第六章 継承 攻城の果て(7)
宮後の城に入って一週間、吉法師は盗賊団の足取りが取れぬ状況の中、蜂須賀小六実弟の又十郎とこの城主の子の安井弥次兵衛と共に櫓に登り朝光が射す美濃側の景色を眺めていた。
目前に広がる尾張との国境を画する川は、激しい流れが岩を撥ね、草木が両岸を覆い、あたかも渡河を拒む壁のようであった。
(吉乃、まだ尾張側にいると信じているぞ、必ず見つけ出すからな)
目前の自然が生み出す人の世の境界に吉法師は盗賊団に浚われた吉乃の身を思い浮かべた。今下流では監視を強化しており、また又十郎たちが見失ったという状況からも盗賊団はこの一帯に潜伏して渡河の機会を窺っている可能性が高い。吉乃はきっとまだこの尾張側にいる。吉法師は目前の川に向かって救出への思いを強めていた。
そしてまた吉法師はもう一つの気になっている事として、川の奥に連なる美濃の高い山並みに目を向けた。
「この正面に見えるのが稲葉山か?」
吉法師は背後の安井弥次兵衛に問い掛けるが、その応えは何か口籠っていてはっきり聞き取れない。すると代わりに又十郎が応えた。
「あぁ、そうじゃ」
その返答は何かぶっきらぼうな言い方だった。又十郎はこの城に案内した時から何か挑戦的な態度を見せている。小六に似た顔付きの又十郎であるが、自分たちに対して何やら反感があるのであろうか、その態度の悪さがが気になる。しかしそれ以上に気になっているのは美濃遠征に向かった父上たちの情勢であった。
(あの山城に父の敵の大将斎藤道三がいるのだ)
そう思いながら吉法師は遠方の様子を見渡した。左手奥には父ら尾張軍が占拠している大柿があり、そこで味方の越前軍と合流した後、あの稲葉山を目指す予定と聞いている。近江軍が参加できなくなったと聞き、当初の計画が狂う中で父上の軍勢は大丈夫であろうか。実際に戦となる場所が意外と何か近くに感じられる。心配が伴う中で、改めて盗賊団の様な者たちが尾張国内を動揺させる事態は避けなければならないと思う。
吉法師は再度手前に目線を移すと、対岸右にある山を示して二人に問い掛けた。
「あの山も城塞化されておるのか?」
すると先程と同様に口籠る安井弥次兵衛に対して、又十郎が威張った様子で答える。
「あれは伊木山砦じゃ、美濃方の最前線にある城で常にこちらを監視しておる。此度彼らは稲葉山の本城が攻撃されれば、逆に後詰として動くのではないかと見ておるがな」
吉法師はその見解になるほどと思いながら挑戦的な態度を見せ続ける又十郎に笑顔を見せた。
「なるほど、又十郎、さすがじゃ。状況をよく掴んでおる。おぬしの様な者がおるとなれば川並衆も安泰じゃな」
そう言って吉法師は反感を示す又十郎に対して、少し過剰かというくらいに褒めてみた。それに対して又十郎は複雑な反応を示す。
「当たり前やないか!」
再度ぶっきらぼうな態度を見せる又十郎であったが、その顔の表情は先程までに比べてかなり緩んでいる。その表情の変化から吉法師は彼の内情を捉えていた。
(又十郎、分かりやすい奴……)
又十郎は今の乱れた世において、おそらく自分たち武家の事を苦も無く良い暮らしをしている高貴な家の者たちとして不満を抱いている。しかしその一方で、高貴な武家の者たちへ憧れが心中で燻っており、それが今過分に褒めた際に緩んだ表情として滲み出てきたのだろう。
(又十郎、なんやかんやで子供じゃな)
又十郎は武家では無く普通の庶民の中で育った子供である。吉法師は気難しそうでありながらも、実働上で活躍しそうな又十郎に対して、その扱い方を得た様に思った。
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吉法師たちが城の御殿の一室に戻ると五郎八と三左、そして子供衆の四人が地図の周りに集まっていた。
「状況はどうか?」
盗賊団の拠点調査の状況を訊ねる吉法師に五郎八が答える。
「依然有力な情報は得られていません」
中々調査の成果が上がらないという状況の中で吉法師は又十郎の方を振り向いた。
「又十郎、もう一度奴らを見失った場所を確認しておきたい。どの辺りか教えてくれるか?」
吉法師の少し懇願する様な物言いに又十郎が少し笑みを浮かべながら応える。
「わいが奴らを見失ったのはここの林の道じゃな、内匠と喜太郎はこっちの林に向かう道中で見失ったと言っておった」
又十郎はそう言って地図上に赤い印を付けた。それを見ていた吉法師は再度皆の方を振り向いて問い掛ける。
「この印の辺りを重点的に確認しているのだな?」
その問い掛けに三左と子供衆は困惑した表情を見せる。
「何度か確認しているが、この辺に奴らの拠点らしき家屋は無かったな」
「この辺り一帯は林と沼地が広がっていてあまり人通りは無い」
「あったのは地蔵とか祠くらいだったかな」
「林にも少し入ってみたけど特に変わった様子はありませんでしたね」
「えぇ隠れられそうな場所は見つかりませんでした」
皆が盗賊団に繋がる手掛かりを掴むのに苦心しているようであった。五郎八が最後にぼそっと口にする。
「少し気になるのはこの場が何処の領地にも属していないことか……」
その一言に吉法師が反応する。
「何と、この場はいずれの領地にも属しておらぬのか?」
吉法師はその五郎八の話に関心を示した。尾張国内で何処の領地にもなっていない場所、それはだれも管理していない無法な場所を意味している。
「ここは何年前の洪水で田畑が復旧困難になっている荒廃地らしいです」
「住む人もおらず活用が難しい土地になっている様ですからね」
「それでこの場は放棄されているということか?」
吉法師はそう言いながら再度地図を見ると、近くに一つの寺が記述されていることに気が付いた。
「この寺は?」
吉法師は改めて皆に問い質した。
「この寺も洪水の影響を受けているようで廃寺寸前になっています」
「貧乏そうな寺で、あちこちがボロボロだったな」
「数日見張ってみたのですが、人の出入りも全く無かったです」
「裏の墓地も荒んでおったぞ」
「とても盗品で稼いでいる様には見えなかったな」
又十郎たちが追跡していた盗賊団の者たちを見失った場所に近くにある古びた寺、ここは皆が一番に調査対象にしていたが、これまでの所その関連性を導き出すには至っていない。議論が暗礁に乗り上げる中で、吉法師がまた皆に問い掛ける。
「どの様な細かい点でも良い、他に何か気が付いた点は無いか?」
その吉法師の問い掛けに子供衆の皆は地図に向かうと、それぞれ気になった点を挙げ始めた。
「確かこの辺に昔の塚があったぞ」
「この道の先には今使われていない小さなため池があったな」
「ここには何か目印的な一本松があった」
「この辺りに廃屋があったな」
「この辺りに倒壊した橋があったよ」
子供衆が気になった細かい情報を順次描き込んでいくと、瞬く間に地図が印で埋まって行く。
「おい、地図がごちゃごちゃじゃないか」
「こう見ると色々とまだ調査しておくべき所があるね」
「今日はまだ時間ある、再度確認しに行くか」
「そうだな」
「よし、行こう」
子供衆は四人での意見が一致すると一斉に立ち上がった。それを見て吉法師が声を掛ける。
「頼む」
「はい、行ってきます」
子供衆の四人は吉法師に返答すると、それぞれの馬に乗り込み再度の確認に向けて颯爽と城から出て行った。
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暫くすると四人と入れ代わりに一騎の馬が城に駆け込んで来た。
「吉法師様、今戻りました」
それは津島にいる吉法師の姉のくらの方の所に届け物に出ていた勝三郎であった。その姿を見た三左と五郎八が歓喜の声を上げる。
「おぉ勝三郎無事であったか!」
「良かった、心配しておったぞ!」
二人の過度な歓喜の声には慚愧の念が込められていた。
勝三郎が届けたのは彼女が楽しみしていながらも盗賊団に奪われた西陣織の着物であった。しかしその着物は奪還の際に三左の一撃で肥溜めに突っ込み妙な着色が施されてしまっていた。そのことを知らずに届ける勝三郎は無事に戻れるのであろうか、五郎八と三左はその後の顛末を心配していた。
二人の声に対して勝三郎は少し不快な表情を見せる。
「まったく、無事であったか~じゃないですよ、くらの方さま、ニコニコ顔で箱を開けた後、見る見るうちに鬼の形相に変わっていきましたよ」
「何じゃこりゃー、って」
吉法師はその時の様子を思い描いて恐怖した。くらの方嫁ぎ先の大橋家に仕えていた五郎八も隣で凍り付いている。そして着物を肥溜め行きにした三左も頭を抱えていた。
三人三様で勝三郎に頭を下げる。
「すまぬ、この使いの大役を熟せるのはぬししかいなかったのじゃ」
「すまぬ、何とか復旧を試みたがあれが限界であった」
「すまぬ、儂の一撃が着物に独特な色彩を施してしまった」」
しかしひたすら謝意を表す三人に比べて、勝三郎はそこまで深刻な表情を見せていない。
「あぁでも何故でしょうかね、その後良い香りが広がると共にくらの方さまの気は自然と静まっていったのですよ」
その状況に対して三人は不思議に思いながら互いの顔を見合わせた。その場の雰囲気を変えた良い香り、その仕掛けを施す人物として三人は一人の人物を思い描いた。
「関殿だな」
「えぇ」
「あの者しかおらぬ」
自分たち以外に香りの細工を施すことが可能だったのはあの時最後勝三郎に着物を収めた箱を手渡した一宮の関しか考えられない。
おそらく関は再び箱を開けた時、その開けた者の気を落ち着かせるために特別な香木を忍ばせておいたのであろう。鬼の形相のくらの方の気を落ち着かせたということを考えれば、その香木は非常に高価なものと推察される。
(関殿には大きな借りができたな)
吉法師は頭の中で一宮にて出会った関の顔を思い浮かべて一礼した。そしてまた目の前の勝三郎にも礼を述べる。
「勝三郎、ご苦労であった。やはり儂の代理で赴くのは幼少の時から共にいるぬししかおらぬ」
「いやいや、なんのこれしき」
物心付く以前の兄弟の様な存在、その様な意図が込められた吉法師の礼の言葉に勝三郎は嬉しさを感じていた。
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その後生駒八右衛門が到着すると、皆で大きな地図を囲い、改めて盗賊団追跡の現状について情報交換を行うことにした。五郎八がこれまでの経過を説明する。
「盗賊団は江南の何処かに潜伏し、渡河の機会を窺っていると推測されます。ですが今の所彼らに繋がる手掛かりは得られていません」
「この印は何ですか?」
勝三郎が地図の赤い印を示して問い掛けるとその横から又十郎がぶっきらぼうに答える。
「それはわいらが奴らを見失った所や」
その言い方に勝三郎はむっとした表情を見せるが、吉法師が無言で事を荒立てぬ様にと窘めると内心の怒りを収める。その直後に三左が話を続ける。
「この印の場所を中心にこれまで我らは探索を行ってきたが特に彼らにつながるものは得られておらぬ」
「そうですか……」
その報告を聞いた八右衛門は妹吉乃の身を案じて落胆の表情を見せた。吉法師が逆に問い掛ける。
「八右衛門、生駒の屋敷の方では何か変わった情報は入っておらぬか?」
その問い掛けに八右衛門は真剣な面持ちを見せる。
「真偽不明ながら屋敷の者たちから、最近東方二之宮付近で数人の不審者が出没して問題を起しているという噂を聞きました」
そう言って八右衛門は地図の右端を差し示した。それを見て五郎八と三左が見解を述べる。
「江南で調査をしている我らへの牽制の意図があるのでしょうかね?」
「あぁ、我らの注意を東方に逸らす意図があるようにも思える」
吉法師は二人の話を聞きながら、この二之宮付近での活動にはどの様な意味があるのだろうかと考えていた。盗賊団はここで何か新たな活動を始めているのであろうか、もしかすると新たな拠点作りかも知れないと思う。しかしその一方で情報としてはまだ不審者というだけで盗賊団と確認した訳では無い。
(如何にするか?)
吉法師が思い悩んでいると、地図を見ていた勝三郎が何気なく呟いた。
「何かこれ西方から南方の抑えは強固なのに東方は緩々だね」
その声に吉法師ははっとしながら地図に見入った。確かに西方は美濃遠征の状況もあり、街道の関から各領地での監視が強固になっているが、東方は監視拠点として緩くなっているように見える。
地図を見ていた又十郎も勝三郎を見ながら声を上げる。
「おまん、いいとこに目えつけるやん」
その言い方に勝三郎はまたムッとした表情を見せるが、又十郎が人を褒めるような言葉を発することが稀と思う。
「二之宮での情報が乏しいのも西方の監視の程度が低いためですね」
「確かに、西方にも強固な警戒の網を張っておいた方が良い」
「うむ、現状ではこの江南から西方に逃した時の抑えが利かぬ」
八右衛門、五郎八、三左の三人も勝三郎が呟いた一言に同意し、吉法師の方を振り向いて如何にするか、と問い掛ける表情を見せる。
吉法師は改めて地図に目を向けると、勝三郎に向かって東方の拠点となっている一つの城を示しながら声を上げた。
「勝三郎、九右衛門が戻ったら二人でこの犬山城に赴いて協力を要請してくれ、叔父の与次郎殿は父の美濃遠征に同行して留守の筈だが、嫡男の十郎左が城に残っておるはずじゃ。ぬしと九右衛門はこれまで織田家中の集まりに同席する機会が多々あり十郎左との面識もあろう」
「えぇ!」
吉法師のその重い指示に勝三郎は少し驚きを見せた。しかし自分が地図上で指摘したことに端を発した流れの話であり、先のくらの方への使いと同様に、乳兄弟という織田家中で吉法師に近い存在であることへの期待が込められていることが分かる。織田造酒丞の嫡男である九右衛門もおれば犬山でも無碍な対応はされぬと思う。
「承知しました、十郎左様に協力の要請にまいります」
勝三郎がいつもに無く引き締まった表情で吉法師の指示に応えると、それに併せて八右衛門が声を上げた。
「私も一緒にまいりましょう、犬山の城とは商売上の取引があり十郎左様とも知らぬ仲ではありませぬ故、協力得られやすいかと思います」
八右衛門は妹の救出に向けて自身が出来ることをしたいと願っていた。勝三郎もその八右衛門の帯同に安心感を見せている。
「うむ、頼む」
吉法師は八右衛門に依頼する形でその帯同を許可すると、続けて五郎八に向かって指示を出す。
「五郎八、引き続きこの城で内蔵助、犬千代と共に情報収集を進めてくれ」
その指示に五郎八が応える。
「分かりました、この城の弥次兵衛殿に協力頂きながら周辺の情報収集を継続します、それで吉法師様は如何されますか?」
「儂は二之宮に不審者の確認に向かう、万が一戦闘になった時を想定して三左を、それから処々との連絡を想定して弥三郎を連れて行く」
吉法師は時折三左に目を向けながら五郎八の質問に応えた。するとそれを聞いていた又十郎が意気揚々と声を上げた。
「わいも二之宮に一緒に行ったるわ!」
自ら帯同を申し込んでくる又十郎に対して、三左は面倒くさく感じている様であったが、自分たちが持っていない彼の見識は役に立つことがあると思う。
又十郎に笑顔を見せる。
「ぬしも一緒に行ってくれれば色々と助かる、よろしく頼む!」
吉法師のお願いという形の言葉に又十郎は上機嫌な表情を見せていた。