第三章 あえの風(6)
境内の観衆は那古野若殿衆と川並衆の息を飲む攻防の駆け引きに、思わずその手を叩いて両者の健闘を讃えていた。
「すごい戦いじゃー、見に来て良かった」
「全くじゃ、どちらもすごい」
「しかし吉法師さま、これでだいぶ有利になられた」
「そうじゃな」
「川並衆、もっと頑張れー」
最初はあまり応援の声がなかった川並衆であったが、健闘しながらも徐々に劣勢になって行くと、まだまだこの勝負の観戦を楽しみたい観衆からの応援が入る様になっていた。
「くそー」
小六は良い所まで行きながらも、勝利まで最後の一押しが届かない戦況に焦りと苛立ちを感じていた。最初は行動もバラバラであった衆の皆が勝利を目指して一丸となってきている。ここまで来たら負けたくない、その様な思いが強くなっていた。
ここからどうすれば奴らに勝てるか、小六は態勢を立て直していく相手を見ながら考えた。新たに一列の構えを見せる那古野若殿衆、後方には半介と勝三郎の二人もやや短い長竹棒を構え、背後の手薄な場所に付けている。
「ん、あれは?」
小六は若殿衆の構える長竹棒を注視した。
若殿衆の長竹棒は大半がこれまでの戦闘で折れ曲がってしまい、最初の一線の揃い踏みの時とは様相が変わっていた。竹は節を持った中空構造のため軽量だが、長手方向には強度の高い繊維素材で、竹槍としてもそれなりに使うことができる。ところが実際の合戦では突きに対する耐久性に問題があり、槍柄として用いる事は難しい。
この様な槍頭の無い一回きりの模擬戦であれば、これ以上に最適な材質は無いと思われたが、やはり長期戦になってくるとその打ち合いでの耐久性が限界になって来ていた。一方で川並衆の槍柄は皆しっかりした状態を保っている。
「向こうの竹棒はもはや戦いには耐えられない……」
那古野若殿衆十六人対川並衆十二人、小六は数の上では不利な状況ながらその棒の優位性の上では逆転できると分析した。小六は自ら槍柄を手にすると味方の川並衆を鼓舞するために前線に出て来ると、衆の皆に攻撃の指示を伝える。
「奴らの竹棒はもうあの通り折れ曲がり、攻撃にも防御にも役に立たぬ。しかも先の戦闘で奴らの人数も減り、参道の幅に対して左右に隙間が生まれている。長竹棒の弱点は真横からの攻撃じゃ、あそこを突き攻めていけば、ただでさえ防御の劣ったあの一線は瞬く間に崩壊する」
「なるほど」
「さすがはお頭じゃ」
「よーしいくぞ、合図と共に突撃じゃ」
「おー」
小六は川並衆を横一線に並ばせ、皆に槍柄を構えさせると那古野若殿衆の方をキッと睨み叫ぶ。
「儂らの渾身の一撃を以てこの戦勝つぞー!」
「おー!」
「おー!」
小六の激に川並衆は大きな気勢を上げた。その気勢が境内の観衆や那古野若殿衆にも届く。
「勝つのは儂らじゃー!」
「いけー!」
「おぉー!」
小六が勢いを付けて槍柄を振り下ろすと川並衆は三方に分かれて突撃を開始した。川並衆の戦意はこれまでに無い高まりを見せていた。今や勝利のご褒美など関係無い、それは戦国に生きる者の意地のぶつかり合いであった。
川並衆左右三人ずつの二隊は若殿衆の長竹棒の襖の側面に断続的な攻撃を加えると、若殿衆は襖側面への侵入を許してしまう様になっていた。
その様子を後方の岩の上で見ていた吉法師が反応する。
「小六、いよいよ最後の突撃をして来たな、よしっ!」
そう呟くと吉法師は岩を飛び下り、槍柄の棒を手に自ら前線へと走って行った。
側面に回った左右三人ずつの川並衆は勢いに乗って一斉攻撃を仕掛けて来る。
「おりゃー」
「いくぞー」
「勝つのは儂らじゃー」
しかしその側面の内側では待ってましたとばかりに通常の槍柄を構えた造酒丞と大学が守っている。
「ここは進ませぬぞ!」
「来るなら来い!」
左右で一対三の戦い、造酒丞と大学が本気の構えを見せると、川並衆が気合いを入れて同時に二人に突っ込んで行く。
「うらぁー!」
バシッ
ビシッ
ガシッ
ズシッ
ベシッ
ドシッ
その勝負は一瞬であった。手練れの造酒丞と大学は速さ、力、技の全てにおいて圧倒的に三人を上回っており、六本の槍柄を弾き飛ばしつつ相手に一撃を加えた。
バタ バタ バタ バタ バタ バタ
カラン カラン カラン カラン カラン カラン
男たちの倒れる音と弾き飛ばされた槍柄の音が合戦の場に響いた。
吉法師は前線に向かう途中で、長竹棒を構える半介と勝三郎に声を掛けた。
「半介、勝三郎、前に出るぞ、追撃だ」
「承知!」
「はっ!」
吉法師はここで戦力差が傾き一気に勝負所と読んだ。しかし前線の見える位置まで来ると、皆の竹棒の劣化が予想以上に進んでいる状況が目に入った。皆がもう折れかかっている様な竹棒を懸命に振り回して戦っており、前線では倒される者が出てくる様になっていた。
吉法師が更に前方に駆け寄ると、孫介が横から突いてきた川並衆と戦っているのが見えた。孫介の竹棒は既に途中で折れ曲がり、相手の猛攻に対して防戦一方の状態となっている。やられるのは時間の問題という状況であった。
その時孫介は苦々しい思いで竹棒を振り回していた。槍柄がしっかりしてればこの様な奴に押し込まれることはない、孫介は悔しい思いを抱いていたがどうにもならない。
「うりゃー」
バキッ
相手の放った一撃によりついに竹棒が根元から破壊される。続けさまに次の一撃が自分に向かってくるが、もはや防ぐ手立てが無い。
「やられる……」
相手の槍柄が目の前で大きくなる。するとその時孫介は背後から自分を呼ぶ声を耳にした。
「孫介!」
その声の方向を振り向いた孫介は一本の槍柄が自分の方に飛んで来るのが見えた。
「来た!」
孫介は瞬間的に飛び跳ねて相手の槍柄を躱すと、飛んで来た槍柄を掴み、そのまま振り下ろして一撃でその相手を倒した。一瞬の捌きであった。
そして孫介は直ぐに相手の槍柄を奪うと、それを宙に向かって叫びながら放り投げた。
「新助!」
孫介が槍柄を投げた先には、同様に隣で苦戦していた新助がいた。新助も同様にその槍柄を掴むと、あっと言う間に相手を倒した。
そしてまた新助もその相手の槍柄を奪うと、孫介と同じ様に宙に放り投げた。次の瞬間、その槍柄が飛んだ先では与兵衛が相手を倒していた。
この時点で若殿衆九人に対して川並衆は三人、事実上勝負は決した感じとなった。力のこもった最後の総力戦に観衆は大きな歓声を上げていた。
「今のはすさまじかったのぉ」
「全くじゃ、これで大勢は決したな」
「ああ、川並衆もようやった」
「うむ、最後は小六がボコッとやられてしまいじゃ」
この時両衆の動きが止まっていた。境内の観衆は模擬戦の終了と察して、自然に大きな声援と拍手が湧き上がっていた。
「吉法師さま、勝利おめでとうございます!」
「小六もようやったぞー!」
「負けても切腹は要らんぞぇー!」
最後は小六と川並衆の降参を以てで幕を閉じる、観衆の皆がそう思っていた。その時小六はこの決戦の場の片隅にいる戦死扱いとなった川並衆の仲間たちに目をやっていた。
「お頭、いい勝負でしたぜ」
「もう十分です、よくやりました」
「負けるのは嫌ですが、致し方ねーす」
皆がもう十分やりつくしたという顔をしていた。自分の近くで生き残った二人ももう負けを認めてか、あきらめ顔をしている。
「ここまでか……」
小六がそう思った時だった。
「小六ー、降参かー?」
吉法師は小六と川並衆に対して、ぶっきらぼうに降参を問い掛けた。この戦力差を以て勝ち名乗りを上げ、この模擬戦の勝利を宣言しようと思っていた。しかし小六はこの吉法師の態度で逆に降参する気が失せる様になっていた。
「何おー、勝負はこれからじゃー!!!」
それはもう小六の意地であった。
正直もうこの模擬戦に勝てる見込みはない。しかし負けないという方法ならある。少しの間考えを巡らせた後小六は一言呟いた。
「よしやるぞ!」
小六は残った二人に最後の作戦を耳打ちする。
「お頭、いいですね、それ!」
「やりましょう!」
吉法師ら若殿衆ももう模擬戦は終りといった心境の中で、小六は大きな声を張り上げた。
「突撃じゃー!」
「おー!」
小六は残る二人の川並衆と共に、吉法師たち若殿衆に最後の決戦を挑むべく突撃を敢行した。
「おー!」
「川並衆、まだやるのか」
「男じゃな」
ここに来て特攻とも思える川並衆の突撃に、観衆が大きなどよめきの声を上げる。
吉法師たちはもう川並衆の攻撃は無いであろうと油断した状態から、慌てて奪った槍柄を持ち上げて身構えた。
「おりゃぁー」
バシッ
ビシッ
小六を始めとする三人の川並衆は吉法師の近くにいた孫介らに走りながら渾身の一撃を放つ、それを受け躱した孫介らは空かさず反撃を一撃を繰り出そうとした。
「あれ?」
しかし小六ら三人は一撃の後、そのまま目の前の場から走り去って行く。孫介らは相手がいなくなっていて、拍子抜けの状態となっていた。
「何じゃ?」
「小六は?」
「あれ、逃げるのか?」
小六は吉法師たち若殿衆と少し距離が少し開いた後、立ち止まって振り返り一言叫んだ。
『津島より 去りし先にて 負けは無し』
吉法師たちはその小六の言葉を聞いてピンときた。
小六はまた背を向けて走り去って行く。
「そう言う事か、小六!」
「こらー、待てー」
「おい皆、追いかけるぞー」
「待てー、ころくー」
この模擬戦の勝ちが決まるのは相手の大将に棒を当てた時であった。
つまりは小六は自分に棒を当てない限り、相手は勝ち名乗りも勝利を宣言する事もできない、という事を言っていた。
「待てー、小六」
「逃げるなー」
「くやしかったら捕まえてみろー」
「はっはっは」
逃げる川並衆に追う若殿衆、逃げるにも追うにも邪魔な槍柄を双方放り投げ、最後は鬼ごっこの勝負となって両衆は神社を退場していた。
境内の観衆は最後の結末には呆気に取られながらも、楽しく迫力のある両衆の勝負を観ることが出来て非常に満足していた。
「双方、模擬戦よかったぞー」
「吉法師さまー」
「小六、おもしろかったぞー」
観衆の皆が笑顔と拍手で両衆を見送っている中で、鳥の巣頭の男は一人神妙な面持ちで吉法師が遠ざかって行くのを見ていた。
「吉法師、織田弾正忠の嫡男坊、面白い御子だ……」
男は鋭い眼差しで吉法師に多大な興味を示していた。