第六章 継承 濃尾の覇権(14)
津島神社で造酒丞、隼人正と別れた吉法師たちは美濃の領地を追われ浪人となっていた森三左を連れて津島湊に戻る道を歩いていた。三左はボロボロの身なりながらも自身の手に槍が戻ったことで気分を良くしていた。
「吉兵衛様!」
三左が歩きながら吉法師に声を掛ける。
槍の妙縁で吉法師の一行に加わることになった三左であるが、美濃攻めが行われている中、三左の身元や真意が定まるまでの間、吉法師は再び味噌問屋の吉兵衛の偽名を名乗る必要が生じていた。
「あの小豆坂七本槍のお二人が吉兵衛さまを尾張の大事なお人と申されるとは、さぞかし吉兵衛様は美味な味噌造りの技をお持ちなのでしょう。吉兵衛様、儂、味噌は大好きなのですよ、吉兵衛様には是非今度所望を願いたい!」
「ははは」
吉法師はその三左の話を苦笑しながら、その言葉の意図を確かめつつ聞いていた。
吉兵衛を連呼する所にややうっとうしさを感じるが、その笑顔には人の好さを感じる。おそらくそれは元来この男が持っているものであり、偽りのものではないと思う。この男に偽名を使っての面倒な警戒など必要ないかも知れないが、その確信を得るためにももう少し話をしてみたい。
「ところで三左殿は先ほど美濃清和源氏の末裔と申しておったが、家はどうなされたのじゃ?」
吉法師が身の上を問い掛けると、三左は少し情けない様子を見せた。
「良い質問じゃな、吉兵衛殿、我ら森家は代々美濃で守護職の土岐家に仕えておったのだが、土岐家と一緒にあの蝮(道三)の奴に追放されてしまったのじゃ。此度幕府の命にて蝮退治が行われると聞き及び、再起を掛けて準備をしておったのだが、残った私財も命を預けるべきこの槍も盗まれて途方に暮れておったところじゃったのじゃ」
「それは大変であったな」
暗く沈みかけた会話の場の中で、吉法師は三左の話を聞いて憐みの表情を見せた。それは吉法師にとっても家の没落を身近で体感するものであった。しかし源氏末流の森三左にとって、いくら落ちぶれたとしても子供に憐れみの目を向けられるのは本意ではない。
「ははは、散々であろう、名前も三左から散々に変えようかと思っておったのじゃ」
三左は冗談を言って場を和ませ様とした。
「吉兵衛殿、ぬしはこの槍を見つけてくれた恩人じゃ。槍が戻ったここからの儂の運勢は上向く様な気がする。この先は光栄と思ってぬしをお守りさせて頂く」
そう話す三左の表情は埃まみれの姿とは対照的に輝いていた。
吉法師はその思いに何か深い感銘を受けた。三左はしっかりと今の自身の運命を受け入れて、将来への前向きな思考と行動を働かせている。
「家、再興できるといいね」
その吉法師の言葉に三左は持っている槍を天に突き上げて叫んだ。
「それこそ我が目標!」
そう強く言い切る三左に吉法師はたくましさを感じた。身なりは落ち武者の様にボロボロだが、その絶対的な目標こそが迷いのない思考と行動につながっている。
(三左は目標に向かって直面する課題に全力でぶつかっていける男だな)
吉法師は三左を見つめながらそう思った。そして改めて身なりを整えた姿で更にその変化の先を確認したいと思った。
「それでは三左殿、先ずは湯殿に向かいましょうか、御身もその槍も一度磨いた後に再出発じゃ」
吉法師は笑顔で三左に湯殿へ行くことを提案した。
三左はその提案に驚きの表情を見せた。この子供は出会ったばかりの自分と共に手にする槍のことまで気遣ってくれる。子供に憐れみを受けるのも本意ではない。しかしその言葉は心に深く刺さる。
「うっ、うっ、か、かたじけない・・・」
三左は目に光るものを浮かべた。その予想もしなかった三左の反応に吉法師は慌てた。
「ははは、いやいや三左殿、大丈夫、大丈夫、ついでだから、我らの方にも今湯殿を必要とする者がおるから」
そう言って吉法師は一行の後ろの方を示した。
その言葉も自分への気遣いかも知れない、三左はそう思いながら後ろを振り返った。するとそこには全身泥まみれの怪しげな生物が付いていた。
「あぁ、あれはぬしらの仲間だったのか、何か妙な精霊がついておるなぁ、見えてはいけないものかなぁと勘違いしておったわ」
三左はそう言いながら不思議そうな表情を見せた。その造酒丞とは異なり特に怖がる様子の無い三左の反応を見た勝三郎はゆっくりと槍に向かって両手を上げながら唸った。
「そ~の~や~りで~、こ~なった~の~よ~~~~」
恨めしそうな口調で伝える勝三郎あったが、三左にとっては自分と槍を再び出合わせくれた際の一つの出来事である。
「ははは、そうであったか、ぬしには迷惑をかけたな、すまなかったな」
三左はそう言って笑顔を見せながら深々と頭を下げた。
その三左の様子に吉法師も笑顔を見せた。三左は感情豊かで表裏無く、自然と感謝も謝意も表現できる。その印象は吉法師に信頼できる男としての十分な確信となる。
「ははは、三左殿、勝三郎、泥でつながった妙縁じゃ、大事にしようぞ」
吉法師は二人に仲間の縁をつなげようとした。するとその時会話を聞いていた子供衆の中から声が上がる。
「尿縁もありましたしねぇ」
「ははははは」
その一言に一行は皆笑顔を見せた。しかし三左には何のことか分からない。
「にょうえん?」
「さぁさぁ、三左殿、湯殿に行きましょう」
不思議そうな顔をする三左に吉法師は困惑の表情を浮かべながら、細かい説明をごまかす様にして道の先を促した。
その後津島湊近くまで戻って来た時であった。吉法師たちはすれ違う集団の話を耳にして暫しその歩みを止めた。
「しかし酷い舞であったな!」
「まったくだ、出雲の国の神話舞と言うから期待していたのに!」
「演目の途中で舞台から落ちて終わりって最悪だよな!」
「あぁ、何かの演出かと思ったけど、本気で落ちとったとは!」
「信じられぬよな、前代未聞だよ!」
「気分的に絶望的だよ、今日の午後の公演は出来ぬのではないか?」
それは図書助が目当てにしていた出雲の国の舞についての様であった。彼らの今の話からすると午前の公演は失敗に終わったらしい。吉法師たちは顔を見合わせて囁き合った。
「出雲の舞の公演、不成功だった様だな」
「本当であろうか?」
「もしそうなら、残念だわ」
その真意について皆が考慮する中で、又八郎が弥三郎にぼそっと話し掛ける。
「さて、父上連れて帰るか?」
「そうですね」
父図書助も目当ての公演が不出来なものであれば早々に熱田に帰ろうと思うであろう。湯殿に寄った後に熱田に帰還、皆がそう思っていた。
その時であった。
「あれは?」
ずんぐりした体型の男が遠くからこちらに向かって駆け寄って来るのが見える。
「あれは、父上ですね」
「飛び加藤殿だな」
それは又八郎と弥三郎の父で飛び加藤の異名を持つ加藤図書助であった。図書助は普段見せぬ深刻な表情をして駆け寄って来ていた。そして吉法師の目の前まで来ると間髪入れずに訴え始めた。
「大変じゃ、大変じゃ、吉…」
ダー!
しかし吉法師の名前を呼ぼうとした瞬間、図書助は子供衆の皆に押さえ付けられていた。図書助には今吉法師が偽名を使って行動していることを知らされていなかった。
「ぬしら何をするんや!」
「いやぁすみません、図書助殿」
「怪しい曲者かと思っちゃいました」
自分がどこぞの曲者と間違われる、二人の息子たちがいる中でそんなことはあり得ない。そのしらじらしい子供衆の言い訳に図書助は憤りを見せていた。その図書助に又八郎が身内にしか分からない身振り手振りの会話で説明する。
(父上、只今吉法師さまは吉兵衛という偽名を使っておるから合わせてください!)
図書助が周りを見渡すと吉法師の近くに槍を手にした見慣れぬ者がいる。
(分かった、吉殿で行く!)
三左の存在を確認した図書助は同様に身振り手振りの動作で又八郎に伝えた。吉法師はその二人の滑稽な様子を傍目で見ていた。
(もう面倒だから公表しても良いとは思うけどなぁ)
そう思いながら吉法師が問題について訊ねると、図書助は困惑した表情で話し始めた。
「出雲の国の舞のことなのじゃが、午後の公演が出来なくて困っておる、とにかくちょっと来てくれ!」
出雲の国の舞の何で図書助は困っているのであろうか、良く分からない状況の中、吉法師は強引に公演の舞台場へと連れて行かれた。
舞台場の裏にある支度場の前に着くと、その入り口には関係者以外立ち入りを禁ず、と張り紙がされていた。
「さぁ、吉殿、入ってくだされ」
張り紙を気にせずにその場に入ることを促す図書助は既に自由に出入りできる関係になっている様であった。
「加藤殿、いつの間にか関係者になっておるのか」
「父上は好きな事への行動力は凄いのです」
「突如天を舞う様な凄い商談が成立していたりしますからね」
「飛ぶ鳥を落とす勢いが如くということか」
「飛び加藤の異名の出所だな」
「儂、この様な裏方に入るのは初めてじゃ」
「私も興行の舞台裏を見るのは初めてです」
「熱田の神事の舞との違いなど、気になりますわ」
皆が一言ずつ述べながら入って行く中で、図書助は最後の二人には入ることを制止した。
「ぬしらはちょっとここで待っといて!」
見た目の汚れが問題の二人までを支度場に導く訳には行かない。三左と勝三郎はその入り口の前に留め置かれた。
仕度場では興行団の者たちが頭を抱えた様子で議論していた。
「午後の公演は中止するしかあるまい」
「いや、ここまで来て中止は出来ぬだろ!」
「そうだ、舞台場の設置とか準備にも相当金がかかっておるのだぞ」
「しかし替えの衣装が無いのであれば致し方あるまい」
「衣装、何とかならんのか!」
荒げた議論の中で一人泥だらけの衣装をまとった舞女が申し訳なさそうに細い声を上げる。
「ごめんなさい。私が舞台から落ちてしまったばかりに、衣装がこれでは出雲の国の印象を悪化させるだけ、これではもう興行は続けられないわね」
その舞女は完全に自信を失わせている様であった。
「そんな御船様、ここまで来て!」
自分たちの舞は出雲という国を盛り上げ、発展させることを目的としている。その中で舞台から落下し泥まみれとなって演目が中断するという失態を晒し、興行自体の継続が困難な状況となっている。出雲の印象を損ねないためにも無様な姿を晒し続ける訳には行かない。この後の興行の継続は困難、大きな損失の発生と共に撤退するしかない。
悲壮感が漂う中で吉法師は近くにいた老人に問い掛けた。
「そもそもなぜ衣装は一着しかないのだ?」
普通舞の興行に必須となる衣装などは此度のこの様な不測の事態に備えて複数着準備しておくものと思う。一帳羅という危うい状態がそもそも問題ではないのかと吉法師は思った。
「この津島に来る途中で盗まれてしもうたのじゃ!」
その老人は声を荒げて憤りを見せた。既に団には別の不測の事態が起きていたのであった。
(そうだったのか・・・)
連続した不測の事態、その切実な状況に吉法師は納得した。
「儂の槍と一緒じゃな」
横で三左が呟くと同時に図書助が神妙な顔つきで述べる。
「どうやら尾張美濃の国境付近に盗賊団が蔓延る隙がある様なのじゃ」
「今の美濃攻めの混乱に紛れて盗賊団が横行しているのか?」
「国境の警備も手薄になっているのかな?」
又八郎と弥三郎が国境の治安を気にする一方で、熱田で舞を演じている結は泥だらけになっている同じ舞女の御船の姿が気になって仕方がない。
「吉さま、先ずはあの方のお姿、何とかなりませぬでしょうか?」
そう言って吉法師に改善を求めていた。
「うむ、先ずはさっぱりしよう。こちらにも同じような状況の者たちがおるからのぉ」
吉法師はそう言って結に笑顔を見せると御船に話し掛けた。
「御船さん、我らこの先の舞小屋で湯殿を借りる予定なのですが、良ければ一緒に赴いて先ずは泥を落としませぬか、そこへ行けば衣装についても何か良き手立てがあるやも知れませぬ」
その吉法師の提案に御船は笑顔を見せた。
「それは助かります、是非!」
「御船様、午後の公演を予定通りに行うとならばあまり時間はありませぬぞ」
団の老人が御船に忠告する。
「それでは、さっそく行きましょう」
吉法師はそう言うと御船を連れて津島の舞小屋へと向かうことにした。
友閑の舞小屋を訪れる良き口実ができた。しかしその口実に出雲の舞の公演の可否が掛かるとなると少し責任としては重くなる。
(さて、吉乃はいるだろうか・・・)
吉法師は訪問の理由に少し重みを感じながらも、吉乃に再び会えるかも知れないという思いを抱くことで、その足取りを軽くさせていた。