第五章 女房鉄砲仏法 水野四家(2)
水野家の四人は古渡城から自領に戻る帰路に就いていた。
「しかし我らの髷芸に驚いた織田家の者たちの顔、たまらんかったのぉ」
「ははは、何じゃありゃー、って感じで驚いておったな」
「髷芸、練習した甲斐がありましたね」
信近が話し掛けると忠氏と森隆が応えた。
そして忠氏は後ろを振り返って、自分たちの後ろに続く列を見渡すと、信元に向かって感心しながら話し掛けた。
「しかし信元の思う通りに話が進んで良かった、初見であれだけの無礼を働いて、もしかしたら切り捨てられるかとも思うたが、咎めも無しにこれだけの物資の支援の話に結び付けるとは」
四人の後には信秀から贈られたたくさんの軍資金や米、酒などの物資が積まれた荷駄車が延々と続いていた。
信元はその長蛇の列を見ながら話した。
「儂は織田と対等で同盟に臨むつもりで少々気張って脅しをかけたつもりであったが、相手の思慮は遥か上にある様じゃ、儂の方が弾正忠殿に驚かされた」
信元はこの同盟の暁に多少の物資や財政の援助が受けられる様になるだろうとは踏んでいたが、これほど大規模な援助が受けられるとは思ってもいなかった。
「弾正忠殿はこの後更に追加の援助を送ると申しておった。たいした太っ腹じゃ」
「もしかしたらその軍資金は逆に織田への備えに使われるかも知れぬのに」
信近と森隆はこの支援を軽く受けていたが、信元は織田家の力を誇示されている様で笑えずにいた。その信元に忠氏が話し掛けた。
「で、どうなのじゃ、織田弾正忠は我ら水野の将来を預けて大丈夫そうか?」
これに対し信元は真剣な表情で答えた。
「織田弾正忠、確かに世間の噂に聞こえし風格と仁義を持つ御人と見受けた。あの者がおる間は尾張は安泰であろう」
「問題はその後か?」
「うむ、弾正忠殿は平静を保っておられたが、他の織田衆の動揺した様子、やはり御嫡男のうつけの問題はかなり深刻と見た」
少し考えた後、信元は話を続けた。
「しかし、なぜあの弾正忠が嫡男のうつけの噂を放置されておるのか分からぬ、まぁ、実際に今度会うてみれば真偽のほどは分かるであろうが」
真剣な面持ちで話をする信元に、信近と森隆が笑いながら言った。
「いや、それがまた織田との別れの時節につながるかも知れぬのぉ」
「継承と離反は今の世の習いですから、その時に考えれば良いでしょう」
やがて街道の分かれ道に差し掛かった時、信元は立ち止まり忠氏と信近に言った。
「忠氏、信近、この荷駄を先ずこのまま忠氏の大高に運び入れてくれるか、信近はそのまま緒川から刈谷に戻り、三河の様子と弾正忠の嫡男についても、出来る限りの情報収集をしておいて欲しい」
これを聞いて忠氏は一度信近と顔を合わせた後、信元に返答した。
「分かった、で、ぬしはどうするのじゃ」
信元は森隆と一度顔を合わせて言った。
「儂は森隆と一緒に早速じゃが三河織物について熱田と笠寺で紹介してくる」
すぐさま自領の発展に行動を起こそうとする信元に他の三人は驚いた。
「信元、熱田と笠寺では紹介する商売元は決まっておるのか?」
「あぁ、もう決まっておる、我ら水野に縁のある者達じゃ」
「さすがは兄者、やることが早い」
「何歩も先を考えておられる」
そう言って三人は本家棟梁の信元に感心した。
「我ら織田家に対等で臨む以上、先々の自領も広げていかねばならぬ、何れ知多を糾合したら西尾から蒲形まで攻めるつもりだ。今回はそのための布石を打って参る」
信元は信秀に格の違いを見せつけられ、領土拡大に触発された思いがあった。
「分かった、では我らは先に大高に向かう」
「兄者、森隆、気を付けてな」
「うむ、ぬしらもな」
そう言って信元は森隆を連れ、別の道へと分かれて行った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
織田弾正忠信秀と弟の信光、信康、叔父の玄蕃允、そして玄蕃允の嫡子の飯尾定宗は水野家との合議内容や今後の実施事項の確認のため、まだ古渡城の御殿の一室に残っていた。
「皆、今回の合議、水野家をどう思うた?」
信秀は四人に水野家の感想を訊くと、先ず玄蕃允とその嫡子の飯尾定宗が述べた。
「手強い相手じゃな、一族の結束感が良く伝わって来た」
「私もそう思いました、しかし心情的には我らと対等に付き合っていきたい様子、今川との決戦を考えれば、この後、もっと深く我らの側に臣従させる必要があると思います」
これに信康が意見を続けた。
「水野は我ら交渉相手に危機感を煽って援助を引き出し、自国の勢力を拡大させるつもりであろう、彼らの提案を簡単に受けて良いのか疑問ですが、どうなのであろう」
これを聞いて信秀が応えた。
「それは儂も思うた。しかし儂はそれを承知で水野への援助を引き受けた。それを以て相手の内面には入り込もうと思うたのじゃ」
信秀も水野の援助の意図する所を見抜いていた。信秀は若い頃から津島湊の商人たちの中で育っており、金の動きに関しての感覚は一流の商人並みに鋭い。
「信光、水野への援助の金と物資、この後も遠慮せず注ぎ込め、その上で、人もどんどん送り込むのじゃ」
「うむ、分かった」
信秀の指示に即座に応える信光に、信秀は念を押して言った。
「分かるな信光、先ず水野は資金面から懐柔していく。水野はまだまだ我らの力を甘く見ておる。これでもかと援助を注ぎ込むと同時にたくさんの人を送り、交流させて水野とのつながりを強化しながら、実質的に何も反論出来なくさせるのじゃ」
「はっ」
相手を資金面で懐柔していく。信光、信康、玄蕃允、そして飯尾定宗の四人はあらためて信秀の考えの大きさに感嘆した。
「これからの今川との決戦、定宗の言う通り、とにかく水野を我らの側に取り込んでおくのが重要だと思う」
そう言って水野を重要視する信秀に対し、叔父の玄蕃允は心配を抱いた。
「だが水野は本当に信頼できるのか?」
叔父のこの疑念に対して、信光が横から言葉を挟んだ。
「叔父上、そこは逆に我らが水野に問われたのじゃ、織田家の将来は大丈夫かと」
そして信光に続き、信康も水野に感じた事を言った。
「そうですね、織田が将来に渡って安泰なら付いてゆくが、駄目になればまた離れる。水野はそう言っている様に聞えました」
信康も信光と同じ様に水野家を見ていた。
「つまりは問題は将来の継承者、吉法師か?」
「はい」
「吉法師だ」
そう言って四人が今度は信秀の方を向いた。
織田家の将来を考えて、早めに吉法師のうつけの行動を止めさせる。出来なければ廃嫡にする。信秀がそう決断してくれる事を四人は望んだ。
しかし四人とも吉法師の事は赤子の頃から良く知っている。だからこそ、切り出し難い話であった。その様な中、普段は兄の信秀に要望する事はあまりない信康が、その対応を信秀に求めた。
「兄上、このまま吉法師の噂が広まるのは良くない」
この信康の話の切り出しに、信光も歩を併せて言った。
「兄者、信康の言う通りじゃ、吉法師の噂は家中でも聞えが悪い。先日は御前様の耳にも入り、品格が無いと言って相当ご立腹されているとのこと、家中の混乱につながる前に対処した方が良い」
二人に続き玄蕃允も意見を述べた。
「信秀、この様な噂を放置しておけば、織田家の将来を見限って内からは家臣が去り、外からは敵に攻め込まれるぞ、やはり早めに止めさせた方が良いのではないか?」
吉法師の噂は信秀にも届いていたが、特に関心も持たずにいた。
(直ぐに父上を越えて見せますよ)
自分の前でそう言った吉法師は将来の領主として深く悩みながらも、自信と覚悟を持ってその責任を果たそうとしている。覚悟の舞を熱心に習得していると言うことも聞き及んでおり、将来の責任を放棄してうつけになったとは考えられない。
「あ奴は大丈夫じゃ」
信秀の口からは自然とそんな言葉が出た。信元に言った時と同じであったが、今回は自分にも言い聞かせていた。そして信秀は吉法師に覚悟の舞を話をする直前に、吉法師の事を沢彦宗恩に相談していた事を思い出した。
皆は信秀に吉法師は大丈夫、と言われても現状水野を初め、家の内外に問題が拡大しそうな中で、何も手を講じない訳にはいかないと思っていた。
「今のままでは拙い…」
そう不安に思う皆に対して、信秀は自信を持って応えた。
「皆の言いたい事は分かる。儂が吉法師の事を弁護しても、実親の立場でひいき目だと言われるであろう、なれば、沢彦に吉法師の事を見てもらい、問題に対応してもらおうと思う」
この話に皆は即座に納得をした。
「なるほど、それであれば先ずは安心じゃ」
沢彦宗恩の徳の大きさは尾張中の皆が知っている。彼が吉法師を見て、否定したならばそれと同時に教育的な修正が入るであろう。また逆に吉法師のうつけが肯定される事になった場合には、それは沢彦のお墨付きとなり問題として消滅する。
この上無い対応であると思った。
「そう致そう」
水野家と吉法師、信秀の指示する対応策を以て、この場の話は終った。
(やれやれ…)
信秀は吉法師の対応を巡る話の展開に安堵していた。実はこの時、信秀は吉法師は大丈夫、と言う話の根拠の中で、一つの説明の方法を避けていた。
それは自身が見本を示して教えた敦盛の舞が吉法師の将来の領主になるための覚悟を示す根源になっていて、吉法師がこれを極めようとしている限りは、うつけとなって将来の責任を投げ出すと言う事はあり得ない、と言う事であった。
(しかし、もしその様な説明をすれば自分らも覚悟を固めるために是非拝見したい、などと言われかねぬからのぉ)
実際に舞の心得の無い信秀にとって、それは絶対に避けたい話となっていた。




