第五章 女房鉄砲仏法 那古野弓対決(2)
那古野城の曲輪の一つでは、学問の習いを受ける若者たちの中に、佐々内蔵助、前田犬千代、菅谷九右衛門の悪ガキ三人組の姿があった。
「はぁ、やっと休憩時間じゃー、もう算学は十分じゃ、頭がおかしくなる」
「儂もじゃー、外で体を動かしておる方が良い」
普段外で遊び回っている時には、ほとんど疲れた様子を見せない内蔵助と九右衛門であったが、この時は拒否反応を起こしているかの様に、学問に対しての疲れを見せていた。顔を顰める内蔵助と九右衛門に対し、犬千代だけは平然としていた。
「だらしないのぉ、二人とも、儂は大丈夫じゃ、このそろばんと言う物、大分慣れて面白うなって来たわ」
余裕の笑みを浮かべる犬千代に、内蔵助と九右衛門は更に顔を顰めて言った。
「はぁ?本当かよ犬千代、ぬしおかしいのではないか?」
「全くじゃ、もう儂は今日は十分じゃ」
そんな二人に犬千代は追い込む様に言った。
「何を言うておるのじゃ、二人とも、今日の習いはまだまだは続くではないか、次は国学じゃろ、その後は史学、そして商学、そして法学、そして、そして・・・」
延々と続く習いの予定に内蔵助と九右衛門は拒否反応が増大し、体をガクガクさせていた。
「えーい、犬千代、学学言うな」
「そうじゃ、犬千代、我ら子供はもっと遊ばなきゃいかん」
そう言う二人に犬千代は目を細めて言った。
「そうは言っても、このお城めちゃくちゃにした挙句、出された御馳走を平らげて、その最後に儂はこの城で良い家臣になる!って言ったのはおぬしらだからな」
内蔵助と九右衛門は犬千代に痛い所を突かれ、得意の憮然とした顔になった。
「体を使う武術ならともかく、まさかこんなに頭を使わねばならぬ様になるとは思わんかったわ」
内蔵助がそう言い返した時、九右衛門は窓の外が賑やかになっている事に気が付いた。
「おい、二人とも見てみろ、あれ」
そう言って外を指差す九右衛門に、内蔵助と犬千代も外を見た。
「何じゃ?」
九右衛門が示した先には煌びやかに派手な格好をした二人の武者が、派手な祭りの様な格好をしたたくさんの若い男女の取り巻きの衆を引き連れて歩いているのが見えた。
その二人は有名人の様で、城内で鍛錬や作業をしていた者たちを、その取り巻きに吸収しながら、本丸御殿から奥の曲輪へと向かっている。
「誰じゃ、あの二人は?」
内蔵助は九右衛門と犬千代に訊ねた。
「誰じゃったかなー、見た事ある気がするんだけどなー」
九右衛門も確かな覚えはない。しかし犬千代はその二人に覚えがあった。
「えーと、あぁ、あれは小豆坂七本槍の岡田様と下方様じゃないか」
犬千代は二人の派手な出で立ちを見て、先の小豆坂の戦いで七本槍の戦功を受けその名を馳せた岡田助右衛門(重善)と下方左近(貞清)の二人である事を思い出した。
犬千代の言葉に内蔵助と九右衛門も功名を持つ二人を思い出した。
「おぉ、そうじゃ、岡田様と下方様じゃ」
「やはり、七本槍の英雄となるとかっこええのぉ」
小豆坂七本槍の七人の内、領主織田信秀の弟信光、一族の織田信房(造酒丞)、そして有力家臣の佐々隼人正の三人は二十歳以上で小豆坂の合戦以前より、その武勇が知られていたが、残り四人の佐々孫介、中野又兵衛(一安)、岡田助右衛門(重善)、下方左近(貞清)は皆十六、七歳の若者で初陣での戦功であった。
若き四人は、前の三人と並んで武勇を評される事により、その功名は尾張の国中に知られ、他の若者たちの憧れとなり良き目標となっていた。
助右衛門と左近の派手な出で立ちは、何の実績も無い武者であれば単なる見掛け倒しとしか見られないが、七本槍の功名を持つ二人であると、武勇と華やかさを兼ね備えた英雄の姿であった。
内蔵助、久右衛門、犬千代の三人は、助右衛門と左近の二人が、たくさんの男女の取り巻きの衆と共に、自分たちのいる曲輪の前を通り過ぎていくのを見ていた。
「一体何が始まるのであろう?」
「城内で槍の指導でもするのかのぉ?」
「しかし一緒に連れている者たちの中には女衆もおるぞ」
「うーむ、確かに」
内蔵助と九右衛門は二人について、あれこれと考えながらも、羨ましげな目で、二人の姿を見て、呟いていた。
「しかし、小豆坂七本槍となるとかっこええのぉ」
「あぁ、やはり何か違うのぉ」
「儂も戦功を経て早くああ成りたいものじゃ」
「儂もじゃ、そのためには…」
「そのためには…」
「そうじゃ、鍛錬じゃ!」
「鍛錬じゃ!」
内蔵助と九右衛門の二人はそう叫ぶと、曲輪の建物の窓から外へと飛び出した。
「おい、何してんだ、二人とも」
犬千代は慌てて二人を呼び止めた。しかし二人は助右衛門と左近の取り巻きの衆のに向かって走り出しながら、後ろを振り向き犬千代に向かって叫んだ。
「あの七本槍の二人も槍の鍛錬一本であの功名を得たんだ、儂もそうする」
「儂もじゃ」
七本槍の二人がこの後城内の何処に行き、何をしようとしているのかは知らない。しかし内蔵助と九右衛門はそう言って、その取り巻きの衆の中へと消えて行った。
「しょうがないなー」
犬千代はそう言って一つ溜息をつくと、自らも曲輪の窓から外に飛び出し、二人を追って、彼らの中に加わって行った。
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家老の林秀貞は執務の部屋で何か城内の異変を感じていた。
「また何か起きておるのか?」
外の騒がしさと共に、執務室では祐筆の者たちがポツポツと空席にしていて、実務に支障が生じ始めていた。これまでも幼き城主の吉法師の原因で、度々思いも寄らない事態が発生し、悩むことがあったが、今回も自分の知らない所で何かが起きていると感じていた。
「少々調べて参ります」
秀貞の求めに応じて、何人かの祐筆の者たちが確認しに出て行くが、そのまま誰も戻って来ない。やがて部屋は秀貞を留守番に残したか様に誰もいなくなった。
「一体何なのじゃー」
部屋の外に向かって秀貞が叫んだその時、ちょうど部屋の前を忙しく歩いていた城中の男が、秀貞を見つけて話掛けた。
「あれ、ご家老様、まだこんな所におられたのですか?」
不思議そうな顔をする男に秀貞は睨んで言った。
「何じゃ?どう言うことじゃ」
説明を求める秀貞に対して、男は時間を気にしながら慌てる様子を見せた。
「もう皆、弓場の方に集まっておりますよ」
男は直ぐにもこの場を立ち去りたい所であったが、秀貞は不快な顔をして質問を続けた。
「何じゃ、弓場で何かあるのか?」
男は家老の秀貞に、この城のことを説明するのはおかしなことだ、と思いながらも説明した。
「あれ?ご家老、聞いておられぬのですか?弓対決ですよ、小豆坂七本槍の四人を含む黄金世代の六人が那古野の奥曲輪で大激突って、城の内外ではたいへんな話題になっておりますよ」
この男の話を聞いて秀貞は驚いた。
「なにー、何じゃそれは、儂は何も聞いておらぬぞ」
この後、秀貞の不満、小言は一層激しくなりそうな感じになっていた。しかし男も、そんな秀貞にいつまでもかまっていられない。
「あー、もう行かなきゃ、良く見える場所が無くなる、ではご家老様、また」
そう言って男は廊下を駆けて御殿から外へと出て行った。
「ちょ、ちょ、」
秀貞は男を呼び止める間も無く、部屋の入口で再び一人になった。外の騒がしさとは裏腹に御殿の中は静まり返っている。
もしかするもうこの御殿の中には誰もいなくなっているのではなかろうか、昼間だと言うのに他に足音も無く、御殿の中は妙に静まり返っている。
執務室には発給書などの書面が山の様に積まれていた。
(成すべき仕事は今日も山ほどあるのに)
秀貞は途方に暮れていた。
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吉法師と沢彦宗恩が御殿奥の曲輪にある弓道場に来た時、そこは既に民衆や城内の者たちで溢れていた。
射場では対決に向けて孫介、新助、与兵衛の三人が弓矢の調整を行っており、その横では、体の大きな一人の若者が黙々と試射を行っていた。
ビシッ!
ズバーン!
やや重い弦の弾ける音と共に放たれた矢は、一町ほど離れた的に真直ぐに飛び、激しい衝突音と共に木の的に突き刺さっていた。その迫力は凄まじく、矢が刺さる度に観衆からは大きな拍手と歓声が沸き上がっていた。
吉法師の後について場内の観覧場所へと歩いていた沢彦は、その迫力を気に留めて吉法師に訊ねた。
「吉法師どの、あの者は並みの者ではございませぬな?」
本来興味なかったであろう弓の事を訊ねる僧の沢彦を、吉法師は少し可笑しく思いながら言った。
「ええ、沢彦さまもあの者の弓の腕が分かりますか?」
沢彦は自分が感じて訊ねた事に対して、逆に吉法師に妙な形の質問で返され、少し戸惑ったが、そのままの思ったままに答えた。
「拙僧には弓の事はよく分かりませぬが、あの者の矢筋には力を感じます」
ビシッ!
ズバーン!
弦の弾かれる音と矢が的に命中する音と観客の歓声が、順番で場内に響き渡っていた。二人はその中を、観客席の上座に並べられていた床几に坐した。
「うむ、ここは良く見えますな」
二人の位置からは射場的場が良く見えた。沢彦は男が放つ弓の迫力と会場の盛り上がりに、弓対決を何か自分の世界観が広がる良い機会、と思う様になっていた。
そんな時、吉法師は沢彦にこの男についての紹介をした。
「沢彦さま、あの者は、中野又兵衛(一安)と申しまして、先の小豆坂七本槍の勲功を得た一人です。弓使いに関しては、あの通り、尾張でも指折りの男で、今回参加の中では一番の腕前かと思います」
沢彦はその目を又兵衛が放つ矢に釘付けにしながら吉法師に問うた。
「ほう、ではこの弓の対決、あの者が勝つではないのか?」
この沢彦の言葉に、吉法師は少し笑みを浮かべて言った。
「沢彦さま、それは分かりませぬ、戦場では常に一番の者が勝つとは限りませぬゆえ」
「なるほど」
戦場では、と言う所、きっとそこにこの催しの趣向があるのだろう、沢彦はそう思った。
沢彦は又兵衛の試射の様子を見ながら、那古野を訪れる前に、古くからの友人であり吉法師の父である弾正忠信秀の言葉を思い出していた。
(沢彦頼む、吉法師の様子を見て来てくれ)
弾正忠は吉法師が嫡男である事を放棄して、うつけとなってしまったのかどうかを心配していた。沢彦は少し所見を考えていた。
(良く分からぬが、とにかく何かを考えておる様じゃ)
沢彦宗恩は弓対決そのものよりも、吉法師が何か変わった事をやろうとしている事に興味を深めていた。
二人が考え事をしていたその時であった。
一人の初老の男が歩み寄って来て、渋い顔をして吉法師に言った。
「若、こういう催しを行う時はもう少し事前に相談して戴きませぬか、突然城内でこの様な騒ぎ、何事かと驚きましたよ」
平手政秀であった。
「ははは、爺すまぬ、昨晩七本槍の又兵衛、助右衛門、左近の三人と偶然熱田で会ってのぉ、話が盛り上がって急に今日やろうと決まったのじゃ」
しかし政秀は対決の話があまりに急で、即座には信じられずにいた。
「若、本当ですか、昨晩から始めた準備にしては、場内の準備がえらい行き届いてますが?」
対決に向けた城内の整備は昨晩から始まったにしては、非常に早く整った様に見えた。
「あぁ、あそこにおる与三右衛門が、今朝から皆をうまくまとめて、良い指示を出しておるので早くできたのじゃ」
これを聞いて政秀はまた驚きの表情を見せた。
「え、今朝から、あの青山がですか?」
会場の方を見渡すと、確かに青山与三右衛門が場内の審判所におり、城の若武者衆に的の配置や弓矢の取り揃え、そして会場の案内など、色々な指示を次々と出し、準備を取り仕切っていた。四郎や勝三郎もその中にいて、的に向かって試射している者との間を往復している。
(あの青山がこの対決の開催に乗り気になっておるのか、と言う事は、青山はかなり意味のある事と判断したと言う事じゃな)
青山与三右衛門は軍務の面で政秀を補佐する城の家老職を担っており、その判断は常に的を得たものであった。この間も馬上射ちを戦法として取り入れようとした吉法師に対し理を以て諫めている。
「青山にこの催しの内容を話したら、それは面白い、と言ってくれた後、率先して開催に向けた準備を取り行ってくれておるのじゃ」
「ほぅ」
青山が乗り気になって準備に動いている事を聞くと、政秀も少しこの対決の開催には意味がある様に思えていた。そして吉法師の横を見ると、沢彦宗恩が興味深そうに会場を見つめているのが見えた。
「沢彦殿も、この対決を楽しみに参れたのですか、いやまさか弓にご興味がお有りだったとは?」
しかしこの政秀の言葉に、沢彦は少し困った顔をして答えた。
「いやいや、平手様、拙僧は今日たまたま城に寄りました所、吉法師さまからこの様な催しがあるとのお話を伺って参ったのです。ですが会場のこの雰囲気、拙僧の知らぬ世界、何か楽しみにしております」
「そうですか」
政秀は沢彦に軽く返事をした後、改めて会場を見渡した。
吉法師提案の弓対決を率先して取り行う青山、そして普段縁が無いはずながら興味深く対戦を見ようとする僧の沢彦宗恩、そしてこの急な開催にも関わらず集まった観客、その皆が、この対決を楽しみにしているのが分かる。
(何という一体感、一揆などとはまるで逆)
政秀はこの対決そのものの結果ではなく、開催が政務においてどの様な効果を生むのか、と言う所に興味が湧いていた。




