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天下の再構築 ~信長幼将戦記~   作者: 飛里信成


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第四章 孫子の兵法(9)

 斜陽の光の中、平田三位、吉法師、勝三郎の三人は三位を先頭に熱田湊の方に向かって馬の歩みを進めていた。


 馬に跨り暫し走った後は追って来る者も無く三人の歩みは落ち着いている。その中で勝三郎は前を行く三位に文句を言い続けていた。


「全く、三位様は情報が大事とか、知るのが大事とか言っておいて、なんちゅう所でなんちゅう事をやるのですか?百戦危うからず、とか聞いたその直後が相当に危うかったですよ!」


 憤る勝三郎に三位は笑いながら言った。


「はっはっはっ、勝三郎、実際に身を持って情報の大事さが体験できて良かったのー」


 勝三郎は自分をあしらうかの様な三位の言葉に再度声を荒げた。


「冗談ではありませぬ」


 憤り収まらぬ勝三郎であったが、この時横を行く吉法師は既に過去の事の様に落ち着いており、勝三郎に対して宥める様に言った。


「まぁまぁ勝三郎、この度三位殿からは得た物も多分にあるから」


 吉法師は何はともあれ無事で良かったと思いながら、先程の即座に全力で逃げるという判断、そしてその状況に応じて役柄を豹変させる三位をまた面白いと感じていた。


 そして何よりも得た物として、目標の設定、戦略の立案、情報の活用の三位一体の兵法家としての考えは、これからの将来を見据える今の状況において、非常に有意義であると感じていた。


「吉法師様がそう言うのであれば…」


 吉法師の言葉にようやく勝三郎も致し方ないと思いながら、更にもう一つ三位に苦言を口にした。


「しかし本当に命を失いそうになりましたからね、相応に得る物も無ければ割に合いませぬ、


「ははは」

「ははは」


 吉法師と三位はその勝三郎の言葉に声を上げて笑った。


 熱田湊の方に馬を歩ませる三人を照らす陽は、すっかり傾き、遠くに連なる山々の奥に沈もうとしていた。


 そろそろ別れの時は近い。


 三位は先程途中になってしまった話を思い返し、馬上から後ろの吉法師の方を振り向いて言った。


「吉法師様、実は先程の話の続きですが」

「何じゃ、三位殿」


 吉法師は先程の話と言って切り出す三位の話に耳を傾けた。


「兵法に関してはその実践において、今回の様に思い通りにいかぬ事も多々あり奥深い物なのです」


「うむ、であるから良く良く知る事が大事、と言う事であろう」


 そう答える吉法師に三位はその正誤の意を示さず、吉法師の話を聞く姿勢が十分出来ている事だけを確認すると、再び前を向き直して言った。


「吉法師様、津島での模擬戦では途中、相手に押されて危のうなった時がございましたな、もしその危なくなる事を知っておれば、その様な事も無かったと思いますが、如何ですかな?」


(どう言う意味じゃろうか)


 吉法師はこの三位の言葉の意味が即座に掴めずに黙って考え始めたが、この吉法師の様子を見て、自身も参戦した勝三郎は横から口を挟んだ。


「三位様、予め何でも知っておればどんな戦でも危うくなどなりませぬ」


 その勝三郎の言葉に三位は笑って言った。


「はっはっは、勝三郎、さすがおぬしは察しが良い」


「えっ?」 


 勝三郎は三位の訳の分からぬ問い掛けに対し、皮肉を込めて返した言葉が察しが良いと言われ、何の事かと逆に首を捻った。


 その時吉法師は三位が先程教えてくれた孫子の兵法の一説を思い起こしていた。


『彼を知り己を知れば百戦危うからず』


 訳所を考えれば、敵軍と自軍の実力を良く知り、正確に比較し、対処できれば何度戦っても危うい状態に陥る事は無いと言っており、そこでの知ると言う事のため情報が重要である事が分かる。


 そう考える中で、吉法師は今の二人の会話を照らし合わせて考えていた。


(そうか、分かった)


 そして、その奥底に秘められた真意みたいな物がある事に気が付いた時、吉法師は三位に向かって叫んだ。


「三位殿分かったぞ、つまり究極的に知る(・・)と言う事を考えれば未来の結果を知ると言う事であろう。しかしながらそれは叶わぬであろうから、取り得る限りの情報を集めて、分析を行い、未来に対する予測の精度を上げて対応せよ、と言う事であろうな」


 三位はこの吉法師の言葉を聞いて笑顔を見せて言った。


「その通り、吉法師様、ご名答です」


 吉法師はこの三位の言葉に晴れやかな顔をしていたが、勝三郎は未だ良く分かっていない様子であった。三位はそんな二人に補足するかの様に話を続けた。


「この世は人、物、金、環境など様々なものが互いに影響し合って成り立っており、それらはまた絶えず流動しています。その様な世を治めるとするならば、その流れをいち早く読み取り、先々を予測して先回りをして手を打たねばなりません。そのために必要な情報は武力に関する事に限らず、金や物の流れ、天候や地目の変化、そして人々の心など多岐に及ぶ事になりましょう」


 三位の話を聞きながら吉法師は難しい顔をしていた。


「何やらたいへんそうじゃな」


 思っていた以上の難題に対してそう呟く吉法師に、三位はその表情を伺う事も無く話を続けた。


「世を治めると言う事は決して楽な事はありませぬ、しかしそれは吉法師様の生れ持っての定め故、その対応の手法を見に付けるほかはありませぬ。先ずはどの様にしてこの有意な情報を集め、様々な予測をし、対応出来る様にする体制を構築するかと言う事です」


「うむ、そうじゃな」


 そう頷く吉法師の横で、勝三郎もこの先大変になりそうだ(仕事が増えそうだ)と危惧しながら聞いていた。


「吉法師様、その様に全てを知り、全てに対応する事を目指すと言うのは、もう神様を目指す様な感じですね?」


 そう比喩する勝三郎は二人の話の緊迫感を和らげた。


「面白い事を言うのぉ、勝三郎は」

「ははは、そうだな勝三郎、神様になれれば間違いはないのぉ」


 三人はそう言った話の所で馬の歩みを止めた。そこはちょうど熱田湊への道と那古野の城に向かう道の別れ道の場所となっていた。


 三位はそこで吉法師の方を振り向くと、最後にまた衝撃的な事を言った。


「吉法師様、実はここまでの話は兵法でのほんの基礎に過ぎません。つまりこの先は他国でもこの様な兵法の取り組みは周知されていると考えながら、進めなければならないのですよ」


「何、いや確かに」


 この三位の言葉に吉法師は驚きを得た。

 

 三位一体の考えにおいても、情報の重要性においても、これまでは自分達が動けば事態は良好な方向へ向かう、と言う話で成り立っていた。しかし実際には対象となる相手の存在があり、その相手も同じ様に動けばどうであろうか、その様な論議はしていない。


 三位はもう一度孫子の兵法の言葉を引用して言った。


『彼を知り己を知れば百戦危うからず』


「この言葉は奥深く、様々な解釈が出来ます。負けぬと言うのを最終的には勝つと解釈すれば、これは未来を読み切った者が勝つ、また逆に敵に自分達を読み切らせなかった者が勝つと言う事ができます。」


「そうか、敵との情報戦になるのだな」


 吉法師は三位の話に対して何か少し実感を得た様に答えた。


「その通り、良く勝負は時の運と言いますが、兵法家からすればそれはあっては成らぬ事、兵法家は情報を活用して自身を優位に導かねばなりません。その状況での情報の活用は様々で、これまでは外の情報を得て策を練る、と言う話でしたが、逆に外に不確かな情報を与えて自軍を優位に導くと言った手法もあるのです」


「情報の逆の使い方か?」


 吉法師がそう言うと、三位は更にその話を続けた。


「分かり易い領主ほど敵の公算にはまりやすい、甲斐の武田晴信も、相模の北条氏康も若き時は敵を欺いてその才を隠しておりました。良き領主ほど自身の本質を外から分かり難くしているのです」


(外から本質を分り難くする)


 最終的に三位殿の言いたい事が徐々に見えてきた気がする。吉法師は三位の話をじっと聞いていた。三位は最後に話を結論付けるかの様に言った。


「つまり、吉法師様の戦いもその情報戦の駆け引きにおいては既に始まっているのです」


 この三位の言葉に吉法師は身震いを感じた。


(もう儂の戦が始まっている)


 自分の戦いが既に始まっている。考えてもいない事であった。まだまだ父が健在で元服前の自分が、その様な情報戦の中の対象になっているとは考えられなかった。しかし先程の話の通り、情報戦は未来の予測に関する全ての事柄が対象になってくるとなれば、自身の情報もその中に入って行く。


 吉法師は自身の本質が既に周囲に曝け出されているのではないか、と言う事に急に不安を感じていた。


(何か手を打っておいた方が良い)


 そう思いながら目の前の三位を見ると、三位自身が他の人には理解し難く、本質が図れない姿をしている。


「まさか三位殿は、それを儂に暗に示すためにその様な風変りな格好をされているのか」


 その吉法師の言葉に、三位はただ笑顔を見せるだけであった。


(なるほど、人は先ず外見にて判断する所あるとすれば、この三位殿の外見から本質を見極めるのはかなり困難)


 吉法師は三位の姿をまじまじと見ていた。すると吉法師の記憶の中で、何か以前同じ様に外見に着目した覚えがあった事を思い出した。


(確か前にもこの様な?)


 少し考え込んだ後、はっと一つの考えが浮かんだ吉法師は、勝三郎の方を振り返ってニヤッと笑った。


(あ、あの不適な笑みは)


 勝三郎はその吉法師の顔を見て嫌な予感を感じた。


 もう陽は山の奥に沈み、辺りの明るさが急速に失われていた。


「それでは吉法師様、そろそろ参ります」


 三位はそう言って右腕を上げると、それまで近くの木の枝に待機していた鷹が颯爽とその腕に下りてきた。


(そう言えば、この鷹も話の一役をかっておったな)


 吉法師は羽をばたつかせている鷹を見ながら三位に言った。


「三位殿、今日は兵法の事、とても勉強になった。是非また那古野を訪れて頂き、色々と続きを聞かせてもらいたい」


「はい、分かりました」


 三位は笑顔を見せながら答えた。そしてそこから湊に向けて馬を歩ませた時、三位は更にもう一つ伝えておくべき事を思い出した。


「そうそう、もう一つ重要な事が」


 そう言い掛けた三位だったが、吉法師の横にいる勝三郎の姿を見て言うのを止めた。


(戦においても情報を集めることにおいても人の任用が大事であるということ、しかしそれはこの吉法師であればこれから自然に成し得るかも知れぬ、ここでこの勝三郎を前に自分が敢えて口に出す必要はない)


 三位は二人に向かって手を振りながらにっこりと微笑んで言った。


「いえ、では吉法師様、勝三郎、またお会いしましょう」


 三位がまた馬を歩ませ始めると、その三位の後ろ姿に向かって吉法師と勝三郎は声を上げた。


「三位殿、またお願いします」

「三位様、ありがとうございました、飛龍、またなー」


「くあー」


 三位は無言のまま軽く手を上げて応え、三位の右肩に乗っている飛龍は声で応えていた。


 勝三郎は再度飛龍の声に手を大きく振って応えていた。


 三位は鷹を腕に乗せたまま、沈みかけている陽の方向にある湊の方へ向かって馬を歩ませ、吉法師と勝三郎は三位の姿が見えなくなるまで、その場に立ち止まり見送っていた。


 その時三位は何か嬉しさを感じていた。


(吉法師殿はあの年にして、自分で物事を考え判断する事ができる。そう言う鍛錬も受けているのだろうか、それとも天性か、やはり面白い御子じゃった)


 三位はここまで将来の領主としての吉法師を観察していた。


 政務の意思決定において、最終的に判断するのはその責務を負う事になる領主自身である。時にその判断は自分の勘に頼る事はあっても、簡単に人の言葉を信じて決める事はあってはならない。その様な領主の役割に対し吉法師は如何であろうか?


 一方で三位は自身の隠居を考える中で、これまでの兵法の経験や知識を誰かに伝承したく、そして出来ればその伝承をその後の政務に最も活かしてもらえる人物に伝承したいと思っていた。


 その様な時に、津島で偶然に目にした吉法師の模擬戦、その日から三位は孫ほども年の差のある若き領主の吉法師に興味を抱き、ゆっくりと話をする機会を探っていた。


 そして今、三位は実際に吉法師と話が出来て、その将来の領主としての資質を確信すると、改めて自分の得た兵法家としての経験や知識を吉法師に継承したいと思っていた。


(きっと吉法師様は偉大な領主になる)


 吉法師の将来を思う三位の心に、再度大きな嬉しさが込み上げていた。



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