第四章 孫子の兵法(7)
本丸御殿の廊下、吉法師は早足に歩く三位を小走りで追い駆けていた。
「三位殿、何処へ行くのじゃ」
「まぁ、付いて来れば分かります」
行動が突発的で付いて行けない、これはいつもの吉法師の行動であったが、逆に相手にされ吉法師は戸惑っていた。
三位の言う目標設定や戦略立案と一緒に行うべき事、それは一体何であろう、三つは一緒に行わないと意味が無い、この兵法家はそう言うのだが、その三つ目に対して自分の考えが及ばない。
(癪だがこのまま話を終わらす事は出来ない)
吉法師は怪訝な表情を浮かべながら三位の後ろを追っていた。廊下を歩く三位の速さは供の者を呼ぶ時間すら与えてもらえず、吉法師は単身で三位の後を付いて行った。
本丸御殿正面の土間では、勝三郎が三位から預かっていた鷹とにらめっこをしていた。鷹は大きな止まり木にじっと留まっていて、主人が戻って来るのを静かに待っていたい所の様であったが、勝三郎は初めて見る鷹が珍しくて仕方が無く、近くでずっと観察していた。
「それにしても大きな鳥だなー」
顔を近付けて覗き込む勝三郎に、鷹は嫌気を感じていて、時折勝三郎に向かって羽をばたつかせながら片足の爪を掲げ威嚇していた。
「クァー」
鷹が威嚇の声を上げると、勝三郎は笑いながら言った。
「おっ、こいつやるかー」
そう言うと勝三郎もその鷹に向かって声を上げた。
「くぁー」
それに対し鷹もまた返しの声を上げ、その後、鷹と勝三郎の鳴き声対決が始まった。
「クワー」
「くわー」
「くぉあー」
「クアァー」
「ぐあー」
鳴き声対決は御殿の土間で暫しの間、意味無く続いていた。
三位と吉法師がその本丸御殿から外に出ようと、その土間を通り掛かった時、鷹対人間のその対決はちょうど終盤を迎えている所だった。
「クァ」
「くあっ、げほっ、げほっ、」
「・・・・・・」
もう声も出ずむせっている勝三郎に鷹は沈黙していた。それを見て勝三郎は勝ち誇った様に意気揚々と声を上げた。
「ははは、げほ、げほ、鷹、もう声も出ん様だな、げほっ、ぬしの負けじゃ」
勝三郎が鷹にそう言った時だった。鷹は首を捻って後ろを振り向いた。するとその方向から三位と吉法師がスタスタと小走りで近寄って来る所であった。
「飛龍、参るぞ!」
飛龍はその鷹の名であろう。三位がそう言うと、鷹はその言葉が通じたのか、小走りに通り過ぎ外に出て行こうとする三位を、後から追いかける様に一度羽ばたいて飛び立った。
「おおっ」
勝三郎は鮮やかに宙を舞う鷹の華麗さに一瞬、心を奪われた。そして次の瞬間であった。
「勝三郎、参るぞ!」
今度は自分に向けて、吉法師の声が掛かった。
「は、はい」
咄嗟に返事をし、つまずきながら慌てて吉法師の後を着いて、御殿の外に出る勝三郎であったが、ふとその時何か変な違和感を感じた。
(あれ、今の吉法師様の呼びかけ、三位殿の鷹への時と何か同じ様な感じ…、あれ、儂って飼われてんの、鷹と同じ…)
「くあー」
鷹は一度勝三郎の方に舞い戻り、一声掛けた後、また先行する三位の方を追って行く。その時勝三郎は思った。
(鷹…、どうやらぬしとは引き分けじゃ)
悩まし気な顔をして、もたついている勝三郎に吉法師は後ろを振り返って、再度言った。
「勝三郎、遅いぞ、早くせい!」
「はい、吉法師様」
いつもの突然の外出のお供、そしてまた、これからどこに行くのかも、何をしに行くのかも分からない。
(やれやれ)
勝三郎は気が乗らない状態で、園庭から厩舎の方へ向かう吉法師の後を小走りに追い駆けていた。
その時、勝三郎は上空を旋回していた鷹が、前を行く三位のさっと差し出した右腕に颯爽と降りてくるのを見た。その後、鷹は三位の腕から肩の方へ移動し、後ろ向きにじっと自分の方を見ている。
その光景は勝三郎にとって衝撃的だった。
(鷹、ぬしは主人である三位殿に運んでもらう事が出来るのか?)
そう思った勝三郎にまた吉法師から激が飛ぶ。
「勝三郎、もう少し早くじゃ!」
「は、はい」
そう返事しながら勝三郎が必死に吉法師の後を付いているのに対して、鷹は主人の肩に留まって運んでもらっている。勝三郎はそれを見て思った。
(鷹…、ぬしの勝ちじゃ…)
勝三郎の心中に何か悔しい思いが込み上げていた。
「クエー」
鷹はそんな勝三郎に向かって一声上げた。
勝三郎の耳にその鷹の声は勝利の雄叫びとも、自分への励ましとも聞こえていた。




