第六章 継承 攻城の果て(4)
夜半過ぎになり神社には吉法師の攻城の要請に応じた者たちが集まり始めていた。馬を駆る前野小右衛門と共に弥三郎と九右衛門も戻り、一宮の関長安と一宮の近くで美濃と国境を警備していた祖父江五郎右衛門が再び吉法師の下に赴いていた。
祖父江が吉法師に話し掛ける。
「吉法師様、申し訳ありません。弥三郎に事の次第を伺いました。此度の山内殿の裏切りには自身の責任を痛感しています」
自分が吉法師を山内に紹介していなければ、その姿や行動が知られる事は無く、今回の山内が吉法師たちを襲うなどという事件も起こらなかったであろう。悲痛な表情を見せる祖父江であったが、吉法師は特に気にしていない。
「いや、祖父江殿、まだ事の真意を早急に正そうということであって裏切りと決まった訳ではないから」
その言葉を聞いた周囲の者たちが頷きながら声を上げる。
「そうじゃ、まだあの時にいた者が山内殿と決まった訳ではない」
「そう、山内殿に似た別の者ということもある」
「あぁ指揮を取っていた者も分からぬという事もあるしな」
「うむ、このまま先に進めぬ故、先ずは真相を正す事が肝要じゃ」
吉法師はそう言って集まってきた者たちを見渡した。これから行うは黒田城を急襲して真意を正すこと、そして実際に敵対行為があったとすれば、窃盗団を追う自らの状況や美濃に遠征している尾張軍の状況を考慮しながら、目的はそれらにおける悪影響を排除することに変わる。そのためには武力が必要になると思われるが、今ここに集まった者は三十名にも満たない。
(ちょっと城攻めとなると少ないか……)
それほど大きな城構えではない黒田城とはいえ、この人数では攻め切るどころか、真相を正すための圧力になるかも怪しい。やはり川並衆が戻るのを待つしかない、そう思う一方で急襲という不意を突いた形の攻めが必要と考えると夜明け前に攻め入る必要があり、そのための時間的猶予は無くなってきている。
(待つか、それとも攻め入るか……)
吉法師が思い悩んでいた時であった。
「後方から集団が近付いてきます」
弥三郎の声に吉法師は背後を振り向いた。すると二十名程であろうか、暗闇の中からこちらに近寄って来る集団が見えた。
「川並衆か?」
最初にそう思った吉法師であったが、馬に乗って追走に向かった彼らに対して、その集団は全員徒歩で近寄って来ている。
「敵か!」
危惧した吉法師は皆に警戒の意を示した。その後その集団が近付くにつれその正体が判明する。
「お待たせしました吉法師様、少々人集めに苦労しまして……」
その集団を率いていたのは生駒八右衛門であった。吉法師はよもやの援軍に一瞬喜びの表情を見せたが、その直後唖然とした表情に変えた。八右衛門が連れて来た者たちはその年齢も体格も身なりもばらばらで、その手には武器では無くほうきやのこぎり、鍬や傘などの生活用具を手にしていた。八右衛門は国境警備を行っている生駒家で正規の部隊の派遣が認められず、取り分け態勢に影響しない近くの民家の者たちを雇い連れて来ていた。
「う~ん」
吉法師は彼らを見ながら首を傾げた。確かに攻城人数で言えば五十人程迄に膨らんだが、本格的な戦となった時に戦力としての期待はできそうにない。この者たちを引き連れて本気で城攻めを行うべきであろうかと暫しの間悩んでいた。
すると集団から少し離れた方から考え込む吉法師に向けて声が上がった。
「これだけ人がおれば十分でしょう」
現状で城攻めを推奨する意見、誰であろうか、吉法師はその声の方を振り向いた。するとそこにいたのは三左に馬を貸した連雀商人の彦左衛門であった。
「実際に戦うことだけが攻城の手法では無いでしょう」
現場の状況を把握し城攻めに最も的確な手法を充てるその時にこれだけの人がいればそれなりに戦術の幅が広げられ色々な策を講じることが出来るというもの。そう説く彦左衛門に吉法師は商人ならではの合理的な考え方と思った。
(なるほど……)
吉法師は彦左衛門の話を聞いた後、五郎左、小右衛門、関、祖父江の方に顔を向けた。四人も納得の表情で頷いている。それを見た吉法師は集まった皆に向かって声を上げた。
「よし、我らこれより黒田城に向かう!」
「おう!」
吉法師の意思決定に大きな声が上がった。
その後皆が出発に向けてそれぞれの荷の移動の準備を始める中で、吉法師は彦左衛門に声を掛けた。
「彦左衛門、ぬしも我らと一緒に参れ」
この男は自分たちに無い視点から意見を述べることが出来る。それはこの後の攻城においても有意義なものになると思う。吉法師は家臣で無く、ましてや尾張の者でもない彦左衛門に攻城への同行を求めた。しかし彦左衛門は渋い顔を見せる。
「いや、あっしは馬が無いと運べぬ程の荷物があるから無理じゃ」
そう言って指差す先には三左に馬を貸した際に降ろした荷物の山が置かれている。
(最初から同行を求められたらこの荷物を理由に断るつもりでおったな……)
吉法師は彦左衛門の真意を読んでいた。
彦左衛門は商売上の川並衆との付き合いもあってこの攻城の集団に参加したが、武力を以て事を解決しようとする者たちと一緒に行動する気が起こらないのであろう。このため先ず馬を三左に貸して先の葬儀の列の追走の川並衆の集団から抜け、今度はその時降ろした荷物を理由に攻城の集団に入るのを避けようとしている。吉法師はそう彦左衛門の心の内を理解した。先程のこの者の意見は中々決定されない自身の状況に業を煮やしての物であろうが、自らが参加する気は無いのだ。
(同行させるのは難しいか……)
吉法師が諦めかけたその時だった。
「大丈夫よ、荷物なら私らが責任を持って見ているから安心して!」
背後から女の声が届く。それはおこいの声であった。おこいは彦左衛門の真意など知る由も無く、単に荷物の問題と捉え、自分が兄たちと共に荷物の番をする事で吉法師との同行を勧めていた。
「い、いや、あっしは攻城など経験無いし、武器など手にした事もないから戦力にならぬし」
それは彦左衛門にとって予定外の話の展開の様で、動揺を見せていた。しかしおこいは兄たちへの着物を予期しているかの様に所持していた彦左衛門に対して、困難な時ほど役に立つ人物と評し、吉法師以上に多大な貢献価値を抱きながら同行を勧めていた。そして吉法師もまた今度は戦の戦力にならぬという理由で断りの意を見せる彦左衛門に拒否できぬ話術で同行を求める。
「先程の攻城決定はぬしの意見が引き金になったのじゃ、もはやぬしは他人事で済まされる立場ではないぞ」
そう説かれて怯む彦左衛門に吉法師が畳み掛ける。
「なぁに、もし戦になってもぬしが戦いにまで参加する必要は無い、その時は全力でその場から逃げてよい」
吉法師はそう言って笑顔を見せた。子供の吉法師にそこまで言われてしまえば彦左衛門も断れない。
「はは、分かりましたあっしも同行させてください」
彦左衛門は一つ降参の笑みを見せると吉法師と共に黒田城を目指すことにした。
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深夜になり黒田城の周囲には五十名余りの人影が集まっていた。時折雲間から届く月の光で浮かび上がる彼らの中で武者姿を見せる者は少なく、その配置がばらばらな様子からも攻城という様子は見られない。そしてまた一揆の様な殺伐とした雰囲気も無く、その集団は何となく集まってきたという様相を見せていた。
その時吉法師は城の表門より少し離れた場所で五郎左、小右衛門、八右衛門、関、祖父江らと議論を行っていた。
「城内の様子はどうだ?」
先行して城の様子を窺っていた内蔵助と犬千代に訊ねる。すると二人は何度も出かかるあくびを抑えながら答えた。
「城の中はずっと静まり返ったままですよ」
「外敵を警戒している様子は無いですね」
その報告を聞いて吉法師は城の方に目を向けた。二人の報告の通り城内は何か異常な程に静まり返っており外を警戒している様子は感じられない。
「いや、しかし見張りもいないというのは如何か?」
「あぁ、何か罠があるのやも知れぬ」
「迂闊に攻め込むのは危険だな」
「うむ、我らも即席で寄せ集めの衆だしな」
吉法師は皆の意見を聞くと、再度犬千代と内蔵助に問い掛けた。
「それで他に城内に侵入できそうな場所はあったか?」
もし城内に向けて何かしらの罠が仕掛けられているとすればそれは正面の城門からの突入が想定されているだろう。であれば他にもっと安全と思われる侵入口は無いかと思う。その問い掛けに二人は互いの顔を見合わせた後、城の右手の方を一緒に指差して言った。
「城の右手奥に柵が少々壊れている部分がありましたよ」
「我らなら入れるかという位の大きさですがね」
その二人の報告を聞いて吉法師が声を上げる。
「よしその場所に行ってみよう」
一つ行動を決めた後の吉法師の行動は早かった。吉法師は今の城表門近くの場に八右衛門を残すと、皆を連れて城の右手奥へと確認に向かった。
「あそこか?」
二人が報告する場に着いた吉法師は比較的大きな通用門の横にある柵の一部が壊れているのを目にした。そこは子供しか入ることの出来ない大きさではあるが、障害無く城内に侵入する唯一の場所に思えた。
「我らだけであそこから侵入を試みるか?」
吉法師が子供衆の四人に向かって呟くと四人は頷いて同意の意を示す。しかし、五郎左、祖父江、関の三人は難色の表情見せる。
「吉法師さま、城内の状況が分からぬ状況で危険です、お止めくだされ」
「その通り。吉法師様が城内で敵に囲まれても我らどうにもできませぬ」
「そもそもあの隙間こそ吉法師様を導く罠かも知れませぬよ」
三人の懸念はもっともと思った。しかしなればどの様にすれば良いか、城を前にして攻め口が見つけられず思案で時間ばかりが経過していく状況は好ましくない。すると城の周囲を見渡していた彦左衛門が歩み寄って来て述べた。
「そこの通用門、あれ壊れとるね、あの斜めになっとる角度からすると多分鍵など掛かっておらぬぞ」
その言葉に一同が彦左衛門に驚きと共に疑いの表情を見せた。
「そんなばかな!」
「城の門が壊れているなどあるのか」
「そんなの普通放置しておかぬだろう」
しかし暗がりの中で改めてその通用門を見てみると、はっきりとは見えないが、確かに少し傾いている様に見える。
「うーむ、確かに傾いているか」
「しかし門が壊れているかまでは分からぬ」
「いや、鍵が掛からんなんて事は無かろうて」
その五郎左たちの疑問に彦左衛門が答える。
「いや、あの角度の傾きでは上手く鍵木は掛からぬと見た。何とか掛けたとしてもおそらく鍵としては機能しておらぬだろう」
そう言い切る彦左衛門に五郎左が声を上げる。
「よし、ならば自分がこそっと行って確かめて来よう」
そう言うと五郎左は単身警戒しながら通用門に近寄って行った。
(気を付けろよ、五郎左……)
吉法師は他の皆と一緒に通用門前の草むらに身を潜めると、門の前に辿り着いて門の状態を窺う五郎左に心配を寄せた。
この通用門においてもどの様な敵の罠があるがあるか分からない。もしかすると我らの行動を何処かで覗いていて、突如門が開き敵が攻撃して来るかも知れない。しかし一方で城内の静けさを考えれば自分たちの接近に気が付いていない可能性もある。もし彦左衛門の言う通り門に鍵が掛かっておらず、音を立てずに門を開けて攻め込むことが出来れば急襲の成功に対しては大きな進展となる。
吉法師と他の皆が見守る中で、五郎左は一通り門板の状態を見定めると、門板に掛けた手に奥へと押し込む力を込めた。
「うわっ!」
するとその途端、門板は門柱から外れて五郎左の方に向かって倒れ掛かって来た。門板は開くか開かないか、という二択しか想定していなかった五郎左はこの想定外の状況に対して、倒して大きな音を発生させるのは拙い、という考えが優先して働き咄嗟に倒れ掛かる門板を支えようと手で押さえた。しかし門板はとても一人で支え切れる大きさでは無い。
「如何、皆で支えるのじゃ!」
その事態を見ていた吉法師が声を上げる。
門板を倒した際に発する音は城内に大きな警報として響き渡るであろう。そうなれば城内は一気に戦闘状態となり状況が一気に不利となる可能性がある。何よりも目の前で五郎八が門板に圧し潰されそうになっている状況は皆で支えるという以外の対応の選択を否定する。もしかするとこれは城方の罠かも知れない、皆と共に駆け寄りながらそう思う吉法師であったが、既に子供衆を含めた皆が門板の支えに向かっている。
「傾斜の重心がそっちに向かっておるぞ、そっちから支えた方が良い」
「いや、こっちは下が石段になっていて足場が悪い」
「如何、倒れる!」
「駄目だ、倒してはならぬ」
倒れる門板の方向が悪く皆でも支えることが出来ない、このままでは石段に落として大きな音が発生する。皆が諦めかけたその時であった。
「回せ、回すんじゃ!」
彦左衛門が声を上げた。彦左衛門は先ず支える事を考えるのではなく、門板を回転させて足場の良い方向に倒れる向きを変えるべきと伝えていた。しかし五郎左や小右衛門、関、祖父江らは何とか倒れる門板を支えるのに必死でその対応は困難であった。その時その声に呼応したのは四人の子供衆であった。
「こっちから押して回すぞ」
「おう!」
四人は力を合わせて倒れ来る門板の角端から横に回す様に押し込んだ。すると門板は足場の良い方向へと倒れる角度を変え、皆で安定して支えることができるようになった。その後皆は門の周囲に気を配りながら門板を静かにその場に降ろした。
「いや、危なかった」
「この門も罠であったのだろうか」
「あまりにも意表を突かれた感があるからな」
「心して進まねば」
一難を越えた吉法師らは警戒の声を囁き合いながら通用門から城内に侵入した。幸いにも城内はこれまでと同様に通用門から城内に向けても人影は見られず静まり返っている。
(おかしい、あまりに人の気配が無さすぎる……)
吉法師は不思議に思いながらも子供衆に指示を出した。
「犬千代、内蔵助、九右衛門はこのまま城内の城壁に沿って表門に向かい城門の解放を試みよ、この状況だと表門も手薄と思うが、門番などの警戒があれば再度連絡を入れてくれ、こちらより挟撃に向かう」
「それから弥三郎は八右衛門の所に戻って現状を報告、表門が開き次第、鬨の声を上げながら本丸に向けて侵攻する様に伝えてくれ、ただ罠が仕掛けられている可能性もあるので、無理せず侵攻の振りだけでも良いと伝えよ」
「分かりました」
「早速参ります」
吉法師の指示を受けた子供衆が城の内外へと散って行く。それを見送った吉法師は続けて他の皆にも指示を出した。
「ここから我らは表門で鬨の声が上がるまで、本丸に向かって密かに侵攻を試みようと思う。関殿は本丸の右裏手から頼む」
「分かりました」
吉法師の求めに関が承知の意を示すと、吉法師は一つ頷いて次に祖父江の方を振り向く。
「祖父江殿は左表門側から本丸への侵攻をお願いしたい。もし表門に城番がいて犬千代たちが開放に苦労している様であれば、そちらの対応もお願いしたい」
そう伝える吉法師に祖父江は承知すると同時に問い掛ける。
「承知しました、で吉法師様は如何に?」
「儂は五郎八、小右衛門と共にこのまま本丸側面より接近を試みようと思う」
その吉法師の言葉に五郎八と小右衛門が静かに頷く。
「分かりました、お気を付けて」
「それでは一同」
「はい、また本丸で合流しましょう」
皆で再度頷くと関と祖父江はそれぞれの方向に向けて侵攻して行った。
その後五郎八、小右衛門と共に密かに城内の歩みを進めていた吉法師は小さな本丸庭園を目前にした時にふと思った。
(そう言えば彦左衛門の姿が見えなかった、城内侵攻で危険度が増すからな、立ち去ったか……)
先程の門板の鍵の見定めや咄嗟の転倒対応判断など、あの者にはもう少し近くにいてもらいたいと思った。しかし主従関係も雇用関係も無い状況で無理強いは出来ない。
(ここまででも良しと思うべきか……)
吉法師は彦左衛門の姿と共に残念な思いを抱いていた。