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第六章 継承 濃尾の覇権(12)

 美味い物産物展で食事を終えた吉法師たちは美濃攻めの必勝祈願に津島神社への参拝に向かっていた。皆が食事に対して満足そうな表情を浮かべている中で、内蔵助は不服そうな表情で兄の佐々隼人正に話し掛けた。


「兄者ぁ、儂、初めて京料理を食べたけど、何かいまひとつだったぞ!」


 京料理とは如何ほどの美味しさか、都に住む者たちはどれ程の美味しい物を食べているのか、期待して望んだ料理であったが内蔵助は何か物足りなさを感じていた。その話を横で聞いていた子供衆の他の四人が同調する。


「何じゃ、内蔵助もそう思っておったのか?」

「儂も何か物足りぬと思うておった」

「盛り付け方とか、お椀とかはお洒落であったけどね」

「何か味が少し薄かったような」


 期待した程には美味では無かった気がする。悩む子供衆の五人に隼人正と造酒丞が応える。


「そうか、儂は普通に美味かったぞ、長年職人によって探求されてきた味の調和と奥深さに都の伝統を感じたものじゃ」

「京の味が分からぬとはぬしらはまだ子供じゃな、それに比べ吉っちゃんは美味い美味いと言って食べておったぞ」


 そう言って造酒丞は吉法師の方を振り向いた。子供の中でも領主の嫡男ともなれば味覚も発達しているのであろう。造酒丞はそう思いながら暗黙の動作で吉法師に料理の感想を求めた。しかしその時の吉法師は妙に渋い顔をしていた。


「いや、実は良く味が分かっておらんかったのじゃ、京ではこれが絶品という基準の中で、いまひとつだと言えば田舎者に思われるかも知れぬと思いながら食べておったのじゃ」


 その吉法師の京料理に対する感想は周りの反応を意識したものになっていた。造酒丞と隼人正は首を捻りながら吉法師に語り掛けた。


「吉っちゃん、そりゃあ感想というより理詰めによる議論の結果だな」

「吉法師さま、そこはご自分の嗜好で話をして良いのですよ」


 本来料理の美味の程度は個人の趣向に伴うもので、且つ特段基準の無い相対評価でもあり様々な感想があって良いものである。吉法師が広い視野から理詰めで万人が納得できる回答を口にしようとするのは幼き頃より城主を務めてきた事による考え方の癖であった。


 個人として感じたことを素直に述べれば良い。そう促された吉法師は表情を変えると勢いを付けて感想を述べた。


「そうか、ならば申すと全体的に塩加減が薄くいまひとつであった。特に味噌の味が薄い。湾の塩を使ってもっと熟成が行き届いた味噌を使わないとだめじゃ!」


 味噌の塩味が薄い。自身の感想としてそう表した吉法師であったが、何故かその話を聞いて皆は爆笑していた。


「ははは、さすが吉兵衛どの、味噌にはうるさい」

「味噌には強い説得力がありますね」

「おみそれしました」


 それは迂闊にも今し方卒業したはずの味噌問屋の吉兵衛に繋がる話であった。自分では全く意識したものではなかったが、皆からすればそれは簡単につながるものとなっていた。


「もう吉兵衛は良いのじゃ!」


 皆の笑いの渦の中心にいる吉法師は恥ずかしさを吹き飛ばすように憤った。その吉法師に結と四郎は少し配慮しながら笑顔を見せていた。


「私たちの舌は塩味の濃い尾張の料理に整調されているのね」

「そうだね、あゆちで育った我らは体が必然的にそうできているのでしょう」


 産物展で食した京の料理、そこには平常の生活では認識することの無いであろう気付きがあった。伊勢湾に面する尾張の者は濃い味噌味で育っており、塩気の薄い京料理に対しては美味しさが半減する様に比思われた。


 又八郎が皆と同じ様に笑顔を見せながら話し掛けてくる。


「吉法師さま、今度熱田に戻ったら私が最高に美味しい料理を御馳走しますよ」


 熱田有力商人の加藤家が勧める地元の最高料理、それを聞いた吉法師はすぐさま又八郎の方を振り向いた。


「京料理より郷土料理じゃな、楽しみにしておるぞ、又八郎!」


 笑顔を見せている又八郎に吉法師もまた笑顔を返した。


 やがて一行は津島神社の近くにある広場の横を通り掛った。その広場は吉法師の思い出にある場所であった。


(ここは以前槍対決を行った場所だ・・・)


 その広場は以前蜂須賀小六が率いる川並衆と槍対決と評して模擬戦を行った場所であった。模擬戦は吉法師が初めて采配を取って軍勢を操ったもので、その時は若殿の初陣として評判となっていた。結果は三間余りの長い竹槍を用いた奇略で吉法師率いる若殿衆が圧勝している。


 その時に敵方の総大将であった小六が全力で敗走する姿を思い起こす。


(面白い男であったな、あ奴は元気かな、まぁ元気であろうな・・・)


 模擬戦の最後は追い掛けっことなり、追う側、追われる側、共に笑顔で走り続けるという懐かしい思い出となっている。


 その後、吉法師は小六が母の実家となる土田家の縁者で、その後の天王祭の祭りの時に母らと共に行動していたことを思い起こした。思い出の母の姿が小六を勝ると、今回古渡の城を出た時の厳しい言葉を思い起こす。


(吉法師、あなたのその姿は何ですか、あなたはその姿でこの織田弾正忠家を継承するつもりですか、それとももう武家はやめたのですか?)


 武家の古いしきたりを重んじる厳しい母、先進的な物事を取り入れ、戦乱の世の先端を歩もうとする自分とは相容れられない所がある。ややもすれば自身の立場を追い詰めるのは母になるかも知れない。そう思い込んだ時、激しい身震いが襲い掛かって来る。吉法師は周りの子供衆に向けて伝えた。


「ちょっとあの茂みで用を足して来る」


 そう言って吉法師は先にある茂みを指差した。激しい身震いは精神衛生上のものでは無く、単なる食後の物理的尿意であった。小走りに先の茂みに向かう吉法師を見て造酒丞が子供衆に声を掛ける。


「おいぬしら、吉っちゃんの警護に行かなくて良いのか?」


 その言葉に子供衆の面々はえっという顔をして互いの顔を見合わせた。ちょっと茂みで用足しするのに警護の必要があるのか、疑問に思っている様子の子供衆に造酒丞は更に確認する。


「これまでも吉っちゃん、厠に向かっては何度も行方知れずになったりしておるのだろう、もしまた何か起きたらぬしら切腹ものじゃないの?」


 その造酒丞の言葉に子供衆は過去の出来事を思い起こした。確かに吉法師はこれまで厠に向かっては行方知れずとなるなど様々な問題を起こしている。特に笠寺で失踪した時は供をしていた勝三郎は切腹と池田家断絶の危機に直面している。


 佐々家の長である隼人正が弟の内蔵助に声を掛ける。


「内蔵助、万が一にも我らの家を断絶させる様なことがあってはならぬぞ!」


 切腹、お家断絶、子供衆に血の引く思いが過る中で、今度は四郎が昨晩の熱田での出来事を思い出していた。


「あ、そう言えば昨夜熱田で厠にお連れした時、紙問題で老人に絡まれたと言っておりましたね、まさか熱田でという感じですが、本当に何処で何が起きるか分かりませんね」


 その四郎の話を聞いた結と又八郎が茂みへと向かっている吉法師の方を心配そうに振り返る。


「熱田の厠でその様なことが起きるのであれば、あの様な茂みはかなり危ないではないですか?」

「うむ、如何にも、人さらいの者とか、人を襲う獣とか、魑魅魍魎とかが隠れていそうじゃ?」


 茂みに向かって離れて行く吉法師の後ろ姿、もしかしたらこのまま消え去るかも知れない。そう思った瞬間、子供衆の五人は拙いという思いが支配的になり、慌てて吉法師の後を追い駆け始めた。


「き、吉法師さま、少々お待ちをー!」

「吉法師さまー!!!」


 子供衆の五人は叫びながら全力で吉法師に走り寄り、追い着くと同時に周囲を囲って警戒しながら茂みへの誘導を始めた。


「何じゃぬしら、突然如何したのじゃ?」


 不思議に思う吉法師に勝三郎が応える。


「おひとりで茂みに向かわれるのは危のうございます、我らが警護に当たります」


 それを聞いた吉法師は更に不思議そうな顔をした。


「あん、どういうこと、先程までは勝手に行って来い的な感じであったのに?」


 しかしその問い掛けに対して勝三郎をはじめ子供衆は誰も応えることは無く、皆で吉法師を囲うと全力で周囲の警戒を始めた。


「あの岩の手前から茂みに入るぞ、警戒を怠るな!」

「前方、およそ二十歩先に障害となりそうな石ころを確認!」

「回避、回避、左方に三歩転進!」

「道の前方に百姓の老人らしき二名を確認!」

「妖怪の類かも知れぬ、警戒!警戒!」


 吉法師たちの横を老人たちが変な顔をしながらすれ違っていく。少し離れた場所では造酒丞たちが遠目でその様子を見て爆笑している。周囲を激しく警戒しながら用足しに付いて来る子供衆に、吉法師は先程爆笑された以上の恥ずかしさを感じていた。


「大袈裟だろが、ただの小便に!」


 そう叫ぶ吉法師であったが、自身の切腹とお家断絶が掛かっている子供衆の警戒体制が緩むことは無い。茂みの入り口を前に吉法師の困惑を無視して、更に周囲への警戒を強める。


「その草の上にカエルがいるぞ、近づけるな!」


 その勝三郎の指摘を受けた弥三郎と九右衛門がカエルを追い払う。その光景に造酒丞ら他の皆がまた遠目で爆笑している。余りにも恥ずかしい状況、吉法師は困惑した表情で懇願する様に勝三郎に問うた。


「勝三郎さん、さすがに儂、カエルにはやられんでしょ」


 自分の用足しへの警戒がカエルにまで及ぶのはさすがに警戒の度を超えていると思う。しかしその懇願に対しても勝三郎は強気で反論してきた。


「吉法師さま、何を言うておられるのですか、カエルの面に小便という諺がありましょう。万が一引っ掛かったら、お家の一大事ですよ!」


「うむ、なるほど、そうか・・・」


 鬼気迫る勢いで圧倒してくる勝三郎に問答で功を得ることは難しい。カエルの面に小便ってそんな意味だったっけ、吉法師は疑問に思いながら茂みの奥へと分け入った。


 茂みの奥は朝方まで降っていた雨による泥土であちらこちらがぬかるんでいた。


「そこの大きな木の所でしてくる!」


 吉法師は茂みの奥に一本の巨木を見つけると子供衆にそう伝えた。


「あの巨木の周囲はダメです!」


 即座に子供衆に否定される。


「なぜだ!」


 もう我慢が限界点に達してきているのに、何故かここに来て細かく場所を拒絶される。吉法師は不満を露わにしながら訊ねた。勝三郎が答える。


「あそこは奥への見渡しが利きませぬ、しかもあの様な大木、猪などどこぞの獣が既に尿印を付けているに相違ありませぬ、獣に挑戦状を叩きつける様なものですぞ、場所として問題外です」


 何となく勝三郎の言う通りという気がする。すると周囲の場所を探索していた犬千代が茂みの中の少し開けた場所を指差して言った。


「吉法師さま、あちらのほっそい葦が立ち並んでいる場所が良いかと思います。あそこでお願いします」


 吉法師が見ると確かにそこは周囲に目を行き届かせることができる上に、雑草で自らの下半身くらいは隠すことができる様に思える。何か子供衆の面々にこの場が仕切られているのは納得がいかないが、何においても尿意には勝てない。


じょじょじょー


 最優先となっていた吉法師の用足しはそこで実行に移された。そして安堵感が広がっていたその時であった。


「あれ?」


 ふと右方に目を移した時、周囲の葦とは異なる一本の長い棒が地面に突き刺さっているのに気が付いた。


「この棒は?」


 もしかしたらやっぱり葦なのかも知れない。用足しが終わった後、そう思いながら近寄ってみると、それは明らかに人の加工が施された棒であった。


「おーい、皆来てくれー!」


 吉法師が呼ぶと、それに応じて子供衆の皆が慌てて駆け寄って来た。


「何か起きたのですか、吉法師さま?」


 訊ねる勝三郎に吉法師は見つけた棒を差し示した。


「これは何じゃろうか?」


 棒を見て子供衆の面々も首を捻る。


「これは葦ではなさそうですね?」

「明らかに人の手が加わっておるな」

「これ槍柄じゃないですか?」

「そうじゃ、槍じゃ」

「何でこんな所に刺さっておるのじゃ?」

「捨てられたのでは?」


「実は討死した者が下に埋まっておるとか?」


 九右衛門の一言に妙に自分たちが立つ地面が気になる。ぬかるんでいる地面に取り敢えず人が埋まっている様な感じはしない。


「とにかく引っこ抜いてみればもう少し分かるであろう!」


 内蔵助はそう言うと棒を地面から引き抜き始めた。


「ん、ん、抜けない!」


 その棒はかなり深く地面に刺さっている様でなかなか抜けない。


「どれどれ!」

「よし我らも手伝おう!」


 犬千代、九右衛門、弥三郎の三人も棒の引き抜きに加わった。


「いくぞ、せーの!」


 四人は一斉に力を込めた。すると徐々に棒は地面から持ち上がって行く。


「お、いいぞ、その調子だ!」


 吉法師と勝三郎は持ち上がる棒の様子を見ていた。


(どんだけ長い槍なのだ?)


 高く持ち上げられた棒の先端を見ながらまだ上がるのかと思い始めた時であった。


じゅっぽーん!


「よし、抜けた!」


 棒がぬかるんだ地面から抜かれる。しかしその瞬間、棒の重さと長さで子供衆の態勢が崩れる。


「あ、あー!」

「駄目じゃ、重い!」

「倒れるー!」


 地面から抜けた棒は非常に重く、四人の子供衆が根本の部分で支えることは出来なかった。棒が倒れて行く。


「わー!」


 その倒れる方向にはちょうど勝三郎が立っていた。


べしゃ!


 一瞬倒れて来る棒を掴み取ろうとした勝三郎であったが、空振りして体に直撃し、そのままぬかるんだ泥土に押し倒されていた。


「か、かつさぶろう・・・」


 ぬかるみのきつい泥土に棒の重さを以て埋まる勝三郎に皆が注目する。


「大丈夫か?」

「生きとるか?」


 皆が心配する中で、勝三郎は体中に泥をまといながら無言で起き上がった。


「良かった、勝三郎、無事で何よりじゃ!」

「まったくじゃ、ちょっと供養どうするか、とか考えてしまったぞ」

「儂も思わず心の中で経を読んでしまったわ!」


 起き上がった勝三郎に皆一度は安堵したが、次の瞬間その姿を目の当たりにして驚愕する。


「な~ぜ~、わ~し~だ~け~、こ~ん~な~め~に~~~」


 全身泥だらけとなった勝三郎が恨めしそうに声を上げる。その姿はまるで妖怪の様であった。


「うわっ、こわっ!」

「なんまんだぶ、なんまんだぶ」

「じょじょじょ、じょうぶつしてくれー」


 棒を引き抜いた祟りか、この勝三郎の近くにいると災いが降り注いできそうな気がする。皆は思わず勝三郎との距離を開けた。


 その時吉法師は勝三郎の無事を確認すると、騒ぎ立てる子供衆を他所に引き抜いた棒の検証をしていた。


「この棒、やはり槍だな、こちらの先端には刃が付いておる」


 そう吉法師の言葉に子供衆が集まり詳細を確認する。


「大きな十文字槍ですね」

「結構な業物っぽいな」

「あぁ、泥だらけで分かり難いけど」

「持ち主は相当な手練れの者に違いない」


 その棒は多分に汚れてはいるが、子供衆でも分かる上等な槍であった。


「よし、この槍、持って行くぞ!」

「えぇー!」

「やっぱりー!」


 吉法師は子供衆に茂みから運び出すことを指示した。その大槍は子供衆にとって一苦労となる大きさであったが、指示された子供衆は皆で槍を担ぎ、茂みの中をよろよろと運んで行った。


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