第五章 女房鉄砲仏法 那古野弓対決(5)
最初の対決が終わると、次の対決に向けて射場の前に麻布で覆われた三つの大きな荷物が運び込まれて来た。
「何じゃあれは?」
観衆の皆が不思議に思って囁き合う中、的場の裏では吉法師と青山が次の対決に向けた打ち合わせをしていた。
「吉法師さま、本当によろしいのですか?」
困惑した表情を見せながら問う青山に、吉法師は笑みを見せながら言った。
「大丈じゃ、たった一日問題無い」
気楽に答える吉法師に安心が出来ない青山は、運び込まれている荷物の様子を気にしながら尚も吉法師に問い返した。
「ですが実務として支障が生じるやも知れぬでしょうし、やはり林さまにご相談されてからの方が良い、の、で、は、あれっ?」
青山がその目線を一瞬射場の荷物に移した瞬間に、吉法師の姿は消え去っていた。青山が周囲を探すと、既に遠方上座の方に走り去って行く吉法師の後姿が見えた。
「ごほん!」
とにかく進行役として次の対決を進めなければならない。青山は体裁を整える様に一つ少しわざとらしい咳ばらいを入れると、矢道に出て観衆に向かい声を上げた。
「次の対決を始める前に、ここで勝者への褒美について公表致す」
この青山の言葉に観衆は一斉に耳を傾けた。
「おー、ここで発表かー!」
「何やら評判ではすごい褒美と聞くぞ!」
「楽しみじゃな!」
観衆の皆が注目する中で青山は発表した。
「褒美は勝負の数と同じで三つで、其の一は銭二百貫じゃ」
この言葉に観衆の皆が驚いた。
「なにー!、に、二百貫!!!」
「この対決で二百貫か、すげーなー」
「ふとっぱらじゃのー」
観衆の騒めきの中で、青山は更に説明を続ける。
「そして其の二はなんと甲斐の名馬黒虎じゃ」
黒虎は尾張の国の内外に広く知られた名馬であった。
「なにー、あの力持ちの馬か?」
「儂も欲しい!」
「ぬしの所では農耕馬になってしまうだろうが!」
黒虎は力と持久力を併せ持つ馬で、実働においても役に立つ名馬であった。
「そして褒美の其の三は」
ここで青山は少し渋い顔に変わった。
「おー、最後は何じゃ?」
観衆と参加者の皆が注目する中で、青山は少し躊躇いながら言った。
「褒美の其の三は明日この那古野の一日城主じゃ」
えー!!!!!!
この青山の言葉には観衆の皆が仰天して大きな声を上げた。
「何とも大胆な褒美じゃ!」
「前代未聞じゃ!」
「これまでその様な褒美は聞いたことが無い!」
この青山の説明を吉法師の隣で聞いていた政秀は、即座に困惑した表情を見せながら吉法師に訊ねた。
「わ、若ぁ、聞いておりませぬ!」
困り顔の政秀があまりに面白く、吉法師は笑顔を浮かべながら応えた。
「ははは、爺、今青山と決めて来たのじゃ、一日くらい大丈夫であろう」
実際一日城主となった者に重要な決定権限が委ねられる事は無い。そのため政務において問題が生じる事は無いであろうが、発給書の確認や訪問者の面会対応など、今日の明日と言う状況において実務の調整を行う者にとっては困難を要する。
「勝手に決めるとまた林佐渡守殿に怒られまする」
この後も必死に問題点を述べる政秀であったが、吉法師はそれを気に留める事は無い。
「大丈夫じゃ、爺、まぁ何とかなるじゃろう」
「いや、しかしですなぁ」
この後も政秀は困惑した表情で吉法師に問題点を述べ続けていたが、吉法師は相手にせず射場の方を見ていた。
その時二人の横で、沢彦は褒美の説明を受けた射場の参加者たちの反応を見ていた。彼らは最初驚きの表情を見せていたが、やがてそれは気合を高める表情に変わっていた。
沢彦は思った。
(一日とは言え、この大きな城の城主と言うのは、あの若者たちにとって良き経験となるであろう。それは戦果への意欲を湧き立てると共に、忠義心の向上にもつながる。この褒美は別段新たな費用がかかる訳でも無く、費用対効果を考えれば最高の褒美かも知れぬ。吉法師、驚きじゃ、この様な褒美を思い付くとは…)
沢彦は横の吉法師と政秀の方を振り向いた。
(一つこの褒美に難点があるとすれば、周りの者たちが調整に苦労する、という事じゃな)
沢彦は思わず苦笑した。真剣な面持ちで射場の方を見ている吉法師の横で、政秀は困惑した表情を見せ訴え続けていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
射場では助右衛門と左近が褒美の話で盛り上がっていた。
「おい聞いたか、褒美の三つ目はこの城の一日城主だってよ!」
「ああ、これだけの豪華な城じゃ、さぞ食事や城中の女子も豪華であろうのぉ!」
「あぁ、ここの城主がどんなもんか楽しみじゃ!」
「おぉ、もうぬし勝つ気でおるのぉ!」
「勿論じゃ!」
「儂も負けんぞ!」
二人は城中での豪華な生活を想像していた。
「うむ、ここで殿と呼ばれるのも悪くない!」
又兵衛も己が勝つ事を前提にして、一日城主の様子を思い描いていた。
新助と与兵衛は次の対決に向けて弓矢の調整を行っていた。その近くに一人ぼうっと黙り込んでいる孫介がいた。
「孫介、まだ次があるよ」
新助は孫介が先の連射対決の点数が低かったために落ち込んでいると思い、励ましの声を掛けたが、孫介は尚も黙り込んだままでいた。
(あの褒美の意味は儂への喝入れではないのか?)
孫介はその時一日城主の褒美の意味を考えていた。
「殿様」
佐々家では孫介の幼き頃より自分の横でいつも長兄の隼人正がそう呼ばれていた。孫介にとってはずっと憧れの呼ばれ名であった。しかし次男の自分がその呼ばれ名を得るためには外に出て、実力で勝ち取るしかない。
その様な思いの中で、この豪華な那古野の城の殿様一日体験と言うのは、後の実現に向けた貴重なものになると思った。
(なぜこの様な褒美が、)
日頃より自分が独立して自身の佐々家を興したいと願っていることを吉法師は知っている。孫介はこの褒美の意味を、連射対決での自分の不甲斐ない結果に対する、吉法師からの喝入れではないかと思った。
(いや、まさかな?)
孫介はそう思いながら、ふと吉法師のいる上座の方を見上げた。すると真剣な面持ちで自分の方を見ている吉法師が目に入った。
「もっと必死にならねば願いは叶わぬぞ!」
吉法師は自分に向かってそう言っている様に思えた。しかしそれは期待の現れでもあると感じる。
孫介は横で自分を心配する新助と与兵衛に、苦笑いを見せながら言った。
「もっと気合入れてやらねばのぉ!」
二人は孫介からその言葉を聞き、孫介が対決への意欲を失っていないことに安心した。
「そうじゃ気合じゃ、孫介!」
「儂も負けぬ、ぐ~(腹の音)、ぞ!」
新助と与兵衛も笑顔で応えた。
三つの褒美の話で会場が盛り上がる中で青山は話を続けた。
「あー、ちなみに一番の点数の低い者には罰があって、明日一日、池田勝三郎の家臣です」
その青山の言葉を聞いてまた観衆で盛り上がりが起きた。
「えー、それは酷い!」
「あまりにも酷い仕打ちや!」
「人生の汚点やな!」
「これ以上ない生き恥じゃ!」
その観衆の声は的場で次の準備を取り行っている勝三郎本人にも聞こえていた。
「そんな酷い罰ではないじゃろが、全く、失礼じゃ」
観衆に向かって膨れっ面を見せる勝三郎の横で、四郎は思わず苦笑していた。
三つの褒美の話を終え、次の対決に向けた準備が整った所で、青山が次の対決についての説明を始めた。
「対決の其の二は足場悪し高所射ち対決じゃ。これは特に城攻めを想定しており、足場の悪い高所から城内の敵を射ることを想定したものである」
そして青山は手を振りながら言った。
「その足場となるのはこの三つじゃ!」
すると射場の前に置かれた荷物を覆っていた麻布が取り除かれ、それぞれ一丈(約3m)くらいの高さの塀、梯子、そして大きな庭木が姿を現した。
この足場を見て観衆はどよめきの声を上げていた。
「おー、あれを足場にしてその上から的を狙うのか」
「なるほど、城攻めを想定した弓射ちじゃな」
「確かに弓射ちの足場としては悪そうじゃのぉ」
「この様な弓対決、これまで聞いた事がない」
「だが面白そうじゃ」
観衆はこれまで見た事の無い趣向の弓対決に、期待と楽しみを感じていた。
助右衛門と左近は目の前に現れた三つの足場に、最初度肝を抜かれた表情を見せたが、直ぐに笑い飛ばして言った。
「はっはっはっ、よくもこの様な物を用意する」
「これは確かに実戦に通じる上に、見世物としても最高に面白い」
この高所射ち対決を前向きに考える二人に対して、又兵衛は異なる反応を示していた。
「何じゃあれは、こんな弓対決あるか!」
又兵衛は明らかな動揺を見せていた。
一方、孫介、新助、与兵衛の三人は対照的にあまり驚きの表情を見せなかった。三人は日頃からこの城でこの様な前代未聞的なことを見て来ており、この様な突然の事態に慣れていた。
「吉法師さまじゃな」
「えぇ、でもまぁこのくらいは常識の範囲でしょうね?」
「うむ、」
落ち着いた様子の三人を見て、助右衛門が訊ねた。
「おい、まさかぬしらはいつもこの様な弓の鍛錬をしておるのか?」
この様な趣向の変わった対決内容では、普段の経験の有無が大きな結果の差となって現れる。もし孫介たちがこの様な足場での鍛錬を行っていたとすれば、助右衛門らにとっては非常に不利であった。
「いや、あの様な足場は我らも初めてじゃ」
この孫介の言葉に少しほっとしているる助右衛門と左近に、新助は笑顔で言った。
「でもあのくらいで良かったですね?」
「何じゃ、どう言う意味じゃ、新助?」
不思議に思う二人に、孫介が説明を加えた。
「確かに、少し前は流鏑馬を弓の戦法として鍛錬に加えようとしたからのぉ!」
それを聞いて助右衛門と左近は驚いた。
「なにー、流鏑馬をか?」
「実戦としてか?」
二人とも確かにこの勝負、流鏑馬よりはましだと思った。
孫介と新助は話を続けた。
「恐らく吉法師さまの考えじゃろうが、この城ではこの様な突然の事態に即座に対応出来るようになる事が求められるのじゃ」
「なので、こういう突然、突拍子もないことには慣れておる」
二人の横で与兵衛も頷いていた。
「なるほどのぉ」
「この城、面白いな」
助右衛門と左近は感心していた。ここで又兵衛が会話に口を挟んできた。
「いや、でも無いじゃろ、あの様な高い場所からとか」
又兵衛は普通では無いこの弓対決の内容に納得が出来なかった。これまで過去に行われてきた弓の対決では、絶対の自信のもと、勝ちを続けていた又兵衛であったが、明らかにこの対決ではその自信が揺らいでいる様に見えた。
「何じゃ、又、動揺しておるのか?」
「高所射ちは自信無いのか?」
助右衛門と左近から疑念の目を向けられた又兵衛は、慌ててそれを打ち消す様に、平静を装って言った。
「い、いや、そんな事ないわい!」
又兵衛は明らかにそれと分かる作り笑いをして見せた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
青山は高所射ち対決の説明を続けていた。
「今回の対決は順番に一人ずつ行い、他の参加者は控え場に待機とする。的は三箇所の足場から二本ずつで計六本、足場となるのはこの射場の前に並ぶ梯子、塀、庭木で、もし途中この足場から落ちたら、その時点で討ち死に扱いとなり終了じゃ」
そして青山は参加者の方を振り向いて言った。
「それでは、対決其の一で最高得点の又兵衛から開始、他の皆は控え場に待機じゃ」
この青山の言葉に又兵衛はドキッとして叫んだ。
「何、儂からか!」
又兵衛はまた動揺の表情を浮かべた。
「がんばれよ、又」
他の五人が又兵衛に一声検討を称えて声を掛けた後、射場から離れ控え場に退いて行くと、観客の目は又兵衛一人に集中する様になった。
(この中でやるのか…)
又兵衛の動揺は観衆の目線の中で緊張感を生じさせた。
尾張でも弓に関しては指折りの実力と評されている自分が、いつもと異なる勝負の形態とは言え、弓の対決で負ける訳にはいかない。しかしあの様な足場で矢を放つ鍛錬は行ったことは無く、全く自信は無いのだが、もはやこの場において弱みを見せる事はできない。
「又兵衛、弓矢は射場の後ろの弓立てにあるものより交換可能じゃぞ!」
青山の言葉に又兵衛が後ろを振り返ると、弓立てに色々な長さの、そして弦の強さが調整された弓が立て掛けられていた。
「いや、儂はこれが良い」
又兵衛はいつも使用している愛用の弓でないと矢筋の感覚が得られないと思った。いつもと異なる不安定な高所の足場にて、弓までも感覚がつかめぬ物に変えることは出来なかった。
又兵衛の愛用の弓は体に合わせて大きく、弦の強さも自身の力に合わせて調整されていた。
青山の開始の合図を受けると、又兵衛は観衆の声援の中、愛用の弓と矢筒に入れた六本の矢を背にして、最初の足場となる梯子を登り始めた。
しかしその動きは鈍く、何かぎこちない。
(全くこの様な対決になるとは)
又兵衛は梯子に登りながらぼやいていた。大柄な又兵衛が自分の大きな弓を持って梯子を上がるのは一苦労であった。
(よし、あと少し)
又兵衛の右手が梯子の一番上の段に届いた時であった。
がしっ
ずるっ
「うぉっ!」
又兵衛の大きな弓が梯子の段の間に引っ掛かり、又兵衛は足を滑らせた。
ガラガラガラ、ドシャーン!!!
次の瞬間、又兵衛は大音響と共に一射も放つことなく梯子から転げ落ちた。
しーん
観衆は何が起きたのか把握できず静まり返っていた。その中で青山の声が上がる。
「又兵衛落下、討ち死、無得点!」
この青山の判定の声に会場はどよめいた。
「おー、なんと、又兵衛がこの勝負無得点じゃ!」
「これは大波乱じゃ!」
「これは誰が勝つか分からなくなった!」
観衆はこの予想できなかった又兵衛の結果に驚いていた。上座でも吉法師の横顔を見ながら、沢彦が驚きの表情を見せていた。
(なんと吉法師はこれを予想していたのか)
しかし沢彦は観衆とは異なり、吉法師が勝負はまだ分からぬと、この結果を予想していた様な発言をしていた事に驚いていた。
「違う、今のは無しじゃー!!!」
又兵衛は梯子から転げ落ちた恥ずかしさと落下の衝撃による痛みの中、この勝負での無得点はさすがにまずいと思ったのか必死に今の結果の無効を訴えていた。
しかし審判の青山は取り合わない。
「はい、討ち死の死体は喋らない様に」
この青山の切り捨てる様な言葉に、又兵衛は肩を落として射場から退いて行った。




