第三章 あえの風(8)
<天王祭宵祭>
陽が沈み周囲の村々が暗闇に包まれていく中、津島湊では津島五車のまきわら船に載せられた大きな傘の形をした提灯に灯がともされ、幻想的な世界が創り出されていた。湊にはたくさんの民衆は訪れており、湊の一円に広がるその景観を楽しんでいた。湊近くの広場では仮装にて踊りの会が行われていて、多くの民衆が赤鬼、青鬼、仙人や七福神、猿や鶴など、思い思いの姿に扮しながら、楽器の音に合わせて身を踊らせている。
その賑わいは門前町まで続いており、広場の近くの母屋では酒盛りをする多くの人でごった返していた。吉法師はその母屋で織田造酒丞、佐々孫介、河尻与兵衛、毛利新助、池田勝三郎、佐久間半介、佐久間大学、そして佐久間衆の面々の模擬戦を共に戦った仲間たちと勝利の宴を囲っていた。
次々と酒と料理が運ばれて来る中で、吉法師は皆の前に立ち母からの銭の入った包みを皆の前に差し出した。
「皆の衆、今日の模擬戦はご苦労であった。この宴は儂のおごりじゃ、遠慮無く飲んで行ってくれ」
その吉法師の言葉と共に集まった皆に酒が振舞われた。そして皆に酒杯が行き渡ると、吉法師はその酒杯を高く掲げて言った。
「乾杯!」
「乾杯!」
「乾杯!」
吉法師と勝三郎、半介は乾杯の格好のみであったが、他の皆は先ずその酒杯を一気に飲み干していた。
「くわぁー、うまかー」
「おかわりじゃー」
最初の乾杯の後、皆が個々に話を始めながら次の酒を酌み交わし始めていた。その中で隣にいた造酒丞が心配そうな面持ちで吉法師に声を掛けた。
「吉ちゃん、良いのか? 御前様から戴いた銭を飲みに使ってしまって」
この造酒丞の問い掛けに対し、吉法師は少し悩まし気な顔を見せた。
きっと母上は直に手渡した銭を自分が何に使ったのか知りたいと思うであろう。そしてそれを仲間との宴に使ったと知った時、母上はどう思うであろうか。もしかすると粗末に使ったと思われるかも知れない。しかしうまく伝え切る自身は無いが、この使い方がここでの一番と思う。
吉法師は何か恐怖にも似た心苦しさを感じながら応えた。
「いいよ、酒兄、今別に欲しい物など無いし、これが一番いい使い方だと思うから」
説明を諦めた様な気でいる吉法師に造酒丞が笑顔を見せて言った。
「そうか、吉ちゃん、でも物より人とのつながりに銭を当てると言う所、儂は良い事と思うよ」
吉法師は造酒丞が同意してくれた事で少し気が楽になり笑顔を取り戻した。
「そうだよね、酒兄、実は少し悩んでいたんじゃ。本当にそれで良いのかと、あの銭を手渡してくれた時の母上の意に沿う物では無いのではないかと……」
「ははは、あの御前様の意向は少し気になってしまうよな、お互いに」
「ははは」
「ははは」
吉法師と造酒丞はお互い織田家中で武家らしからぬ自由な振る舞いをしている仲であった。冷ややかな見てくる他の家中の男達の目は気にならなかったが、奥の最高権力者である実母、義理姉の土田御前の目だけは気になっていた。
土田御前の厳しい顔をした姿が二人の脳裏に浮かぶ。吉法師と造酒丞はその姿をかき消すかの様に、その場の宴を楽しむことにした。
一方、孫介達は佐久間衆と意気投合し、模擬戦を振り返って酒の話の肴にしていた。
「しかし楽しい戦であったのぉ、やはりあそこで旗指を槍柄に使ったのが良かったな」
「最初は本当にそれで挑んで大丈夫かと心配であったがのぉ」
「あぁ、結果としては最初のそれが功を奏して、勝利への突破口となったな」
「川並の奴ら竹の棒で負けたとなると、しばらくカッコ悪くて商売できんのじゃないか?」
「そうなると少し気の毒じゃの」
「あっはっは」
「しかし最後の小六の逃げっぷりは凄かったのぉ」
「まったくじゃ、もう跡目振り返らず一目散じゃからの」
「いや、あそこまで徹底しておると逆にもう格好良かったわ」
「えぇ、結局最後逃げられましたしね」
「そこじゃ、何か完全勝利と思えぬのは」
「まぁ、良いではないか、何せ最後は楽しかったから」
「そうじゃのぉ、いや今日は本当に楽しかったわ」
「本当、久し振りに本当大笑いしたわ」
「まっことじゃ」
「はっはっは」
皆が笑顔で宴の場を楽しんでいた。
そして酒の勢いが徐々に進む中で、話題は勝三郎に向けられた。
「しかし途中、勝三郎の逃げの演技はうまかったのぉ」
「おぉ、本気にしか見えんかったわ」
「いや、ありゃ、本気の全力の逃げじゃろ」
「えぇ、確かに演技と言うより素で逃げている感じでしたよね」
皆が勝三郎の話題で勝三郎が次々と困った顔をする事を次の酒の肴にしていた。そして決定的な佐久間衆の一人がその決定的な言葉を口にした。
「吉法師さま、置き去りにしてましたからね」
皆の視線が勝三郎に集まりどよめいた。
「えぇ、そうなのか、勝三郎」
「いや、いくら何でもそれは演技にならぬだろう」
勝三郎は非常に困惑した顔を見せたが、ここで出せる答えは一つしかない。
「な、なにを言うんじゃ、全て演技に決まっておるじゃろう」
勝三郎は皆の前で勘ぐりを受けぬ様、得意気に戦功を誇示する様に言った。
「そぉかー?」
「まぁ、よいよい、勝三郎も今回良くがんばったから」
「そうじゃな、七夕の笹飾りでの防御は本当に助かった」
「おお、それそれ、聞こうと思っておったのじゃ」
「そうそう、儂もあの策は聞いておらぬ」
「皆も知らなかったのか?」
「ええ」
「はい」
「儂も知らんかった、吉ちゃんは最初から予定しとったのか?」
造酒丞が隣の吉法師に訊ねた。吉法師はフッと笑顔を浮かべると半介に目をやった。
「あれは実は咄嗟の半介の発案じゃ、のぉ、半介」
それを聞いて皆が半介に着目した。控えめな様子でいた半介は、皆に軽く頭を縦に揺り動かしながら言った。
「えぇ、でも本当は負けそうになった時に、あれを使って撤退する事を考えていたんです」
「なんじゃ、そうじゃったのか」
「やはり半介じゃ、手堅い所を考えおる」
「しかし、それがうまく逆転の手段になって良かったわ」
「そうじゃのぉ」
「しかし笹葉喰らった川並の奴のびっくりした顔、見物であったぞ」
「ああ、儂も見た見た、もろに笹に突っ込んで来た奴、何事かという顔しとったわ」
「あっはっは」
「半介、ぬしは力は出さぬが、本当に知恵は働くのぉ」
大学が半分皮肉、半分感心を込めながら言うと、前に座っていた造酒丞が大学に指樽を差し出しながら言った。
「大学、ぬしがその分の力を使えば良かろうが」
「なんじゃい、そりゃ、儂が頭使えん奴みたいやないか」
すると造酒丞の酒を受ける大学に、その後次々と佐久間衆の皆が指樽を持って集まって来ていた。
「あれ、違うんすか、大学兄ぃ」
「それ、あっとりますよね」
「うちは頭使うは半介様、力使うは大学様で良いつり合いですじゃね」
「そうじゃの、戦で先ず突っ込んでいくのは大学様だし」
「誰が猪じゃ」
「言うてませんが、猪突猛進とか」
「ほら、やっぱりすぐ出て来るがー」
「はっはっは」
皆に弄られながらも、大学は皆で楽しく酒を酌み交わす事を嬉しく思っていた。
「今まで一族でこれほど一体感を持った宴を囲んだ事があったであろうか……」
大学は模擬戦の結果と共に佐久間衆の皆が楽しんでいる姿に何か満足感を感じていた。
「酒ぇー、どんどん持ってきてー」
佐久間衆の皆も一族を率いる半介、そして大学を慕っている事が見て取れた。そして酒の勢いが進む中、歌に踊りにその思いを込めてこの宴を楽しんでいた。
模擬戦勝利の勢いは続き、暫くすると皆の酔いは最高潮に達していた。するとまた個々にやっかいな酒癖が出てくる。
バターン
突然、大きな音と共に一人が押入れの襖と共に倒れこんだ。
与兵衛だった。
「またか与兵衛、しょうがないな」
「もう酒弱すぎだろ」
「まったく、戦ではあんなに強いのに」
宴が開かれている母屋の中は近くで宵祭が行われている事もあり、たくさんの客が押し掛けていてぎゅうぎゅう詰めの状態で、倒れ込んだ与兵衛はいかにも皆の邪魔になっていた。
「おい、その外れた襖も倒れている与兵衛もじゃまだ、廊下にでも出しとけ」
造酒丞の一言で、与兵衛と外れた襖は廊下の端に一緒に片付けられていた。
「勝さぶりょうさあ」
同じ頃、孫介は隣に座っていた勝三郎に絡んでいた。
「今回の竹らけろ、竹じゃほんろろ合戦は無理りょ」
「早くおおきゅうなっての、ほんとろ槍振れんとだめろ」
孫介は勝三郎の肩にもたれながら、呂律のはっきりしない調子で説教を続けていた。その勝三郎は苦痛の表情を見せている。
「うぇー、席失敗じゃー、ついとらん」
「おんしも池田家の嫡男ろ、おんしがつよならんとお家たいへんらから、その点、わしら佐々家は兄じゃがしっかいしてよって、でもわしほんとは家のあるじになってもっと活躍したいんよ、わかる?、かつさぶりょ、分かる、え、分かる?、りょ」
孫介の絡みは愚痴になって延々と続いていた。吉法師は勝三郎の苦痛な表情を可笑しく思いながら見ていた。
「良かった、皆が戦勝の仲間となって宵祭りの一時を楽しんでいる」
宴で皆が楽しんでいる様子を確認した時だった。吉法師は外から入って来た一筋の風が自分に吹きかかるのを感じた。
そしてその風に誘われるかの様に、ふと窓から外を覗いてみると、少し距離の離れた所にある広場で、人々が祭りの太鼓や笛の音に合わせて、踊りを楽しんでいるのが見えた。
吉法師は笑みを浮かべながら吉乃に教わった舞の事を思い起こした。
「ふっ、踊りというものは本来ああして楽しむものだよな、あそこの踊りには決まった型も無ければ、敦盛の覚悟などと言う重いものも無い」
踊りの場の後方では傘型に灯火の飾り付けをしたまきわら船が幻想的な姿で遊覧しているのが見える。周囲に見える人々も皆笑顔を見せている。
「こうしていると今の世の乱れなど嘘の様じゃな」
吉法師はそんな事を考えながら、別の方向に目を配ると、こちらに向かって知った顔が近付いて来るのに気が付いた。
「あれは小六だ、あ奴、元気そうじゃな、その向こうは先程の生駒の者達、お、母上もおる」
彼等はちょうどこれから宵祭を観に行く所なのであろうか、土田、生駒、前野の一族は談笑をしながらひと固まりとなって歩いていた。そしてその中には先程の子供の集団がいるのも見える。
「吉乃もいるのだろうか……」
そう思うと同時に、吉法師の脳裏に昼間の吉乃の笑顔が浮かんだ。大人たちに隠れていてるのか、その姿は確認できないが、一緒にそこにいる様な気がする。
「吉乃、今度はいつ会えるかな? いや、もしかしたらもう会えないかな、いやいや、親類の者と分かったのだから、会おうと思えば いやいやいや、そんな保証など全く無い」
吉法師は心の中で吉乃の笑顔を浮かべながら、妙な葛藤を演じていた。
「また会える、もう会えない、また会える、もう会えない……」
そして彼らの姿が自分の前を通り過ぎ様としていた時、ついに吉法師は意を決した。
「何か今直ぐに何か行動を起こさないと後で後悔する気がする」
そんな思いが過った吉法師に即座の行動を起こさせた。
「ちょっと厠、行ってくる」
宴を囲っていた皆にそう言うと、吉法師は即座に外に飛び出して行った。誰も何も応答出来ないほどその吉法師の出て行く姿は慌ただしかった。
造酒丞と新介はその吉法師の様子を不思議がっていた。
「どうしたのでしょうか、吉法師様は?」
「吉ちゃん、よほど厠行くの我慢していたんだろね」
「造酒丞様、またくべたんじゃないでしょうね、酒」
「くべとらんわ、此度は、まだ」
「やっぱり、くべる気ではいたんですか?」
「いやでも、自分からちびちび飲んでおったみたいぞ、吉ちゃん、まぁ、強い男になってもらわねばならぬ、酒にも」
「では、飲んで待ちましょうか?」
「そうだな、おーい酒、追加!」
祭りに関係無く宴はいつ終るともなく続いていた。
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吉法師は踊りの会の入口で、母上ら生駒の一行を見つけた。
そこには昼間と同様に母上の土田、生駒、前野の一族、そして蜂須賀小六の姿があった。
「吉乃は?」
吉法師は周囲にいる子供たちの固まりの中に吉乃の姿を探した。
「あ、いた!」
吉法師は直ぐにでも吉乃に駆け寄って行きたかったが、周囲には昼間に誘いを断った母上や模擬戦の相手だった小六、そして確執の生じていた弟の勘十郎などがおり姿を見せられる状況にない。
「どうするか?」
暫し考えていた吉法師は目の前に踊りに参加する人のための物であろう、色々な能面や衣装が置かれているのを見つけた。
「これだ!」
吉法師はその中の幾つかを手に取って会場に入ると、即座に自分だと分からぬ様に着こなし、一行が来るのを見計らって、昼間吉乃に教わったばかりの舞を演じ始めた。
吉法師の舞は全く太鼓や笛の音には合っていない。しかし周りの人々も思い思いで踊っていたため、然程大きな違和感はなかった。
程無くして吉法師が踊る近くを母の土田御前や小六の一行が通りかかった。談笑しながら歩いている皆は仮装して踊っている吉法師に気が付くことは無い。そしてその大人達の後を吉乃が兄を含めた何人かの子供達同士で歩いてくる。
自らも舞を習っていた吉乃は、仮装の踊りに興味を持って見ながらその横を歩いていたが、その会場の入口近くを通り掛かった時、ふと一人の踊りを見てその歩みを止めた。
「あ、白拍子の格好、え?、あの舞は?」
そう思うと同時に吉乃は行動を起こした。
「兄上、あの仮装踊りの中にお友達見つけました。少しお話してきます」
「お、おい、吉乃」
「先に行ってください!」
吉乃はそう言うと、その後の兄の返事を待たずに会場の方へと走り去って行った。そして会場の入口に着いた吉乃は一つの能面を手に取るとその中に入って行った。
吉法師にとっては賭けであった。
吉乃にもう一度会って話がしたい。しかし自分からは近寄れる状況では無い。そう思った末での吉乃のが語っていた白拍子の能面と衣装であり、吉乃が指導してくれた舞の型であった。そしてその吉法師の思いを吉乃は見事に拾い取ってくれた。二人の出会いの時は再び訪れた。
「白拍子さん、手の振りが少し違っておいでですわ」
白拍子の格好で舞を演じていた吉法師は(来た)という喜びを抑えつつ、声の方を振り向くと、そこには狐の能面を被った娘が立っていた。
即座にあの笑顔で確認できないのは残念な所であったが、その声や手の振りの事を言う所など間違いなく吉乃だと分かる。吉法師は羽織っていた白拍子の能面の奥で笑みを浮かべながら応えた。
「狐さん、それではまた手解きの程、お願い致しましょうか」
「分かりましたわ」
そう言いながら吉乃も能面の奥でニコッと笑顔を見せていた。
その後、笛や太鼓の音と共に踊りに興じる人混みの中、二人は自然と手を繋ぎ、幻想的な灯火に包まれた湊の方に向かって走って行った。




