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天下の再構築 ~信長幼将戦記~   作者: 飛里信成


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第五章 女房鉄砲仏法 水野四家(1)

 天文十二年(一五四三年)初夏のある日、古渡城本丸御殿の一室では尾張領主の織田信秀を筆頭に織田弾正忠家の一族と家臣の者たちが集まっていた。


 上座の信秀から右手に、守山城主で弟の信光と鳴海城主で家臣の山口教継(左馬介)が並んでおり、左手には犬山城主で弟の信康と奥田城主で叔父の織田秀敏(玄蕃允(げんばのしょう))が並んでいた。そして続き間となっている隣室では、左馬介の嫡男の教吉(九郎二郎)と玄蕃允の嫡男の飯尾定宗が並んで控えていた。


 信秀は一同を見渡した後、信光に向かって問い掛けた。


「信光、信元は未だ来ぬのか?」


 信元とは尾張緒川の水野信元の事である。


 水野家は尾張東部から三河国境を支配する有力国人で、宗家緒川の水野信元を筆頭に、叔父で大高の水野忠氏、娘婿で常滑の水野森隆、実弟で刈谷の水野信近の四家が結束してこの領域を支配していた。


 信光は兄の信秀の片腕としてこの三河方面の軍事を担当していた。先の小豆坂の戦の後、これまで敵方の今川、松平側に付いていた水野家が織田方に転じる事になり、今回信光はその仲介役を担っていた。


「まもなく参るかと思います」


 そして今日、盟約を結んだばかりの水野信元を古渡に呼び、その忠義を表明させると共に、三河攻略の合議を行う予定となっていたのだが、予定の刻限を過ぎても信元は現れず、信光は焦りを感じていた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 戦国の世の国政は、領主の交替により大きな変動を伴う。


 天文四年(1535年)、それまで優勢を誇っていた三河松平清康が織田信光の居城である尾張守山城に攻め込んだ際、織田の誘いに乗った家臣に暗殺されると、桜井を拠点とする庶家の松平信定は、松平宗家を継いだ幼い広忠から離反し、敵となっていた信秀の妹を正室に迎い入れると共に、信光には娘を輿入れさせるなど、織田家との関係を深めていった。


 天文五年(1536年)、三河松平家に深い繋がりを持つ駿河今川家の当主氏親が死去し、今川家中で御家騒動が起きると、松平信定は宗家の広忠を追放し、一時家中を掌握して織田方に転じる勢いとなる。しかし松平家中の前領主清康の横死に対する織田家への抵抗感は根強く、成長した嫡男広忠が三河に戻ると共に信定はその権力を失っていった。


 天文六年(1537年)今川義元が今川家の御家騒動を制し、領内安定化の起死回生策として甲斐武田家と盟約を結ぶが、以前より今川家と繋がりのあった東の相模北条家がこれに反発し、領内に攻め込まれる様になる。また西の遠江でも国人衆の反乱が起きるなど、今川家はまだ領内の混乱を治め切れずにいた。


 天文九年(1540年)、この今川家の状況を好機と考えた信秀は、突如松平ゆかりの地である三河安祥を攻略した。松平家にとって先祖ゆかりの安祥の落城は衝撃的で、その後家中の離反、弱体化が続き、松平家は体勢の維持が厳しい状況となっていった。


 天文十年(1541年)戦乱の情勢はまた当主の交替によりまた大きく変わる。


 この年、遠方の相模の北条氏綱が死去し、東からの脅威が薄まった今川は、その分の力を一気に西へと向けた。そして遠江の国人衆の混乱を瞬く間に沈めると、弱体化していた三河松平を従属化し、尾張織田と直接対峙する様になっていった。


 天文十一年(1542年)、この一触即発の状況の中、三河小豆坂で織田と今川は激突した。この戦いは辛うじて織田が勝利し、西三河の国人衆は織田方に傾く様になっていった。


 天文十二年(1543年)、周囲が織田に傾く中、それまで松平家に縁が深かった水野家がついに見限り、信元への家督相続を機に正式に織田方に転じる事になっていた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 なかなか姿を現さない信元に、合議に集まっている皆の視線は、自然と信光に向けられていた。信光は困惑した表情で、信元の参上を待っていた。


(信元は何をしておるのだ…、よもや我らの側に着く事を躊躇っているのでは無かろうな?)


 信光の焦りが限界に達しようとした時であった。


「やぁやぁ、弾正忠殿、お待たせ致した」


 一人の男がぶっきら棒に挨拶をしながら部屋に入って来た。この声に信光は素早く反応して言った。


「遅いぞ、水野ど、の…、」


 信光は入って来た男の方に振り向き、刻限の遅れに対する不満を口にしようとしたが、後から信元と一緒に三人の男達が、ドタドタと勢い良く部屋に入って来るのを見てその気勢を削がれた。


 それは水野信元の庶家の三人であった。


 四人は皆の前まで来ると、不躾な態度でドカッと腰を下ろした。水野家の来訪を信元一人と思っていた合議の織田の衆は、四人もの男達の登場に少し驚きの顔を見せていたが、彼らの姿を見て、その驚きの顔を一層深めていた。


「本日は我ら水野四家、揃って参上仕りました」


 信元の後ろに並び、自己紹介する水野の庶家の三人、大高の水野忠氏、刈谷の水野信近、常滑の水野森隆であったが、織田の者達の視線は三人の頭の上に集まっていた。


 そこにはそれぞれ奇抜な髷が乗っていた。


 忠氏の胡瓜の様な全体緑の髷や、森隆のかたつむりの目の様な二本の髷も奇妙なものであったが、信近の三本目の腕が生えたかの様な、異常な長さの冠下(かんむりした)の髷は特に常軌を逸した奇怪さを放っていた。


(何じゃ、こ奴らは?)


 妙な髷を結い、薄笑みを浮かべながら居並ぶ水野の面々からは、この場において、水野は心底から織田に従うものでは無い、と言っている様に思えた。


 皆はこの水野の態度に対する意味を求めて、無言で仲介役の信光の方を振り向くが、信光もこの様な事を事前に知らされておらず、取り成す言葉が見つからずに困惑していた。


 この時、上座の信秀は水野家のその態度の様子に、何か意図の様な物を感じて、じっとその成り行きを見守っていた。


(水野家の者達、彼らは一見ふざけている様に見えるが、皆真剣な目をしてやっている、あの髷には何か意味がある)


そう思った信秀は、上座からやや強い口調で言った。


「信元殿、水野家は皆元気そうじゃの、此度は四家揃っての参上とは、また威勢の良い事よ」


 その信秀の言葉には親しみと共に、自身の格が強く込められており、その目には、控えよ、と言わんばかりの力が込められていた。すると信元は、それを察したかの様に、庶家の三人に何か合図をした後、信秀の方を見て言った。


「弾正忠様、大変失礼致しました。やはり織田家は確かでございます」


 そして後ろを振り返り、庶家の三人に言った。 


「なぁ、皆の者」


 すると庶家の三人は真剣な面持ちになり、声を合せて叫んだ。 


「さいなあ」


 整然と平伏する三人に合わせて信元も頭を下げた。そして再度、水野家の四人が揃って頭を上げた次の瞬間、庶三家の頭に乗っていた奇妙な髷は無くなり、全員の髷が一瞬にしてきちんと整った武家の髷に変わっていた。


「おぉ」


 この髷芸に思わず声を上げる織田衆の反応を見ながら、信元は先程とは異なる畏まった口調で信秀への口上を述べた。


「改めまして、弾正忠様には本日のご拝謁、水野家一同、恐悦至極でございます。我ら水野家一同、本日を以て正式に織田方に忠義を尽くすと共に、その一翼を張らさせていただく所存です」


 信元は冒頭の態度から打って変わり、信秀に対し畏敬の念を込めた挨拶をした。


「うむ、水野の衆、頼りにしておるぞ」


 信秀は形式的な言い回しで、そう返答したが、まだ水野家を信頼できずにいた。


(信元の口上からは本気で我らに仕える様に見える。しかし冒頭の髷の意味が気になる・・・)


 水野家を信用した挙句、今後の重要な局面で、また離反される様な事があってはならない。信秀は信元の、水野家の本心を探っていた。


 しかしこの時、他の織田の衆は、水野の髷芸を、初対面の緊張を和らげるためのものと思い込んでいた。


「いやいや、見事な髷芸」

「水野家は芸達者じゃな」


 これにより参上の遅れで緊迫していた水野家との合議の場は一気に和んでいた。信光もここまで予想外の状況ばかりで、ずっと困惑していたが、水野家が正式に織田方に付く事を表明した事で、ようやく安堵していた。


 信光は合議の内容を進めるべく信元に訊ねた。


「それで信元殿、現在の三河の様子は如何か?」


 すると信元は表情を険しくして言った。


「我らは此度、家の将来をかけて織田方に転じ申した。そして先頃、三河の松平広忠に嫁ぎ、身籠っていた我が妹が、その長男の誕生を以て返されました。これで織田様と今川の戦の境界は、我ら水野と松平の間で引かれた事になります」


 信秀は信元の表情から、その心中を探った。


(強い危機感)


 これまで水野家は松平信定の娘を室とし、松平広忠には妹を輿入れさせるなど、松平家とは親類の縁を続けながら家の安泰を保っていた。


 ここで輿入れしていた妹が帰され、松平と親類の縁が途切れる事は、織田と今川の大国同士の争いがこの水野と松平の間で行われる事になる。大規模な戦、多大な犠牲、そして自家の滅亡までもを覚悟する必要が生じるかも知れない。


 信秀は水野家が今回織田方に転じる事で、将来への危機感が高まっている事を案じていると思った。


(戦の世とは悩ましいものよのぉ)


 信秀は信元の心に囁く様に呟いた。


 今川と再決戦、信元の危機感が合議の場に広がり、皆が今川との雌雄を決する一戦が近付いている事を感じていた。


「今川の軍は準備が整い次第、恐らく数万の軍勢で攻めて参るでしょう」


 そう述べる信元の額からは一筋の汗が流れていた。信元の危機感は信秀に十分伝わっていた。しかし信秀には未だ髷の事が引っ掛かっていた。


(今川に対する危機感は分かったが、やはり冒頭の髷とは結びつかぬ、何か意味があると思うのだが)


 冒頭の髷の意味が理解できないと、水野の真の意思が見えて来ない。信秀はそう考えていたが、いずれにしても今川との決戦が迫る中で、攻防の最前線となる水野家に力が無くては困ると思った。


(とにかく先ずは水野家は強くしておかなければならぬ)


 そう考えると、信秀は自身の太腿をひとつポンと叩いて信元に言った。


「信元良く分かった、我らも水野家に出来る限りの支援をしよう、安祥と共に最前線となる緒川と刈谷を補強してくれ」


 この信秀の言葉には、待っていましたとばかりに刈谷の水野信近が素早く反応した。


「任せて下され」


 そう言うと信近は信元に二カッとした笑顔を見せた。すると続けて信元は信秀に更なる提案を申し出た。


「松平の拠点の岡崎には西からだけでなく、南からも圧力をかけてその力を封じ込みたいと考えております。先ず我らは緒川と常滑から知多方面の今川方の諸城に侵攻して参りたいと思うております」


 岡崎を封じれば、三河の支配は大きく前進する。信秀にとってもそれは有益な作戦であった。


「分かった、そちらについても支援しよう」


 そう言って信秀は信元の提案に同意すると、ここまで無言を貫いている山口左馬介の方を見て言った。


「左馬介、水野への後方からの援軍を頼む」


 この信秀の命令を、左馬介は素直に受け入れられず不快な表情をした。


(儂が水野に援軍を出すのか?)


 左馬介の領する鳴海は、水野庶家の一人、大高の水野忠氏と領域を接しており、水野家がつい先頃まで今川、松平に属していた時は、その領界を巡って度々争い事が起きるなど、その関係は良好では無かった。


(水野め、もう少し敵方に着いておれば、我らがその所領を切り取っておったものを)


 水野の所領を狙っていた左馬介は、水野家が織田方に転じた事で、その機会を失なうと共に、逆に水野家が知多方面に領域を拡大するための援軍を出さねばならない立場になっていた。信秀の命令に納得のいかない左馬介であったが、織田家の家臣として拒否する事はできない。


「わ、分かり申した」


 左馬介は渋々これを了承した。


 この左馬介の返事を聞いて、今度は大高の忠氏と常滑の森高が互いにニカッとした笑みを浮かべ合っていた。大高の水野忠氏はこの援軍の話に対して、満足気な表情を見せながら左馬介に声を掛けた。


「ははは、これまで山口様には我ら相当に苦労を戴きましたが、これからは援軍を戴けるとあって心強い限りです。よろしくお頼み申す」


 笑顔を見せる水野の四人に対して、左馬介は憮然とした表情を浮かべるだけであった。忠氏の言葉は左馬介にとって皮肉にしか聞こえなかった。


「他に何か策はあるか?」


 信秀はまだ今川への危機感に対する策は不十分であると思い、皆に意見を求めた。この問い掛けに対して、信元は再び意見を述べた。


「今川や松平に対する直接的な策も必要と思いますが、三河の領民をこちらに引き付ける策を施しておくのは如何でしょうか?」


「なるほど、して如何にするのじゃ?」


「三河の領地の名産を、尾張の流通に乗せて広め、その儲けを大幅に増やしてあげれば領民は喜びます。


 信秀の問いに信元は先ず簡単に答えた。


「三河織物、三河木綿と白絹布ですな」

「なるほど岡崎の南は古来より織物が盛んで、上質な絹や綿の産地になっておると聞く」


 信康と玄蕃允の話に頷きながら信元は話を続けた。


「はい、その三河織物を尾張で奨励し、尾張から京への流通の後押しを致せば、三河領民の領民の実力者を中心に、その心は利を以てこちら側に向くでしょう」


 織田家は京の都から尾張を経由して東国へ向かう物流を掌握している。これは利を生む仕組みを掌握している、と言う事であり、時にこの仕組みが大きな武器になる。


「良き案でございますな、確かに三河の織物は良きものです。奨励して広めるのに我らもそれほど労無くしてできます」


 信康がこの信元の案に信康が賛同する一方で信光は慎重であった。


「しかし信康、その利は松平にも回り、それは我らに矢となって返って来る事を考えておかねばならぬ、三河の領民とのつながりを先ず密にして行く事を同時に進めなければならぬのではないか?」


「なるほど、確かに兄者の言う通り、もし三河の領民の気持ちが我らの方に動かねば、単に敵を強くする愚策になってしまう」


 賛同する信康と少し慎重な信光が議論をする中で、信秀はその判断を含めて口を挟んだ。


「よし三河織物の策やってみよう、水野殿、領民の実力者の者を調べておいて欲しい、領域を支配するとなればその者達のつながりが先ず第一と考える」


 鋭い判断であった。


「それから信光、熱田と津島への奨励の件を頼む、詳細は水野殿と決めてくれ、先ず三河織物の奨励よりもその者達との関係が優先される」


「了解しました」


 信秀の指示に信光は軽く頭を下げて返答した。


 水野家への防衛線への支援、知多進行への支援、そして三河織物奨励の件を以て合議は終了となった。


「ありがとうございました」

「以後宜しくお頼み申します」


 水野家は最後に四人揃って挨拶をした。そんな四人に信秀は最後に笑顔を見せた。


「また困った事があれば何でも言ってくれ、良き力になろうぞ」


 信秀はこの様な時、相手の思いに本心から味方である事を言葉に添えた。この人のために戦いたい、相手にそう思わせる応対こそが、仁義の人として信頼され、国をまとめる力となっていた。


 この信秀の言葉に信元は深々と頭を下げた。その姿を見て、信秀は水野家が織田家に臣従したと思った。しかし最後まで残る一つの疑念があった。


(結局、冒頭の髷は何であったのだろうか?)


 何かの意味があるものと思い、これまで探りながら話をしていたが、結局分からずじまいであった。水野家の四人は退室しようと立ち上がっていて、それを見ながら信秀はまた何かの機会で窺い知る事が出来るかも知れぬ、と考えた時、信元は飄々とした言い口で信秀に話し掛けてきた。


「ところで弾正忠様、この間熱田での取引の時、少々小耳にはさんだのですが、御嫡男の吉法師様がかなり変わっておられるとか、我ら大変興味が湧きまして、今度是非お会いしたいと思うておるのですが?」


 そう言いながら信元はじっと信秀の表情の変化を窺っていた。


(そ、そこか!)


 信秀は信元の今の問い掛けで、冒頭の髷の意味を含めて、水野家の考えが理解できた様な気がした。


 現在織田弾正忠家の嫡男がうつけ者になっている、という噂が尾張の国中に広がっていた。それを耳にした信元はきっとこう思ったに違いない。


(自分達が家の命運を賭けようとしている織田弾正忠家は、自分らの将来を一体どう考えておるのだろうか?もし嫡男が本当にうつけ者で、それを織田家が容認しているとすれば、初めて会う水野家がうつけの姿であっても、然したる反応を示す事はあるまい。先ずそれを試してやる)


 吉法師のうつけの真似、それがあの髷芸の意図する所であろう。しかしその後、妙な髷を止めている事から、織田弾正忠家がうつけを容認していると言う事は否定できている。しかし問題はこの話を最後に訊いて来た事にあると信秀は思った。


(色々と我ら水野の行く末を案じてくれるのはありがたいが、嫡男がうつけになっていると言う自分らの将来の方を、もっと真剣に考えた方が良いのではないか?)


 信秀は信元の表情を見返しながら思った。


(水野家は織田家に臣従などしていない。それどころか、将来に向けてしっかりしろと、織田家を(たしな)めておる。ふっ、水野信元、侮れぬ男じゃ)


 ここでの動揺は、信元に対して暗黙の答えにつながると思った信秀は、その場での平静さを装って言った。


「水野殿、あ奴は問題無い、大丈夫じゃ」


 信秀は内心を色々と探られない様に言葉少なに答えた。しかし他の織田衆の皆はこの信元の問い掛けに動揺を隠せずにいた。


(信元め、ずけずけと訊きおって)

(まずいな、吉法師のうつけの噂はどこまで広がっておるのか)

(やはり家の行く末に関わる、早々に止めさせた方が良い)


 織田家の皆が動揺した表情を見せていた。その中で一人左馬介だけは不思議がった表情をしていた。


(嫡男の吉法師が変わり者、どういう事じゃ?)


 左馬介はこれまで吉法師の噂を聞いた事が無く、この信元の言葉で、初めて何か問題がある事を知った。


(この家中の動揺、問題は只事ではなさそうだ)


 左馬介は信秀が大丈夫と言いつつも、吉法師の問題が相当深い事を感じていた。


 そして信元は笑顔を見せると、退室しながら信秀に言った。


「そうですか、では是非今度会うてみたいものです。ははは、では」


 そう言うと信元は庶家の三人を引き連れて悠然と部屋を出て行った。信秀はこの信元の別れ際の言葉から、秘められた別の意思が読み取っていた。


(織田家が将来に向けて安泰である事を、他にも見える様にせよ)


 信元はそう言っている様に聞こえた。


(水野信元、敵にするとやっかいな男じゃ、やはり何としても味方に付けておかねばならぬ)


 信秀は信元の存在の重要性を感じていた。


(如何に水野を心情的に臣従させるか?)


 軍事的、経済的には完全に水野を抑えており、あと水野を心情的に臣従させるにはどうすれば良いか、信秀は考えていた。その時、山口左馬介は合議の終了で退室しようと立ち上がり、黙って考え事を続けていた信秀に声を掛けた。


「弾正忠様、それでは我らも鳴海に戻ります」


 信秀は考え事をしている所に声を掛けられ、少し驚いた表情を見せながらも、直ぐに表情を戻して応えた。


「うむ、左馬介、信光と一緒に水野との連携を頼むぞ」


「はっ、では」


 そう返事をして左馬介が部屋を出ると、それを追って隣の部屋で控えていた嫡子の九郎二郎も皆に一礼し、部屋を出て行った。


 この後、左馬介は本丸御殿の廊下を歩きながら考えていた。


(この合議は何であったのだろうか?)


 旧敵の水野家のための援軍についても気になっていたが、それ以上に気になるのは、嫡男の吉法師の事であった。


 そしてしばらく本丸御殿の廊下を歩いた後、二人きりになった所で左馬介は同行していた嫡男の九郎二郎に訊ねた。


「九郎二郎、おぬしは何か弾正忠様の御嫡男の事を聞いておったか?」


 突然父の左馬介から吉法師の事を訊ねられた九郎二郎は、その話をここで誰かに聞かれるのは上手くないと思い、周りを警戒しながら、小声で返答した。


「確かに、吉法師様は領主の御嫡男らしからぬ格好や行動をしている様で、何人かの商人の者達が、うつけではないのかと噂していたのを聞いた事があります」


 これを聞くと左馬介は驚いて叫んだ。


「何だと!吉法師がうつけ!」

「しっ、父上、声が大きい」


 ここは領主信秀の城の中、妙な会話は出来ない。しかし左馬介はその話を聞いて、水野の件など忘れて興奮していた。


「九郎二郎、よくよくその情報を集めろ、明らかに先程の織田家中は動揺しておった。御嫡男のうつけの問題は相当大きそうじゃ、弾正忠家の将来の事、我らも見極めて行かねばならぬ」


 興奮して妙な話を場所も考えず大きな声で続ける父に、九郎二郎は焦っていた。


「父上、声が大きい」


 一番動揺しているのは九郎二郎であった。


「全く水野からこの様な話を聞く事になるとは、さてどうするかのぉ」


 左馬介は旧敵の水野から、自家の将来を左右する様な情報を得た事に、何かまた妙に皮肉めいたものを感じていた。


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