第六章 継承 濃尾の覇権(24)
吉法師と四郎は雨が降り続く中、少し離れた草場から山法師たちの様子を窺っていた。彼らは暫く周囲を警戒した後、切断された綱を見てこの後どの様にして酒樽を運ぶかを思案している様であった。
「取り敢えず時間稼ぎはうまく行ったな、四郎、大丈夫か?」
吉法師は山法師との戦闘で手傷を負った様子の四郎に声を掛けた。四郎は気遣いを見せる吉法師に笑顔を見せて応える。
「大丈夫です。これであの者たちの歩みは遅くなりますね」
その四郎の言葉に吉法師も笑顔を見せた。
一宮神社の神宝の奪還を最終目的とする上で、今採るべく策は彼らを挟み撃ちにして進退を閉ざす事である。道の前方では勝三郎が一宮神社の衆に働きかけて彼らの向かう先を 封鎖すべく動いており、道の後方からは三左らが向かって来ている。一宮で挟み撃ちに出来るかどうか、時間との勝負となる中で現状彼らの進行は速く、前方の準備が間に合わない上に後方の者たちが追い付かない可能性がある。このため彼らの進行を遅らせる策が必要となり、二人で妖怪に扮して酒樽と輿を繋いでいた綱を切断することに成功した。山法師たちが頭を抱えている様子を見て、今出来る最善のことをやったと思う。
やがて山法師たちは試案し尽くしたのか、長身の山法師の男が輿の上で抱える形で酒樽を運び始めた。しかしその男を一緒に運ぶことは過重労働で一足ごとに輿がふらついている。先程までの搬送の勢いは完全に失われていた。
「ふっ、あの様子であれば十分に時間が稼げそうだ」
「そうですね」
吉法師と四郎は互いに笑みを浮かべた。何か山法師たちの酒樽を運ぶ様子は滑稽になっている。二人は身を隠しながら距離を取って再び彼らの後を付けて行った。
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その後酒樽を運ぶ山法師たちは少し進んでは頻繁に休息を取る様になっていた。長身の山法師が輿の上に一緒に乗る無理な状況が続いていた。
そして降り続いていた雨がようやく上がって来た時であった。山法師たちの前に二人の小柄な黒ずくめの男たちが現れた。余程急いで追い付いて来たという感じで、彼らは膝に両腕をつき息が上がっている様子を見せている。
「あれは?」
吉法師はその男たちを見てすぐさま心当たりを感じた。あの特徴的な格好、暗がりの中ではあったが、二人は農家の納屋で自分を襲って来た者たちだと思った。いち早く脱出した吉法師は二人を納屋に閉じ込めて来たが、その後脱出しここで漸く山法師たちに追い付いた、という状況に見える。
黒ずくめの男の一人は何やら山法師たちに話し掛けた後、長身の山法師に代わって輿の上に乗った。すると輿が軽くなったためか、酒樽を運ぶ勢いは格段に上がる様になっていった。
「まずいな、搬送の速度が上がった」
吉法師と四郎も彼らに合わせて追跡の速度上げた。
この時前方には一宮神社が見えて来ていた。勝三郎は道の封鎖を行えているだろうか、三左たちは後方から間に合うだろうか、あの新たに現れた黒ずくめの男たちの戦闘力は如何ほどであろうか、様々な心配が伴う。
「先ずは勝三郎に期待するしかない……」
後方から三左たちの姿は未だ見えない。その状況では一宮側と連携して道の封鎖を行ない、先ず彼らの進行を止める必要がある。しかし連絡に赴いている勝三郎はそれまで一宮側との面会の機会は無く、もしかすると一宮側との話が出来ていないこともあり得る。実際に一宮に入ると、その心配をなぞる様に道を封鎖している様子は見られない。このままでは山法師たちに一宮を素通りされてしまう、その様な思いを過らせていた時であった。
「ん、あれは?」
数台の壊れた荷車と運んでいたと思われる米俵や農作物が道に乱雑に転がっているのが見えた。近くには数名の百姓らしき年老いた者が困った様子を見せている。山法師たちがその彼らの横を通り掛る。
「荷車壊れちゃっただよ」
「すまんねぇ~」
障害物を避けながら難そうに進む山法師たちに百姓たちは頭を下げた。その様子を吉法師と四郎は通りの角に隠れながら見ていた。
「あれは道を封鎖する仕掛けでは無いのか?」
山法師たちは通り難そうにしながらも、輿を担ぎながらその場を進んでいる。その道の前方を封鎖している様子も無く、このままでは何事も無く山法師たちはこの場を過ぎ去る様に思われる。この場の障害物は勝三郎と一宮の者たちの仕掛けと思ったが、単なる偶然に起きた事故なのであろうか、吉法師がそう思った時であった。
「うわっ」
ドザーッ!
米俵と米俵の間に誘導された場所に仕掛けられた穴に輿を運んでいた一人の山法師が嵌り転倒した。これにより輿が大きく傾き黒ずくめの男と一緒に酒樽は地面を転がった。
するとそれを見計らった様に山法師たちの進行を阻む者たちが現れた。中心にて立ちはだかる男が山法師たちに向けて力強い声を上げる。
「その酒樽の中身、検分いたーす!」
その男の姿を見て吉法師と四郎は顔を見合わせた」
「あれは?」
「関殿ですね!」
声を挙げたのは一宮神社の関長安であった。その周囲には十余名の社殿の者たちが各々武器を持って集まっており、その中には勝三郎の姿も見える。それは勝三郎が想定よりも早く一宮側に状況を伝え、この場の待ち伏せの準備を整えていたことを意味していた。
この状況を目の当たりにした酒樽を運ぶ山法師たちは焦りの様相を見せた。立ち塞がる相手が一宮の者たちとなれば、自分たちが運んでいる物が露見していることになる。しかし長身の山法師だけはこの状況に臆すること無く言い放った。
「我らが奉納の酒を狙う盗人どもめ、検分などさせぬ!」
長身の山法師はあくまで自分たちの奉納物と言い張り、鉄杖を振り上げながら周囲を威嚇した。そして輿を担ぐ四人の山法師が態勢を立て直すと、改めて強硬突破の構えを見せた。
すると山法師たちの様子を見た一宮神社の衆も神宝の奪還に向けて必死の様相を見せた。
「盗人に盗人呼ばわりされるとは笑止!」
「問答無用じゃ!」
「我らの神宝を取り返せー!」
「おう!」
一宮の衆は威勢を上げると山法師たちに向かって行った。しかし長身の山法師が振り回す鉄杖で容易に輿に近付く事が出来ない。それでも前方で進行の突破口を開こうとしている黒ずくめの男に対しては多人数で牽制し、その進行を妨害に成功している。
暫しの間、一宮の衆と山法師たちとの間では一進一退の攻防が続いていた。その様子を見ていた吉法師が四郎に声を掛ける。
「よし四郎、我らも参戦するぞ!」
「はい、吉法師さま」
二人は互いに顔に施した化粧を確認し合うと、山法師たちが防御として背にしている壁をその背後からよじ登った。そして山法師たちが担ぐ輿に向かって叫びながら跳び下りた。
「酒樽、取ったり!」
「我らがもらい受ける!」
輿に飛び乗った吉法師と四郎はすかさず黒ずくめの男から酒樽を奪い、男を輿から叩き落とした。それを見た輿を担ぐ山法師たちは輿を地面に置いて騒ぎ立てる。
「また出おった!」
「酒太郎と妖狐だ!」
「もう怖くないぞ!」
「やっつけてくれる!」
彼らももう二人の正体が人間の子供らしいとは分かっている。しつこく絡む二人に鬱陶しいとは思うが奇怪な者としての恐れは無い。しかしこの状況で輿を運ぶことは出来ず、一端戦闘態勢にするほかは無い。
「おのれ!」
近寄る者を拒んでいた長身の山法師は突如輿の上に現れた二人に新たな憤りを見せて迫った。一宮の衆の者たちが背中を見せるその男に攻撃を仕掛けるが、目線も向けずに放った怒りの一撃に振り払われている。
長身の山法師は必殺の構えで輿に駆け寄ると、輿を占拠する吉法師たちに向けてその鉄杖を振り降ろした。吉法師と四郎はその一撃を避けて酒樽を持って輿から飛び降りると、山法師の鉄杖の一撃は輿を直撃した。
ドーン!
轟音と共に輿が破壊される。
「危な!」
吉法師はその威力に改めて驚愕した。酒樽に入っているだろう神宝、その奪還に成功した状況ではあるが、怒りの様相を見せながら長身の山法師が再奪取を迫っている。あの山法師を目前にこのまま酒樽を保持し続けるのは容易ではない。すると少し離れた所から声が届く。
「こちらじゃ、転がせ!」
それは関の声であった。長身の山法師が睨みを利かせて迫る中、吉法師と四郎は酒樽を横倒しにすると関に向けて力一杯に転がした。
ゴロゴロゴロゴロ
酒樽は関に向かって一直線に転がって行く。
「おのれ、おのれ!」
長身の山法師は更に怒りを表しながら酒樽を追い駆けた。その後には二人の黒ずくめの男と四人の山法師も続いている。関は酒樽を受け取ると更に少し離れた所にいる勝三郎に向かって大きな声を上げた。
「勝三郎、走れ!」
「はいさー」
関はその返事を確認すると、勝三郎の少し先を目掛けて酒樽を転がして送った。
ゴロゴロゴロゴロ
そして酒樽を受けた勝三郎はそのまま山法師が運んで来た方向へと転がし去って行く。
「おのれ、おのれ、おのれ!」
自分たちの策が見破られ神宝を奪還された挙句、酒樽の転がし回しで何かコケにされている。長身の山法師は怒り心頭の思いを見せながら、猛烈な勢いで今度は勝三郎を追い掛けた。
「勝三郎、大丈夫なのか?」
山法師たちの後を追う吉法師は勝三郎の様子を見てその身を按じた。酒樽を転がして逃げる勝三郎が追い付かれるのは時間の問題に見えた。
すると次の瞬間、勝三郎が通り過ぎるのを見計らい付近に潜んでいた一宮の町の人々が現れ、山法師たちや道に向かって一斉に色々な物を投げ込み始めた。多くは路上の石ころであったが、角材や日用品など、進行の障害になる物が併せて投げられている。
「一宮の総力を上げての取り組みになっていたのか」
「一宮の連帯感、凄いですね」
何か一種の祭りの如く、多くの人々が必死に物が投げられている光景に吉法師と四郎は何か感銘を覚えた。すると背後から関が追い付き声を掛けて来る。
「一宮の神宝は一宮の皆で守っていく」
一宮の神宝は長年秘匿されて守られてきたが、これからは一宮の皆で守る宝となる。その思いが皆のこの一投に込められている。
「よし、我らも参加するぞ」
吉法師は関の言葉に深く感心しながら、四郎と共に障害物の投げ込みに加わった。
途轍もない妨害に四人の山法師たちがその追い駆けの速度を鈍らせる中、長身の山法師と二人の黒ずくめの男は勝三郎を追い続けていた。特に長身の山法師は鉄杖を振り回して障害物を蹴散らし勝三郎に迫っていた。業を煮やして追い掛けるその姿はもはやどの様な障害物でも止められない状況となっている。
「おのれ、おのれ、おのれ、おのれー!」
尋常で無い形相で追い駆けて来る山法師に対し、勝三郎も酒樽を転がしながら必死に逃げている。そして曲がり角で一瞬視界から消えた勝三郎を追って行った山法師は一撃でその足を止めようと鉄杖を振り上げた。しかし次の瞬間その動きを止めると逆に数歩後ずさりをして見せた。その山法師の目の前には新たな障害が立ち塞がっている様で、更に山法師が後ずさりを見せると同時にその新たな障害が姿を見せた。そこには十文字槍を携えた三左が対峙していた。
「みんな、追い付いたか!」
三左の背後には五郎八、内蔵助、犬千代、弥三郎、九右衛門の五人が立ち並んでおり、勝三郎はその背後で勝ち誇った様に酒樽を立てている。皆の集合を確認した吉法師は一宮の民衆の中から声を上げた。
「この者たち全員を確保じゃ!」
「おう!」
その声を受けて四郎、五郎八、そして子供衆たちが関の一宮衆と連携しながら挟み撃ちで四人の山法師と黒ずくめの男たちを次々と捕らえていく。
「ぬしも観念せいや!」
鉄杖を手にしている長身の山法師に対しては、三左が自慢の槍を唸らせながら攻撃を仕掛けた。その本格的な武将の槍筋に長身の山法師も瞬時にたじろぐ様子を見せた。
「さぁ、往生の時間じゃ!」
そう言って三左が槍先を向けると、長身の山法師は俯きながら鉄杖を地面に放して抵抗することを止めた。壁を背にした山法師の周囲を皆で取り囲みその動きを追い込む。少し離れた所では他の者たちが捕えられて並べられていた。
「そうそう、おとなしくしておれ!」
最後に残ったこの男も観念したのであろう。三左はおとなしくなったこの男を縄で縛り上げようとした。するとその時であった。その長身の山法師は一瞬不敵な笑みを見せると鉄杖を拾い上げ、地面に向けて一気に振り下ろした。
ドゴーン!!!
大音響と共に土煙が上がり、土砂が三左に飛び掛かる。
「ちっ!」
三左は土砂を振り払うと改めて槍柄で山法師を取り押えようとした。しかしその姿が確認できない内に続けて大音響が響く。
ドガーン!
それは背後の壁に向けて放たれた一撃で、その山法師は破壊した壁の穴から壁裏へと逃げ込んだようであった。
「逃がすか!」
三左は壁の穴を伝って追い駆けようとした次の瞬間であった。
ドーン!
ドーン!
ドーン!
立て続けに内側から破壊を受けた壁は完全に倒壊し山法師の開けた穴に瓦礫が降り注いだ。
ガラガラガラガラ
瓦礫で穴が塞がる。それを見た関が吉法師に話し掛ける。
「これは逃げられましたね」
「あぁ」
その後一宮に向かう吉法師たちは遥か遠方からこちらを見ている長身の山法師の姿を目にした。それは既に追い着ける距離では無く、程なくその姿は視界から消え去って行った。
「まぁ、神宝の奪還には成功したし良しとしよう」
「そうですね」
長身の山法師の男は取り逃がしたが、神宝の五鈴鏡の奪還には成功し、多くの盗賊団の身柄を確保できた。一人取り逃がしがあったが恐らくこれで尾張国内の被害も減るであろうと思う。
「吉法師さま、これを」
神社に着くと勝三郎は改めて酒樽に入っていた風呂敷に包まれた物を吉法師に手渡した。
リン、リン、リン
するとその瞬間清らかな鈴の音が辺りに響き渡った。
「これが神宝の音色……」
吉法師は自分の手の中で自然に鳴り出すその音色を不思議に思いながら、改めてその包みを関に手渡した。その途端に鈴の音は止む。受け取った関は風呂敷を解いて五鈴鏡の姿を確認した。これまでこの神宝については自分に対しても秘匿されていたものでこれが初見であった。
「えっ、これがそうなのか……」
関は想像していた物とはまるで異なる実物を見ると驚きを示した。その神宝は今し方清らかな音色を発したとは思えぬほど草臥れた古物の様相を呈していた。酒樽に入れて転がしたこともあり、あちらこちら修復の必要性が生じている個所も古物感を有する要因になっている。
「先程の音色は本当にこれが発した音色なのであろうか」
関は再び吉法師を見つめた。恐らく先程のあの音色はこの五鈴鏡が物理的に鳴らした物では無く、天の意志として感覚的に周囲に生じさせた音なのであろうと思う。そしてまた関は天が吉法師に与えるその意思について考えてみた。するとその時、ふと吉法師の背後から四郎がじっと自分のことを見つめていることに気が付いた。
「なるほど、四郎様は既に理解されておるという事か……」
当の吉法師本人は何も感じていない様であるが、自分と同じ宮司職である熱田の千秋四郎はその天の意志を既に理解している。四郎様がそれを吉法師様に伝える役目を持って今吉法師さまと行動されているとなれば、今自分が考えるべき事は何もない。
関は吉法師から目を外すと、その隣にいる勝三郎に目を向けた。
「この神宝の奪還では勝三郎殿にも大変世話になりましたな。早馬で即座にこの状況を伝えてもらわねば、彼らに対してこの様な足止めの準備を施すことも出来ませんでした」
関はそう言って勝三郎に感謝の意を呈した。その関の話に吉法師や子供衆の皆が首を捻る。
「早馬?」
「勝三郎、どこで馬を捕まえたのじゃ?」
勝三郎は馬を使っていち早くこの一宮に情報を伝え、多くの一宮の人々を巻き込んでの足止めの準備を施していた。しかしその馬の調達については誰も聞いていない。いつの間に調達したのか、皆が不思議に思う中で勝三郎は笑みを浮かべながら答えた。
「いや、あの監視していた民家の前を通り掛かった時、その入口に準備されていたのが目に入ってね、あれなら早く着くなと思って、ちょっと拝借させてもらったのじゃ」
盗賊団が自分たちの馬を盗まれ、更に自分たちの不利益になる事態につながるというのはまた滑稽なことであった。またその話に四郎が一つ気付いて吉法師に話し掛ける。
「勝三郎の乗り去った馬ですが、おそらく本来あの黒ずくめの男たちが乗って来る予定にしていた馬ではないですか?」
黒ずくめの男たちが納屋で自分を襲った後、即座に山法師たちに合流する予定としていたとすれば、近くの民家に馬を待機させていたと考えるのは確かにあり得る話と思われる。何より山法師に追い付いた時の疲労した姿は非常に印象的で、何か問題が生じていた様に見えた。
「確かにその可能性は高いな。だとすれば我らが最初の足止めを仕掛けた時も本来より二人少ない人数だったということだ」
「そうですね」
四郎と二人で足止め策を仕掛けた時、もし輿を護る者があと二人いたら成功しなかったかも知れない。そしてそれは今回の策の全体に影響する所となる。成功は様々な事由が重なって生まれることがある。目標達成に向けた策の成功において、吉法師はその準備と共に臨機応変的な対応が必要になると思った。