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第三章 あえの風(4)

 津島神社では天王祭の余興として、那古野の若殿織田吉法師が川並衆を相手に模擬戦を行うという話が広まり、たくさんの人々が押し寄せていた。


 那古野若殿衆対川並衆

 若殿の初陣

 川並衆因縁対決

 小豆坂七本槍の(つわもの)も参加

 この勝負を見逃す事末代までの不覚

 

 模擬戦の前評判の文言には盛り上げる要素の言葉がふんだんに使われていて、それを聞いてしまった者はこの模擬戦を見ずにいられなくなってしまう。決戦の場所が良く見える津島神社の境内付近にはたくさんの観衆が集まっていた。


 既に神社西門の入口には二十人ほどの屈強な体付きをした川並衆が、各々お気に入りの槍柄の棒を手に集まっていた。

  

「弾正忠とこの坊ちゃん、ちゃんと来るのだろうな」

「今頃になって銭出さん、とか言う事はなかろうよ」

「ご褒美の銭、結構あったよな」

「ああ、横の小僧がぶちまけた時に見たが、相当あった」

「今宵はあの銭で酒盛りじゃな」

「おお、楽しみじゃ」

「日頃の鬱憤晴らしてご褒美いただき、いいのぉー」

「ああ、何とも堪らん話じゃ」


 川並衆の皆がこの模擬戦とその勝者が得られる事になっている銭を楽しみにしている中、棟梁の小六は頭の中で模擬戦の戦い方を構想していた。


 もう少しで定刻、そう思った小六は柱の影から東門の方を確認するために顔を覗かせた。すると自分の姿を見つけた観衆から大きな歓声が上がり驚いた。


 小六は慌てて顔を引っ込めると、配下の川並衆の方を向いて声を上げた。


「なんじゃー、あの観客はー?」


 困惑する小六に川並衆の配下の一人が涼しい顔で言った。


「あぁ、お頭、何やら町じゅうで川並衆と織田家嫡男の対決開催って、えらい評判になっているみたいですぜ」


「なにー、冗談じゃねー、見世物になっているのかよ」


「まぁいいじゃねえすか、お頭、これに勝てば商売のいい宣伝になりますぜ」

「そうそう、こうなったら勝って流域の商売船全てに織田戦勝利の旗立ててやりましょうぜ」

「わはは、いいねー、それ」


 盛り上がる仲間の衆に小六も前向きに思い直し、笑顔を見せる様になっていた。


「そうだな、どうせやるなら思い切りやってやるか!」


 小六は模擬戦を行う事に気持ちを入れ込む様にしていた。自分達もかつては武士であり、命を賭けて戦に臨んでいた。しかしこれは模擬戦、勝負はあっても命を取られる事は無い。思い切り気楽に行い、商売繁盛の一つにでも結び付けば良いと思う。


 するとその時、東門の方を覗いていた者が声を上げた。


「お頭、来た様ですぜ」


 小六が覗くと確かに東門の付近にそれらしき若者達の集団が見えた。


「よぉし行くか!」

「おぅ!」


 川並衆は小六を筆頭に威勢良く西門を飛び出し、中央付近の境内に続く階段の所まで出た。


 上の境内からは決戦開始に待ちわびた民衆の歓声が上がる。それに応じて川並衆の郎党達が気勢を上げ士気を高める。


「おらー、織田の坊ちゃん衆、勝負じゃー」


 小六ももう意味など考えず吉法師達が出てくるのを待った。


 定刻だ、小六がそう思った瞬間、東門から吉法師らも出てきた。


ワーッ!!!


 境内の民衆からは更に大きな歓声が上がる。


「いよいよ、始まるぞぃ」

「楽しみじゃー、吉法師様の初陣」

「今日最高の祭りじゃ」


 しかしその歓声の中、吉法師らは東門から入って来ると、その直ぐの場所にたくさんの旗印を立てていた。


「なんじゃ、ありゃー」


 川並衆は皆がその様子を見て不思議に思った。


 吉法師らはその旗印の設置が終ると、何人かをその場に残し、槍柄の棒を手にゆっくりと中央のに付近に向けて歩いて来た。

  

 その様子を川並衆は不思議そうな顔を見せながら窺っていた。


「どういうつもりじゃ、あの旗印は」

「あそこを本陣にしているつもりかのぉ」

「たかが模擬戦でふざけておる」

「それにしても、ひい、ふう、みい……、模擬戦に来る人数はだいぶ少ないのぉー」

「ああ、十二人位だな」


 悠々と歩いて近付いて来るのは織田造酒丞、佐久間大学を筆頭に、佐々孫介、河尻与兵衛、そして佐久間の一族の面々が続き、その最後に吉法師と勝三郎が続いていた。

 

「人数少ねーし、小僧もおるし、この勝負やっぱ楽勝じゃねえか?」

「いや、気い抜くな」

「小豆坂七本槍がいるのだからな」


 小六は配下の衆が相手を侮る事に注意を払った。


「しかしあの小僧らは相手にならんだろう」

「あぁ」

 

 吉法師を始めとして那古野若殿衆は皆自分の体に合わせた槍柄の棒を持っていた。


 しかし造酒丞や大学が長く頑丈そうな棒であるのに対して、吉法師と勝三郎の棒は子供用の長さで、川並衆とやり合うには如何にも非力な様相であった。


 その様子を見ていた川並衆の中で、その勝三郎を睨む者達がいた。


「おい、いるぞ、あの小僧だ」

「ああ、真っ先に集中攻撃して泣かしてやろうぜ」

「そうじゃな」


 それは銭の包みに触れる事を勝三郎に拒否された者達であった。


 吉法師は中央の境内へと続く階段下まで来た時、造酒丞と大学の前に出て、棒の先を小六に向けて言った。


「小六、良く逃げずに来たな、褒めてつかわすぞ」


 この吉法師の上から目線の言葉と態度に小六はまたかちんとした。


「うるさい、そりゃ儂の台詞じゃ、それより何じゃありゃ」


 小六は吉法師が後方に立てて来た旗印を指さした。


「あれは本陣じゃ、本物の戦っぽいじゃろ」


 その吉法師の言葉を聞いて、川並衆の中ではせせら笑いが起きていた。

 

「やっぱり、本陣かよ」

「坊ちゃんだから、見た目が大事と言う事じゃろ」

「うむ、いらねーな」


 そう言う川並衆に男らの言葉を聞くと吉法師は即座に言い返した。


「いやそこに軍資金の大枚の銭を置いておくからのぉ、やはりそれなりにしておかないとなぁ」


 その吉法師の言葉に川並衆は目を輝かせた。


「おお、なるほど、本陣いいわー」

「勝利とご褒美の目印か、いいねー」

「うむ、いただきじゃ」


 自信有り気に貰う気でいる川並衆の者達に、吉法師は言った。


「そう簡単には取れぬと思うがのぉ」


 その吉法師の言葉に川並衆は殺気立った。


「何おー、坊ちゃん」

「おい、さっさと始めよーぜー」

「そうだ、そうだ」


 そして互いに少し離れた位置に止まると、吉法師は小六に声を掛けた。


「小六ー、始めるぞー、いいかー」

「おぅ」


「それー、突撃ー」

「こっちも突撃じゃー」


 ついに那古野若殿衆と川並衆の津島模擬戦の幕が切って落とされた。


 両者は互いに槍柄の棒を構えると、個々に相手を目指して突撃する。


「わー!」

「いけー、若殿衆!」

「造酒丞!」

「小六!」


 境内の上からはこれまでに無い大きな歓声が上がっていた。


 両者の最初の一激は横一線でのぶつかり合いであったが、次の瞬間、人数に優位な川並衆は列の左右の端にいた造酒丞と大学に、衆の中でも体格の良い者を三人ずつ充てた。


「三角袋だ、よし、いいぞ、先ずその二人は三人ずつで囲み込め」

「そうだ、無理して打ちに行くな」

「時間稼ぎじゃ、そいつらは抑え込んでおけば良い」


 小六は衆の後方から大将としての的確な指示を出していた。


 小六やるな……


 吉法師は自軍の後方で相手の動きを見ていた。


「ええい、くそ、かかって来い」

「じゃまな奴らじゃ、来るなら来い」


 造酒丞と大学は、囲って来た川並衆の三人が無理して自分を倒しに来る事無く、自分が相手の一人に突きに出た時にだけ、他の二人がその隙を突いて来ようとするため、大きな動きが取れなくなっていた。


 吉法師は最も頼りとしていた豪傑の二人が完全に抑えられ、少し焦りを感じながら次の指示を出した。


「孫介、与兵衛」

「おう」


 そう言うと二人は共に中央から強行突破を図り、大将の小六に突撃を掛けようとした。


 しかし小六はこれを予測したかの様に指示を出した。


「菱袋だ」

「おう」


 掛け声と共に軍勢の中央で孫介と与兵衛の二人を四人の川並衆が囲った。


 囲まれた二人は代わる代わる四人の不連続な打ち込みを受け、防戦一方となっていった。

 吉法師は川並衆の見事な連携に少し感心していた。


 何と言う連携の良さじゃ……


 そう思った時、小六が攻撃の指示を出したのを耳にした。


「残りの衆は吉法師に向けて突撃じゃ、ゆけー!」

「おぅ」


 小六は自身の周囲に待機していた残り九人の川並衆を、掛け声と共に吉法師に向けて突撃させた。


 待ち受ける吉法師の前には七人しかおらず、その内の一人は勝三郎である。


 分が悪い…


 吉法師はこの状態で川並衆の突撃を受ける不利な状況を察した。


「酒兄、大学」

「孫介、与兵衛」


 しかし四人の動きは完全に封じられていて、その場所を動けそうに無い。


「守れ、吉法師様を守るのじゃ」


 六人の佐久間衆にそう伝える勝三郎には思いがけぬ事態が起きた。


「おりゃー」

「このやろぉー」

「ぶっ潰しちゃるー」

 

 突撃して来た相手九人の内三人が一直線に勝三郎に向かって来たのである。それは勝三郎に銭の包みに触れる事を拒否された者達であった。


 残りの者は佐久間衆とそれぞれ一対一の打ち合いになっている。


 再起不能になっても文句言うなよ、先程そう言われた言葉が勝三郎の脳裏に蘇る。


「いやじゃぁー」


 勝三郎は打ち合いになったらボコボコにされる、囲まれたら終りじゃと思い、ひたすら三人から逃げ始めた。


「待て、こらー」

「小僧、待てー」

「てめー、逃げんなー」


 勝三郎は時折後ろを見ながら追い駆けて来る三人の川並衆に向かって叫んだ。


「なぜ、儂に集まるんじゃー」

「決まっておるじゃろー」


「なぜじゃー、造酒丞殿並みに強いからかー」

「あほ、気に入らねーからだよ」


「なにー」


 そう言って叫びながら逃げる勝三郎はいつの間にか、吉法師よりも後方に後退していた。


「おい、おーい、勝三郎ー」


 しかし勝三郎を呼ぶ吉法師の声は届いていない。


 境内の上から吉法師若殿軍を応援している観衆はやきもきしながら成り行きを見ていた。


「何をやとんじゃ勝三郎は、逃げとるだけじゃないか」

「他の皆も抑えられておるなー」

「それにしても川並の奴ら、結構やるのぉ」

「あぁ、吉法師様を追い込んでおる」


 単身となっていた吉法師は、勝三郎を追っていた三人の川並衆が迫って来るのを見て、慌てて棒を構えると相手からの打ち込みに備えた。


「おら、待てー」

「このやろう、小僧」

「は、はえーな、逃げ足」


 しかし三人の川並衆はそう言いながら、吉法師の横を素通りして、勝三郎を追い駆けて行った。


 吉法師は自分を無視して通り過ぎる三人を首を傾げながら見ていた。


 それを後方で見ていた小六は呟いた。


(何やっとんじゃ、あいつらは、あの三人があそこで吉法師を打ち込みに行って終わりじゃろが)


 すると小六は三人の名前を叫んだ後、大きな声で指示を出した。


「逃げてる小僧は捨て置け、三人で吉法師を狙え」


 その小六の声を聞いた三人は勝三郎を追うのを止め、棒を振り上げながら吉法師に向きを変えた。


「おお、そうじゃ」

「ご褒美はこっちじゃった」

「いくぞー、坊ちゃん、覚悟ー」


 そう言って三人は吉法師に向かって行った。


 境内の観客からは一斉に悲鳴交じりの大きな声を上がっていた。


「吉法師様、絶体絶命じゃー」

 

 その時、造酒丞と大学はようやく囲いの隙を見て飛び出し、吉法師の方に向かって後退していた。


「初陣でまずいぞぉ、負けては」

「御前様の包みは渡さん」


 時折奮闘しながら後退する二人の先に、やはり囲いから切り抜けた孫介と与兵衛がいた。


「孫介、後ろすぐ来ているぞ、追い付かれるなよ」

「分かった」


 後退する造酒丞、大学、孫介、与兵衛の四人の後ろには、彼らを囲っていた十人の川並衆が追い駆けて来ていた。


「待てー、ぬしら」

「逃げるじゃねー」

「しっかり勝負しろ」


 川並衆は怒号を浴びせながら四人を追い駆けていたが、四人は気にせず吉法師の方に向かう事を急いでいた。


 一方、勝三郎から吉法師に目を向けた川並衆の三人は吉法師に取り付いていた。


 吉法師は最初二人の攻撃を交わし、残る一人の攻撃を受け流したが、その直後最初の二人に吉法師の行く手を(さえぎ)られ、厳しい戦いの状況になっていた。


 そして造酒丞らの後退を見て、佐久間衆の六人が下がり始めた時、また小六の大きな声が飛んだ。


「よし、そこだ、皆で押し込めー」

「おぉ」


 攻撃の勢いは一気に川並衆に傾き、那古野若殿衆を追い立てていた。


 吉法師は未だ三人の川並衆との打ち合いを演じていたが、造酒丞ら四人の退却の様子を見ると、自身も後方の本陣と位置付けた旗印の方に向かって走り出した。


「あぁ、これはだめじゃ」

「吉法師さまたちの負けじゃ」

「残念じゃ、吉法師さま、まだ采配は厳しい様じゃ」


 那古野若殿衆は皆が後退していて総崩れの様相であった。


 誰の目にも吉法師らの負けは明白だった。


 逃げる吉法師の直ぐ背後には三人の川並衆が追い駆けて来ていた。

  

「待てー、坊ちゃん」

「負けが嫌で逃げるのは卑怯じゃぞ」

「痛いのが嫌じゃやったら痛くない様に、ぶち当ててくれるからー」


 吉法師に棒を当てれば川並衆の勝ちである。


 川並衆の三人は棒をブンブンと振り回しながら吉法師を追っていた。

 圧倒的に優位な状況、そう思いつつもなぜか嫌な感じを覚えさせられる。


 何かうまく行き過ぎの様な気がする。三人の川並衆は吉法師と旗印と銭の包みを目の前にして、いきり立っていた。


「儂らが、一番槍じゃー」

「坊ちゃん、かくごー」

「ご褒美、いただきじゃー」


 そして吉法師は旗印の場にいち早く戻ると、反転して相手を鋭く睨んだ。それは獲物に狙いを定める様な目であった。


 その吉法師の目を見た小六は一瞬、背筋に冷たい物を感じた。それは以前、城を追われた時に見せていた吉法師の父弾正忠信秀が見せた武士の目だった。


 まずい、やられる


 直観的にそう感じた小六は大声で三人に叫んだ。


「だめだ、そこから先には行くな、戻れー」


 しかし三人はもう旗印の所にいる吉法師に打ち込みを掛ける位置にいて、小六の声は届かなくなっていた。


 その時であった。


 突如、六本の旗印が倒れたかと思うと、その旗も外れて落ち、長い竹棒が姿を現した。


 よく見ると新介を中心とする六人がその長い竹棒を構えている。


「おー、何じゃ あれは」

「何と、若様、奇策を用いられた」

「こりゃ面白い、若様すごい」

 

 一瞬たじろいだ川並衆の三人に吉法師は反撃の合図を出した。


「良し、行けー」

「やれー、やれー」


 六人の長竹棒の隊は三人に集中砲火の如くその棒を突き当てた。


「あいててて」

「ちょと、待て待て、あいたたた」

「ひど、ちょと、これ、いたいいたい」


 三人は成す術なく、あっと言う間に長竹棒で突かれ戦死扱いとなった。


『初陣に 一刺し手にする 竹の棒』


 皆と共に戦う、新介は自分の出番が訪れた事に、初陣の緊張感も無く、何か心躍る思いがしていた。


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