第四章 孫子の兵法(5)
他の子供達が立ち去って行く中で、弥三郎は四郎の槍柄をしっかりと抱えながら、権六の背後から見慣れない風変りな男を観察していた。
(あの御仁は誰じゃろうか?)
一見僧侶の様に見えるが、細く曲がった口髭と派手な絵柄模様の袈裟は祭りの時に見掛ける大道芸人の様にも見える。そして何よりも奇妙なのは鳥の巣の様にもじゃもじゃした頭と、その肩に乗っかっている一羽の大きな鳥であった。
(あの鳥は鷹か?)
男の背がそれ程高くないためであろうか、男の肩に乗った鷹が妙に大きく感じられる。男が隼人正に話し掛けようと首を回した時、その鷹は少し驚いたかの様に大きく口を開いた。
「まぁ元気があって良いではないか?」
弥三郎からの視線から見たその時の男の姿は、あたかもその鳥が言葉を発している様な感じになっていた。
(ぶ、不気味じゃ)
弥三郎は男から自分の存在を隠すかの様に権六の背に隠れた。
一方で男から励みの言葉を受けた隼人正は恐縮して言った。
「しかし三位様、あの内蔵助の暴れん坊ぶりには我等家中でもほとほと手を焼いているのですよ」
それは家長としての悩みであったが、そんな隼人正に政秀は笑って言った。
「いやいや隼人正、佐々家は孫介といい、あの年頃は皆あの様に暴れん坊であったであろうに」
「そうでしょうか?、は?、それは私もですか?」
隼人正は内蔵助の暴れん坊の話が突如自分の事として振られ、また別の困り顔を見せる様になっていた。これを聞いていた権六も頷きながら言う。
「うむ、確かにぬしも暴れん坊じゃった」
隼人正とは幼少時からよく行動を共にしていたする権六が言うと話は確信的である。しかしそれは同時に佐々家に留まる話しでは無かった。隼人正は権六の方を振り返ると、少し強い調子で言い返した。
「権六、子供の時分、おぬしなどはその暴れん坊の親玉であったろうが」
この隼人正の言葉は政秀と風変りな男の笑いを誘っていた。
「ははは、一本取られ申したのぉ、権六殿」
「ははは、権六の暴れん坊の親玉は今もそののままじゃ」
笑いの止まない風変りな男は、隼人正に揚げ足を取られて困った様子を見せる権六に向かって言った。
「ですが権六殿は親玉で良いですぞ、私なぞは人から毛玉と言われますからな」
三人は男の頭に着目した。もじゃもじゃした頭が如何にも毛玉であった。
「ははは、三位殿には勝てませぬ」
自虐的な言い方で、自分の言い回しを取り繕ってくれるその男に、隼人正に続いて権六も恐縮しながらの笑顔を見せていた。
「ははは、しかし何じゃな、三位殿、また今更じゃがその頭は何なのじゃ?」
笑いながら問い掛ける政秀に、男も笑いながら答えた。
「ははは、魔除けですよ」
無論この男の答えが冗談だと言う事は皆が分かっている。
「しかし魔物は来ずとも何か別の物が集まりそうじゃな」
この政秀の言葉に男は待っていましたとばかりに応えた。
「はい、先ずはここに鷹一羽」
その男の言葉に皆の目線が男の肩に乗る一羽の鷹に注がれたその時であった。
クエーッ
人の話が分かるのであろうか、鷹はその皆の目線に一鳴きして応えた。良い間合いで鳴き声を上げる鷹に、四人はまた笑いながら城の御殿の方に向かって歩いて行った。
(さんみどの?)
あの奇妙な男は一体何者なのであろうか、権六の後ろに隠れる様に着いていた弥三郎は首を捻りながらその後を着いて行った。
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政秀達は城の御殿の園庭に入ると、所々で植木が折れ、御殿の障子が破れているのを目にした。
「ご家老、何やらお城が荒れている様な気がしますな」
「何かあったのかのぉ」
政秀は不思議がった。
悪ガキ達の暴れた跡であったが、今城に到着したばかりの四人にはその原因が分からない。
「こ、これは酷い」
「一体どうした事じゃ」
本丸御殿に入るとその惨状は一層酷く、畳の部屋や廊下が土足で踏みにじられ、窓は破られ、壺や茶器の破片等が到る所に散乱していた。城内の者達が懸命な片付けをしていて一部は奇麗な状態に戻りつつあったが、未だ殆どの広い範囲が荒れた状態のままになっていた。
皆が暫しその場に留まり、唖然として立ち尽くしていた。
「まさか敵の間者による仕業か?」
隼人正が驚きの表情を見せながら言った言葉に、権六の背後に隠れて着いて来ていた弥三郎はドキドキしていた。
(まずい、これはばれたら自分も怒られるかも知れぬ)
そう思うと弥三郎は皆に気付かれない様に、権六の背から外れ、柱の陰に隠れ直した。その直後、権六も思った事を言った。
「いや、これはまた何か吉法師様の訓練では?」
「いや、儂じゃないぞ、これは悪ガキ共の仕業じゃ!」
空かさず後ろから誰かが答えた。
「いや、だからその悪ガキが吉…」
権六はそこまで言って話の相手が途中から隼人正ではない事に気が付いた。
「は?」
権六は慌てて後ろを振り向くと、吉法師が歩きながら近寄って来るのが見えた。その後ろには孫介、勝三郎、与兵衛の三人もおり、権六が吉法師の事を本人を前に悪ガキ呼ばわりしようとした事を微かに笑っている。
「何だって、権六?」
すかさず問い返す吉法師に権六は少し慌てた表情で話を切り替えた。
「こ、これは吉法師様、ただいま京より戻りました」
政秀、権六、隼人正の三人は訪京の帰りであった。権六は戦さながらの機転を活かし、慌てて帰城の挨拶でその場を繕った。普段鬼柴田と恐れられる権六が、自分の失言にあたふたしている姿は妙に可笑しい。
吉法師は弁慶を操る牛若丸の如く、権六に向かって言った。
「権六、長き訪京の護衛の任ご苦労であった」
「はっ!」
大きな権六の体が何か吉法師の前では小さく見えた。権六は取り敢えず自分の失言に対しての追求が無い事を安堵していた。
続けて吉法師は権六の横にいた政秀と隼人正にも声を掛けた。
「爺と隼人正もご苦労であった。爺には後で京の報告を頼む」
「はっ!」
隼人正は即座に吉法師に返事を返した。政秀は子供ながら一端の事を言う吉法師に感心しながら、笑顔を浮かべて言った。
「はい、若殿」
その後、吉法師は政秀の背後に風変りな格好をしたこれまでに会った事の無い一人の男がいる事に気が付いた。政秀は吉法師の視線でそれに気付くと、咄嗟にその人物を紹介した。
「若殿、こちらは平田城の平田三位殿です。三位殿は非常に有能な兵法家なのですが、訪京の折に偶然お会いまして、きっと若殿のお役に立つであろうと思い、此の帰り途中にこの那古野のお城にお立ち寄り頂いたのです」
吉法師はこの時じっと三位の事を観察していた。三位の方はにこやかな顔をしながら吉法師の観察を受けていた。
吉法師の後ろに控えていた孫介、勝三郎、与兵衛の三人もこの男の姿を不思議なものを見る目で見ていた。
(何じゃ、肩に乗っている鳥は鷹か?)
(頭もじゃもじゃじゃ)
(変な人…)
(あの細く曲がった口髭、何かインチキ臭ぇ)
(あの派手な柄の袈裟、大道芸人じゃないのか)
三位は皆の視線に更なる満面の笑みを見せたかと思うと、左手を胸にながら深く会釈をした。すると三位の肩に乗っていた鷹がその場から落ちそうになり、羽をばたつかせながら慌てて三位の頭の上に乗り直した。
その三位のもじゃもじゃ頭に鷹が乗った様子は、いよいよ鳥が巣に帰って来た様で、珍妙な姿であったが、皆はこれを笑って良い物なのか困っていた。
(一体この御仁は、何を考えておるのじゃ)
吉法師は悩ましく思っていた。これまで幼き頃より那古野の城主として、武士、商人、農民、僧侶、そして様々な職人達など、たくさんの人々と出会ってきた。しかし三位はそれらの何れの人とも異なり、何か異なる世界の人間に思えた。
悩ましげな吉法師の表情を見て隼人正が声を掛けた。
「吉法師様、このお方、見てくれは御覧の通り風変りですが、実の方は大丈夫でございます。我等もこれまで京より戻って来る際に、戦の戦術など様々な話をして頂き大変勉強となりました」
権六も隣で、うんうんと頷いている。恐らく政秀が連れて来て、隼人正と権六が信頼するのなら大丈夫なのであろう。
(人は見かけによらぬ、と言う事か)
吉法師は気を取り直してこの風変りな三位に声を掛けた。
「三位殿、改めて儂がこの那古野の城の城主、織田吉法師である。来城ご苦労であった。また後程戦略についての話聞かせてくだされ」
吉法師の言い方は未だ少し様子を伺う様であった。そんな吉法師に三位は変わらずの笑顔を見せながら言った。
「こちらこそよろしくお願いします。吉法師様」
この三位の言葉に吉法師が低く頷くのを見て、政秀は三位に声を掛けた。
「ささ、三位殿、先ずは向こうでお休み下さい」
そう言うと政秀は、御殿の女中を呼び、三位を奥の座敷に案内する様に言った。
「ありがとうございます、ではまた吉法師様、後程」
そう言って三位は肩の鷹と一緒に一礼すると、そのまま女中に着いて奥座敷へと向かって行った。吉法師はその姿を暫く見ていた。
(変わった御仁じゃ)
吉法師はまだその実に対して半信半疑であった。あの風変りな格好、なぜあの様な格好をしているのであろうか、個人の趣味にしては酷過ぎる。吉法師には納得ができなかった。
吉法師がその様な三位に対する違和感を抱いていた時、隼人正は吉法師の後ろに控えていた弟の孫介の方へ目をやった。その瞬間、孫介は待ってましたとばかりに声を上げた。
「兄者、お帰り」
「孫介、留守中、大事なかったか」
留守の間の出来事を孫介に訊ねる隼人正であったが、直ぐに先程会った内蔵助の態度の事を思い出し、悩ましげな表情を浮かべて孫介に言った。
「孫介、内蔵助を頼むぞ、あ奴は良く見張っとかんと駄目じゃ」
孫介はそんな兄隼人正に笑みを浮かべて言葉を返した。
「兄者、儂にあやつの自由は抑えられん、うまく成長に合せて導いて行くしか無かろう」
悪い所を強制して直すのではなく良い所の力を伸ばして悪い所を補う。孫介はそんな事を言い含めていた。
「なるほど、しかし如何なものだろうか?」
隼人正はそう言う育て方もあるかなと思った。確かにあの内蔵助は言い聞かせて素直に聞く子ではない。しかしその様にうまく成長してくれるであろうか、この先問題ばかり起こす様では思いやられる。
その時、政秀が二人の会話に割って入ってきた。
「隼人正、大丈夫じゃ、あやつもこの城であの元気を鍛錬に打ち込ませれば良い。さすれば武将としての自覚と心構えと共に、将来は若殿の良き武将になろう」
この政秀の言葉に隼人正は救われた思いがした。
「ご家老様、ありがとうございます。では、改めてよろしくお願い致します」
政秀は続けて皆に問い掛けた。
「ところで他の二人の子は知っているか?」
この政秀の問い掛けに先ず孫介が答えた。
「一人は荒古の前田殿の所の御子じゃな、もう一人は?」
「儂知ってる。酒兄の所の九右衛門だ!」
孫介に続いて吉法師が答えた。それを聞いた政秀は頷きながら言った。
「その二人もこの城に連れて来て一緒に鍛錬じゃな」
「ははは、色々と鍛える所があって大変そうじゃがのー」
孫介がそう言った後、隼人正は先程もう一人子供がいた事を思い出した。
「そう言えばもう一人子供がいなかったか?」
近くに隠れていた弥三郎がぎくっとしていた。
弥三郎は皆から見えない様に柱の陰に隠れていた。
「えーと」
「もう一人いたかな~」
「気のせいではないのか?」
弥三郎は他の三人と一緒で無かったためか先程の存在の印象が薄く、あまり皆に覚えられていなかった。
(おお良かった、自分の事は皆覚えておられぬ様じゃ)
このままでいけば御咎めを受ける事はなさそうだ、少し安堵したその時、弥三郎は不意に背後から声を掛けられた。
「弥三郎、ここで何をやっておるのじゃ」
わーっ
がらがらがらがら
弥三郎はこの声に驚き、皆が見ている前に四郎の槍柄を放り出しながら飛び出してしまった。皆は何事か、とばかりに振り返って叫んだ。
「あー、こいつじゃ」
「そうじゃ、こいつがいた」
皆が弥三郎に注目する中で、新助も皆の前に顔を出した。
「あれ、皆の衆、この様な所で何をしておられるですか?」
新助はそこに皆が集まっているのを不思議に思って訊ねた。しかし直ぐに孫介に訊き返される。
「おお、新助、そいつは?」
新助は皆の知りたい事が良く分からず、一度弥三郎の方を見て、再度訊き返した。
「え、弥三郎がどうかしたのか?」
皆の知りたいのは先ずその子の名であった。即座にその名を口にした新助に皆が思い出したかの様に納得した。
「あー、そうだ弥三郎、加藤図書殿の御子じゃないか」
「そうだ、図書の所の御子じゃ」
皆がもう一人いた悪ガキの存在が分かってすっきりとしていたが、新助の方は状況が良く分からずすっきりしない。
「何じゃ、弥三郎何かやらかしたのか?」
新助は横に立っている弥三郎に小声で訊ねた。
「そ奴はこの城をめちゃくちゃにした悪ガキの一人なのじゃ」
孫介は自分の弟を棚に上げながら、意地悪な風に言った。
「あー、確かに何か城内荒れておるな、と思っていたが、弥三郎、ぬしがやったのか?」
新助の問い掛けに対して、弥三郎は即座に反論した。
「いえ違います。私は奴らが暴れるのを静止しようとしていただけです」
(実際は逃げていただけだけど…)
その弥三郎の言葉を聞いて政秀は言った。
「弥三郎もう良い、で今日、図書は一緒ではないのか?」
「そう言えば来ていたと思うが見当たらぬのぉ」
弥三郎は四郎が女子衆に浚われた時、父が一緒に消えたという事は言えなかった。恐らく父は四郎殿と一緒に連れ去られた訳では無く、どさくさに紛れて自分から付いて行ったのであろう。その様な事はとても恥ずかしくて言えなかった。
「ああ、来ましたよ、向こうから、あれじゃないですか、四郎も一緒の様じゃ」
新助の指差した先を見ると、千秋四郎と加藤図書がよろめきながら歩いて近付いて来るのが見えた。
「あ、こ、これはご家老様お帰りなさいませ、御無事で何よりです」
皆の前に来てそう挨拶する四郎の方は髪はぼさぼさ、衣服はぼろぼろに破れ、草履の片方は無くなり無事な様子でない。後ろにいる加藤図書も同様である。
「四郎、どうしたのじゃ、その成りは?」
政秀は四郎の成りを心配し言葉をかけたが、他の者は特に四郎が怪我をしている様子は無い事に安心すると、その成りに対して野次り始めた。
「ははは、四郎、いつから落ち武者になったのじゃ」
「いやいや四郎得意の掛け持ちだろう、宮司に、武士に、えーっと究極の貧乏人か?」
「いやきっと何か変な修行であろう、さてはオヅヌにあったのだよな、四郎!」
そう言いながら皆が四郎の説明を待っていたが、四郎はどう言って良いか説明に困っていた。まさか女子衆に襲われたとは言い難かった。
「不覚でした、以降の修行の仕方を考えねばなりませぬ」
皆が未だ四郎の言葉を理解出来ない中で、弥三郎は四郎に歩み寄り声を掛けた。
「四郎殿、はい、これ」
そう言って弥三郎は四郎に槍柄を手渡した。
「おお、ありがとう弥三郎、あの襲撃から我選びし柄を守ってくれたのか?」
「襲撃?」
皆が声を揃えて言った。四郎も女子衆にやられたとは直接的に言い難い中で襲撃と言う言葉を使ったため、皆は思い思いの想像をしていた。
(悪ガキ達の事だろうか?)
(敵の間者がいたのか?)
(オヅヌだな、きっと)
しかしそれ以上、四郎からの説明は無かった。弥三郎が四郎に槍柄を手渡そうとした時、弥三郎の父である加藤図書が皆の前に出て来て言った。
「でかしたぞ弥三郎、良く四郎殿の槍柄を守った」
その時の図書の姿を見ると、四郎と同じく髪はぼさぼさで、両足共に草履を無くしている状態であったが、体の方はその様子が異なり足跡だらけになっていた。そして何よりも異なるのは、その機嫌が何故か頗る良い事であった。
(父上、やはり)
弥三郎はその父の表情で自分の推測が間違っていなかった事を確信した。どうやら図書は四郎目的の女子衆に自ら紛れ込み、もみくしゃにされる事を楽しんでいた様で、それを嫌気した女子衆に足蹴にされていたのである。
弥三郎以外でその事実に気が付く者はいなかった。同じ落ち武者の様な姿ながら、四郎と図書の様子は全く異なっていた。
皆はボロボロの落ち武者の様な姿の図書のその顔が、何か天下人の様に晴れやかである事を不思議がっていた。




