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第六章 継承 濃尾の覇権(15)

 吉法師たちが松井友閑の舞小屋に着いたのは正午を少し回った時であった。小屋の中からは太鼓や笛の音が聞こえており、舞の練習が行われている様子が感じられる。


(吉乃は来ているかな・・・、いやいや、先ずは友閑先生だ)


 先程出会った出雲舞団の御船、源氏の末裔という三左、そして泥の妖怪と化した勝三郎の三人が今湯殿を必要としており、奥の湯殿に入らせてもらうことがこの舞小屋の訪問目的となっている。その許可を得るためには友閑に会うことが手段となり、身元を伏せた現況が課題となる。


 吉法師は気を引き締めて小屋に入った。しかし小屋の中で舞の練習をしている者たちの様子が目に入ると、以前吉乃に会った時の情景と共に吉乃の笑顔が思い起こされる。


(吉乃、訪れているのか?)


 目的から気持ちがぶれ、吉乃への思いに傾倒し始めたその時であった。


「さすがは尾張の吉兵衛殿じゃ、この様な所に伝手があるとは」


 背後を歩く三左が現実に呼び戻すかの様に声を上げた。三左はこれまで舞に縁が無かった様で、物珍しそうに小屋の中を見回している。一方でその隣を歩く御船は舞女としてこの様な舞小屋は見慣れている。


「本当に助かりますわ」


 泥だらけとなったその衣装のまま、午後の公演を行う訳にはいかない。予備の衣装が無い中で、この舞小屋であれば代わりとなる衣装が借りられるかも知れない。御船は吉法師に謝意を表しながら現況の改善を望んでいた。


「公演に使えそうな衣装があると良いですね」


 吉法師は笑顔で御船を気遣いながら言葉を返した。


 その後に続いていた神楽舞に精通する結と四郎は三左と同様に周囲を興味深く見回しながら歩いていた。


「何か華やかな感じだわ、これが町の舞小屋なのですね」

「あぁ、やはり商家向けの舞はだいぶ雰囲気が違うね」


 商家の舞は客寄せに重点が置かれ、最新の流行となる舞の手法が取り入れられている。古来の伝統を重んじる熱田の神楽舞とは全く異なる雰囲気を擁していた。結と四郎は自分たちの舞との相違に興味を抱きながら歩いていた。


 その二人の後には熱田商人の加藤図書助と子の又八郎と弥三郎が続いていた。図書助はまた違った着眼点で小屋の中を見渡している。


「お、綺麗な女子が舞の練習しておる」

「ちょっとだめですよ、父上」

「また突然いなくならんでくださいよ」


 図書助は女子の舞の練習をしている様子が気になって仕方なく、二人の子はそんな父の動向の方が気になって仕方がない状況となっていた。


 そして一行の最後には子供衆が続いていた。小屋の中を見回しながら歩いていた内蔵助は壁に立て掛けてあったほうきを手に取ると、周りの子供衆に得意気な表情を見せた。


「舞なら儂も得意だぞ!」


 そう言うと内蔵助はほうきを無造作に振り回し始めた。本人は剣舞を模して披露しているつもりだが、傍目には単にほうきを持って暴れている様にしか見えない。


「内蔵助危ない、やめろよ!」


 ほうきで叩かれそうになった九右衛門は内蔵助を制止しようとした。しかし得意気の表情でほうきを振り回す内蔵助は中々止めようとしない。それを見た犬千代は呆れ顔を見せながら九右衛門に言った。


「九右衛門、頭の悪いガキはどうしようもないから捨て置こう!」


 犬千代は内蔵助を無視して九右衛門と先に行こうとした。その犬千代の態度に内蔵助が憤慨の表情を見せる。


「何だと犬千代、舞の心得の無いぬしに儂の剣舞の良さが分かるか!」

「舞の心得はないがぬしの舞の酷さは存分に分かるわ!」


 怒鳴り声を上げる内蔵助であったが、犬千代もそれに臆することは無い。


「なんだとー!」

「なんだー!」


 いつもの如く些細なことでいがみ合いを始める二人、するとその時二人の横から一つの影がヌ~ッと現れた。それは泥だらけになっている勝三郎であった。その無言の表情が、こんな所でいがみ合ってんじゃねぇよ、こっちは早く湯殿に行きたいんだよ、と訴えている。その強烈な迫力に二人は一瞬で圧倒された。


「さ、さぁて早く湯殿に行かないとなぁ~」

「だよなぁ、はやくさっぱりしたいなぁ~」


 二人のいがみ合いは急速に鎮静化し、またいつも通り和気あいあいと皆の後を付いて行った。


 友閑のいる奥へと向かう個々の部屋では個別に舞の練習が行われていた。吉法師はその横を通る度に中にいる人の確認を行っていた。


(吉乃、いないかぁ・・・)


 どの部屋でも練習しているのは大人の女性で明らかに吉乃ではないと分かる。そもそも自分が久し振りに津島に訪問したその日に、吉乃もそこに来ていると考えること自体が幻の如くなのかも知れない。再会を諦めながら最後の部屋の横を通り過ぎようとした時だった。


(あ、あれは!?)


 その部屋には一人の娘子が舞の練習を行っている姿があった。それは後ろ姿ではあるが以前の吉乃の印象に重なる。


(あれは吉乃・・・、吉乃に違いない、如何しよう、まずい、声を掛ける切っ掛けがつかめぬ!)


 吉法師は焦った。自分たちは今奥の友閑に会うべく歩みを進んでいる。あの部屋の娘子を確認すべく、その進路を変更したいところだが、急な進路変更は妙であり、他の者に対して必然となる理由が必要になる。しかし今急には思いつかない。あの部屋を訪れるのは友閑に会った後でも良いかとも思うが、その時まであの娘子がまだ残って居るという保証は無い。


 娘子のいた部屋を通り過ぎ、その距離がどんどんと広がって行く。それは吉乃との距離が広がって行く様に感じられる。もしこのまま過ぎ去っていったら、もう今回の津島訪問の間で吉乃と話をする機会は無いかも知れない。そう思った時、歩みの速度は急激に遅くなる。しかしやはり進路変更の理由は思い付かない。


(ええい、ままよ!)


 ここで話し掛ける機会を失くしたら後悔する。後悔しないためにはここで進路変更が必要、そう思った吉法師は突如進行方向を変えると、一人駆け足で娘子のいる部屋の方に向かって行った。


「あれ、吉殿!」

「吉さま??」

「何処へ行かれるのですか?」


 他の皆がその吉法師の突然の進路変更を不思議に思う中で、吉法師は娘子が練習をしている部屋へと走り寄って行った。


(やはり吉乃だ、先ずは久しぶりだな、と声を掛ける・・・)


 後ろ姿ながら吉乃であることを確信した吉法師は最初に声を掛ける言葉を想定していた。すると吉法師の接近を察した娘子が練習を中断して吉法師の方に振り返った。娘子と目が合う。


(吉乃・・・、じゃない、だれぇ?!)


 それは全く別の娘子であった。想定が崩れた吉法師は言葉を失いその場に固まった。この会ったことの無い娘子に何と声を掛けるのか、後ろに付いていた皆には突然の進路変更について何と説明するか、湯殿に入るという目的の前に何か余計な課題が増した状況になっていた。


 立ち竦む吉法師に娘子の方から問い掛けてくる。


「何じゃ、ぬしは?」


 娘子は何やら自分を警戒する表情を見せている。そしてその言葉からは持ち前の気の強さが伝わる。吉法師はこの娘子に対して、どの様に接して良いか分からなくなっていた。


「吉兵衛殿、突然何処へ行くのじゃ」


 するとその時吉法師の後ろから他の者たちが一斉に集まって来た。同時に娘子が一歩身を引き身構える。娘子は自分を含めた集団が集まってくることに警戒感を抱いている様であった。吉法師はその警戒感を解くべく自然な会話を心掛けて娘子に話し掛けた。


「儂は吉兵衛と申す者で怪しい者ではない、友閑先生はおられるか?」

「吉兵衛は何者じゃ、友閑先生に何の用か?」


 互いに質問を投げ掛け合う状況、娘子の方からの返答も無いが、自分の偽名に関して詳細に返答するのも望む会話では無い。


「ぬしらは何者じゃ、あの未開の生物らしいのは何なのじゃ?」


 娘子の質問攻めは一行の勝三郎にまで及ぶ。気まずい雰囲気が周囲に漂う。吉法師が困惑していると、その部屋にいた自分と同じ年頃の男児が会話の間に入ってきた。


「友閑先生であれば今隣の屋敷に行って留守にしていますよ」

「小七郎は黙って!」


 吉法師の質問に答える男児に対し即座に娘子からの強い制止が入る。その小七郎と呼ばれた男児は娘子の弟の様で、一瞬娘子の制止の言葉に怯んだ様子を見せた後に話を続ける。


「姉上、こちらの方々、見た所悪い人たちでは無いと思います。何か困りごとがある様子、話を伺いましょうよ」


 集団には怪しげな風体の者もいるが、精悍でしっかりした容姿の者たちもいる。その者たちの表情を見る限り、問題がある集団ではない様に思う。小七郎は娘子を嗜めていた。


(小七郎と申す者、助かった・・・)


 吉法師はその男児の対応を快く思いながら再び友閑について問うた。


「そうですか、友閑先生は隣家ですか、隣家というと大橋家ですか?」

「はい、その通りです」


 この大橋家はこの津島では誰もが知る商家であった。


「そちらを訊ねてみられますか?」


 小七郎が問い掛けると吉法師は何やらまた困惑の表情を見せた。


「い、いや、大橋家はちょっと・・・」


 吉法師は一度小屋の奥の方向に目を向けた。友閑殿は不在、そしてあの娘子に頼み事するのは難しいと思われ、今の頼みの綱はこの小七郎だけと思う。吉法師は背後の御船たち三人の姿を示しながら説明した。


「実は此度、こちらの奥の湯殿をお借り致したく訪れた次第、こちら出雲の御船さんは本日夕刻に舞の公演を予定されておるのだが、この様に泥だらけになり困っておる。是非湯殿で綺麗な姿を取り戻して公演にに臨んで頂きたい。またこちらの三左殿には湯殿で武家の姿を取り戻し武人として再出発して頂きたい。そしてこっちの勝三郎には元の姿を取り戻し人間として再出発してもらいたいと思うておる。今この三人の人生が全て湯殿からという状況なのです」


 この小七郎であれば友閑不在という状況の中で良き理解者となってくれるかも知れない。吉法師は期待を込めつつ事情を説明した。


「ドロドロ~、早く人間に戻りた~い」


 勝三郎が後方で自虐的に訴えている。しかしその話を聞いていた小七郎は困惑の表情を見せた。


「湯殿となりますとやはり大橋家に赴くしかないかも知れませぬ、実は今ここの湯殿は壊れていて使えない状態なのです。我々も必要な時は大橋家の湯殿をお借りしているのです」


「えっ そうなのですか?」


 舞小屋での湯殿問題に驚く吉法師に尚も小七郎は話を続ける。


「また大橋家で湯殿を借りる時は湯炊きの準備に時間が掛かる故、事前に連絡を入れております。今赴いて直ぐに借りられるかどうかは分かりませぬ」


 その言葉は今の目的に対して高い障壁となる印象のものであった。もしかするともう湯殿は諦めざるを得ないかも知れない。皆の深い溜息が漂う思う中で、娘子が威勢よく声を上げた。


「何じゃぬしら湯殿が目的であったのか、それを早く言えば良いものを!」


 小七郎が会話をすることで先程までとは異なり吉法師たちへの警戒感が薄らいでいる様であった。更に娘子は泥だらけの御船に近寄り声を掛けた。


「姉さんは今津島で公演されている出雲の舞女の方でしたか、舞の興行で全国を回られているのですよね、興味があるので是非その様子などお話を聞かせてもらえませんか?」


 娘子は国を巡る舞の興行に深い関心を持っている様で、御船に答えの暇を与えず質問を繰り出していた。続けて娘子は吉法師とその背後にいる三左、勝三郎に言い放つ。


「今朝通り掛けに見た所、隣の屋敷は今朝から湯殿の準備をしている様で煙が上がっていましたよ、恐らく頼めば湯殿は借りることは出来ると思います、ボロ三左、ドロ勝、二人ともしっかりそこで再出発なさい」


 娘子の男に対しての対応は厳しいものであった。御船が苦笑する中で、ハッパをかけられた三左と勝三郎は頭が上がらずにいた。吉法師は御船に寄りながら更に娘子に問い掛けた。


「すまぬが、もう一つ、こちらの御船殿だが、見ての通り衣装が泥だらけで予備が無い様なのじゃ。この舞小屋に公演で使えそうな衣装は無かろうか?」


 この問い掛けに対して一瞬悩んだ表情を見せた娘子であったが、思い付く所があった様で晴れやかな声を上げた。


「あぁ、それであれば以前私の姉が演目発表の舞台で使ったものがこの小屋に眠っている筈じゃ、それを使えばよろしい、探しておきましょう」


「それは有難い」

「お頼み致します」


 湯殿の借用に続き衣装についても解決の方向に向かう様子、吉法師と御船が安堵する中、娘子が弟の小七郎に指示する。


「小七郎、あなたはこの方たちと一緒に隣の大橋家に行って家長の清兵衛様にお願いしてちょうだい、良いですね」

「分かりました、姉上」


 その娘子の絶対的な強い口調に小七郎のみならず皆が圧倒される。


 舞小屋を出て皆で隣の大橋家に向かう途中、吉法師は小七郎に話し掛けられた。


「吉兵衛殿、先程はすみませぬ、ひばり姉さんはいつも物腰がきつくて」


 その小七郎の表情からは弟として日頃から強い姉に対し困惑している様子が窺える。家中の強い女性の存在は時に支えとなり時に災いとなる。


「強い姉御がおると弟は大変じゃな、小七郎」

「はい・・・」


 小七郎は自分のことの様に労ってくれる吉法師に向かって深く頷いていた。


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