第四章 孫子の兵法(10)
残照の翳りと共に湊へと向かう三位の姿が霞んでいく中、勝三郎は吉法師に向かって話し掛けた。
「変わった御仁で御座いましたね、吉法師様」
吉法師は消え行く三位の姿と共に、今日自分の覚悟の思いを否定する所から始まった三位の兵法家としての話を思い返していた。
(領主としての覚悟は大事、しかしそれはあくまで精神面での話、具体的な行動においては兵法家の考えを基に目標の設定、戦略の立案、そして情報の活用を行い、しっかりと未来を見据えて臨まねばならぬ)
吉法師は自身にそう総括した所で、勝三郎の話し掛けに応えた。
「ああ、しかし学ぶべき事がたくさんあった」
そう言って吉法師は那古野の城の方向に馬首を向けた時、その少し離れた所にある熱田門前町の灯りが、一つ、また一つと灯されていくのが目に入った。吉法師はその光景を遠望しながら、三位の最後の言葉を思い起こしていた。
(吉法師様の戦いはもう始まっているのです)
吉法師はその対応について自問自答しながら考えていた。
(どうするか?)
この時勝三郎は馬首を返したまま動こうとしない吉法師の事を不思議に思っていた。辺りは急速に暗くなっている上に、空腹感も感じる様になってきている。一向に動こうとしない吉法師に辛抱たまらなくなっていた。
「吉法師様、もう陽も落ちました故、早くお城に戻りましょう」
そう言って帰城を促す勝三郎に対し、決断が必要だと思った吉法師は素早い反応を示した。
「よし決めた、勝三郎、ちょっとこれからもう一つ寄りたい所がある、もう少し着いて参れ」
「え、どちらへですか?」
戸惑う勝三郎の問い掛けに吉法師は不敵な笑みでその答えをはぐらかす。
「まぁいいから」
思い立った後の吉法師の行動は早く、そう言って馬を歩ませた。
(まだ何処か行かれるのか…、腹減ったしもう帰りたい)
そう思いながら勝三郎は渋々と吉法師の後を付いて行った。
少し経った後、再度那古野の城と熱田の門前町に向かう道の別れ際で、城に向かわず門前町の方に向かう吉法師に、再度勝三郎は問い掛けた。
「吉法師様、この先行くのは門前町ですよね、何処に寄られるのですか?」
「まぁいいから」
行き先が気になって仕方のない勝三郎に対して、吉法師の応えは先程と同じこの言葉と不敵な笑みだけであった。
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周囲が夜の闇に包まれていく中で、灯火を得た熱田の門前町では所々で民衆が夜の賑わいを見せていた。
熱田は隣接する湊が東国との物流の中継地となっているという所においては津島と同じであるが、吉法師の生来の地元で町の皆が幼少時から領主である吉法師の事を知っているという点については大きな違いがあった。
町の入り口で門番に馬を預けた吉法師と勝三郎は、町の中を更に奥へと歩いて行った。その吉法師の姿を見つけた熱田の人々はあちらこちらから代わる代わる親しみを込めて吉法師に声を掛けて来る。
「あー吉法師様だ、こんばんわ」
「あれ、若殿さま、こにゃー時間にどうされたんですか?」
「吉法師様こっちじゃ、うみゃー大根あるで、寄ってってくだせぇ」
「いや、是非こちらに寄っていってくだせぇ」
吉法師は軽く手を振って皆の声に応えながらも、先を急ぐ様にして足を止める事は無かった。
「あんりゃ、若殿さまじゃねーぎゃ、一緒に飲みゃーせんきゃ?」
「どえりゃあんみゃあ酒あるで」
時には酒に酔った者たちからも声が掛けられていたが、その様な場所は一層素早く通り抜けていた。
すると今度は一人の幼い女の子が吉法師の前に現れ声を掛けてきた。
「きちほうしさま、これあげる、おいしいよー」
この小さな娘の親切には吉法師も簡単に素通りする事が出来ずに立ち止まった。近くの商いの娘子であろうか、その小さな手には少し大きめの焼き芋が握られており、それが自分の方に差し出されている。
「ありがとう」
吉法師は笑顔を見せながらその娘にお礼を言うと、その娘は通りの先の小さな店の方に走り去って行き、その先で待っていた母親と見られる若い女性に頭を撫でられていた。
(良かったな)
その嬉しそうな母娘の様子を見ながら、吉法師は受け取った芋を半分に割り、その片方を勝三郎に手渡した。
「ほい、勝三郎」
その芋を勝三郎は少し恐縮して受け取った。
「あ、ありがとうございます、吉法師様」
勝三郎は以前瓜を分かち合った事を思い出しながらその半分の芋を見ていた。空腹感が増長されていくと共にそのありがたみも増していく。
(この門前町で何をするのか分からぬが、家臣としては信じてついていくのみじゃ)
そう思いながら勝三郎は芋を口にした。
「うまい、採れたての芋の味じゃ、町に寄って良かったー」
吉法師も芋を口にしながら勝三郎に言った。
「勝三郎良かったのぉー、この芋、美味いのぉ」
その吉法師の言葉を聞いて勝三郎は思った。
(そうか、吉法師様はお腹が空いたので城に戻る前にこの門前町に寄り、何か旬の物を食そうとしておるのじゃな、今が旬と言うと、そうじゃな、この芋の他に、えーと・・・)
色々な食べ物を想像しながら勝三郎はもぐもぐと口を動かしていた。
すると門前町の路上で手渡された一つの芋を分け合って食べている吉法師と勝三郎を見た熱田の商いの者たちが我先にと押し寄せて来るのが見えた。
「吉法師様、是非こっちの芋も食べて下せぇ、絶対うみゃあですから」
「いや、芋はもう良いでしょ、次はやっぱりこの特産大根でしょ」
「いやいや、是非このうちの胡桃餡蕎麦を試食してくだせえ」
「いやいや、こっちの鮎っこのうま辛煮を~」
「いや吉法師様、これ、うちの伊勢湾のようさん盛り食うてくだせえ」
「いやいや、今度改良したうちの完熟赤橙を試してみてくだされ」
「いやいや若殿さま、この三色饅頭当り梅干し入りを試してみてくだされ」
「いやいや、こちら新発売の熱き花の暴れ酒を飲んでみてくだされー」
吉法師と勝三郎は自分たちの店で出している品の名を挙げながら押し寄せる商いの者たちにあっという間に周りを囲まれ、目の前には様々な名産、銘菓、旬の食べ物などがぶつかり合いながら差し出されて来た。
「うぉ、どう言う事じゃ、勝手に食べ物の方から集まって来た!」
勝三郎は驚きながら叫んだ。吉法師も食べ物でもみくしゃにされながらこの突然の出来事に困惑していた。
「分かった、ありがとう、皆の衆先ず落ちついてくれ」
そう言って吉法師は皆のもてなしに感謝しつつ、その混乱を抑えようとしたが、次から次へと押し寄せるもてなしにその口がついて行けない。
そして何故か彼等は持ってきた食べ物を吉法師が口にすると素早く帰って行く。中には吉法師が順番に口にするのを待てず、他の物を食べている横からほうり込んで来る者、横の勝三郎に代わりに食べさせる者までおり、食べさせる事が競争の様になっていた。
そして暫くすると、まるで嵐が去ったかの様に二人の周りには誰もいなくなっていた。
「満腹じゃー」
「もう食えぬ」
強制的に腹一杯にさせられた二人は地面にへたり込んでいた。この訳が分からない状況を吉法師は勝三郎に問い掛けた。
「どういう事じゃ、勝三郎、あの者たちの振舞い、とてももてなしに現れたとは思えぬ」
そう言う吉法師の背中や腰の回りには食べきれなかった大根や芋が刺さっていて、その懐には名産の菓子などがごろごろと詰め込まれている。
「わ、分かりませぬ」
そう応える勝三郎にも背中に蕎麦やら魚やらが詰め込まれていて、後頭部にはかんざしの様に何本もの団子が刺さっていた。
「何かの策略でしょうか、吉法師様、心辺りはございませんか?」
「無い!」
そう言って立ち上がる吉法師の袴からは、潰れた三色饅頭がごろっと転がって出てきた。
その潰れた饅頭の裂け目に赤い梅干しが見える。
「あ、当りだ!」
吉法師が思わずそう口ずさんで、その直後にどうでも良いと思い直した時、勝三郎は近くの店で長い行列が出来ているのを発見し吉法師に訊ねた。
「あれ、吉法師様、先程あの様な所に行列など出来ておりましたでしょうか?」
しかしそれを見た吉法師もこの様な近くで先程まで行列があった事に覚えはない。
「いや、全く気が付かなかった。何の店じゃ」
二人はその店の看板を見ると、思わず大きな声で叫んだ。
「これが原因かー!!!」
その看板には店の名前と共に、那古野ご城主吉法師様献上の芋料理、と掲げられていた。どうやらこれが町に集まる客の目を引き繁盛に結び付いているらしいが、その店の入り口では先程の若い母親が忙しく誘客を行っていた。
どうやらこの看板の宣伝と客の行列を見た他の店が、その真似をして無理やり自分の所の品を殿様献上の品にしたかった様であった。
「この献上の芋料理ってあの焼き芋のことですか、ひどいですね」
勝三郎は空腹が満たされて幸いの面もあったが、小さな子供を使って商売繁盛させている事に対して、何か卑怯な感じがしていた。
しかしそんな勝三郎に対して、吉法師は感心しながらその行列を見ていた。
(すごい、芋一本であそこまで店を盛り上げるとは…、何か兵法の極意を実践で見た様な気がする)
そして思わず三位から教わった三位一体の考えで分析をしてみた。
目標:商売繁盛
情報:城主吉法師、町ブラ歩き中
戦略:芋(一本)、差別化(愛娘)
(か、完璧じゃ…)
吉法師は思わず身震いをした。




