第四章 孫子の兵法(2)
那古野城の城内では至る所で槍と弓の鍛錬が行われていた。
しかし鍛錬を受けている者達は元服までまだ少し間がありそうな子供ばかりである。彼等は尾張国内の武家の子で、吉法師と共に将来良き武将になるための教育と鍛錬を受けるために集められていた。
これには人質の意味もあったが、吉法師元服の折の軍団形成の準備として、幼少の頃から吉法師と共にしながら成長する事により、将来の織田本軍としての結束力を高めようとする狙いがあった。
また城の一画では弓矢や槍を始めとして、様々な新しい武器が並べられ試用が行われていた。これらの武器開発は領内を訪れる武器商人により持ち込まれ、日頃から様々な議論を施しながら行われていた。
その中で毛利新助と一緒にいる一人の男が、数々の弓矢を前に細身の体付きをした商人の男に注文を付けていた。
「この弦はもう少し太い関弦に変えて張りを強くしてくれ、鏃は少し細めの剣尻で羽は三つ立てが良い、遠射の時には放つ時にぶれるから重心には気を付けてな、それから向こうの接射用の弦はあのままで良いが重籐の巻は一つ上から下にして作り込んでくれ、連射が利く様に箆は信州知久の物にして筈は牛、やや浅目が良い」
新助は一緒にその男の注文を聞いていたが、あまりの細かさにその商人が困り果てているのを見て気の毒に思っていた。
「又兵衛は武具の質にこだわるね、商人の者が困ってますよ」
中野又兵衛、先の小豆坂の戦いで孫介と同様に七本槍に選任された若武者で、尾張織田軍でも弓三張に入る腕の持ち主であり、孫介や新助、与兵衛とは同年代の盟友であった。
又兵衛は新助の言葉に対しフッと鼻で笑って言った。
「新助、ぬしは甘い、我ら武士は命を懸けて武功を上げる事を求められるのじゃぞ、普段の準備は極めて重要、妥協は禁物じゃ」
その又兵衛の戦に対する心構えは確かであった。戦は時の運もあり、次の瞬間に何が起きるか分からない。その様な中で最終的に自分が頼るべき物は自身が手にする武器である。その武器においてどんな事態が起きても対応できる様な準備が出来ていれば心強いし、逆に不備があれば心許無い。そのため常日頃から最善の準備をしておく事が大切であった。
「なるほど、良い事を言う、さすがは又兵衛、七本槍の男です」
新助は感心しながら又兵衛の武具に関するやり取りの様子を見続けた。又兵衛は再び真剣な面持ちで新しい材料、形、そして機能を持った弓矢の見立てをしている。その様子には明日にも戦に臨む様な緊張感があった。
「弓ももっと大きな改良の余地があると思うのだが?」
弓と言う武具の特質とその限界を知り尽くす又兵衛ならではの悩みであった。その又兵衛の言葉に横にいた商人が提案を掛けた。
「中野様、それではこの手弩など如何ですか?」
そう言ってその商人は引き金の付いた弓を見せた。
「ほぉ、これはどうやって使うのじゃ?」
又兵衛は初めて見る複雑な形をした矢を放つ武具に興味を抱いた。
「この弩と言う物は弦をこの留め金に掛け、矢をここに乗せた後、この下の引き金を引いて放ちます」
そう言うと商人の者は手に取った手弩に矢を込め、庭園の奥に向けてその引き金を引いた。
ビッシュー
その途端、通常の弓ではあり得ない発射音と共に矢が飛んで行き、庭園の奥の柵木に突き刺さった。
「おぉー」
又兵衛と新助は驚きの声を上げた。
これまでに見た事の無い矢の発射音と速度、そして飛距離と威力であった。しかし次のその商人の姿は又兵衛にとってまた驚きであった。
「ぬ、ぬしは何をしておるのじゃ」
「いえ、次の矢を射ち込むための弦の準備を、」
そう言って商人はその場にしゃがみ込むと、両手両足を使って懸命に弦を押し込み留め金に引っ掛けようとした。
「ふぬー!」
渾身の力を掛けるその商人の作業の体勢があまりにも無防備な上に時間が掛かるの見て、又兵衛はボソッと呟いた。
「駄目じゃ、こりゃ」
又兵衛は即時に採用不可の意向を示した。
又兵衛は若武者ながら戦での弓衆の役割を良く知っていた。その一つは攻撃を仕掛けてくる敵を距離のある所から、矢継ぎ早にたくさんの矢を打ち込みその勢いを削ぐ事、そしてもう一つは足場の悪い木の上や塀の上から距離のある所にいる有力な敵に正確に討ち掛ける事である。
早く、たくさんの、足場の悪い、正確に、これらの言葉が商人の提案するこの手弩の弓としての価値を否定していた。
しかしこの手弩の威力を目の当たりにしておきながら、簡単にその価値を否定する又兵衛に、新助は疑問を抱いて言った。
「又兵衛、諦めや妥協は禁物では無かったのですか?」
先の自分の言葉を引用した新助の追求に、又兵衛は一瞬まずいと言う顔をしたが、直ぐに毅然とした面持ちに切り替えて言い返した。
「武士たる者、時には早々に諦めるのも肝心じゃ」
自信満々の顔つきであったが、少し話に無理が生じて来ている。
「何か、先程の話とは逆ですね、七本槍のすごい所と言うのはそう言う所なのですか?」
新助の追求は鋭い。又兵衛は少し躊躇いながらも、自信の顔付きはそのままで、少しその説明を変えた。
「その通りじゃ、新助、それらはある意味矛盾する所、だがそれを使いこなす所に勝負の真髄があるのじゃ」
言い得て妙な又兵衛の説明、新助は一瞬その説明を真に受けて、なるほどと思ったが、いやいやと思い直しながら又兵衛の顔を伺った時、その又兵衛の言う真髄とやらを悟った気がした。
「要するにはったりでしょ?」
この新助の言葉に、又兵衛は真髄の話の真髄をを見抜かれ、まいったと言う苦笑いの表情を浮かべて言った。
「ふっ、ま、そう言う事じゃ、戦は駆け引き、時にははったりが大きくその勝敗に対して物を言う、性根が優しく素直なぬしには難しいのぉ」
「難しすぎます」
「はっはっは」
二人は互いに笑い合った。
「ふぬー!」
二人の横では商人の男が未だ硬い弦を押し込んでいた。何とかこれを売り付けたいと言う思いが彼に普段使うことの無い力を出させていた。
「この者、体はひ弱じゃが何とも逞しい商魂じゃ」
又兵衛の言葉にまた二人は笑い合った。その様な所、吉法師が他の皆と共に馬上射ちの試射に使っていた馬を引きながら戻って来た。
「楽しそうじゃな、新助、又兵衛」
又兵衛は吉法師の呼び掛けに振り向くと、笑うのを止めて言った。
「吉法師様、如何でしたか、馬上射ちは?」
「駄目じゃ又兵衛、馬上からでは狙いが定まらぬ、早射ちも出来ぬ」
横に付いていた孫介は当り前じゃろと思いながら頷いていた。勝三郎も試射の結果を思い起こして頷いた。与兵衛は二人につられて頷いた。
しかし又兵衛は得意技とも思える自信に満ちた面持ちで、諦め顔の吉法師に向かって一喝する様に言った。
「吉法師様、未だ馬上射ちは始めたばかり、諦めや妥協はなりませぬぞ」
本当の所では又兵衛もこの馬上射ちが難しい事は分かっている。しかし他に弓の戦法を発展させる手立てが浮かばない状況の中では、色々な手法を試してみる他は無く、その取り組みを城主である吉法師自ら率先して行ってもらいたいがために敢えて強い口調で言っていた。その又兵衛の言葉を横で聞いていた新助は後退りする様に一歩引きながら呟いた。
「中野又兵衛、この人のはったりの真髄は読めないな」
新助は諦めと言う言葉を禁物と肝心に使い分ける又兵衛に敬服感すら抱く思いがしていた。
吉法師が又兵衛の意見に対して逆に問い掛ける。
「では又兵衛どうすれば良いのか教えてくれ、どうすればうまく馬上射ちがうまく戦法として使える様になるのか」
この吉法師の言葉に皆の視線が又兵衛に集まった。
「ほら、どうするのじゃ、又、答えてみぃ」
「無理ですよ、どうやっても、変な方向にしかいきませんよ」
「……」
「はったりもここまでの様ですね、ほらあれ、早々に諦めが肝心とか言うのが良いのでは無いですか」
皆が吉法師の問い掛けに対する良い案があるとは思えなかった。そしてやはり又兵衛も明快な言葉は浮かんでいなかった。先程まで自信に満ちた顔から困惑の表情が滲み出て来ている。
その時であった。手弩の弦を引くのを諦めた商人の男が吉法師の前に歩み出て来て言った。
「吉法師様、でしたらこの様な騎馬は如何でしょうか?」
その商人の声に皆は一斉に振り向き、一斉にギョッとなった。
そこにはいつの間にか弓を固定する馬具により弓が装着された吉法師の馬がいた。
「何じゃ、こりゃー!」
皆が目を丸くしながら心の中で叫んでいた。
商人の者はこの馬具について、商魂込めて意気揚々と紹介し始めた。
「最強の馬ですよ、これは、この馬具を使って弓を固定する事により、馬上からの弓射ちの安定感は格段に上がります」
皆がそれぞれの感想を持って、商人の者の話を聞いていた。
「うわ、何か変なの出てきたー」
「か、かっこ悪ぅ、こんなの誰が使うか」
「……」
「戦で皆に爆笑されそう」
「うわ、駄目じゃ、これじゃ馬も弓もその良さが死んでしまう」
さすがの又兵衛もこの奇抜な馬での弓射ちは受け入れ難かった。しかし吉法師の反応は皆と逆であった。
「うぉー、格好良い、今までこの様な騎馬は見た事ない、これは最強の騎馬じゃー」
「でしょ、でしょ、吉法師さま、ほらこれ、こうすれば弓じゃなくて馬印も立てられるのですよ、でこうすれば槍とかも付けられますよ」
「おぉー、すっげー」
吉法師は馬に駆け寄り、夢中になって商人の説明を聞いていた。
この吉法師の様子を見て、又兵衛は思った。
「しめた、もういいや、この場の話はこれでまとめてしまおう」
又兵衛は吉法師の馬上射ちの問い掛けに対する良い案が思い浮かばない以上、取り敢えず何も無いよりはこれを推しておく事の方が賢明と考えていた。
「い、いいですよねー、これ、吉法師さま、こんな案もあるので、色々と試されるのが良いですよね」
「そうじゃのぉ、又兵衛」
その言葉を聞いて更に商人の者は調子に乗って話を続けた。
「吉法師さま、さらにさらに、この馬具、前に二張り、後ろに二張り、全部で四張りの弓が装着可能です。これであれば四方向へ同時に射ち込みが可能になりますよ」
そう言いながら商人の者は吉法師の馬に更に馬具と弓を取り付けていった。何か取り付けた弓がちゃらちゃらしていて、神事の様な妙な飾り付けをされた馬に仕上がって行く。
「おぉー、すっげー!」
重装備になっていく騎馬に皆が引いて行く中、吉法師には大好評であった。しかし又兵衛には商人の者が商魂全開でその妙な馬具を売り付け様としているとしか思えなかった。
「もうええ加減にせぇ、こ奴は戦を何と思うておるのじゃ、派手な物見せの場と思うておるのではないか」
しかし又兵衛は吉法師と目が合った時、自分と同様にこの騎馬を肯定する意見を求めている事を感じた。
「良いですね~、何とも強そうじゃぁ~、」
うわ~、何を言っておるのだ~、儂は~、この時の又兵衛は心中、本音と建前による葛藤の勝負が行われていて、いつもの自信に満ちた面持ちは酷く引きつっていた。
「だよのぉー」
吉法師は自分の見立てと又兵衛の見立てが一致した事に満足した笑顔を浮かべていた。
この吉法師の笑顔を見ていた新助は思った。
「うーむ、何とかなってしまった、又兵衛のはったり、本当にすごいな」
途中、説明不能な状況に陥りながらも最終的には又兵衛のはったりが押し通った状態となっている。新助の又兵衛への敬服感は畏敬へと変わっていた。
その時、孫介と勝三郎は冷ややかな様子で成り行きを見ていた。
「良いのでしょうか、あれは?」
勝三郎はその疑問を即座に隣にいた孫介に訊ねた。
「良い訳なかろう」
「そうじゃよなー」
「また変な事に付き合わされるぞ、きっと」
「えぇ!」
孫介がそう予見した直後であった。
「勝三郎!」
勝三郎は四張りの弓で飾り付け、ではなく武装された騎馬に跨いだ吉法師に大きな声で呼ばれた。
勝三郎が急いで近くに寄ると、吉法師は笑みを浮かべながら指示を出した。
「勝三郎来い、この馬でもう一度馬上射ちの試射をしてみる」
吉法師の指示に勝三郎は今日はまだ続くのかと酷く動揺していた。
「場所はもっと広い方が良いから、稲生の先の河原に行く」
(えぇー、城の外でやるのぉー)
「もう一騎分今準備できるそうじゃから、ぬしもそれに乗って参れ」
(えぇー、儂もそれで行くのぉー)
「では、儂は表門で待つ」
「は、はいっ、早速準備して参ります」(いやじゃー、みっともないぃ、)
吉法師は勝三郎のその応えを待つ事も無く、四張りの弓と大きな矢筒を取り付けた乗り難そうな騎馬を、いとも簡単に乗りまわしながら城の表門の方へと走り去って行った。
ちーん
残された場に何かの音が鳴り響いた気がした。
孫介、新助、与兵衛、又兵衛の同年組四人が勝三郎の周りに集まって来た。
「ま、まぁ、勝三郎、何事も修行だから」
又兵衛の言葉に孫介が言う。
「だいたい又兵衛、ぬしがあれを肯定するからこういう目になるのではないか!」
又兵衛は少し押し黙った後、皆に一本の矢を見せて言った。
「これは駄目な矢じゃ」
見るとその矢は一方の矢羽が幾つか抜け落ちていて、その長さが上下で違っている。しかし皆その話の意味が分からない。
「しかしこれを使うと!」
そう言って又兵衛はその矢を持っていた弓に当て、園庭の奥の植木に向かって放ったが、その矢筋はその植木の方向から左に大きくずれている。
(何じゃ、外れか?)
皆がそう思った時、矢は大きく右に弧を描き、その植木の奥に消えると同時にビシッと言う何かに命中する音が聞こえ、次の瞬間、その右側から矢が刺さった柿が一つ転がり出てきた。
「こんな事が出来る」
又兵衛は平然とこの芸当が偶然ではなく、駄目な矢を使って狙ったものである事を示した。
「おぉー、すごい」
「あれは、まさか」
「本当に狙ってであろう」
「手前の木に隠れた奥の柿を射ち落したのか」
「そ、そんな事が」
皆がこの妙技に舌を巻いていたその時を狙って又兵衛は勝三郎に言った。
「いいか勝三郎、一見真直ぐに飛ばぬ駄目な矢でもこの様な事ができる。あれについても同じでとにかく直ぐに諦めるのではなく、色々と活用を考えるのじゃ、いいな」
「お、おぅ」
勝三郎は妙技を見せつけられた後、あの弓の飾り付け、いや武装を施した馬にも有意な活用があるのでは、と少し考えを変えていた。何か少し前向きに考えられる様になり、僅かながら笑顔が作れる様になっていた。
新助はまた又兵衛を見ながら畏敬の念を深めていた。
(この人のはったりは弓の腕と共にもう神業の領域だ)
又兵衛もあの馬を戦で使いこなすは無理があると思っているはず、しかしそう思いつつもはったりとその弓の腕で、その無理な道理を通してしまう又兵衛をもはや神の所業と思わずにはいられなかった。
(自分も少しはったりがかませる様になってみようか)
新助は、時にははったりが重要になる様に思えた。
「しかし、未だに信じられぬ、あれなら隠れた敵将を横から討ち抜けると言う事であろう」
「まぁ、そうであるが、実戦ではそう言う事はあまり無く、実はそれほど役に立つ物でも無い」
皆が矢に射抜かれた柿を前に、又兵衛の妙技に対しての話で盛り上がっていた。そんな時に商人の者が新たな馬の飾り付け、いや武装を終えて勝三郎の所に馬を連れてやって来た。
「勝三郎さん、準備出来ましたよぉ」
弓四張と矢筒を乗せた、やはり神事か珍事か分からぬ格好の騎馬に仕上がっている。
(うわー、これで行くのか)
皆が勝三郎を気の毒に思ったが、それを顔に出さない様に気を使っていた。
「よし、がんばれ勝三郎、ぬしならできる。」(やっぱり駄目じゃな、これは)
「うむ、おぬししかおらぬのじゃ、がんばれ、」(儂じゃなくて良かったー)
「吉法師さま共々、無理せようにな、」(吉法師さまに無理させぬようにな)
「がんば、」(がんばれ)
四人は勝三郎への気遣いの言葉をかけつつ、その内心の思いはバラバラであった。
「えっ、ええ、行って参ります。」(行きたくねー、損な役回りじゃー)
勝三郎は平静を装いながら馬に跨ると吉法師の待つ表門へと馬を走らせた。
「うわー、うまく操れぬー!」
ばさばさと飾り付け、いや武装した弓や矢筒がはためき変な動きになる馬を、勝三郎は賢明に操りながら走り去って行った。
(勝三郎、無事を祈る!)
この瞬間の勝三郎を見送る四人の思いは一緒であった。




