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天下の再構築 ~信長幼将戦記~   作者: 飛里信成


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第四章 孫子の兵法(1)

 晴れ渡る秋の昼下がり、尾張那古野城の本丸御殿ではいつもの様に庭師達が黙々と園庭手入れを行っていた。


 その御殿の一室では十数名の祐筆達がそれぞれ筆を取り、ある者は城の財務の計算を、またある者は城内物資の発給書を認めていた。


 皆が黙々と勤しむ中で、この部屋の奥では執務を統轄している家老の林秀貞が、若い祐筆の男を前にして怒鳴っていた。


「梅阿弥!何じゃこの計算書は、間違っておるではないかー!」

「は、はい、申し訳ありません、確認致します」

「まったくもう」


 梅阿弥と呼ばれた若い祐筆は秀貞の剣幕に恐れを成しながら、秀貞より書を受け取り、そそくさと自分の座に戻って行った。その様子を見ながら秀貞は不快な表情を浮かべたまま部屋の皆に向かって声を荒げた。


「皆の者も気を抜かずに書を認めよ、気を抜くと間違うからな!」


 部屋の祐筆達は皆いつも細かな間違いを秀貞に指摘されては厳しく叱責され、苦々しく思いながら黙々と書を認めていた。


 その様な張り詰めた空気の中であった。


バシッ


 突如部屋の障子が破れる音がしたかと思うと、一本の矢が秀貞の目の前を掠めて反対側の壁に突き刺さった。


 突き刺さった矢がビーンと音を立てて揺れている。


「ひ、ひぃ~」


 秀貞は突然の思いがけぬ事に腰を抜かし、その場にしゃがみ込んでしまった。戦乱の世で突如矢が飛び込んで来れば、それは謀反か、敵襲か、いずれにせよ只事ではない。しかし部屋の他の祐筆達は特に動揺する事もなく黙々と書を認めていた。


 するとそこへドタドタと一人の少年が徐に障子を開けて入って来た。


「まったくもうこんな方に矢が飛んで行くなんて!」


 それは勝三郎であった。


 勝三郎は筆務に勤しむ祐筆達には目もくれず、真直ぐに壁に刺さった矢の所に行き、それを引き抜いて戻ろうとした時、その近くでしゃがみ込んでいる秀貞が目に入った。


「あれ、ご家老様、どうなされたんです。こんな所にしゃがみ込んで?」


 秀貞は腰を抜かして立てずにいたのだが、常日頃から若輩者扱いをしている祐筆達の前で無様な格好を曝け出す事ができず、何とか強い態度でごまかしていた。


「勝三郎 お前の仕業か、どこに矢を射ち込んでいるんじゃ!」


 秀貞は勝三郎に強い口調で不快感をぶつけたが、最近では勝三郎も怒られる事には慣れっこになっている。


「吉法師様の特別訓練にてご容赦!」


 平然とそう言うと、またドタドタと駆け足で部屋を出て行った。


 その後部屋の祐筆達は書を認めながら、横目で秀貞の様子を窺っていた。


 秀貞の様子は腰を抜かして動けない状態である事が誰の目にも一目瞭然であったが、秀貞は必死にそれを隠し、立たない腰で必死に立ち上がろうとしている。


 祐筆達は秀貞がこの後どうするのか気になっていた。


「お、立てるか、立てるか、あー、まただめー」

「よたよたじゃー、どうするのかのぉ、ご家老おもしろ」

「このじじぃ、生まれての小鹿か、可愛くねーけど」


 秀貞のその様子は何とも滑稽であった。


「ぷっ」

「くくくっ」


 祐筆達は皆徐々に吹き出しそうになる所を必死に堪えていたが、ついに祐筆の一人が我慢出来なくなり、日頃の叱責に対する皮肉も込めて言葉が出てしまった。


「ご家老様、先程我等に気を抜くなと申されましたけど、腰を抜かすのは良いのでしょうか?」


 この祐筆の言葉に部屋中でドッと笑いが起きた。秀貞は壁に手を付き何とか立ち上がった所で、皆の方へ振り向き言った。


「やかましいわ!」


 那古野城一番家老林秀貞、腰は立たずとも口は元気であった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 御殿の奥の庭では吉法師が馬上で弓矢を持ち、色々な矢を放つ体勢を試していた。そして少し良さげな形があると実際に馬を走らせ、的に向かって矢を放ってみるが、その矢は何れも的を大きく外れてどこか見当違いの方向へ飛んで行く。


 どうやらその矢の向かった先の一つが先程の秀貞の部屋であった様であった。矢を取りに行っていた勝三郎が戻って来ると、そこには呆れた顔をして吉法師を見ている孫介と与兵衛の姿あり、その二人の横には那古野城三番家老で武術指南の青山与三右衛門がいた。


 孫介と青山が勝三郎に声を掛けた。


「おう、勝三郎ご苦労じゃったのぉ」

「大丈夫であったか、ご家老は?」


 青山は吉法師の放った矢の一本が秀貞の執務の部屋に飛び込んで行った矢を気にしていた。秀貞に怪我でもされたらと、気を病んでいた青山に対し勝三郎は余裕の笑顔で応えた。


「ええ、大丈夫、至って元気でしたよ」

「そうか、大事なくて良かった」


 安堵する青山に横にいる孫介と与兵衛が呆れた表情で問い掛けた。


「青山さま、どうかのう吉法師様のあれ、流鏑馬ですよね?」

「また射ち込むかのぉ、吉法師さま」

「そうしたら今度は刺さるかも知れませんね、林さまに」


 冗談を交えて述べる勝三郎に孫介が笑みを浮かべる。


「勝三郎、お前実は楽しんでいるな、ふふふ、実は儂もじゃ」


 三人の会話を聞いて青山は不安になっていった。これ以上吉法師にあの様な馬からの矢射ちをさせておいてはいけない、そう思いながら青山は首を激しく横に振りながら言った。


「やはりあれはもう古い戦い方だな、今の戦では役に立ちそうもない」

「やはりそうですか」

「じゃあ、早々に止めさせますか」


 孫介はそう言うと、馬上の吉法師に向かって叫んだ。


「吉法師さまー、その流鏑馬は今やもう曲芸で戦の役に立たないってー!」


 孫介は吉法師が真剣に試している馬上からの矢射ちを、少し揶揄して曲芸と言う言葉に例えた。


 青山は孫介にさも自分が言ったかの様に言われ、少し怪訝な表情をしていたが、吉法師は直ぐに反応を示す事はなかった。


 孫介は吉法師のいる所まで少し距離があったため、自分の声は吉法師に届かなかったのだろうと思った次の瞬間、吉法師を乗せた馬がこちらを振り向き、怒り狂った様に猛然と突進してきた。


 よく見ると吉法師の両手は弓矢を構えたままで、手綱を握っていない。皆は不安な表情に変わった。


「おいおい、吉法師様はどうやって馬を止めるんだ」


 手綱が握られていない吉法師の馬が、勢いを緩める事も無く突っ込んでくる。もしかして止まれずにこのままぶつかって来るのではないか、と言う危険を皆が感じ始めていた。


「うお、危なーい!」


 そして馬がぶつかりそうになった時、突如馬は前脚を大きく振り上げて急停止した。


「あ、危なかった」


 皆が安堵しながら吉法師の手を見ると、相変わらず弓矢が構えられている。


(え、どうやって止めたの?)


 皆が不思議に思いながら馬上の吉法師を見上げると、吉法師はその手綱を口に咥えていた。どうやらこれで馬を操っていたらしい。吉法師の両手に握られた弓矢は孫介を威嚇していた。身構える孫介に対し、吉法師はその姿のまま孫介に怒鳴って呼んだ。


「ほんふけー(孫介ー)」


 しかし手綱を咥えたままではしっかりとした言葉にならないのが分かると、吉法師はプッと手綱を吹き捨て言葉を続けた。


「孫介ー、曲芸とはなんじゃ、新しい戦法じゃぞ」


 その吉法師の姿を見て皆は改めて曲芸だと思い、呆れた様子を見せていたが、吉法師は到って真剣である。


「孫介いいか、他の敵と同じ様にしていては戦で圧倒的な勝ちを得る事はあり得ぬ、それは先の模擬戦で分かったであろう。馬の機動力と弓矢の攻撃力を合わせれば、また新しい戦法になるかも知れぬ」


「いや、でも吉法師様、それって流鏑馬ですよね、戦法として逆にもう古いのでは無いかと」


 与兵衛や勝三郎もその孫介の言葉にうんうんと頷いている。


 流鏑馬は鎌倉期の武士が用いた戦法であるが、足軽兵を主体とする集団戦においては通用するものでは無く、既にこの時には戦法としては廃れていた。


「いや、だから儂は流鏑馬隊を組織し、今に合わせた新しい集団の戦いとして出来ないかと思って試しているのじゃ」


 皆はその言葉に、頭の中で戦場に並ぶその部隊を想像した。馬上で両手に弓矢を持った武士団が整然と並んでいるが、その武士団は皆手綱を口に咥えている。


「きょ、曲芸集団じゃ……」


 皆が一筋の冷や汗をかきながらそう思った。吉法師は自分で試して最終的にうまくいくと思ったら、次は自分等にやらせるであろう。しかしその様な馬捌きは吉法師にしかできないであろうし、何よりそんな戦法で敵陣に切り込んで討死したら格好が悪い。三人は共に困り果てていた。


 その様子を窺っていた家老の青山は孫介達の思いを察しながら吉法師に言った。


「吉法師殿」

「何じゃ」


 その呼び掛けに吉法師はようやく孫介に向けて引いていた弓を収めて、青山の方を振り返った。


「吉法師殿、先ず手綱は馬の口に当てるものですから、馬上の武士が一緒に咥えて馬と引っ張りっこしている姿は妙ですぞ」


 この青山の忠言に横にいた勝三郎はその姿を想像して可笑しくて思わずプッと吹いてしまった。しかし吉法師に睨まれると、勝三郎は慌ててその視線を避ける様に素知らぬ顔をしている。吉法師は憮然とした様子で青山に言った。


「しかし弓を射るには二本の腕が必要で、人の腕は二本しか無いのであるから仕方なかろう」

「吉法師殿」

「何じゃ」


 青山は再度、吉法師に歩み寄って言った。


「吉法師殿、弓術で大事な事ですが、」


 吉法師は弓術で大事な事と聞き、それは新しい戦法を考える上で、改めてしっかり把握していく必要があると思った。


「うむ、何じゃ?」


 青山はその吉法師の様子を見て、吉法師の聞く耳が整ったと思い言葉を続けた。


「弓術も昔から少々その性能や戦法は少し変わって来ていると思いますが、基本としては変わらず、大事なのは射的の正確性、射程距離、連射性、そして破壊力です」


 その青山の言葉を実践するかの様に、堀を隔てた城外の曲輪では何人かの若い武家の子達が、連続射的の訓練をしているのが見えた。一斉に放たれた矢は目標の的に向かって絶え間なく放たれており、馬を持ってしてもそこを突破できる隙は見られない。


 吉法師は考えた。


 弓術で大事な四つの事、吉法師は馬上からの射的を想像してみたが、馬上からでは足場が悪く、この四つは何れも不利である。そう思い到った途端、吉法師はやる気が失せたのか、手に持っていた弓と矢を馬上から放り落とした。


「うーん、いい戦法だと思ったんだけどなー」


 青山は残念がる吉法師に言った。


「しかしながら吉法師殿、敵に勝つために今の戦いの手法に満足せず、色々と新しい事を考える事は良い事ですぞ」


 この青山の言葉に吉法師は軽く頷いていた。


 孫介達は曲芸集団になる事を回避できた事にほっと胸を撫で下ろし、青山も変な所に矢を射ち込む心配が無くなった事に胸を撫で下ろしていた。


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