第三章 あえの風(9)
吉法師と吉乃は賑やかな祭りの中心を離れ、湊に掛かる橋の上から目の前に広がる光景を眺めていた。
湊の水面は祭りの灯火が反射してキラキラと輝いており、その上を傘型の灯火で飾られた五艘の巻藁船がゆっくりと回遊している。その巻藁船には時折やや強い南風が吹き付けられており、無数の小さな灯りを夜の天へと導かせていた。
二人はその幻想的な光景の中にいた。
「吉法師さま」
その声に振り向いて見る吉乃の笑顔は湊の灯りに照らされ、昼間とはまた違った表情に見える。
「吉法師さま、先ほどの仮装踊りで吉乃は吉法師さまに気が付きましたけど、もし気が付かなかったら如何されていたのですか?」
多くの人が仮面を被って集う仮装踊りの場、実際には自分が気が付かずに通り過ぎる可能性の方が高かったのではないか、吉乃はそう疑問に思った。
その吉乃の問い掛けに吉法師はフッと笑顔を見せた後、強気の表情で答えた。
「いや、吉乃は絶対気が付いたさ」
この言葉に吉乃は何故、という様な不思議な表情をした。
通り掛かった踊りの場に吉乃は絶対に興味を示す。その中で白拍子の衣装と吉乃が教えてくれた舞の型を見せれば、顔は出さずともきっと気が付いてくれると確信を持っていた。
「昼間は稽古場で儂が吉乃の舞を見て足を止めたのだ、今度は吉乃が足を止める番だろうと思ってな」
それを聞いて吉乃はまた笑顔に戻った。
「ふふふ、妙なご理屈ですわ」
「ははは」
仮装踊りの場にはたくさんの民衆がいたが、顔を見せず尾張の城主、織田弾正忠家嫡男の白拍子姿に気が付く可能性があったのは吉乃だけだったのである。
「でも白拍子の衣装、お似合いでしたわよ」
「えっ、そ、そうか」
吉法師はその白拍子の姿が武士らしさ、逞しさとは逆の方向で、良い意味として受け取って良いのか複雑な所であったが、吉乃に会うと言う目的が叶ったという事には満足している。
「そうだな、あの衣装は…」
そう言いながら吉法師は自分と吉乃の衣装を見比べた時、先の小六の言葉を思い起こした。
吉法師は昼間それまで見た事の無い様な奇抜な格好をした小六に、逆に自分の格好が古く、いつの時代の人間だと言われていた。小六の言い分では自分の格好は民衆の中の最新の流行であると言う。目の前の吉乃の衣装もきっと女子の中で流行なのであろう、繊細な絵柄の中に可愛らしさが表現された振袖を纏っていた。
吉法師は思った。小六も吉乃も商家の者ゆえ常に新しい流行、新しい情報の中で生きている。時代が進むと共にその環境は変わり人の意識や価値観も変わっていく。それを城の中に籠り、古来からのしきたりを重んじながら知り得る事は難しい。それは吉法師にとってまた一つの悩ましげな課題に思えた。吉法師はこの二人に出会って話をする事で、また何か今後に活かせる重要な事を知り得た様な気がする。
吉法師は真剣な顔をして吉乃に訊ねた。
「なぁ、吉乃」
「は、はい、なんでしょう」
衣装の話の最中で、突然真顔になり自分を呼び捨てにして呼ぶ吉法師に、吉乃は舞の稽古場で師匠の松井友閑に那古野の城に来る事を懇願していた姿を思い起こした。その時の状況に似ている。もしかしたら自分も那古野に呼ばれるのだろうか、そう思い緊張感を募らせた吉乃であったが、吉法師は吉乃とは異なることを考えていた。
「他から見て儂のこの格好は変かのぉ?」
吉乃はこれを聞いてカクッとした。そして自身の拍子抜けした動揺を見透かされない様にしながら答えた。
「へ、変だとは思いますけど、お武家さんは皆そういう格好ですわ」
「うーむ、やはりこれは時代遅れの格好かぁ」
吉法師は自分の衣装を見渡しながら考えていた。そんな悩み顔を見せる吉法師を見て、吉乃は舞稽古に面白い友達がいる事を思い出した。
「ふふ、吉法師さま、私は人の格好と言うのは何か目的とか目標とかに合せるものと思いますわ」
「えっ、と言うと?」
その言葉の意味が良く分からず不思議そうな顔をする吉法師に、吉乃はまた笑顔を見せながら話を続ける。
「実は舞の稽古場に巫女の娘がいるのですけど、その娘、ご信者を集めるのに受けが良いとか言って、普段から巫女さんらしからぬ優美さと言うか、もう奇抜な衣装を纏っているのです。目的のために常識に捕われず最適な行動の選択をしていると言う事かなと思うのですけど、それは商いでも通用する事だなと思って、そこは私も見習っているのですよ」
「あぁ、それで商いに白拍子の舞を取り入れてみようと?」
「はい」
「へぇー、その優美?、奇抜?な巫女の娘、儂も会ってみたいのぉ」
「ふふふ、きっと驚かれますわ、ぱっと見は単なる変わり者ですから」
吉法師はその巫女の姿を想像して笑顔を見せていたが、そこに民衆が集まり絶大な支持があるのかと思うとまた少し真剣な顔付きに戻っていった。
「いや、もしかしたら吉乃、儂ら武家にも参考になるやも知れぬな」
「えぇ、そう思いますわ吉法師さま、人の衣装もその目的や目標に伴う行動の一部と考えれば良いもの、私の白拍子も吉法師さまの白拍子もそれに沿うものですわ」
自分の白拍子の格好も吉乃に自分を気付かせるが目的、吉法師は確かにそうだと思った。
「そうじゃ、吉乃の言う通りじゃ、であれば大事なのはその目的や目標と言う事になるな」
「はい」
湊から近付いて来る一艘の巻藁船が吉乃の顔を照らしている。そして船から火の粉を巻き上げた南風が自分たちの場をさーっと通り過ぎ、吉乃の髪をなびかせる。この感じは何だろうか、風を受けながらそう思った時、再び吉乃が訊ねてきた。
「吉法師さまの覚悟の舞にも何か目標などがお有りなのですか?」
「覚悟の舞の目標?」
「ええ、吉法師さまはこれからお家を継がれる中で、さぞ大きな目的に対しての舞なのかなぁって」
覚悟の舞の目標、吉法師は近付いて来るまきわら船を見ながら考え込んだ。
覚悟の舞とする敦盛を習いたいと思ったのは織田弾正忠家を継ぎ立派な尾張の領主になる事に対する決意である。しかし尾張の領主になる目的や、なった後の目標は何かと問われると語るに至らない。悩ましげな顔をしていた吉法師を見て吉乃はまたくすっと笑いながら言った。
「吉法師さまは良くお悩みになられますわ」
笑顔で話し掛けてくる吉乃の顔を見ると、どんな悩みも薄れて行く様に思う。吉法師はふっと笑顔を見せると穏やかに自分の思いを吉乃に話し始めた。
「覚悟の舞も悩んだ末の一つの結論じゃ、それが基でこうして吉乃にも出会えたのじゃ、悩むというのも満更悪い物でもない、しかしこの戦国の世の悩みは深刻じゃ、天下そのものが如何に落ち着くべきか悩んでおる様じゃ、その様な悩みを正すには圧倒的な力が必要じゃ、天下を従わせる事ができる程の大きな力じゃ、そうすると最終的な目標となるのは自ずと決まる」
吉法師の話を聞いていた吉乃が一言呟く。
「天下統一」
吉乃は真剣な面持ちで吉法師が最後に言うべき言葉を代弁した。天下統一、吉法師は何とも重たい言葉だと思ったが、逆にその言葉を吉乃に言ってもらった事で、何か落ち着いてその目標となる言葉を受け入れられる気がした。
「そう、叔父の信光も男が一生をかけるならその位の大きな目標を打ち立てよと言う。しかしその様な大きな目標を立てても、その方法も方針も成り立たぬ以上は言葉に出す事自体に意味が無い。単なる大ぼら吹きと変わらぬ、とにかく成り立たぬ以上はどうしたら成り立たせられるか、先ずはそのための情報を得るしかないと思う」
「そうですか、だから吉法師さまは衣装のこと一つ、新しいものにこだわりになるのですね」
「あぁ、その通りじゃ、商家の者は儂ら武家の者より世の変化に敏感じゃ、それは儂ら武家が古来からのしきたりを重んじる所を、商家の者は最新の情報を持って利の追及を行っている所にあるからと思う。もしかしたら吉乃の言う通り目的を優先して、これまでの常識やしきたりに捕らわれず、最新の情報を以て行動すれば、武家の世もそしてこの世も何か大きく変えられる様な気がするのじゃ」
「お武家さんが商家の様にですか?」
「ああ、そうじゃ」
吉乃はこの吉法師の言葉を聞いて考え込んだ。
「吉法師さまは不思議な考え方をしますわ、お武家さんが商家の様にとは・・・、あ!」
吉法師の顔を見ながら考えていた吉乃は、その時一つの考えを浮かばせると少し声を高めて言った。
「吉法師さま、吉法師のやるべき事は天下の統一では無いかも知れませんわ」
「えっ、吉乃、どう言う事じゃ」
驚きの表情を見せる吉法師に吉乃は笑顔を浮かべた。
「吉法師さまの言う通り、商家の者は利を稼ぐ事をします。でもその方法において単に物を仕入れて売りさばくだけでは、当り外れの賭けみたいになってしまって、商家として長続き致しません、そこはお武家さんの政務に似ている気が致します」
吉法師は黙って頷きながら聞いている。
「そこで良き商家の者は先ずその環境や世の状態に対する情報をまとめて、利を上げる仕組みを築く事を致しますわ、一度築かれたその仕組みは長きに渡って利を生み出し、例え当主が代わっても商家は安定して成長致します」
吉法師は黙って頷きながら聞いている。
「初代の室町の大将軍さまはもう二百年以上も前に幕府をお開きになられましたが、その後一向に世の乱れは治まりませぬ。それはその天下の仕組みが世にあっておらぬからでありましょう」
吉法師は黙って頷きながら聞いている。
「もし吉法師さまが大きな力を得て戦に勝ち続け、天下を治められたとしても、その統治の仕組みに変わりが無ければ、やはり長くは続かず直ぐに世は乱れるでしょう、つまりは天下統一は本当の目標にはなり得ないと言う事かと思います」
「吉乃、では本当の目標となるのは何であろう?」
吉法師は天下統一では無く仕組みが大事とする吉乃にその考えの結論となる所を求めた。この様な話をここで吉乃とする事になるとは思っても見なかったが、この話の結果は自身の生涯の方針ともすべき非常に重要なものになる様に思った。
「吉法師さま、商家で仕組みを築いているのは人ですわ、様々な人の働きによって成り立っていて、どこか一部でも弱くなると全体がおかしくなりますので、皆が個々の場所で高い実行能力を発揮する事を心掛けています」
「そうすると」
「ええ、本当の目標は天下の仕組みを築き直すこと、つまりは天下の再構築ですわ」
「天下の再構築?」
「ええ」
天下の再構築、吉法師は何度も頭の中でその目的を繰り返していた。
「吉法師さま、難しく考えずとも世の動きに合わせて天下の再構築を行えば、自然と天下は安定していきます」
吉乃の言葉は何とも心強く思えた。今まで自分の周りにこの様な発想をした者はいなかった。武家とはあまりにも異なる物の見方、考え方、吉法師はこの吉乃の言葉に深く頷いていた。
「吉乃の言う通りじゃ、何か道が開けそうじゃ」
「良かったですわ、少しお役に立てて」
「ありがとう吉乃」
「これからも吉法師さまのお悩みは尽きそうにありませんね、でも男の方は良いですわ、大きな夢を見る事ができて」
吉乃のその言葉に吉法師はじっと吉乃の顔を見て言った。
「だが吉乃、一緒に歩む事はできる」
「え、吉法師さま?」
吉法師の思いが籠った一言だったが、言い方は一般的な所で、直接思いを伝える様な言い方は出来ない。そしてまた吉乃もそれ以上の言葉を期待してはいけない。世界の異なる二人はお互いへの思いを抑え込みながら情景の中に身を置いていた。
やがてまきわら船の灯火に衰えが見えてきた時、それは祭りの終りを予感させていた。
「そろそろ祭りも終わりじゃな」
「名残惜しいですわね」
祭りの終了、それはこの幻想的な世界の終了を意味する。
もう一度、吉乃と手を繋ぎながら帰れないかな、吉法師がそう思いながら二人で立ち上がった時だった。これまでに無かった強い突風が二人に吹き付けた。
「あっ」
「おっと」
二人の思いが南風に通じたのであろうか、煽られて体勢を崩しよろめく吉乃を吉法師は咄嗟に抱きかかえた。
背後ではまきわら船の火の粉がその突風に大きく巻き上げられ、これまで続けてきた華麗な舞の終了を演じている。二人は暫くの間、言葉を交わす事無くそのまま抱き合っていた。未だ微かに吹き付ける風の音が心臓の鼓動を高鳴りを増長している様に思えた。
「あえの風!」
吉乃は吉法師の腕の中で風を感じながらある伝説の事を思い出し呟いた。
「あえの風?」
吉法師は静かに吉乃を離すとその意味を訊ねた。
「尾張の国の伝説ですわ」
吉乃は微笑みながら吉法師に語り始めた。
「尾張には昔からあえの風と言う海から吹きつける幸せの風の伝説があります。商家にとっては海運の風なのでしょうが、この風のおかげでこうして尾張の国では戦乱の世でも穏やかに過ごせると言われておりますわ」
「あえの風か……」
「吉法師さま、吉法師さまがお家継がれる時は、是非ご自身で良きあえの風を吹かせてください。そうすれば尾張の国だけでなく、諸国のたくさんの人々が幸せになれますわ、きっと」
「出来ると良いのぉ、さすれば儂もこの国に、この家に生まれて良かったと思える様な気がする」
「大丈夫です、吉乃も祈っておりますわ」
そう言って吉乃は微笑みながら手を合わせ拝む格好を見せた。吉法師は止め処もなく膨らむ吉乃への思いを抑え込みながら、吉乃の手を両手で包み込んで言った。
「ありがとう、吉乃」
もう別れの時間である。武家の嫡男と商人の娘、これでまた二人はそれぞれの世界へ戻らなければならない。残念そうな表情を浮かべる吉法師に対し、吉乃はいつもの笑顔で応えた。
「吉法師さま、またいつかお会いできる日を楽しみにしておりますわ」
吉法師もこの吉乃の言葉に笑顔で応えた。
「あぁ、そうだな吉乃、また会おう」
海から吹いて来るあえの風は、笑顔で見つめ合う二人の周りを優しく吹き続けていた。




