第六章 継承 濃尾の覇権(21)
農家の屋根裏部屋に戻った吉法師は民家の監視を続けていた五郎八と弥三郎に状況確認の声を掛けた。他の皆も一度吉法師の指示を確認するため集まっている。
「特に変わりはありません」
その報告に頷きながら、自分も確認のため屋根との隙間から民家を覗いてみる。先程より暗く陽が暮れてきている中で、炊事の煙が立ち上がっている他は特に大きな動きは見られない。
「腹減ったなぁ」
炊事の煙が空腹を刺激する。するとその呟きを予測してか、五郎八が一折の包みを差し出して来た。
「ここの農家の老夫婦より分けて頂いたものです。少しですが……」
それは握り飯であった。
「五郎八、気が利くな」
一人分にすると僅かしか無いその量に恐縮する五郎八であったが、皆で分け合って食べることにした。
「何か屋根裏で飯とは鼠の様じゃな」
「ははは、ついでに監視の方も寝ず見じゃ」
三左の戯言に皆が静かに苦笑する。寝ずの監視なのか、皆反応する力が無い中で四郎が述べる。
「交代で寝ましょう、私はまだ大丈夫ですので皆先に寝てください」
「私も大丈夫ですので、四郎様と共に見張ります」
この時監視を続けていた弥三郎もそう言って交代制での監視を促した。
この後吉法師は屋根裏の少し広く安定した場に移動して横になった。一晩を全員で見張る必要は無い、体力の温存も必要である。民家は皆で交代で見張ることにした。
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「吉法師さま、新たな者たちが現れました」
明け方近くになり吉法師は犬千代に呼び起された。
寝起きの目を擦りながら民家を覗くと、中庭には新たに山法師の姿を五人の者が現れているのが見えた。その内の一人は思わず二度見してしまうほどに特徴的な長身の姿を誇っている。
「やはりここで何か事を起こす感じがするな」
「あの者たちを待っておったのでしょうかね?」
長身の山法師の男を中心にした中庭での慌ただしい動きは確かにこれから何かしらの動きがあることを予見させる。
他の皆も民家を覗きながらその印象を呟く。
「人数的に家全体を取り押えるのは難しくなったな」
「強制的捜査は無理そうだね」
「逆に返り討ちに合うか」
「しかしあの者たち全員で何を起こすつもりであろうか?」
「こちらが何も対応準備せず、事を起こされるのはまずいな」
「そうだね」
吉法師は状況を確かめ合う皆の意見を一通り聞いていて、少し考慮の後、これから自分たちが行うべきことをまとめ上げた。
「現状奴らは役者が揃い、次は事を起こす準備に入っていると推察される。恐らく近々のうちに実行するのであろうが、今の所その目的は定かでない。この場所からすると一宮神社に関連していると思われるが、それを定かにするのが第一であろう。これから皆にそのための指示を出したいと思う」
これを聞き、子供衆は互いの顔を見返した。
吉法師が直接各自の行動を指示して問題への対応に当たる。それは初めてのことであった。皆が神妙な面持ちで耳を傾けた。
吉法師は先ず三左に目を向けた。
「三左、一宮神社の関殿の所に赴き、この怪しき集団のことを伝えよ。それから宝物の警備状態と神社周辺で何か異変が起きていないかどうかを確認しておいてくれ」
ここは一宮神社神職の関長安と顔見知りであり、実際に戦の経験もある三左が望ましいと思う。
「うむ、承知した」
吉法師は三左が頷くのを確認すると、次に五郎八に目を向けた。
「五郎八、昨日の渡し場を監視している祖父江殿に協力を依頼しておいてくれ」
この吉法師の指示に五郎八は理解しつつも、困惑の顔を見せる。
「はい、しかし私が吉法師さまと行動を共にしていることは知らぬことと思いますゆえ直ぐに信用して頂けるかどうか……」
祖父江の側から考えればこの話はあまりに唐突であり、渡し場の検閲能力を落してまで対応してくれるか疑問な所がある。
「うーむ、確かに」
五郎八だけでは協力の依頼に対して信用性が不十分かも知れない。しかし子供衆の誰かを付けても然程上がらない様に思う。やはり自分が一緒に赴くべきであろうか。しかしどの様な動きを見せるか分からぬ今、この屋根裏の監視場を一瞬でも離れる事は判断の意味において好ましくない。吉法師がそう思った時、横から声が上がった。
「私が一緒に参りましょう」
それは四郎であった。尾張で熱田宮司の千秋四郎と言えば皆が知る存在であり、吉法師が直接にも増して信用度が上がる様に思う。
「四郎、行ってくれるか、頼む」
「承知しました」
その四郎の返事に吉法師は頷くと、次は子供衆に目を向けた。
「内蔵助と犬千代はここから死角となっている民家の裏手に回り状況を見張ってくれ、もし何か動きがあればこちらに合図を送る様に、無理はするなよ」
「承知!」
「承知しました、吉法師さま」
二人の威勢の良い返事を受けた吉法師は次に弥三郎に目を向けた。
「弥三郎は他の者との連絡、交代を前提に先ず儂の横で待機じゃ、いざという時にはその足を活かしてもらう」
「承知しました」
畏まってそう返事をする弥三郎、するとその隣にいた勝三郎が少し不服そうな表情を見せていた。
「して、私は如何様に?」
勝三郎は自ら吉法師に問い掛けた。
いつも一番傍にいる自分への指示が他の三人よりも後回しになっており、また今回傍には弥三郎が付くと言う。勝三郎は何か釈然としない思いがしていた。吉法師はその勝三郎に指示を出す。
「勝三郎、ぬしは先ず九右衛門と食料調達に行ってくれ」
「えー!」
勝三郎はその意外なお役目に更に不服そうな表情を見せた。食料調達、それは何か先の三人と比べ役割の重要性が低く感じる。もしかすると吉法師さまからみた自分の重要性が下がっているのではないか、確かに昨今泥まみれになるなど格好悪い姿を見せてはいるが、それは一つの貢献の結果であり納得できるものでは無い。
指示の意図を求める勝三郎に吉法師はその意味を解いた。
「勝三郎、勘定管理をして後程爺たちに報告するのはぬしでなければならぬであろう。それに市での情報を探る必要性もあれば、普段商人との話慣れしているぬしが適任であろうと思う」
吉法師の指示はあくまで適材適任を重視してのものであった。
「全員分の食材運びも九右衛門がおれば大丈夫であろうしな」
「わ、分かりました」
確かに吉法師さまが熱田などで使われた費用は自分が城の経理勘定方に申告して決済してもらっている。今後昨夜の様なひもじい思いを繰り返す訳にもいかず、必要な任務である。それは納得せざるを得ない指示である。
その勝三郎への指示を聞いた五郎八が横から話を入れる。
「勝三郎、すまぬが昨夜の握り飯など世話になっている故、ここの御夫婦への御礼もしておきたい。何か見繕ってもらえるか?」
「え?」
思わぬ五郎八の依頼に勝三郎が戸惑っていると、それを聞いた他の者たちも依頼事を挙げる。
「勝三郎、力が出る物にしてくれよ」
「儂、肉食いたいな」
「儂は魚貝で良いぞ
「儂も魚、赤いのがええな!」
皆が好みで食べたいものを挙げる様になっていた。皆の希望を聞かされた勝三郎は更にまた別の懸念を生じさせていた。
「これは多額決済になりそうじゃ……」
勘定方に多額決済を申請するとなれば、城のご家老の承認が必要になる。またこんなに何に使い込んだのかと問われる様に思う。勝三郎は林秀貞の不機嫌な顔を思い浮かべていた。
その一方で、横にいた九右衛門はすっきりした表情を浮かべていた。
「食材調達と言えば朝市であろう、何か変わった物があるやも知れぬ、儂は楽しみじゃ」
それを聞いた三左も興味を示す。
「朝市は神社の近くじゃな、よし儂も一緒に行こう、儂も市を少し覗いておきたい」
九右衛門と三左は緊迫した状況でも、楽しむべきことを得る様にしていた。勝三郎は二人のことを気楽で良いなと羨んだが、その位で臨んでおいた方が気分的には楽であろうなと思った。
全員に指示が行き渡った所で吉法師が声を上げる。
「それでは皆、頼む」
「おう!」
その掛け声と共に皆それぞれの任に向けて散って行った。
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三左は勝三郎、九右衛門と一緒に朝市を一通り見通した後、再び一宮神社を訪れた。まだ朝も早いためか参拝に訪れる者は少ない。取り敢えず、市の方では怪しい動きは感じられなかった。後は神社内に何か異変が無いか、三左は目を周囲に目を光らせながら御殿を目指した。
「三左、おはよう、早いな」
御殿を訪れると神職の関長安が早速声を掛けて来た。三左は今朝怪しげな集団が近くに民家に現れたこと、そして彼らの目的が未だ不明であり、警戒を強化する必要性があることを伝えた。
神社の御殿に入った所で長安に問い掛ける。
「盗まれるかも知れぬ神社の宝物というのは大きいのか?」
三左は吉法師の指示の一つである宝物の警備状況について訊ねた。これに対して長安は首を振った後、奥の部屋を指差して言った。
「宝物はあれじゃ」
長安が指差す場所には幾つかの舞に用いられる能面が飾られていた。
「あれは鎌倉期のものでな、当時の順徳天皇が社に奉納された由緒ある物なのじゃ」
三左はその能面に近寄り見定めた。
「金銀財宝とか、もっと煌びやかな宝物とかではないのじゃな」
「あぁ」
その能面は長安の説明通り何れも迫力があり、神社の歴史を飾る意味では非常に良いものであると思う。しかしこの様な能面という民芸的な宝物を盗賊団が狙うであろうか。三左はその価値に対して疑問に思いながらも、警備状態については指摘しておくべき様に思った。
「そうか、しかし防犯を考えるとここでは心配だ。もう少し鍵のかかる箱、鍵の掛かる場所に置き、人目での監視も入れる様にした方が良い」
「そうだね、ではそうしよう」
長安は三左の指摘を受け入れると、神社の保全管理者を呼び、別の場所に保管する様にとの指示を出した。その様子が終わると三左は本殿の周囲を確認することにした。
背後に鬱蒼とした杜が広がる本殿の裏手に回ってみたが、特に変わった様子は見られない。しかし神経を集中させると何かが息を殺しながら自分の様子を窺う怪しい気配が感じられる様に思う。三左は周囲を警戒しながら歩みを進めていたその時であった。
バサバサ!
キーッ!
突如背後の草むらから鳩が飛び出し、同時にそれを狙っていた猫が飛び掛かってきた。
うわっ!
三左は咄嗟に避けると、その猫は鳩を追い走り去って行く。そして新ためて周囲の気配を探るともう怪しい気配は消えていた。
「気配はあの猫であったか……」
あまりにも疑心暗鬼になり周囲への検知感度高めていた自分に対して、三左はふと笑みを浮かべた。
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勝三郎と九右衛門は朝市で食材を仕入れた後、農家の台所で調理を行っていた。
「あ、すみません、台所までお借りして」
農家の老夫婦を見つけた勝三郎が挨拶をする。
「いいのよ、それよりしっかり綿花の栽培について勉強してね」
「塩害で田畑にならぬ所は綿花で発展させるしかないからのぉ」
吉法師の一行は尾張国発展のための新規農産物研究の一団ということになっていた。勝三郎と九右衛門はその架空の一団に成り切って返答する。
「ありがとうございます、ここの綿花は最高ですよね」
「都で評判だとか、しっかり勉強して国の特産にできればと思います」
その返答は老夫婦にとってうれしいものであった。自国の子供たちが国の将来を思って綿花栽培の実体験を学びに来ている。老夫婦はその言葉に満足し、笑顔を見せながら離れて行った。
勝三郎は老夫婦が見えなくなるのを見計らって呟いた。
「味噌問屋の次は綿花農家か、我ら行き着く先は何でも屋かな?」
吉法師と行動を共にすると、時と場合に応じて色々な役割をこなす必要が生じる。それは一つの考え方に問われず、課題に対して臨機応変に対応できる様になるという利点が生まれるが、武家本来の持つ権威、伝統の印象からはかけ離れていく気がする。
それに対して九右衛門は真剣な表情で大根を切り落としながら呟く。
「勝三郎、先ず直近は立派な料理人になることだろ」
九右衛門は何事もその道を極めるかの如く真剣に臨んでいた。包丁を扱うその手捌きが、大根を切る度に向上している様に見受けられる。その姿を見た勝三郎は何も言えなくなっていた。
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弥三郎は民家裏の林に潜んで監視している内蔵助と犬千代の許を訪れた。直ぐ横は例の民家で、時折バタバタする中の様子が聞こえて来る。
「差し入れじゃ」
そう囁き持っていた包みを差し出すと、腹を空かせた内蔵助は奪う様な勢いで受け取った。内蔵助の性格を事前に知ってか、犬千代の分は別の包みで用意されている。その中には握り飯が入っていた。
「また握り飯か?!」
「いや、此度は味噌と漬物付きじゃ」
今監視の手を緩める訳には行かない状況で、取り敢えず食い物が届けられるだけで良しとすべき所かと思う。内蔵助はかぶりつく様に握り飯を口にした。
「それでどの様な状況か?」
弥三郎の問い掛けに二人が答える。
「あぁ、先程荷車壊れていたのか、直しておったな」
「それって、物を運び出す準備ではないのか?」
「そうかも知れぬ」
民家の方からまたバタバタと動き回る音が聞こえる。すると今度は鮮明な形の会話が聞こえて来た。
「それではこの米は我らの方で引き取らせてもらいます」
「毎度ありがとうございます」
その一方の声の主はこの民家に出入りしている商人の様であった。
「奴ら、盗んだ米を売りさばいたのだな」
「しかし量が多い、もしかするとここを引き払うのかも知れん」
確かにこの民家が一時的な拠点で、事が済んだ後で用無しとなれば即日引き払うことも考えられる。
「自分は戻ってこの件を吉法師さまに報告する」
この件は一刻も早く吉法師さまに状況を報告すべきと思う。そう囁く弥三郎に内蔵助と犬千代は神妙な表情で頷いた。
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その時吉法師は屋根裏部屋で一人の若武者の訪問を受けていた。
「祖父江五郎右衛門です」
それは津島神社で神職を務める祖父江五郎右衛門であった。五郎右衛門は渡し場で五郎八と四郎の訪問を受けた際、本当に吉法師が来ているのであれば是非直にお会いしたいと申し出て、渡し場の監視を一時配下の者に預け、この場に面会に訪れていた。
五郎右衛門は吉法師の姿を見て何か感極まった表情を見せていた。
「実は私、吉法師様がお生まれになった際に津島での成長守護の祈祷に加わっていたのです」
五郎右衛門は吉法師が誕生した際、津島神社では織田弾正忠家のご嫡男ということで社を上げて成長守護、健康息災の祈祷を捧げていた。五郎右衛門はその時まだ幼き子供であったが、他の神職の大人に混じって参加していた。その後会う機会も無く時が経ち、今こうして実際にお国のことを考えて行動する吉法師の姿を見た時、強い感銘を受けていた。
「そうであったか、五郎右衛門、詳細は五郎八が述べた通り故、可能な限り協力をお願いしたい」
吉法師はそう言って頭を下げた。五郎右衛門はその様な吉法師の謙虚な姿勢に恐縮していた。
「吉法師様、承知致しました。早速渡し場に戻ってこちらに人を回せる様に手配致します」
五郎右衛門はそう口上すると、再び自身が任されている渡し場へと戻って行った。