老様、ご家老様!」


 小豆坂での合戦大勝利の報は既に城内外に広がっており、多くの民衆が城の周辺に押し寄せていた。秀貞は揉みくちゃにされながら様々な質問をされていたが、立ち止まって答える気は更々無い。


「ええい、うるさいわー!」


 秀貞は一喝して素通りするつもりであったが、合戦大勝利の報に対する皆の関心は高く、簡単には引き下がらない。


「ご家老様、お願いしますよー、今度我らの宮の土産で今流行りの七福神と一緒に七本槍人と言うのを作ろうと思っているんでさー」

「知るかー、どうでも良いわー!」


 秀貞は怒鳴りながらその民衆の塊を連れて自身の仕事場へと去って行った。


 座敷の外は秀貞が民衆を引き連れて行ってくれたおかげで静けさが戻っていた。その中、吉法師は神妙な面持ちで座敷に留まり考え込んでいた。目の前にいた政秀は吉法師は一体何を考えているのだろう、と思いながら今の戦勝の報告について語り掛けた。


「若様、お味方勝ち戦にてようございましたな」


 しかし吉法師はその言葉に直ぐには反応せず、更に考え込む様子を見せた後、政秀に問い返した。


「爺、何が良かったのか?」


 吉法師は今一つこの合戦の結果に納得が出来ていない様であった。


「今回の戦に投じた味方の軍勢は五千から六千を投じ費用も嵩んでおるのだろう。しかしその割には国を取った訳でも無ければ城一つ取った訳でも無い、勝ち戦とて掛かった費用の割に実成果としては乏しいのではないか?」


 吉法師は単に戦勝の結果ではなく、投じた軍勢の費用と得られる実利の比較にて結果を算段していた。幼少の吉法師の考えに政秀は少し驚きながら説明を加えた。


「いやいや、この戦で安城から小豆坂周辺の西三河を平定できれば次は岡崎となり、さすれば三河を平定したのも同然です、そう考えるとこの勝利は大きな意味がありますぞ」


 それを聞いて吉法師は表情を曇らせた。


「ということはまた戦をするのか、次は本拠岡崎となれば敵方も必至に抵抗して来るであろう。次もまた確実に勝てると言えるのか?」


 確実に、と言う所を強調されると、政秀もそこまで強気な意見を出す事は出来ない。


「勢いは今我らにあると思うので優位とは思いますが勝負は時の運ということもあり、確実かどうかは分かりませぬな」


 政秀はそう言って首を捻った。


吉法師はこれまで色々な合戦の事を見聞して来た中で、常に勝ち続ける事の難しさや一つの敗北が国を滅ぼす危うさを知っていた。戦国の世を生き抜くためにはとにかく勝ち続けなければならない、しかし、常に戦で勝ち続ける具体的な方法、となると容易に答えは出ない。


 すると何かその戦そのものに疑問を感じる様になってくる。


「爺、そもそもなぜこの様な戦をせねばならんのじゃ?」


 この吉法師の問い掛けに政秀は吉法師の真の悩みの原因を想像しながら答える。


「今は戦乱の世ゆえ、やらねばやられます。以前は我らが三河の衆に攻められておりましたが、尾張の領民の事を思えば、自国を大きくして戦は他国でやる方が良いですからな」


 すると引き続き吉法師が問い掛けてくる。


「ではなぜこの様な戦乱の世になってしまったのじゃ?」


 吉法師は自分が生涯の中で戦をする事の意味を求めている、吉法師の問い掛けから政秀はその意味を感じ取った。織田弾正忠家の嫡男として常に気丈な表情を見せている吉法師であったが、内心は将来尾張の国を背負う事になる宿命とその重責に対する不安や悩みで一杯になっている様子が感じ取れた。吉法師の幼き心が無言のまま語り掛ける。


戦などするのは嫌じゃ!

戦の責任を負うのは嫌じゃ!

決められた将来など嫌じゃ!

このまま大人になるのは嫌じゃ!


 自分の将来の重責に対し投げ出したい衝動にかられている様子が窺える。


 思えば戦国の世で領主の嫡男などは不憫である。普通の家に生まれていれば、毎日家族や友人達と楽しい生活を送っていられる年頃であるが、吉法師は生まれながら一城主としての重責が課せられ、家臣や領民から将来の期待をされると共に、子供としての遊びは制限され、立派な領主になるための勉学や武芸の鍛錬が求められる。しかし世は見通しが立たない戦乱の時代で、その様な努力を行っていても運が悪ければ陰惨な死が待っている。その様なことを思えば将来の領主と考える事自体が苦痛でならない。


 政秀は吉法師の様子を窺いながら、吉法師への答えを考えていた。


 なぜこの様な戦乱の世になってしまったのか、という問いに対して直接答えるのであれば、今の幕府の歴史的経緯や問題点を挙げれば良いと思う。しかしそれは質問の根本となっている将来への不安においては回答の的を得ていない。武士としてとか、お家のためとか、領民のためと言うのも、あまりにも抽象的で納得のいくものではないであろうと思う。


 暫く良好な回答が浮かばずにいた政秀であったが、解決策への展開としては一つ思い付くことがあった。


「若様、これから帰城される御父上の軍勢を迎えに行かれたら如何か?」

「えっ?」


 吉法師は政秀の意外な返答に驚いた表情を見せた。


 このまま問答を続けても吉法師の悩みは深みに嵌っていくだけに思える。そこで政秀は吉法師を戦が終ったばかりの父信秀に会わせる事で状況を変え、再考させる事を思い立ったのであった。この状況を変えて再考し解決へと導く手法は多角的な物の見方の中で物事を判断すると言う考え方の鍛錬にも通じる。


 政秀は吉法師の絡まっていた悩みをほどく様に話を続ける。


「若様は政務にしても戦にしてもご自身の体験が少ない中で、様々な方から難題ばかり耳にされている。それで将来への不安事が先行しておられるのでしょう」


 政秀はその時吉法師が自分に向けて目を大きく見開いているのを見て、その推察が吉法師の思う所を突いていることを確信し話を続けた。


「実際にご体験される事を増やせば、自身のお考えの幅も深さも広がりましょう。軍勢の迎えに出て、お父上の立場を少しでも体感できれば、将来の自分を知る上で良き事となる様に思います」


 この政秀の提案を聞きた時、吉法師は帰城する父の軍勢に興味が沸いてきていた。


 確かにこれまで自分は那古野の城主とは言っても、戦に出る事は無くいつも留守居であった。しかし異母兄の信広や織田家の親類衆はたくさんの家来と共に戦っており、その武勇話を聞かされては羨ましさを覚えながら聞いていた。味方の軍勢はどの様な状況の中、どの様な井手達でいるのか、その中で総大将の父上はどの様な姿でいるのか、それは嫡男としての自分の将来であり、今の鍛錬の先にある姿になるはずである。


 政秀の言う通り、自身の悩みに対する答えは、その軍勢を実際に見て体感する事にある。使者の話からすれば今那古野を出れば、まだ父の居城である古渡の城に入る前の軍勢の列に合流する事ができる。今出るべきと思う。


 吉法師は悩むと長いが一度決めるとその行動は速い。吉法師はすくっと立ち上がると同時に政秀に言い放った。


「爺、留守を預ける!」


 そしてさっと部屋を出て行きながら周囲の者達に大声で指示を出した。


「馬を引け!」

「勝三郎を呼べ!」


 吉法師は足早に座敷を出ると廊下から表へと向かって行った。


 普通の子ではない様に思う。一人部屋に残された政秀は幼き頃から見て来た吉法師の印象を思い浮かべながらそう感じていた。幼きながら力強い指示を出す吉法師には、何か一方ならぬ大将の風格が感じられる。問題もありそうだが、数ある大名家の御子の中でも相当に秀でた大将の器を持っていることは間違いない様に思う。


 政秀は将来への期待を込めながら吉法師の出立を見送っていた。


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