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第三章 あえの風(3)

 吉法師達は材木問屋の前で派手な着物を纏った二十人ほどの男らに取り囲まれ、身動きが取れない状態が続いていた。


 厳つい表情で取り囲んでいる男たちは、その理由については何も言わず、その意図が分からない。少し離れた場所では通り掛かりの民衆の人々が立ち止まり何事かと(ささや)き合っていた。


 その場通り掛った鳥の巣の様な頭をした妙な風貌の男が、その異変に気が付き近くの人達に様子を訊ねる。


「何の騒ぎですか?」


「いや、よう分からんのじゃ」

「だがたくさんの男らに囲まれている御子は那古野の吉法師様らしいぞ」


 それを聞いて鳥の巣頭の男が驚きの表情を見せる。


「何、それは一大事じゃないか?」

「ああ、しかし男らは囲った後、あのままずっと動かんのじゃ」


「えっ、では吉法師様は襲われている訳ではないのですか」

「いや、奴らの表情を見る限りでは何か遺恨事がある様な感じなのじゃがのぉ」

「うむ、儂らもそれが気になって先程から遠回しに見ておる」


 この日の夜に宵祭が行われる事もあって通り掛かる人が多く、また囲まれているのが那古野の吉法師らしいと言う事も伝わり、最初僅か数人程度であった民衆は、遂には吉法師達を囲う男らの外側を何重も囲う程になっていた。


 そしてまたその人の輪は外周に行く程、色々な憶測が奇妙にずれて伝わって行く。また一人、近くを通り掛かった男が輪の最外周の者に声を掛ける。


「何の騒ぎですか?」


「いや、よう分からんのじゃが那古野の吉法師様が来とるらしい」

「どうも何か祭りの余興をやるらしい」


「えっ、じゃあ見て行かないとだめですね」

「うむ、それで我等も気になって先程から見ておる」


 民衆の輪の外側では話が屈曲し祭りの一環として伝わっていた。その様な観衆は時間と共に盛り上がりを見せ、その厚みを増していた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 造酒丞が一本の棒で男らに対し身構えている横で、勝三郎はばらまいてしまった銭を一生懸命にかき集めていた。吉法師は二人の後ろから動きの無い男たちの様子を窺っていた。


 派手な着物を着こんだこの者たちは何者なのか、目的は何か、何故囲んだきり何も言ってこないのか、疑問に思いながら男たちを見ていると、彼らの中心に一際厳つい顔をした男が目に入ってきた。


 あの男がこの集団の棟梁か……


 よく見ると他の者はその男の指示を待っている様で、皆が時折チラチラとその男の方を見ている。


 一方で小六はその時配下の衆が目線でこの後の行動を訊ねているのを感じていた。


 小六は悩んでいた。


 何をしておるんじゃ、儂は……


 弾正忠信秀の嫡男がいると聞いて思わず飛び出してしまった。部下たちが行動を合わせて来たことにより、結果として吉法師を取り囲む事態に発展している。


 何故この様なことになったのであろうか、昔の苦しい時分を思い出し逃げ出したかったのであろうか、それともここで何か仕返しをしたかったのであろうか、あの時捨てたはずの武家に未練があったのであろうか、いやそうでは無いと思う。今冷静に考えれば弾正忠の息子に文句の一つも言いたかっただけだと思う。それが大勢の衆と共に、この様に吉法師達を囲んでしまう様な事態を引き起こし、何か後戻りもし難い状況になっている。


 こうなったらもう強引に浚っていくか……


 小六は最も強引な事態展開の方向を思い浮かべた。しかしそれは同時にこの尾張の国で一族、郎党全ての身内の者を罪人とする事を意味する。若き日に城から追われて後、一族と共に血の滲む努力をしてようやく再び安定した毎日を送れる様になった今日、一時の感情でまた一族の生活が追われる様な事になって良い筈がない。


 取り囲まれた吉法師達と同時に、囲った小六の方も何か動けない状態になっていた。その困っている小六の様子を見て、造酒丞は吉法師とようやく銭拾いを終えた勝三郎に耳打ちをした。


「あいつ、川並衆の蜂須賀小六だな!」


「はちすかころく?」

「誰ですか?」


「確かこの辺り一帯の水運を担っている衆じゃ」

「盗賊などの類では無いでは無いのですね」

「ああ」


 勝三郎は安心して一息ついて、胸に抱えていた包みを下げると、また包みの中から何枚かの銭がこぼれ出した。


「あっ」


 勝三郎は慌てて拾うが、更に数枚の銭がこぼれ出す。


チャリン、チャリーン


 周囲に響く銭の金属音、しかし、男らは明らかにその銭には反応していない。彼ら川並衆の意図は分からないが、銭目的では無い事が伺える。


 造酒丞が話を続ける。


「小六は一族の生活のために相当苦労していると聞く。あの顔がその証じゃな。年は孫介たちとそう変わらぬ筈なのに、かなりの老け顔じゃ」


 色黒の小六の顔には苦労の年輪を思わせる様な深いしわが何本もあり、実年齢に対する見た目年齢を大幅に押し上げていた。


「ふ~ん、」

「だ、大丈夫なんですよね」


 吉法師は囲っている川並衆は危害を加えては来ないであろうと思うと、何か安心した気持ちで彼らを見渡す事が出来る様になった。すると彼らの着物やその身に着けた派手な飾りが気になって来た。


 面白い、何と派手な格好であろう。


 小六は水運の願を担いでか、派手な水龍柄の羽織を纏い、髪は紫色の紐で茶筅髪にしている。そして他の皆もその一族を象徴するように派手な柄の着物を着込んでいた。


 吉法師はこれまで武家や公家、そして仏僧、商人、農民など、様々な格好をした民を見てきたが、この様な格好をした集団と出会った事は無かった。


 小六のその顔は苦労を背負っている様であったが、実際の背中には見事な龍が施された衣装で着飾られている。吉法師には小六が苦労以上にその場のその時間を存分に謳歌している様に見えた。


 吉法師は警戒感を解いていた造酒丞に訊ねた。


「酒兄、あ奴らは何か祭りの催しであんな格好をしておるのか?」


 造酒丞はプッと笑みをこぼして言った。


「吉ちゃん、違うよ、あれは祭りの催しじゃなくて最近若者で流行の普段着じゃ」


「えっ、そうなの?」


 吉法師は小六を棟梁としている川並衆の格好に更に興味を持つと、膠着状態で対峙している中、小六に向かって大きな声を放った。


 「小六!おまえ面白い格好しているな」


 その言い方はいつもの上から目線である。


 小六はこの吉法師にカチンとした。しかしそれは遺恨とは別のものである。


「なにおー」


 小六は吉法師を睨む様に見返すと、大人気も無くむきになって言い返した。


「儂らのは衣装は最新の流行り衣装ぞ、お主こそ何じゃ、いつの時代の人じゃ、古い古い、そんな格好今さらダサいわ!」


 子供の吉法師に合わせた様な意地の張り方であった。


「えっ、そうなのか?」


 吉法師は小六のこの言葉を聞いて驚きを見せた。


 今まで吉法師は自分達の格好が標準であり、特にそれに対して良し悪しなどを考えた事も無く、民衆から見ても武家のそれは普通であると思っていた。


 しかしそれはあくまで武家の中での話であり、民衆からすれば新しい物への(こだわり)りの無さか、古い時代への(しがらみ)にしか見えないのであろうと思う。逆に川並衆の様に物流の中で生業を営む者達は、これまで無かった新しい物に接する機会が多く、商売の成功のためには民衆の中で流行に敏感になる事が求められる。


 小六の言葉に同調して他の川並衆の者たちが吉法師たちを嘲笑する。小六はこの一言の話のやり取りで、何か仕返しをし得た様な爽快な気分になっていた。


 一方吉法師の方はこれまでに無かった物事の考え方で、何か小六に教えを受けた様な思いがしていた。たかが着物一着とはいえ、世の変化が読めぬ様では、新しい時代の変化の良し悪し、更には新しい時代そのものを判断できなくなるのではないか、吉法師はその様な思いを浮かべていた。すると何かあの小六の格好が妙に良く思えてくる様になってくる。吉法師は横にいる勝三郎に小声で囁いた。

  

「勝三郎、あれだ、今度、あの格好で行こう」

「えぇー、あんな格好するのですか?」


 勝三郎は苦虫を噛み潰した様な変な顔になっていた。


 その後、吉法師は思い出したかの様にして材木問屋に並べてある槍柄の棒を見渡すと、改めて小六の方を振り返った。


「小六、ちょっと我らと一緒に槍柄にはどんな木材の棒が良いか、選ぶのを手伝ってくれる?」


 吉法師は自分と異なる考えを持つ小六であれば、槍柄の選定において自分に気が付かない事を言ってくれるかも知れないと思い頼み事を求めた。


 しかしこの時、吉法師は依頼口調のつもりであったが、聞く側からのその言い方はいつもの命令口調に聞こえる。吉法師の頼み事を聞いた小六は厳つい顔を見せると、冷ややかに言葉を返した。


「はぁー?、何で儂が、嫌なこった」


 小六にとって自分達一族に辛酸を味わせた織田弾正忠家嫡男の吉法師に、特別な遺恨はもう感じていない。配下の如く手伝いをさせられる事は不愉快に思う。


 しかしその様な小六の思いとは異なり、配下の川並衆は屋敷に並べられているたくさんの材質の槍柄となる棒に興味を持ち始めると、造酒丞や勝三郎と一緒になって比べ始めていた。


「おぉー、これかっこいー」

「いや、儂はこっちだな、この樫、これは絶対良いって」

「いや、こっちの方が良い、軽いけど丈夫そうじゃ」

「ちょっと試してみたいな、こいつは」

「いいねー、ちょっと模擬戦でもやってみるかー」

「おぅ我ら最強川並衆対織田の坊ちゃん衆だ」

「わはははー、そりゃいい圧勝だわ」


 川並衆の中でも槍柄の棒を目の前にして盛り上がっていた。吉法師も色々な棒を見定めながら、その話を横で聞いていたが、試してみたいという思いは彼等と同様に高まっていた。


「小六、模擬戦だって、どうじゃ」

「ふん、冗談じゃないわ、もう我慢ならぬ、儂はこんな事をするためにおぬしの前に出てきたのでは無いわ」


 小六は不快な気分を吉法師にぶつけたつもりであったが、この言葉に吉法師は意味が分からずキョトンとしているだけであった。


 吉法師は小六の過去にどの様な事があったかを知らない。小六が何を怒っているのか、その理由を知る由も無かった。吉法師は少し首をひねって小六に言った。


「では、小六は何用で現れたのじゃ?」


 この吉法師の言葉に、今度は小六の方が困ってしまった。自分は単に過去の嫌な思い出に対して一言文句を言いたかったくらいで、配下の衆が着いて来て吉法師らを囲むなんて事は、予め考えての行動ではなかった。しかしその様な事をこの場で言葉にして吉法師に言えるはずも無い。

  

「そ、それはな」


 小六は返答に窮して、吉法師に背を向けると、いつの間にか背後にたくさんの人垣が出来ているのが目に入りギョッとした。


「川並衆の奴等が那古野の吉法師様に言い掛かりを付けている」


 集まった人々の間ではその様に(ささや)き合っていて、川並衆は完全に悪者になっている。


 何じゃ、この人だかりは、儂らは悪者になっておるのか……


 小六は世間の悪者になって評判を落し、商売に影響するの事を即座に恐れた。集まっていた民衆は自分等に危害が及ぶ事を恐れながらも、少し離れた位置から吉法師たちを按じて見守っている。


 その時、その人混みを掻き分けて三人の男達が叫びながら走って近づいてきた。


「小六じゃねえか、何やってんだ、おのれ等は」

「大丈夫ですか、吉法師様」

「がーっ」


 それは佐々孫介、毛利新介、川尻与兵衛の三人であった。三人はようやく湊での仕事を終え、吉法師たちに合流するために来た所であった。


「おぉ孫介、新介、与兵衛、ちょうど良い、今小六と槍の柄を選んで模擬戦でもやろうかと話をしていた所じゃ」


 小六はそれを聞いてまた不快な表情を浮かべる。


「だから、やらんて」


 小六にとっては、彼等の登場が何用で現れたか、と言う吉法師の問いをごまかす良い切っ掛けとなったが、何か周囲が模擬戦の開催に盛り上がって行く事は我慢が成らない所であった。


 孫介は少し疑いの眼で小六を見ながら言った。


「そうですかぁ、吉法師様、儂はてっきり小六が悪い事でもしようとしているのかと思いましたよ」

「うるせぇ」


 孫介は小六の事を良く知っている様で気軽に冗談を投げ掛けていた。それに対して小六はまた不快感を露にしている。


「へぇー、たくさんの種類があるんですね」

「面白いですよね」


 新介は勝三郎と一緒に並べられていた棒をあれこれと手に取って眺めていた。与兵衛も試しに持った最も棒を大きく振り回してみる。そして大きく振り下ろすと造酒丞がそれを受け、お互いにその柄の感触を確かめ合っていた。


「やはり何か模擬戦で試してみたいのぉ」

「そぉじゃのー」


 造酒丞と与兵衛の二人は、小六の方を振り返ると何かもの欲しそうな目線で小六を見つめた。


「変なのに付き合わすなー」


 小六が二人の視線を拒絶すると、今度は一人の川並衆の男が駆け寄って来て小六に言った。


「お頭これ、この棒いいっすよ、握りのとこ、汗かいても滑らないっすよ、汗臭い、あ、いや汗っかきのお頭にぴったりですぜ」


「あほか」


 小六はその男の頭を小突いた。


「どうせなら何人も倒せる強いやつがいいな」

「儂は早く振り回せる様に軽い方がいい」


 もう川並衆も皆が模擬戦を行うつもりであれこれと柄を選んでいた。そんな中、吉法師は勝三郎に持たせていた包みを受け取り、皆に向かって大声で叫んだ。


「模擬戦で勝った方に儂が母上からもらったこの銭やるからなー」


 それを聞いた川並衆の男たちから大きな歓声が上がる。


「おぉー、ご褒美付きかよ」

「儂、いただきじゃー」


「いや、まだ儂やると言うておらんがー」


 川並衆の面々は皆、模擬戦にやる気をみせていたが、小六はまだ一人でやらない派としての抵抗を続けていた。


 しかし吉法師の声は周囲で見守っていた民衆にも聞こえていて、那古野衆と川並衆の模擬戦開催の話は急速に周囲に広まって行った。


「おぉ、そうだったのか、模擬戦の話をしていたのかー」

「川並の奴らが吉法師様に絡んでいた訳では無かったのですね」

「那古野衆対川並衆の模擬戦、面白そうじゃ」

「ああ、いい今宵の祭りの良い余興になるのぉ」


 しかしこの模擬戦を煽る吉法師の言葉に造酒丞は困惑した。

  

「吉ちゃん、母上様からいただいた銭をこの様な事に使ってはまずいんじゃないのか」

「大丈夫じゃ酒兄、我等が勝てば何も問題はなかろう」

「うむ、ま、それはそうじゃが」


 御前様の気遣いが掛けられた包み、負けられぬ模擬戦、造酒丞は気を引き締めていた。しかし、いくら造酒丞が小豆坂七本槍の槍の名手と言えども、六対二十、吉法師や勝三郎の子供もいる中でこの人数差には戸惑いがある。

  

「大丈夫じゃ、酒兄、さぁ我等も槍柄の棒を見に行こう」


 そう言うと吉法師は銭の入った包みをまた勝三郎に預け、造酒丞と一緒に再び棒を見に行った。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 暫くすると一人になった勝三郎に数人の川並衆の男が絡んで来た。

  

「おい、小僧どんだけ銭入っているか少しその包みを持たせろ」


 勝三郎は少し恐れを抱きながらも、包みをギュッと握りしめて言った。


「だめじゃ、勝ったらと言う約束じゃ」

「分け前がどの位か確かめるのじゃ、どうせ儂らが勝つのだから良いじゃろが」

「いや、勝つのは我らじゃ、ぬしらがこの包みに触れる事は無い」


 その勝三郎の言葉に腹を立てた男らが怒りをぶつける。


「何だと、生意気な、小僧じゃ」

「おー、模擬戦でこいつ集中にやるか」

「そうじゃな、喧嘩じゃないから、再起不能になっても文句言うなよ」


 男らはそう言って棒を振り回しながら、戻って行った。


 勝三郎はプルプルと震えていた。


 再起不能、再起不能、いやじゃぁー!

  

 勝三郎は急に模擬戦に対して恐怖感が出てきた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 一方で小六は槍柄の棒を選びに来た吉法師と造酒丞に、未だに模擬戦開催に抵抗していた。


「もし本当に模擬戦などととなったら、我ら手加減など出来ぬぞ、おのれ等六人で我らに敵うと思うておるのか」


 さすがにその人数差で勝つのは厳しいのではないか、造酒丞と孫介も策無く黙っていたその時であった。


「面白い、聞いたぞ、我らが吉法師殿に助太刀致そう」


 近くにいた民衆の中から声が上がっていた。


 吉法師たちが振り返ると十数人の屈強そうな若者達がこちらに向かって歩いて来るのが見えた。


「おおっ、大学」


 声の主は五器所城主の佐久間大学(盛重)であった。


 造酒丞や孫介らは古くからの知り合いであり、吉法師も父を通じて幼き頃から知る人物であった。しかし集団の中に一人、やや他の若者より体が一回り小さく、気が乗っていない様子の若者がいる。


「大学兄い、やめようよ、祭りの前に怪我したら嫌だよ」


 大学と同じ佐久間一族の佐久間半介(後の信盛)であった。


 半介は佐久間本家の若き棟梁であったが、体を使って戦う事は得意とせず、どちらかと言うと頭を使って戦を取り成す戦術家であった。普段は鍛錬よりも風流を好み、こういった争いはあまり好きではない。そんな半介に対し、年長で一族の後見役の立場の大学は、いつも半介に意見を述べていた。


「半介、おぬしは武家の棟梁として日々の鍛錬が手緩いのじゃ、突然のこういう時のためにいつも腕は磨いておくものだぞ、此度はいい機会じゃ」


「仕方ないなー」


 やる気は無かったが、半介も観念してこの模擬戦に参加する事にした。

  

 再度、開催決定に向けては小六に注目が集まっていた。

  

 吉法師の意向に参加する事も不本意であったし、また子供の小遣いの様な銭で大の大人が戦ごっこする事も恥ずかしい事としか思えなかった。


「何で儂らが子供の遊びに付き合わねばならんのじゃ」


 しかしその小六の言葉に一番反応したのは近くに集まって来ていた通り掛かりの民衆であった。


「今更何言うとんやー小六、模擬戦は開催決定ってもう広まっておるぞー」

「あぁ、皆もう宵祭の余興として楽しみにしておる」

「そうじゃ、早く場所の時刻を教えてくれよー」

「儂らはそれが知りたいのじゃ」

「ああ、良い場所で見たいからのぉ」


ブー、ブーブー


 小六はこの民衆の反応には躊躇った。もう何か自分だけが模擬戦の開催に反対している。民衆の突っ込みは更に厳しさを増す。


「小六、逃げるなよ」

「そうだ、負けるのを怖がるな」

「そうだ商売も逃げるぞ」


 この民衆の言葉にはさすがの小六も耐え難かった。


「誰が逃げておる、誰が負ける、誰が怖がっておる」

 

 そう言う子六に皆の視線がじっと集まっていた。


 小六もその期待を拒絶し続ける事にもう耐えられずにいた。これだけの民衆に開催しない事を納得させる理由も浮かばなかった。


 その時、また何人かの配下の衆の者が寄って来て言う。


「お頭、模擬戦って名目で日頃の憂さ晴らしできるんですぜ」

「そうそう、しかも御褒美つき」

「負けても別に何か無くなる分けでもねーし」

「と言うか、負ける事ねーし」

「あぁ、まだ人数はこちらの方が多いし、三人は小僧だ」

「負けようがねーな」


 配下の衆の者達までもがやる気になっていて、自分を模擬戦へと駆り立てる。そしてその何人かはもう既にお気に入りの槍柄の棒を手にしている。


「わーかったよ、やるよ、相手してやりゃいーんだろう」


わー!


 その小六の言葉に周りの民衆から一斉に大きな歓声が沸き上がった。小六は吉法師を睨み、自らの闘争心を捲し立てる様に言った。


「じゃぁ、棒の代金は負けた方が支払う。棒の選定と準備で模擬戦は半刻後、わし等は津島神社下西門から、ぬし等は東門から入りお互い目を合せた所で模擬戦開始、相手の大将に棒を当てれば勝ちで、大将はこちらが儂、そっちは吉法師、そして勝った方に報奨金だ、いいな」


「おぅ」


 一度やると決めると小六の対応は素早かった。即座に場所や時間、模擬戦の方法を決めると、次に配下の衆の棒を選ぶ行動に移った。


「楽しみになってきたのー」


 川並衆は口々にそう言い合いながら一斉に棒を選び出した。思い思いに気に入ったものを手にとっては比べている。ある者はそれを振り回し、またある者は地面を突いていた。


 吉法師は彼らがどの様な棒を選ぶのか、少し様子を見てから自分の物を選び始めた。しかしこうして見ると本当にたくさんの種類があり、この中で最良の一つを選ぶ事は容易では無い。


 やがて川並衆の者達の中から、腹減ったぜ、まず何か食いに行こうぜ、と言う声が聞こえ、彼らは各々気に入った棒を持って立ち去って行った。


 屋敷の主人が持ち去って行く棒の勘定だけは取り逃すまい、と恐れながら彼らに取りついて確認している。

  

「また後でな」

「逃げんなよー、お前らー」


 さすがに全員が良い体つきをしている川並衆はもう既に勝つ気でいた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 吉法師達はまだその場に残り、皆が棒を選びながらどうしたら勝てるかを模索し始めていた。造酒丞が吉法師に言った。


「吉ちゃん、負けられないぞ、模擬戦とはいえこれは吉ちゃんの初陣だからな」

「おぉ、そうだな」

「よぉし、勝つぞー、御前様の銭もやらんぞー」


 孫介、与兵衛、大学など腕に自身のある者は槍柄の棒を見定めながら、自身の決意を固めるかの様に唸っていた。造酒丞は続けて言った。

  

「新介と勝三郎も初陣だな」

「はい」


 新介は戦の経験は無いながらも、日頃の鍛錬での身のこなしは抜群であり、良い経験と前向きに考えている。


 しかし勝三郎は先程たくさんの棒を前に燥いでいた時とは別人の様に神妙な面持ちになっていた。


 勝三郎も同年代の中では槍の強者であるが、この集団では明らかに一番年少であり、他の若者達と比べるとその体つきが一回りも二回りも小さい。


 槍の戦はその力が圧倒的に物を言う。このため勝三郎が皆と同じ様な棒を皆と同じ様に振り回し戦をする事は困難であった。そしてもし彼らに本気で怒突かれたら、ちょっとした怪我では済まないかも知れない。


 再起不能になっても文句言うなよ


 勝三郎は先程の川並衆の男の言葉を思い出した。


 儂、もしかして今日これで死ぬかも、すさまじきものは宮仕え、いやじゃー、死ぬのは、いやじゃー、内心恐怖で叫んでいた。


 吉法師は悲観的な様相の勝三郎の姿を見つめて考えていた。


 この勝三郎が勝てる様な棒でないと最良の槍柄の棒とは言えない、さてどうするか……


 槍柄の選択で悩む吉法師の横で、半介は別の思惑を抱いていた。


 最たる怪我などすることなく、如何にこの修羅場をやり過ごすか……


 半介にとっては、この様な模擬戦の勝ち負けなどに興味は無く、自分の置かれた状況を打開するための最良の策とは何か、という事を考えていた。


 模擬戦とはいえ本気で打ち合えばかなり危険である。戦うと見せかけて逃げ、逃げると見せかけて構えだけかける、構えで威圧できる様な、そんな槍柄の棒は無いものか、と考えていた。


 たくさん並ぶ棒を前に勝三郎、吉法師、半介の三人が悩みを抱えて立ち竦んでいた。造酒丞はそんな三人を見て言った。


「吉ちゃんたちさー、そんなに悩んで答えが出ないなら、少し柄から考えを離した方がいいんじゃないの」

「そうだな」


 造酒丞の言葉に四人は一度槍柄から離れ屋敷の中に入り、何か思案の助けにならないかと、色々な加工木材を見渡しながら考えていた。


「そう言えば、さっき酒兄はずっと何を見ていたの」


 吉法師は先程、この屋敷の中で造酒丞がじっと何かを見ていたのを思い出した。


「あー、それはあれじゃ、旗印じゃ、今度新しくしようと思ってのー、最近どんなのが良いかずっと考えているのじゃ」


「ふーん」


 吉法師と半介は造酒丞が示した旗印の方を見た。そしてその旗印を見た瞬間に二人は同時に思い立って大きな声を上げた。


「これだ!」


 二人は顔を見合せると、二カッと笑い合った。


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