第六章 継承 濃尾の覇権(23)
シトシトと雨が降り続く中、吉法師は草場に身を隠しながら酒樽を輿に乗せて運ぶ山法師の一団の後を付けていた。四人の山法師が輿を担ぎ、それを指揮する長身の山法師の手には頑強そうな鉄杖が握られている。長身の山法師が周囲を窺う気配を見せた瞬間、吉法師はいち早くその身を隠す。そして暫く様子を窺った後に、再び彼らの後を付けるという事を繰り返していた。
「何も出来ぬ……」
あの山法師たちが運んでいる酒樽の中身は酒では無く、一宮から盗み出した神宝と思われる。一度彼らを抑えて検閲を掛けたい所であるが、自分一人で、手にする武器は錆掛かった鎌だけという状況ではどうにもならない。
「皆に連絡を取らなければ……」
即座にこの状況を他の皆に知らせて対策を講ずる必要がある。しかし他の皆は先の民家から逆方向におり即座に連絡を取ることは難しい。如何にすれば良いであろうか、吉法師は悩みながら追い続けいた。
そして道の横に並ぶ地蔵の影に身を隠していた時であった。
「吉法師さま!」
突如背後から声を掛けられた吉法師は驚きながら振り返った。するとそこには四郎が来ていた。
「四郎か、なぜここが分かった?」
吉法師は突如現れた四郎を不思議に思いながら訊ねた。単独で民家の周辺の監視に当たるとしていた四郎、もしかしたらこの様な事態になることを想定していたのであろうかとも思う。不思議そうな表情を見せる吉法師に四郎は真剣な表情を見せて応えた。
「密かに民家の監視を続けておりました」
四郎は犬千代と内蔵助が監視から離れた後、密かに別の場所から監視を続けていた。もしかしたら二人の存在は既に察知されていて、相手方は裏をかいてくるかも知れない。そう思いながら監視を続けていると、味噌樽を運ぶ荷車の後に続いて、武装した者たちと酒樽を運ぶ山法師たちの動きが目に入った。その時酒樽には味噌樽から取り出した一宮の神宝らしきものが詰め込まれていた。そしてその後民家を出た山法師らは先行する商人たちが向かった方向とは逆の一宮神社に戻る方の道を進んで行く。それは通常であればあり得ない方向であるが、運ぶ者たちも運ぶ樽も変わっており違和感は感じられない状況に見える。四郎はその一連の状況を吉法師に伝えた。
「民家の拠点といい相手方は作戦として大分練って来ておる様じゃな」
「はい、あの者たちからすればここまで全て予定通りということでしょう」
吉法師は相手方の策に感心した。この先は奪還に向けた対抗策を念じなければならないが、その前にもう一つ気掛かりなことがある。
「それで勝三郎と九右衛門も無事なのだな?」
吉法師は二人の無事と共にその後の行方について訊ねた。身を隠して相手方を追う吉法師に付いて行きながら四郎が答える。
「九右衛門には三左殿たちに現状を伝え、直ちにこちらに向かう様に伝えました。勝三郎にはこの道の先の一宮神社に先回りして、関殿に協力を依頼をする様に伝えています、なので……」
四郎は答えの途中で言い難そうに話を止めた。しかし吉法師はそこから四郎が何を言いたいのかを即座に察する。
「少し我々で時間稼ぎの足止めを講じなければならぬな」
四郎は吉法師に危険な役目を伝える事を躊躇ったが、今この瞬間に何をすべきか、という事に対する吉法師の理解は早い。勝三郎が神社に依頼を伝えるにしても、三左たちがこちらに向かって来るにしても少し時間を必要とする。ここは時間を合わせる事が重要であり、そのためにはあの山法師たちを一時足止めさせる必要がある。四郎は察しの良い吉法師に頷きながら軽く笑みを見せた。
その後吉法師と四郎は後ろから追って来る者たちの目印となる様に時折綿花を道に残しながら山法師たちの後を付けて行った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
味噌樽を載せた荷車を運ぶ商人姿の者たちを追った三左たちは、行く先で張っていた祖父江五郎右衛門と連携し、左右への逃げ道が閉ざされた畑のあぜ道に彼らを追い込んでいた。
おりゃーーーーー!
隠し持っていた短刀を構えて抵抗の姿勢を示した彼らに三左の渾身の槍の一撃が炸裂する。すると彼らは荷車もろとも一瞬にして吹っ飛ばされ、左右の畑の土や苗木へと突っ込んでいった。
「ありゃ?」
一瞬にして目の前から人がいなくなって首を傾げる三左に五郎八が呆れ顔で声を掛ける。
「三左殿、槍の勢いが強すぎです」
その言葉に三左は頭を掻きながら笑みを浮かべた。
「いやいやすまぬ、我が槍が手元に戻って来たうれしさもあって、つい思う存分に振り回してしもうた」
五郎右衛門とその家中の者たちが商人たちを取り押えている中で、子供衆の内蔵助、犬千代、弥三郎の三人は荷車と一緒に吹っ飛んでいった味噌樽の方に向かって行った。
「確か向こうに飛んで行ったよな?」
「どこまで飛んで行ったのじゃ?」
「もっと先じゃないか?」
三人が先行して向かい、その後を三左と五郎八が続く。
「あんな方まで飛んで行ったのか!」
「いやぁびっくりじゃなー!」
五郎八と三左本人が一足先に向かっていた子供衆の所に来ると、三人は近寄り難い表情を見せながら味噌樽の着地点を囲っていた。三人の前には大きな肥溜めがあり、味噌樽はその中にどっぷりと突っ込んでいた。強烈な異臭が周囲に漂う中で五人がたじろぐ。
「早く救出しよう」
そう言って皆で静かに味噌樽を担ぎ上げたその時であった。
ッパーン!
樽には三左の一撃による衝撃が残留衝撃波が留まっており、少しの衝撃で破裂する状態なっていた。破裂した味噌樽からは味噌と共に何やら包みが飛び出し、再び肥溜めの中へと突っ込んで行く。
わーっ!
突然の出来事に驚いた五人は皆で揃って声を上げた。雨が降り続く中で、味噌樽の中にあった物が散らばりながら肥溜めの中にどっぷりと浸かって行く。
「神宝がぁ、やばいよやばいよ!」
「まさに糞味噌の状態じゃ!」
「あほか、上手いこと言っている場合か!」
「うわっ、沈んで行く」
「早く救出するんじゃ」
もう肥溜めとか、臭いとか気にする状況では無かった。五人は肥溜めの中に自らの生手を突っ込み、片っ端からそれらしき物をすくい出した。
「おい、神宝って何だっけ?」
「確か古来の鏡とか言っておったよな」
「無いぞ、その様なもの」
「既に底まで沈んだのかも知れぬ」
「さがせ、さがせ」
五人は糞味噌まみれになりながら懸命に神宝の五鈴鏡を探した。しかしどれほど探してもそれらしき物は見つからない。その後片っ端から手にする固形物を確認したがやはりそれらしき物は見つからなかった。肥溜めの表面には神宝を包んでいたと思われる布切れだけが浮かんでいる。
「やはり無いなぁ」
「味噌樽の中、もしかして本当の味噌だけだったのか」
「いや、そんなことはない、そこの高そうな布切れで巻かれていた筈じゃ」
「確かに、それが巻かれていたとなれば宝物があったに違いない」
「ちょっと待て、そこの布切れ紫色をしていないか?」
その五郎八の声に皆が着目する。確かにその布切れは紫色をしており、気のせいだろうか、何か部分的には絵柄が入っている様に見える。
「こ、これは!」
この時思い当たる物を浮かべた五人は同時にその場に凍り付いた。そして少し離れた所では五郎右衛門が糞味噌まみれで凍り付く五人を見てドン引きしていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
吉法師と四郎は身を隠しながら酒樽を輿に乗せて運ぶ山法師の後を追っていた。その時吉法師は彼らを観察しながら状況の分析を行っていた。
相手は輿で酒樽を運ぶ四人の山法師とそれを指揮する長身の山法師の五人、四人の方の武器は持っていたとしても簡素なものと思われるが、長身の男が手にする鉄杖は高い破壊力を有していると思われる。それに対してこちらは四郎と自分の子供二人で武器は自分が納屋から持ち出した鎌だけ、その鎌も暫く手入れがされていないためか酷く錆びている。戦力として考えると比較できるものでは無いが、ここで目的とするのは戦いでは無く一刻程の時間稼ぎである。
山法師たちが運ぶ輿を見ていた吉法師が呟く。
「酒樽をつないでいるあの綱を切ろう」
この状況の中で、時間稼ぎという目的を果たすには酒樽を固定している綱を切り、輿で運ぶことが出来ぬ様にすることが良策と思った。
その策に四郎が頷く。
「名案です。となると課題になるのはどうやって気付かれずに近付くかですね」
「あぁ、そこは何処でどの様にして仕掛けるかということだ」
民家のあった部落を離れた今の場所は野原が広がり隠れる場所が乏しくなっている。この場では綱を切ることを目的に密かに近付くことは困難と思われる。
「この先に何処か策を仕掛けるのに良さそうな所はあったか?」
戦力に差がある分は地の利を活かすことで目的を成したい。吉法師はこの道の先で優位になる場所が無かったか四郎に訊ねた。
「確かもう少し行くと大きな岩場が広がる七つ岩と呼ばれる場所があったと思います。そこであれば岩に身を隠し、気付かれずに近くまで寄れるかも知れません」
大きな岩場が点在する場所、そこは吉法師も先に通り掛かった際に覚えがある所であった。
「うむ、よしそこで仕掛けよう」
二人は身を隠した状態で頷き合うと、山法師の前を先行するために草場での歩みを速めた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
雨が降り続く中、祖父江五郎右衛門の家中の者が商人姿の者たちを連行した後、三左と子供衆の三人は肥溜めがあった場所の近くを流れる小川にいた。
「肥溜めの汚れなかなか落ちぬ」
「臭いもじゃ」
「ひどいな、こりゃ暫く人に合えぬ」
「少しでもきれいにしておきましょう」
とにかく少しでも身を綺麗にして吉法師の所に戻る、その様な思いで四人は体や衣服を洗っていた。そこから少し離れた所では、五郎八が絶望的な表情で重みのある着物を洗っていた。
「まずいなぁ、これは本当にまずい……」
紫色地のその着物は津島で五郎八が仕えるくらの方が京の西陣に注文した着物と思われた。肥溜めでの汚れは簡単には落ちず、何ともまずい色合いを醸し出している。取り敢えず奪還には成功したが、この状況が結果としても成功したと言えるのかどうか、微妙な感じになっていた。
するとその時、小川での洗濯に勤しんでいた五人に一人の子供が遠くから息を切らせながら走り寄って来て叫び声を上げた。
「はぁはぁ、みんなー、こっちの味噌樽は囮じゃ、早く戻るんじゃ、吉法師さまは一度襲撃を受けた後、別の者たちを追っておる」
それは九右衛門であった。その必死な様子の声に皆が衝撃を受けて反応する。
「なに―、こちらは囮じゃと?」
「神宝見つからぬ訳じゃ!」
「九右衛門、吉法師さまは?」
犬千代の問い掛けに九右衛門が答える。
「逆方向じゃ、山法師姿の者たちを追って一宮神社の方向に向かっておる」
「たいへんじゃ!」
「急いで戻ろう」
皆は濡れた状態の着物を慌てて着こむと、急ぎ走り出した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
酒樽を運ぶ山法師らは時折大きな岩が点在する場所に差し掛かっていた。ここまで搬送に対しては何の抵抗も無いことから、一宮の神宝の盗み出しの計画は誰に知られることも無く成功していると思い込んでいた。しかし降り続く雨で道はぬかるみ、視界も良い状態ではない。
「ここを越えると一度一宮に近付く、気付かれるなよ」
長身の山法師は他の四人に気を緩ませぬ様にと注意を促した。
そして山法師たちが岩場に入った時であった。
「その酒ぇ~、置いて行け~」
突如目の前に白髪を逆立て頭に獣の耳を携えた背の低い男が現れると、目を光らせながら酒樽を置いて行くことを要求してきた。
「うわ、何じゃ、こやつは?」
「ば、化け物!」
輿の後方の二人と長身の男は状況が良く分からず無反応であったが、前の二人の山法師は突然の怪しげな者の出現に歩みを止めてたじろいだ。
「置いてけぇ~~~~~」
目の前で呪いを込める様な声を放つその得体の知れない者に恐怖が増大する。
「これは妖狐だ!」
「気を付けろ、喰われるぞ!」
突然の出来事による恐怖で輿から離れ様とする二人に長身の山法師の男が叫ぶ。
「狼狽えるな!」
二人を強く恫喝すると長身の山法師は鉄杖を振り回して妖狐のいる輿の前面へと向かって行った。
ガシッ!
振り回した鉄杖が妖狐に躱され地面を打ち付ける。
「置いてけぇ~~~~~」
少し距離を取った所から尚も酒樽を要求する妖狐に長身の山法師が怒りを露わにする。
「おのれぇ、我らの運びの邪魔をするな!」
そう叫ぶと更に鉄杖を振り回しながら更に妖狐の方に向かって行った。
「四郎、迫真の演技だな……」
その時吉法師は近くの大岩の上で苦笑しながら身を潜めていた。
髪を振り乱し、顔を黒塗りに偽装した吉法師は四郎と同様に身元が一見で判別されぬ様に上半身をさらけ出し、野人の様な格好を成している。
「よし、今が絶好の機会……」
真下に輿の存在を確認した吉法師は長身の山法師が四郎に誘い出されたこの瞬間が絶好の機会とばかりに岩の上から飛び掛かった。
「酒樽取ったりー!」
空中で相手の度肝を抜く様な大声を上げながら、吉法師は手にした鎌刃を酒樽が固定されている綱に振り当てた。
ぶっ!
「何!」
当てた瞬間鈍い感触が吉法師の手に伝わる。
地面に降り立ち再度目を輿の方に配って見ても、今の一撃で綱を切ることが出来ていないのが分かる。
「まずい、敵に囲まれる……」
そして吉法師は次の瞬間、自分が四人の山法師の中心にいることに気が付いた。しかし四人は短剣を構えつつ、再び現れた怪しき姿の自分にたじろぐ様子を見せている。
「こ、今度現れたこれは何じゃ?」
「まさか、酒を狙って現れるという……」
「そうじゃ、きっとそうじゃ!
「伝説の妖怪酒太郎じゃないかー!」
それを聞いた吉法師は首をかっくんとさせて拍子抜けした。
「誰が、酒太郎じゃー!」
何か以前にも聞いた呼び名の気がする。吉法師は即座に心でそう叫びながら、四人の囲いからすり抜け岩陰へとその身を隠した。予定ではこの鎌での一撃で綱を切り、輿で運ぶことを出来ぬ様にして時間稼ぎとする予定であった。大岩の上から飛び掛かり落下の衝撃まで利用しての一撃であったが、鎌の錆は相当深刻の状態の様で綱の強度に勝てない状態となっていた。
「どうするか?」
吉法師が焦りを見せながら考え込んだその時であった。
ドガーン!
頭上で岩を砕く破壊音が轟いた。さっと身を引いて確認すると目の前に長身の山法師の姿があった。
「妖怪がもう一匹いたとは、まとめて退治してくれる!」
怒りが籠った鉄杖が吉法師に向けて振り回される。
ドゴーン!
鉄杖により砕かれた岩の破片が吉法師に当たって来る。
「あれを直撃で食らう訳には行かぬ」
鉄杖の直撃を食らえば無事では済まない。吉法師は鉄杖が振り回し難い岩場の隙間へと潜り込んで行った。
「随風さま、今度はまた妖狐の方が樽を狙って来ておる!」
別の山法師の声に輿から離れていたことに気が付いた長身の山法師は吉法師を追うのを諦め戻って行く。
「ちっ、酒樽は失敗であったわ……」
戦国の世において上質な酒を手に入れることは楽なものでは無い。酒樽自体が盗人に標的になることは十分にある。山法師たちは酒樽であったために狙われていると思い込んでいた。
戻って行く長身の山法師の姿を見ながら吉法師は考えていた。
このまま四郎と二人が掛かりで綱の切断を目的に仕掛けていても、この鎌では何ともし難い、そしてまた三左たちの応援の到着も未だ時間が掛かり期待できないと思う。
「どうする……」
一度目を閉じ集中して考え込んだ吉法師は何か遠くで鳥の鳴き声がしているのを耳にした。それは何かこっちを見ろと言っている様に聞こえる。
「何だ、どこだ?」
目を開けた吉法師は鳴き声が聞こえた気がした方向を向いた。するとその方向の先に何か地面が光っている様に見える場所があるのが目に入った。近寄るとそこは平たい岩に雨の水滴が乗ることで光が反射し光っている様であった。
「これはもしかして、使えるのか?」
この岩はもしかすると刃物を磨く砥石として使えるかも知れない。吉法師は手にしている鎌の刃を擦り当ててみた。すると見る見る内に錆が取れていくのが見て取れた。
「行ける、行けるぞ!」
吉法師は尚も力を込めて磨き上げて行くと、鎌の刃は瞬時に本来の輝きを取り戻す程になっていた。
「よし、これであれば行ける!」
吉法師はその刃光を確認すると四郎が奮闘しているであろう輿の方に向かって行った。
四郎はその時、単身山法師たちに挑んでいた。この状態で少しでも対峙していれば足止めの時間稼ぎになる。しかし然したる武器も無い状況の中で、四郎は己の限界に挑んでいる様な状況になっていた。
「しつこい狐だ!」
この時にはもう山法師たちも妖狐と酒太郎は得体の知れない妖怪などでは無く、酒樽を狙う賊か盗人の類だと思っていた。四人の山法師の波状攻撃に続く鉄杖の一撃が四郎の体をかすめる。風圧と共に飛ばされた四郎は一時倒れ込み、何とか立ち上がるものの姿勢が定まらなくなっていた。
「とどめだ!」
長身の山法師が四郎に駆け寄り、輿から少し離れたその時であった。
「とあぁー!」
吉法師が再び大声を発しながら鎌を構えて大岩から飛び掛かった。先程とは異なり鎌の刃先が異常に光り輝いている。
ぶっつーん!
地面に舞い降りた吉法師は今度はその確かな手応えと共に綱が細かく切り刻まれているのを確認した。
「何と!」
山法師たちが驚く中で輿から落ちて地面を転がっていく酒樽、そして近くの岩に当たった瞬間、その蓋が外れた。それを見た吉法師は驚く山法師たちの中大声で不平を漏らす。
「何じゃ、酒が入っておらぬでは無いかー!」
蓋の外れた酒樽からは酒が一滴も零れ出てこない。吉法師はあくまで狙ったのは中身の酒として白々しい演技を充てていた。
「つまらぬ、帰る!」
酒太郎を見事に演じた吉法師はそう叫ぶと、酒樽の周りを右往左往している山法師たちを尻目にその場を悠々と立ち去った。
長身の山法師はこの時この出来事を呆然と見送っていた。
「一体何だったのじゃ?」
いつの間にか妖狐に扮した者も消えている。最初は神宝の奪還に現れた者たちと思ったが、人数も二人と少ない上に、最後は酒樽の中身が酒で無い事を理由に立ち去っている。もしかしたら本当に酒が目的であったのだろうか、不可解に思っていた。