第二章 敦盛(6)
吉法師は父信秀の部屋を出ると、寝床にしている部屋に向かって薄暗い古渡の城の廊下を歩いていた。
沢彦和尚に続いて父信秀と話をできた事により、那古野の城を出る時に感じていた将来の重い悩みから解放された気分であった。今日はここに来て良かった。先ずは敦盛の舞を会得して、生涯の覚悟を極める。吉法師はこの後自分が実践すべき行動を固めていた。
今敦盛の舞として頭に浮かぶのは父信秀の不格好な舞しかない。吉法師は先程の父の舞を思い出してフッと笑顔を溢した。先ずは本物の敦盛の舞、この父信秀の舞のままでは笑いが先行してしまい覚悟として締まらない。吉法師は先ずは早々に本物の敦盛の舞を見て置きたいと思いながら歩いていた。
夜の城内は静かであった。もう城中の大半は寝入っている様で、時折軋む床の音以外に耳に聞こえる物は無かった。
静かだな、吉法師はそう思った時、自分の体が突如ふらつくの感じた。
グーッ
その音と共に吉法師は立ち止まって腹を抱えた。それは腹の音だった。
「い、如何、は、腹へった」
これまで軍勢の惨状を目の当たりにした衝撃から、那古野を出た時の将来に対する悩みが深まり、食事をするという心境になれずにいた吉法師であったが、ここで深い悩みから解放され、それまで忘れていた空腹感を感じる様になっていた。
「どうする、朝まで我慢するか、しかしそれでは今夜は結局眠れぬかも知れぬ……」
その様な事を考えていた時、吉法師は中庭を隔てた反対にある大広間から薄明りが漏れているのを目にした。耳を澄ますと微かに人の話し声がするのが聞こえる。どうやら未だ少人数の間で宴が続いている様であった。
「しめた、まだ何か食べ物があるかも知れぬ!」
そう思った吉法師はぐるっと廊下を回り、大広間の方に向かった。そこには誰がいるのか分からない。しかし極度の空腹感がそこに向かう吉法師を後押しした。
吉法師は広間の入口に着くとその襖を徐に開けた。すると薄暗い広間の奥の方に小さな灯りを囲って、六人の男達が小会を続けているのが見えた。広間の中のあちらこちらでは何人もの男達が、呑み疲れた様にしてそのまま眠り込んでいる。
吉法師は広間に入り、小会を続けている者達が誰かを確認しながら向かって行った。先ず先程軍列で会った隼人正と孫介の佐々兄弟と造酒丞(織田信房)が見えた。後の三人は後姿であったが、近付くにつれて権六(柴田勝家)、与兵衛(河尻秀隆)、新助(毛利良勝)と分かった。
自分と比べると皆年上の世代であるが、これまでに何度か会った事のある連中である。吉法師は知らぬ者達では無い事に少し安心しながら向かった。
戦勝に伴う宴が終わってからは大分時間が経っている。しかしこの勝利に信秀が用意していた酒は底知れず、その酒が枯渇する前に一人、また一人と広間で寝付きの状態に陥っていた。残った六人の内、孫介、与兵衛、新助の三人は今回の戦が初陣で、その興奮が覚め止まないまま、小会まで延々と宴を続けていた。
吉法師の登場に先ず気が付いたのは、吉法師が向かって来る方を向いて座っていた造酒丞と隼人正だった。
「よぉ、吉ちゃん、登場遅いよ!」
「ようこそ、吉法師様」
二人の声に他の四人も吉法師の方に振り向く。
「遅い、遅参じゃな!」
そう言う権六の周りには酒樽や桝がごろごろしている。かなり酒が入っている様で、薄暗い広間の中でも髭に覆われていない顔の部分が赤らいでいるのが分かる。
「吉法師様、この様な夜中に大丈夫ですか?」
そう言う新助は日頃より良く人を気遣う。この場でも先ず吉法師が夜分遅くになって出て来られた事に気を使っていた。吉法師はそんな新助に笑顔を以て応える。
「はーい、吉ちょーん、朝はまだよー、こけこっこー」
それに対して孫介は辛うじて吉法師だということは分かる様だが、かなり泥酔していて有頂天になっている。
「おぁ、きx、!”#$&」
そして与兵衛は吉法師の認識もできないほどに泥酔していた。
戦勝の宴は終始無礼講で行われていた。初陣であった孫介と与兵衛は若さと戦での勢いのままに宴に突入して飲み騒いでいた。騒ぎ好きの造酒丞も一緒になって二人と同じ調子で騒いでいた。
吉法師に与兵衛が絡む。
「おぉ」
与兵衛は一言声を上げると思考と動作が停止した。与兵衛は未だ元服が済んだばかりの若武者であったが、今回初陣の戦ではがむしゃらに敵に切り込み、大きな手柄を挙げていた。しかし酒の方はまだ飲み慣れていない。与兵衛は徐に吉法師を自分の横に座らせると、酒の入った桝を吉法師に差し出した。
「さーけ」
与兵衛は相手が吉法師で、まだ酒の飲めない子供だという事も分かっていない。
「おいおい、与兵衛」
隼人正と新助が吉法師に酒を勧める与兵衛を静止する。そんな与兵衛に、同じく泥酔している孫介が突っ込みを入れた。
「ばか与兵衛、お吉ちゃんは織田弾正忠家の嫡男ぞ、何でおのれより下座に座らす、失礼だろうが」
その孫介に今度は兄隼人正が突っ込む。
「孫介、言うのはそこじゃないだろ、と言うか、お前がお吉ちゃん呼ばわりする方が失礼だろう」
吉法師はそんな佐々兄弟のそのやり取りに苦笑していると、新助が傍に来て、自分を新助と一番この中で安全そうな隼人正の間に入る様に導いてくれた。
その直後、与兵衛はその場にバタッと倒れたかと思うと、そのまま酔いに任せて寝入ってしまった。
「与兵衛、そこで寝るな、邪魔じゃ」
「おい、転がせ転がせ」
造酒丞はそう言うと、与兵衛を部屋の隅まで転がして移動させた。その後新助が上掛けを宛がい、一応の寝る形を整える。部屋の隅の与兵衛のいびきが広間に響く中、吉法師は皆に声を掛けた。
「遅くなったが、此度の戦、皆ご苦労であった」
この吉法師の第一声に皆は一瞬唖然とした。大将信秀の嫡子としての言葉と考えれば何も変な事は無いのであるが、まだ子供の吉法師に殿様目線で労わりの言葉をもらうと何か不自然でおかしかった。
「はは、なんのなんのー」
「なんのなんのー」
「なんのなんのー」
五人はやや苦笑しながら応えた。隼人正と新助は吉法師の面前に箸とあまり手のついていない余りの料理を並べながら、皆と同じ様に笑顔で応えていた。
空腹であった吉法師は、その並べられた料理をさっそく口にした。
もう調理後大分時間が経っており、煮物も焼き魚も全てが冷たくなっていたが、空腹であった腹には途轍もなく美味しく感じられる。自然とそこに並べられた料理に次々と手が伸びた。
そんな吉法師に皆が着目する中で造酒丞が言った。
「なぁんだ、吉ちゃんは腹が減って起きて来たのかー、たくさん食べて、将来いい大将になってなー」
その造酒丞の言葉は皆の大きな笑いを誘った。吉法師は何か自分がこの酔っ払い達の酒の肴になって行く気がして、少し訝しげな表情を浮かべながら口を動かしていた。そこに今度は孫介が絡む。
「お吉さんさー」
先程と少し呼び名が違う。
兄の隼人正が名前の後にさん(・・)を付けて敬語にしたつもりかと思う中で、孫介が吉法師に顔を近付けて絡む。
「今度の戦で儂ぃ、結構活躍したんよー」
そう言う孫介はかなり酒臭い、吉法師は少し不快な気分になって顰め面をしたが、孫介は構わずに言葉を続ける。
「お父上さんにお願いしてもらえんかのう、どこか領地を儂にくれんかと、今の比良の城には立派な兄者がいるからのう、独立したいんじゃ、儂」
すぐ横にその兄の隼人正がいる。隼人正は酒の席とは言え、独立したいと言う本心を吉法師に伝える弟孫介に少し困惑していた。吉法師はそんな隼人正と孫介の姿に自分と弟勘十郎の関係を重ねていた。
弟が先ず目標とするのは兄の存在なのか、吉法師は先程の勘十郎の態度を思い出していた。家系の中で普通に過ごしていれば、弟はいつまで経っても兄の家来として兄に並ぶ事は無い。弟には独立した家を持つ事が必要だった。孫介は何度も詰め寄って来るが、この場で酔払いの孫介をまともに相手にする気は無い。
「分かった孫介、今度父上に伝えといてくれるわ、孫介は飲むと絡んで来てうるさいとな」
この言葉に一同は爆笑した。子供に一本取られた、そんな感じであった。
「あーはっはー、孫介、お主の負けじゃー」
「そうじゃー、切腹じゃー、おのれは」
「いやじゃー、切腹は、いやじゃー、」
「あはは、じゃあ、飲め飲め」
造酒丞が毒舌を吐き続けては皆の笑いを取っていた。吉法師はその中で薄笑みを浮かべながら、ひたすら酒を飲んでいる権六を見て声をかけた。
「権六、そう言えば勝三郎が喜んでいたぞ、おぬしに槍の腕を褒められたとな」
吉法師のこの言葉に皆が一斉に大広間の反対側を見遣った。暗がりの中を良く見ると、奥の方で勝三郎が眠っていた。
「さっきまでお勤めじゃ、とか言ってがんばって起きていたがのぉ」
「さすがに限界であったようじゃ」
「どうする」
「よいよい、寝かせておけ」
勝三郎は城内で吉法師と逸れ、あちこちと探し回っていた様であった。
「勝三郎、今日ずっと共に付いてくれていたものな、ご苦労であったな」
勝三郎はこの城に来てからも、吉法師の代理役、調整役としてずっと仕事をしていていたのであろう。吉法師は遠目で勝三郎の労を労った。
そしてまた皆で顔を見合すと、今度は造酒丞が権六に問い掛けた。
「そう言えば権六、今度勘十郎の槍の師範になったそうじゃのぉ」
権六は桝の中の酒をグイッと飲み干すと言葉少なに答えた。
「奥方様に頼まれての」
その様子から致し方無しにという雰囲気が察せられる。
「そうか、勘十郎は思い上がるっちゅうか、自分を過大評価するとこあっからのー、教えるのは苦労しそうじゃのぉ」
この造酒丞の言葉に権六は苦笑しながらも何も答えず、また新たな酒樽から酒を酌もうとしていた。吉法師はそこでまた勘十郎の師匠に褒められた、という話を思い出した。
「そうか権六、もしかして勝三郎だけでなく、勘十郎も相当褒めたであろう」
その問い掛けに権六は酒を酌む手を止めて吉法師の方を振り返った。その顔はなぜそれを知っているか、と言っている。
「やはりそうか、ぬしの様な強者に褒められれば、妙に自信を持つことになる。鍛錬へのやる気として考えれば良い事なのであろう、しかし儂はそのおかげで明日の朝、勘十郎と稽古の相手で勝負をする事になってしもうたわ」
その吉法師の言葉に権六は申し訳なさそうに答えた。
「それはすまぬ事をした、吉法師様に比べれば勘十郎様の太刀捌きなどまだまだにて、勝負の相手になどならぬでしょうが、お相手よろしゅうお願いします。儂も立ち合い適度な所でお止め致しますので」
権六も幼少時から厳しい鍛錬を受けてる吉法師の腕前は良く知っており、今の吉法師と勘十郎には年の差以上に大きな力の差がある事を認識していた。しかし負けず嫌いでわがままの勘十郎が簡単に引き下がるとは思えず、かと言って、わざと負けを演じ将来への競争意識を増長させる様な事もしたくない。
「は~」
一同は溜息をついた。
「変な兄弟げんかにならんとええがのぉ、ははは」
造酒丞はそう言いながら、吉法師の前にあった酒の肴を一つまみ持っていった。その時吉法師は造酒丞が小袖の内に肩から胸にかけて包帯を巻いている事に気が付いた。
「酒兄、大丈夫か、その傷は」
吉法師が酒兄と呼ぶ造酒丞は乱戦の中で果敢に相手軍を切り崩し、佐々兄弟等と共に七本槍の戦功を受けていたが、鎧越しに矢傷を受け負傷していた。
「儂は大丈夫じゃ、弥五郎は残念であったがのぉ」
「あぁ、残念であったのぉ」
皆が頷いていた。弥五郎は清須織田家の家臣で国内の争いの中では反目しあう時もあったが、他国との戦いではいつも一致協力した仲間として戦い、宴では一緒に飲む仲間であった。
この時、吉法師は考え込んでいた。皆にとって戦の意味とは何か、それは今回父にも訊けていない事であった。吉法師は真剣な表情で造酒丞と皆に問うた。
「酒兄、それに皆はなぜ戦うのじゃ」
吉法師のこの突然の質問に皆は顔を見合わせる。
「え、吉ちゃん、なぜって?」
皆にとって戦う意味を考える事など今まで無い事であった。造酒丞は少し首を傾げて考えた後、珍しく真顔で吉法師に答えた。
「吉ちゃん、儂はぬしの父上に城と領地を宛がってもらい、更には織田姓までもらって本当に良くしてもらっておる。この恩は自分の命を以て返すつもりじゃと思う。なぁ権六、ぬしも同じじゃのぉ」
「うむ、戦で望むは御大将の勝利のみじゃ」
造酒丞と権六はこれまでの働きで父信秀より領地と城を授かり、一生の恩義と感じていた。その二人の話を聞いていた孫介が羨ましそうに大声で叫んだ。
「それだよ、それ、城主、儂もなりたーい」
皆が孫介の方に振り向く。
「何じゃ、孫介、ぬしは未だ若いんだから、これからいくらでも機会はあろう」
「いや、この気が充実している今がいいんじゃ、くぁー、権六殿勝負じゃ、さけー」
そう言うと、孫介は勝負を仕掛けるかの様に権六が囲っていた酒を奪い取った。そして一気にそれを飲み干したかと思うと、その場にバタッと倒れ込んだ。そして与兵衛と同じ様にそのまま寝込んでしまった。
「全く、孫介は!」
「おい、転がせ転がせ!」
そう言って与兵衛の時と同じ様に造酒丞は孫介を部屋の端まで転がし、新助が上掛けを持ってきて孫介にかけた。
「まぁ、佐々家はいつもこんなもんだ」
「おいおい」
隼人正は自分は違うと主張していたが、若い頃の隼人正を良く知る造酒丞や権六は笑い飛ばしていた。
三人の戦いの理由は恩と義理で恩賞が命を掛けて戦をする理由、続けて吉法師は隼人正に同じ質問を訊ねた。
「隼人正はなぜ戦うのじゃ」
「私、私は家を守るためです、佐々家の」
そう言うと少し隼人正は笑顔を見せた。その隼人正の言葉に造酒丞と権六が食い付いた。
「あぁ、確かに隼人正は家督を継いで落ち着いたのぉ、立場を自覚したっちゅう事じゃな」
「そうじゃの、尾張で佐々家は名家じゃからのぉ、荒くれ者が育つ名家」
「ははは、おいおい」
三人が笑い飛ばし合っている中、吉法師はまた考えていた。
隼人正は家を守るために戦うという。家の将来のために戦に命を掛けるというのは理由として納得できる様に思う。吉法師は最後に新助に訊ねた。
「で、新助は?」
その問い掛けに新助は悩んで見せた。
「私の戦う理由ですか、うーん、何だろう、皆が戦うからですかね」
その新助の返答を吉法師は理解できなかった。皆が戦うから、と言うのは自分が命をかける理由として良いのか分からない。吉法師の不可解な表情を見て、隼人正が説明を入れてくれた。
「吉法師様、新助は仲間を大事にし仲間のために戦える奴じゃ。恩賞とかが欲しいという訳では無い。今はこうして仲間と一緒に行動して飲み交わすのが楽しいんじゃよ、な、新助」
「はい」
元気良く答える新助に、吉法師はそんな理由で戦える者もおるのかと思った。更に隼人正は吉法師に話を続ける。
「あと与兵衛じゃがな、奴に深い考えは無い、飲むとあの通りじゃが、普段は戦う事で存在価値を示せる男、戦その物に生きる男じゃ、なぜ戦うと訊かれたら、生きるためにそれしか出来んからじゃ、と言う答えになりましょう」
この答えも吉法師の理解を越えていた。生死のかかった戦の場その物を生きる場としている、そんな奴もいるのか、と思った。
隼人正は笑顔を見せながら更に吉法師に話を続けた。
「吉法師様、皆、戦に対する理由は異なれど、思いはただ一つ、大将である御父君に勝利していただきたい、と言う事です」
「そうですね、御父君はこれまでばらばらであった尾張の国を一つにまとめようと努力しておられる。その様な御父君に大将にいて欲しいと願っています」
そう言う新助の後に造酒丞と権六も話を加える。
「吉ちゃん、これは実際すごい事じゃぞ、今の尾張は実質的に民の支持がその国の大将を選んでおるのじゃ、今までに聞いた事も無い事じゃ」
「民とその様な関係であるから、御父君もまた民のために努力する。国を治めるに良き循環じゃな」
皆の話を聞きながら吉法師は改めて父信秀の偉大さを感じていた。更に隼人正が話を続ける。
「天下は太古よりこれまで天皇家の血統にて治められて来ましたがもう限界なのかと思います。これからはこの尾張の様に民衆の支持を得た領主が国を統治し、やがては今の天下の乱世の終わらす事になるのだと思います」
みんな隼人正の言葉に頷いていた。
父はこの天下の乱世を終わらせる人物になるかも知れない。そう思うと嫡子である自分への責務も益々重い物になる様に思う。
早く覚悟と敦盛の舞を極めなければならない。
吉法師は武者震いをした。しかし以前の様に将来に対する悲観的な思いは無い。とにかく覚悟を極めてやってやろうと言う思いであった。そんな吉法師の思いを皆が感じていた。そして造酒丞は手に持ったお椀の酒を飲み干しながら吉法師に言った。
「吉ちゃん、将来良い大将になって良い世の中にしてね」
皆が笑顔で将来を引き継ぐ吉法師に熱い視線を送っていた。父を引き継ぐ自分に良き領主としての世を期待している。吉法師は引き締まる思いを跳ね返すかの様に力強く叫んだ。
「おぉ、儂もがんばるに、皆も一緒によろしく頼むぞ」
吉法師はこの様な乱世において、既に大将となるべき自覚を持っている。そして自ら先頭に立って時代を切り開こうとする決意を持っている。皆その幼き吉法師に甚く感心していた。造酒丞は立ち上がって自分の椀に酒を注ぐと、その椀を高らかに掲げた。
「乾杯、我らが未来の大将に!」
「乾杯!」
皆が吉法師を囲って立ち上がり声を上げた。吉法師も慌てて自分の前にあった茶椀を掴むと、高く掲げてその中身を一気に飲み干した。その茶碗の中には茶が入っているはずであった。しかし吉法師はそれを飲んだ瞬間、何か喉の奥へとかぁーっと熱くなる物を感じ、同時に目の前がぐるぐると回って見える様になっていった。
いつの間にか茶碗の中身が酒に変わっていた様であった。吉法師は座っている事もままならず、その場にばたっと倒れた。
「吉法師様!」
皆が吃驚して声を掛けたが、その時吉法師には酒と同時に強烈な睡魔が襲っていた。
(これ酒かー、あー、でも何か横になった状態が気持ちいい、今日は色々な事があったなー。あー、力が抜ける。もう今日はこのまま休もう)
吉法師の意識は睡魔の中で次第に薄れて行った。隼人正と新助は、吉法師が急に倒れた事に驚いたが、その後安らかに寝入って行くのを見て安心し、横になっている吉法師に近くにあった上掛けを掛けてあげた。造酒丞はその寝顔を見て赤ん坊の時の吉法師の寝顔を思い出していた。
「吉ちゃん、ほんといい大将になれよ……」
造酒丞は呟いた。そしてその後、皆の方に振り返って怒鳴った。
「誰だー、吉ちゃんの椀に酒くべたのは!」
この造酒丞の言葉は熟睡に入る瀬戸際の吉法師の耳に届いていた。酒兄、絶対おぬしじゃろう、吉法師はそう思っていた。
吉法師が寝入った所でこの小会もお開きとなった。