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第六章 継承 攻城の果て(5)

 真夜中の黒田城内で吉法師は金森五郎八、前野小右衛門と共に武器を構えながら密かに城主の山内が籠っていると思われる本丸御殿を目指していた。御殿脇の庭園にいる自分たちの左手からは祖父江の者たち、そして右奥手からは関の者たちが同様に向かっている筈であるが、月の明かりが雲に閉ざされ、その様子を見ることはできない。しかしそれは密かに御殿への接近を試みる上では好都合とも言える。


 庭園の木に身を隠しながら目の前の御殿に目を凝らす。


(良く分からぬか……)


 目の前でぼんやりと浮かんでいる建物がどの様な状況で、自分たちの接近に対してどの様な反応を示すのであろうか。不法な侵入者として認識されれば、即座に刃を向かわせて来る事が想定される。油断出来ない状況に手にする武器に力が入る。しかし未だ自分たちを警戒する動きは感じられない。吉法師は暗闇の庭園の中を周囲に警戒しながら更に御殿に向けて歩を進める事にした。


(何かおかしい……)


 御殿の姿がはっきりと視認出来る位置まで来た時であった。近くにある篝火の台が倒れているのが目に入った。篝火は城内を警戒する上で必要な灯りであり、それが乱雑的な形で失われている状況に不自然さを感じる。そしてまた横の祠の周囲では旗指物が折れた状態ではためいているのが見える。縁起を担ぐ武家においてこの状態を放置している状況にも不自然さを感じる。その直後、雲間から届いた明かりで浮かび上がった御殿の姿を見た吉法師は驚きの表情を見せた。


「これは一体?」


 御殿の建物は障子窓や戸が至る所で壊れて風が吹き抜けており、奥の方では柱が折れている所があり、屋根には穴が開いている個所がある。御殿には人の気配が無く何か廃墟感が漂っていた。


「どういう事じゃ?」


 小右衛門の問い掛けに五郎八が答える。


「どうやら別の盗賊団の襲撃を受けたというのは本当だった様ですね」


 それは先に祖父江から間接的に受けた報告であった。捕えた商人姿の盗賊団の者たちの身柄をここの城主である山内に預けていたが、別の盗賊団の者たちの襲撃を受けて全員に逃げられたというものであった。


 その報告は先に吉法師を襲った衆の中に山内に似た者がいたことから偽りで、本当は盗賊団と裏でつながっており故意に逃がしたのではないかと疑っていたが、この城内の様子からすると盗賊団の襲撃については真実だと思われる。


「山内殿には多大な迷惑を掛けたという事になるか……」


 もしこの城の状況が別の盗賊団の襲撃によるものだとすれば、祖父江を通じて彼らの仲間の留置を依頼した自分たちが起因していることになる。吉法師は廃墟の様な御殿の前を歩きながら、何か申し訳無い思いを感じていた。


「吉法師様、あそこから入り込めそうですよ」


 五郎八が前方を差し示しながら声を上げる。そこは御殿の渡り場から奥へと回廊がつながっている様で、御殿内への突入口として最も良い場に思える。


 無言で頷く吉法師に小右衛門が問い掛ける。


「行くか?」


 次に考えるべきは御殿突入の頃合いであった。当初は相手方に敵意がある事を念頭に、意表を突いた城攻めの敢行の後、表門からの鬨の声を合図に多方から一気に制圧することを想定していた。しかし城内の状況を見る限り既に応戦の能力は失われており、敵意についてももう少し確認すべきと思う。


(ここは先ず真の城の状況を見定めることが肝要だ、そのためには城側に過度な圧力を掛けずに隠密にて確認すべき……)


 少し判断に迷った吉法師であったが、意を決すると二人に密かに声を上げた。


「よし潜入してみよう」


 その後三人は表門からの鬨の声を待たずして御殿の中へと入り込んで行った。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 御殿の中は更なる暗闇が支配する世界となっていた。外に面した部屋には少し外からの明かりが入り込んでいるが、廊下までには届かない。吉法師は二人の後に続いて周囲の状況が把握できない廊下を進んで行った。


「吉法師殿、その先の床に穴が開いておるぞ、気を付けられよ」

「吉法師様、この先は行き止まりの様じゃ、右手の方に進みますぞ」


 暗闇の中で小右衛門と五郎八が伝えてくれる。二人は普段夜の行動も多々あってか夜目が利くのであろう、自分より御殿内の状況が把握出来ている様であった。そして暫く御殿内を探っていた時であった。


「吉法師様、あれを」


 五郎八が小声で指し示す方向に目を凝らすと、何か一筋の明かりが目に入った。その明かりの揺らめき方には何か人の気配が感じられる。三人は無言で頷くと警戒しながらその方向に向かって行った。


 明かりは御殿奥の部屋から発せられていた。身を伏せながら近寄った三人はそこで二人の男の会話を耳にした。


「この城も終わりじゃ、先祖伝来の家宝も備蓄していた兵糧も奪われてしもうた。もう城の復興どころか家臣を養っていくのもままならぬ」

「山内殿、我らも奴らに可愛がっておった娘を奪われて辛い、だが挫けてはならぬ、我らは何があっても岩倉の殿を守らねばならぬ」


 それは吉法師たちの清州織田家とは系統の異なる岩倉織田家に属する武将としての会話であった。障子に開いた隙間から三人が覗く中で二人は話を続ける。


「しかし堀尾殿、なぜ殿はこの美濃遠征の折に吉法師の身柄を抑えよ、などという指示を出されたのだ?」

「いや、儂も良くは分からぬが、この間殿は何やら怪しい体風の者に狼狽えておった。おそらくあれはここを襲った盗賊団の者であろう。何やら殿は弱みを握られていたに違いない」


 その会話は吉法師にとって衝撃的なものであった。岩倉織田家が裏で盗賊団の先鋒となって自分たちに敵対している。現在父上が尾張の主力部隊を率いて美濃遠征を行っている状況を考えると、更にその裏で美濃衆が関係しているのではないかとも推測される。この尾張国内を使って退路を断つ様な暗躍は非常に由々しき事態であると思った。


「我らを襲った輩を率いていた者はあの堀尾殿ですね」

「あぁ、ただ彼ら自らの意志では無さそうだ」


 五郎八と小右衛門が囁く。盗賊団の被害を受けつつも主君の暗躍に加担せざるを得ない状況の山内と堀尾の二人、何か今の世の無常を感じさせるものがある。


「どうする?」


 小右衛門と五郎八が再び自分に次の判断を求める。


 自分を襲ったのは必ずしも自分たちの意志では無い。逆に現状で事を荒立てれば問題は岩倉織田家に及び、清州織田家と尾張を二分する争いに発展しかねない。それは隣国美濃との戦が行われている状況で避けるべき事態であると思う。


 吉法師が判断に悩んでいたその時であった。


「うぉあー!」

「うぉー!」

「成敗いたーす!」


 御殿の外から大きな鬨の声が響き渡った。それは表門から生駒の部隊が突入した合図であった。同時に祖父江と関の部隊も御殿を取り囲んでいると思われる。この状況に静まり返っていた御殿の中からも散発的ながら声が上がる。


「また敵襲だ!」

「何、まだこの城を狙うのか!」

「とにかく殿を守れ!」


 城に留まっていた彼らは盗賊団の襲撃でもはやこの城に価値は無くなったと考えていた。城内の別の場所でも城の者たちが飛び起きている様で、バタバタとした音が周囲に響き始めている。


 吉法師は物陰に隠れながら二人に声を掛けた。


「取り敢えず山内殿と堀尾殿に会って話をしよう」


 もし二人に城から逃げられたり切腹されたりすれば、岩倉織田家との関係が悪化することが予想される。ここは先ず話し合いが出来る形での身柄の確保が重要と思う。そう小右衛門と五郎八に伝えたその直後であった。


「二人がおらぬ!」

「何処へ行った?」


 先程まで部屋にいた二人の姿は御殿内外の声と共に消えていた。城内にいた他の者たちも散り散りになって御殿の内外に散っており、自分たちを攪乱している様に見える。


「探すのじゃ!」


 吉法師は二人に御殿内の捜索を指示すると御殿の外に飛び出した。外では包囲している生駒、祖父江、関の部隊が御殿から出て来る者たちを次々と確保している。吉法師は三人に山内と堀尾についても同様の指示を出した。


「我らを襲ったのは山内、堀尾の両名であったがどうやら何か事情がありそうじゃ、今御殿からの脱出を試みるやも知れぬ、先ずは身柄を抑える様に」


 各方面にいる三人はその指示に即座に答える。


「吉法師様、承知しました」

「山内殿も堀尾殿も顔を知る者」

「見つけたら先ず捕まえますよ」


「うむ、頼む」


 先ずは二人の身柄を拘束する、それは何か辛辣な指示を出している様に思えた。その中で吉法師は生駒の部隊に大きなほうきを持った者が加わっているのを目にした。何かこの状況での滑稽な姿に可笑しさを感じる。そして改めて御殿の方に目を向けるとそこは酷く荒れている様子が目に入る。その瞬間に一つ思い立った吉法師は生駒八右衛門に向かって叫んだ。


「八右衛門、もう一つ頼まれてくれ!」

「はい、何でしょうか?」


 先程の強い指示とは異なる言い方に生駒は少し戸惑いながら訊ねた。すると吉法師は少し笑顔を見せて言った。


「この城だがちょっと掃除を始めておいて欲しい」

「は?」


 それは八右衛門にとって予想外の依頼内容だった。攻め落とすつもりで押し入った城で掃除を始める、最初は聞き間違いかとも思ったが、必ずしも落とすべき城でも無ければ、自分が引き連れて来た寄せ集めの部隊には実際の戦闘よりそちらの方が向いている様に思う。吉法師に何か考えがあってのこと、そう思った八右衛門は即座に承諾する。


「承知しました」


 複雑な表情を見せながらも承知する八右衛門を見て、吉法師も我ながら妙な依頼をすると思いまた笑みを見せた。そして次に彼らと行動を共にしていた子供衆に指示を出す。


「犬千代、内蔵助、九右衛門、弥三郎、ぬしらは儂と共に御殿の中を捜索する。付いて参れ!」


 そう言うと吉法師は子供衆を引き連れて再び御殿の中へと戻って行った。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 その後東の空から太陽が昇ってきても山内と堀尾の行方は杳として知れなかった。


(既に城を脱出しているのか、いやまだ何処かに隠れているはず……)


 もし二人がこの城から抜け出て岩倉に逃げ込む様な事になれば、不当に城を奪取されたと言上され二つの織田家の関係悪化につながる。しかし岩倉織田家とはそもそも良き関係に無いのであろうか。


(なぜ殿は吉法師の身柄を抑えよ、などという指示を出されたのだ?)


 あの時の二人の会話が思い起こされる。


(岩倉織田家がなぜ?)


 二人の捜索を行いながらその疑問について考えていた時であった。


「吉法師様、こちらへ来てください」


 その五郎八の声に小右衛門も含め皆が集まる。


「この押入れの横から下に向けて抜け穴があります」


 それは先程二人がいた隣の部屋にあった。


「ここから御殿を抜け出たのか」

「ということはもう城からも抜け出ているな」

「あぁ恐らくな」

「念のため入って調べてみるか」


 そう言って小右衛門が抜け穴に入ろうとした時であった。


「うわっ!」


 中から逆に出て来る複数人の者に皆が驚いた。その中にはまさに探していた山内と堀尾がいた。二人は無言で吉法師の前に歩み寄ると跪き声を上げる。


「吉法師様、申し訳ありませぬ、吉法師様を襲ったのは我らです」

「我ら二人の独断ゆえ、我が岩倉の殿は関係ありませぬ」


 二人は両手を上げて降参の意を示すと同時に主家の岩倉織田家の関与について否定した。既に自分たちは如何なる処分を受ける覚悟にいる様子を見せる。しかし先程の会話で、襲撃の指示は岩倉織田家から出ていて二人は逆に盗賊団の被害者であることを聞いている。岩倉織田家の関与は気になる所ではあるが、今の自身の一番の目的は吉乃を浚った盗賊団を追う中で後顧の憂いを絶つことにある。


 吉法師は意気消沈している二人に笑顔を見せて言った。


「お二人は何か勘違いをされておられる。我らはこの城が盗賊団の災難に遭ったと聞いて復興の手助けに参ったのじゃ、ほら」


 そう言って吉法師は周りを示した。すると吉法師と共に城に来た者たちがこの城の者たちと一緒に御殿内外の掃除や障子の張替え、壊れた戸の修理を行っている様子が目に入った。その光景に二人は目を丸くした。数人の女衆が駆け寄ってくる。


「あんた、何処におったん、皆が集まってお城をきれいにしてくれてんのに、しっかりしておくれよ」


 それは山内家の奥方であった。盗賊団の襲撃の際に一時場外に避難していたが、さっそく城の再興を目指して工作人を集めて戻って来ていた。それは山内にとって信じられない光景であった。


(自分はまだやれる……)


 多くの人が城の復興に向けて動いているのを見て山内の涙腺が緩む。


「山内殿、良かったな」


 堀尾も山内の肩を抱きながら安堵する様子を見せた。


 その後、順調に城の復興が執り行われ、朝陽の眩しさが収まってきた時であった。


ドドドドドドッ


 怒涛の勢いで騎馬の集団が乱入する様に城内に入って来た。


「川並衆参上!」


 それは小六率いる川並衆であった。彼らはまだ戦闘が展開されているのを想定して威勢良く城に入って来た。しかし既に城内の様相は一変している。


「ちょっとあんた、こっちの柱傾いている所、馬で引っ張ってくれ」

「おいこっちだ、この木材を向こうに運んでくれ」

「おまえ、ここのゴミ、邪魔だから向こうに運んでくれ」


 城の復旧を行っている者たちの手荒な扱いで、川並衆の者たちが乗っている馬ごと一騎また一騎と各所の手伝いに駆り出されて行く。最後にぽつんと単騎になって呆気に取られる小六に小右衛門と吉法師が近寄って声を掛ける。


「兄者、お疲れ、遅かったな?」

「小六、葬儀の列の方は如何であった?」


 二人の問い掛けに我に返った小六はこの城での事態は分からないながらも、既に戦闘事が無くなったことを認識して気を緩めながら応えた。


「あぁ、葬儀の列への追走だが、国境の川沿いを西に向かっておった所で追い付いた。そこで凄いな、あの三左という男、あの者の一振りで奴ら奪った物を全て置いて逃げて行きおった」


 それを聞いて吉法師は笑みを見せた。


「ははは、さすが三左じゃ、一緒に向かわせて良かった」


 小六の報告は更に続く。


「奪い返した荷物は裸でおった二人に先程返して来た所じゃ、それから娘が一人捕まっておった、残念ながら吉乃では無かったがな」


「そうか……」


 娘という言葉に一瞬吉乃の姿を思い浮かべた吉法師であったが、別人と聞いて残念に思う。再び小六が話を続ける。


「逃げた盗賊団の者たちだが、国境の川は昨今の雨による増水で流れが速く、正規の街道でなければ渡河は困難じゃ。盗んだ物は渡河する場所の近くに拠点を設けて一時蔵置きしていると考えられる。逃げた奴らはきっとその拠点に向かうであろうから、又十郎らにはその拠点を発見すべく奴らの後を追わせておる」


「うむ」


 吉法師はその小六の対応に一つ頷いて見せた。それは今できる最良の対応であると思った。


 そして暫くすると三左が馬におこいを乗せてやって来た。おこいの前には一人の娘が一緒に馬に乗せられていた。吉法師が出迎える。


「三左、ご苦労であった。話は小六から聞いている。こちらが捕まっていたという娘さんか?」


「はい、ちょっと儂は恐がられておって、おこい殿に相手をしてもらいながら連れて来ました」

「ははは、それは良き判断じゃ」


 そう言って吉法師は笑みを見せた。戦闘力に満ち溢れた見ず知らずの三左に連れられて来るのは娘にとって恐怖でしか無いであろう。その中でおこい殿の存在は安心できるものだと思う。


「三左殿、強いばかりの男ではだめですよ」


 おこいが三左に苦言を述べながら馬上の娘を預けると、三左は恐縮しながら地面に降ろした。その時であった。


「おぉ、はる、はるじゃないか!」


 それは先程山内と共にいた堀尾の声であった。


「父上!」


 盗賊団に浚われていた娘は肉親に再会した安堵感からか、泣きじゃくりながら堀尾に駆け寄って行く。


「ありがとうございます、ありがとうございます」


 堀尾は娘を抱えながら何度も吉法師と三左に向かって頭を下げた。その様子を見ておこいが笑顔で話し掛ける。


「はるちゃん、父上に会えて良かったね、あ、それからこれ、うちの荷物では無いから持ってきたけど分かる?」


 そう言っておこいが堀尾に見せたのは木箱に収められた石塊であった。それはそれほど高価な宝石には見えないが、木箱に収められている事から大切に保管されて来た物である事は分かる。


「こ、これは!?」


 その石塊を目にした堀尾は即座に山内を呼んだ。続けてその石塊を確認した山内が驚きの声を上げる。


「これは先に奪われた我が家の幸石です」


 それは山内が盗賊団の襲撃を受けた際に奪われた物で、家宝として古来より大事にされていた物であった。城の復興に続き家宝も戻る、これは吉法師との出会いによる効果なのであろうか、何か家運が上がっている様な気がしていた。


「山内殿、家宝が戻って良かったのぉ」


 そう言う堀尾の胸には必死に抱き付いている幼い娘の姿がある。自分だけでは無くこの男の家運も上がっているのだと思う


「堀尾殿こそ、娘さんが戻って良かった」

「あぁ、これも吉法師様や皆のおかげじゃな」


 会話を経た二人が笑顔を以て吉法師に頭を下げる。


「いやいや、礼には及ばぬ」


 吉法師もそう言いながら笑顔を見せた。


 もしかしたらこの場で敵になっていたかも知れない山内と堀尾の二人、しかし今この瞬間は笑顔で自分に感謝の意を示している。彼らの主の岩倉織田家の意向が定かで無いため、今後再び敵方に回るかも知れないという不安はあるが、この一時の間二人は味方に思ってくれると思う。


 そしてまた二人が城の復興の作業に戻ろうとした時であった。おこいが吉法師を含めた二人に問い掛けた。


「ところで彦左衛門は何処にいるのですか?」


 その言葉に吉法師は城内に突入する前の最後に目にした彦左衛門の姿を浮かべた。


(彦左衛門は城内で戦に及ぶのを避けて立ち去った……)


 おこいの問い掛けに吉法師は事実としてそう伝えることを思ったが、何か彦左衛門の立場を貶める様で即座に口に出来なかった。するとおこいは御殿の屋根の上を見て再度声を上げた。


「あぁ、あそこにいるのですね!」


(何?)


 その言葉に吉法師は驚きながらおこいの見つめる方向を見渡した。すると確かに彦左衛門らしき男が五郎八と一緒に御殿の屋根の修理を行っている様子が目に入った。


「彦左衛門、馬あー!」


 おこいが大声で彦左衛門を呼び出す。おこいが三左に連れられて乗って来た馬は三左が彦左衛門に貸したものであった。おこいの声を耳にした彦左衛門は五郎八と共に屋根から降りて来た。吉法師は彦左衛門が近寄って来る様を本当に本人なのか見定めた。


(確かに彦左衛門だ、去っていなかったのか、ならば今まで一体何をしておったのだ?)


 吉法師が見つめる中で皆が彦左衛門に感謝の意を示す。


「彦左衛門が馬を貸してくれたので、三左殿が兄者たちの荷物を取り返してくれた。ありがとうね」

「儂の娘も無事に戻った」

「我が家の家宝もじゃ、恩にきる」


「あぁ、いやいや、ははは」


 日頃皆に礼を述べられる事に慣れていない彦左衛門は照れ笑いを浮かべていた。そして山内と堀尾が城の復興作業の方に戻ろうとした時であった。


「あっ、暫し!」


 訊きたい事があったためか彦左衛門と一緒に屋根から降りて来た五郎八が二人を呼び止めた。


「実は少々気になったのでお伺いしたいが、お二人は城の抜け穴から脱出を図ったはずですが何故戻られたのですか、もしそのまま脱出して岩倉の方に向かわれたらこの様な和は生まれなかったであろうと思うと不思議でならぬのです」


 吉法師はその五郎八の疑問を聞いて確かにそうだと思った。あの状況で逃げ切る事が可能な状況であったのに、死を覚悟して戻られたのは如何なる理由があっての事なのであろうか、吉法師も気になる様になっていた。山内と堀尾が頭を抱えながらその理由を述べる。


「実は抜け穴の出口に掛かっている鍵が普段は内側から掛かっておるのだが、何故か外側から掛けられておって出られなかったのじゃ」

「それで観念して戻って来たという訳じゃ、だが何が幸いするか分からぬもの、出られぬ時は絶望であったが逆に希望の始まりであった様じゃ」


 二人の話を聞いて五郎八が頷く。


「なるほどその様な事がありましたか」


 そう言って五郎八が納得すると、山内と娘を抱えた堀尾は一礼して城の復興の作業に戻って行く。堀尾の娘がおこいに声を掛ける。


「おこい姉さん、ありがとう!」

「はるちゃん、また今度会いましょう!」


 笑顔を見せ合う二人はすっかり仲良くなった様であった。この時、吉法師は他の皆には聞こえぬ様に小声で彦左衛門に話し掛けた。


「抜け穴の出口への細工、ぬしの仕業であろう」


 おそらく彦左衛門は城の周囲を散策する中で抜け穴の出口を見つけ、先手を読む様に細工を施したのであろう。それは機転の利く者でなければ出来る様な事では無い。ちょうどその時彦左衛門が所在不明となっており、吉法師はその抜け穴への細工は彦左衛門の仕業と推測した。


 子供ながらに鋭い視線を向ける吉法師に彦左衛門はいつもの通りの笑顔を見せて答える。


「ははは、いえね、城の周囲を見渡していたら、何かそれっぽいのがあったので、少々細工しちゃいました。でも話がまとまる方向に向いて良かったですわ」


 やはり抜け穴への細工はこの彦左衛門によるものであった。やはりこの男には将来を見据えて先手を施す特殊能力があると思う。それはきっと自分の益になる。吉法師は是非とも彦左衛門を自分の家臣に欲しいと思った。


「彦左衛門、一緒に来ないか?」


 前に一度誘って難色を示されているが、吉法師は改めて彦左衛門に家臣に誘う意を伝えた。しかしその声はほぼ同時に放った他の声にかき消されていた。


「彦左衛門、さぁ行くよ、荷物番をしている兄者たちが待っている!」


 それはおこいの誘いの声であった。おこいは既に彦左衛門の馬に乗り、二人で荷物の場に戻ることを想定しながら意気揚々としている。


「えっ、あっ、はぁ」


 彦左衛門は吉法師に一礼すると、おこいの強引な誘いに困惑しながらおこいを乗せた馬を引き城の表門へと去って行った。


「ははは、儂よりぬしを強く誘う者がおったわ」


 吉法師は彦左衛門の後ろ姿を見ながら声を上げて笑った。


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