第六章 継承 濃尾の覇権(10)
その後又八郎の制御部屋の前に辿り着いた四人はその入口の前で悩まし気な表情を見せていた。
「こ、これはいったい…」
入口の前には天井にも届く様な大きさの猫と狸の置物が置かれていた。そして二体の置物の手前には「選べ」と書かれた札が置かれており、その左には上の樽から下の樽に小さな穴を通して砂がこぼれ落ちているのが見える。
「どうやら兄者が更なる仕掛けを用意していた様で申し訳ございません」
そう言って頭を下げる弥三郎に吉法師は苦笑しながら言った。
「まぁ、ここは選べば良いだけであろう」
「しかし、間違った方を選んだ時に何が起きるか分かりませぬ」
「うむ、しかしもうここは楽しんで決めるしか無かろう」
「はぁ…」
弥三郎にとって一連の吉法師の言葉は救いであった。自分の兄がこの城の特別警戒体制の動作確認を自分の主君に対して行っているという事は本当に問題だと思う。
「難しいわ、どちらも何か裏がありそうで」
怪しい表情で手招きをしている猫と惚けた表情で腹の大きさを強調している狸、表情としては狸の方に親近感が感じられるが、その惚けた表情は偽りかもしれないと思うと決めきれない。
「弥三郎、何か選ぶ基準に対して思いつくことあるか?」
「ありませぬ、どちらも家に縁深いものでもありませぬ」
「樽から落ちている砂がもう無くなりそうだわ」
「それってもしかして制限時間を現わしているのではないか」
横で零れ落ちる砂のことについては何も説明書きが無いが、この選べと言う札に対しての制限時間と思われる。砂が無くなった時点で失格となるのであろうか、上の樽の砂が無くなっていくと共に焦りが募っていく。
「これは一か八か、選ぶしか無いようですね」
「そうですね、吉法師さまお願いします」
もはや時間の猶予も無く、どちらを選ぶべきかの根拠も得られない。運だけの勝負、皆が頷きながら吉法師に判断を一任した。
樽の中の砂が時間と共に加速度を付けてみるみるうちに無くなっていく。
(猫か、狸か、猫か、狸か、猫、狸、猫、狸…)
判断の決め手に欠ける猫と狸の選択、そして残りの砂が十数粒となった時だった。
「ええい、ままよ!」
意を決した吉法師は狸の方に拳を当てた。すると一瞬の間をおいて、惚けた表情の狸の口が緩んで笑顔になった様に見えた。
(おっ、正解という表情!?)
そう思った時だった。
バイーン!
わぁーーーーーー!
突如狸の口から投網が放たれ吉法師たちは一網打尽に吊るし上げられてしまった。
「狸は不正解であったか!」
「う、動けぬ!」
「これ、お魚を捕る網だわ」
「この様な仕掛けが加えられているとは!」
吉法師たちは網の中で身動きが取れずジタバタしていた。するとそこへ一人の男が歩み寄り声を掛けて来た。
「吉法師さま、加藤家の城にようこそ、私が留守を預かる嫡男の又八郎です」
普通に話し掛けてくる男に対して、吉法師は同じ様に平然と返答した。
「うむ、又八郎、今宵は世話になる、よろしく頼む」
それはまさに織田弾正忠家嫡男として威厳が込められた言い方であった。しかしその時の吉法師は投網の中で、又八郎に向かって上下も前後も逆となっていて、傍目的には全く威厳は見られない。
弥三郎が声を荒げる。
「兄者、早くここから降ろしてくれ」
「ははは、弥三郎、ぬしまで引っ掛かるとはな」
又八郎はそう言うと仕掛けの奥を操作して吉法師たちを投網から解放した。するとすぐさま弥三郎は兄の又八郎に言い寄った。
「兄者、最後のこの仕掛けは何じゃ、さすがにこの選択の答え、猫は無いであろう」
その言葉に又八郎は笑みを浮かべる。
「いや、逆に猫を選択しなくて良かったぞ、猫だったらネバネバ地獄で、あとの掃除が大変になるところであった。こちらも冷や冷やしておったわ」
「えっ?」
猫も狸も両方外れ、それは皆が想定していなかった答えであった。皆が訝しく思った。
「それは無いぞ、兄上、それではあの選べと書いてある札はいんちきではないか!」
弥三郎は憤りを示したが、又八郎はそれを一笑して言った。
「いんちきでは無いぞ、弥三郎、札は良く見たのか?」
「えっ、どういうこと?」
逆に又八郎に問われた弥三郎は改めて札を確認しに近寄って行った。吉法師、四郎、結も札に寄って確認する。ただ選べと書かれているだけの何の変哲も無い札、しかしじっと見つめていた吉法師は一つの細かい事に気が付いた。
「札のこの右下にあるこの細い斜めの線は何だ?」
吉法師のその指摘に他の三人も着目する。
「線はこの右角に向かっている様ですね」
「よく見るとこの右下の角の部分だけ少し濃くなぞられてます」
「そこ、少し離れてみると矢印みたいに見えるわ」
「ああ、なるほど、確かに矢印っぽいな、ん、ということは!?」
四人は右下の微かな斜めの線が札の角を一緒に使って矢印を表わしているということに気が付いた。この札に書かれた「選べ」という文字は背後の猫か狸の置物のどちらかを選べという意味では無く、「選べ→」と読み、矢印の方向のものを選べという意味で、矢印の先には何やら正解につながるものがあると思った。
四人は一緒にゆっくりと矢印の方向を向いた。するとそこには小さくて目立たぬ置物が置かれていた。
「これか、正解は?」
「全く気が付かなかったわ!」
「何ですか、それ?」
「この動物は!」
それは小さな熊の置物であった。
「熊かー!」
その熊の置物はひょうきんな顔をして鮭を銜えている。皆がそれを見て一杯やられたと思った。
(巧みな戦略だ)
吉法師は改めて熊の置物を見つめながらこの仕掛けの突破の失敗について考えた。ここまで身体勝負で進んで来た後に不意に仕掛けられた時間制限を匂わせる注意力の勝負に頭を切り替えることが出来なかった。これまで動物二体ずつ出て来たためか二者択一への違和感が無くなっていた。
再度同じ様な状況が生じた際は対応できるであろうか、吉法師は怪しい表情を続ける猫の置物を見ながら考え込んでいた。そして総括を終えた吉法師は暫く猫の表情を見続けている内、新たな疑問に頭をよぎらせていた。
(猫の方のネバネバ地獄ってどんなんだったのだろう)
間違いなくこれまで見たことも無い仕掛けだと思う。自ら体験したいとは思わないが、どの様な仕掛けなのか、先程の又八郎の言葉が気になっていた。
吉法師たちはその後又八郎に連れられ奥の制御部屋へと向かって行った。
その前室では全突破を称える意味であろうか、女人を模した数体のからくり人形が妖艶な舞を披露していた。その人形たちはどこか奇妙で、頭には何か動物の耳らしきものが付いており、また背後には大きな尻尾らしきものが見え隠れしている。
「この人形たちって?」
「化けている奴ですよね!」
吉法師と四郎は直ぐに狐の舞を連想した。
(狐の舞か…)
吉法師はふと津島天王祭で狐の面を被った吉乃の姿を思い出した。
全ての仕掛けを乗り越えた者を称える女人の舞、しかしそれが狐を連想させる所は何か愛らしさもありまた奇妙な感もある。
「これも前は無かったな、趣味悪いぞ、兄者!」
「ははははは」
一方の感性においては人に化ける狐の舞は妖怪の類を連想させる。弥三郎の指摘に又八郎は何かごまかす様にして笑っていた。
するとその時だった。
「吉法師さま~、ここから出してくださーい!」
一瞬舞を披露している人形が発したのかと思ったが、それは聞き覚えのある声であった。吉法師たちが人形の背後を覗くと、そこには網目模様の鉄格子の壁の中で叫ぶ勝三郎の姿があった。
「おぉ、勝三郎、こんな所にいたのか!」
「いたのかではないですよ、何か死にかけましたよ!」
その鉄格子の壁の奥は座敷牢の様になっていた。序盤で早々に挑戦失敗の勝三郎はその後ずっとこの牢に確保されていた様であった。ふてくされたその勝三郎の表情を見て皆が笑った。
「それで九右衛門、内蔵助、犬千代も一緒か?」
吉法師のその問い掛けに勝三郎は牢の奥を指して言った。
「皆ここにいますよ」
そう言って勝三郎は座敷牢の奥を指した。中を覗いてみると確かに牢の奥で三人が倒れているのが見える。
「おい、三人は大丈夫なのか?」
吉法師は不安に思い訊ねたが、勝三郎は落ち着いている。
「皆もう眠いからここで寝るって…」
その言葉を聞いて吉法師は安堵した。
「そうか、じゃあ三人はこのままここで寝かせておくか」
そう言うと吉法師は勝三郎だけをその座敷牢から連れ出した。その後又八郎は楼閣の最上階にある制御部屋に皆を案内すると改めて吉法師に頭を下げた。
「吉法師さま、此度はこの楼閣の警報体制の動作確認をさせてもらい大変失礼を致しました。実は今宵津島にいる私の友人がこの仕掛けに挑戦しに来ることになっておりまして、事前に制動するか確認しておきたかったのです」
「津島の友人?」
吉法師が首を捻っていると、それを隣で聞いた弥三郎が声を荒げた。
「それであちこち仕掛けを改良しておったのか、我らを実験台に使うとは酷いぞ、兄上」
「ははは、悪い悪い、弥三郎」
突然の宿泊の依頼を快く受けてくれた兄、しかしそれは自分たちへの配慮ではなく自らの実験確認のためであった。弥三郎は兄の又八郎に対して憤りを感じていた。
「まぁよい、弥三郎」
一方で吉法師は普段の鍛錬では得られない貴重な訓練と感じられる所もあったことから、弥三郎の様な憤りは感じていない。
「それでぬしの友人というのは何者なのか?」
吉法師は又八郎にこれから訪れるという男について訊ねた。
「津島で美濃向けの武器商人をやっている堀田孫右衛門という男です」
それを聞いて吉法師は少し困惑の表情を見せた。
(美濃向けの武器商人か…)
これから訪れる者は美濃に関連する者、又八郎とは旧来の仲という所から政治的な立場としては中立かも知れないが、美濃攻めが行われようとしているこの折にその様な者と顔を合わせるのは情報の流出という点で都合良くない様に思った。
「孫右衛門は身体能力が高い上に洞察力が鋭くて、これまで何度もここの仕掛けを突破されているのですよ」
その又八郎の話からしても能力の高い人物と受け止められる。いったいどの様な男なのだろうか、吉法師は又八郎の称賛とは逆に警戒心を抱いた。
するとその時だった。
カランカラン
何かの合図を知らせる音が部屋の隅で鳴り響いた。
「どうやら来た様ですね」
それは最下層の階に侵入者が入ったことを示す合図であった。
「吉法師さまも孫右衛門がどの様にして仕掛けを突破して来るか、御一緒に監視致しませんか?」
この制御部屋からは所々の仕掛けの様子を監視できる様であった。
「うむ、そうしよう、ところで又八郎、取り敢えず儂の身元は伏せておいてもらえぬか、美濃出兵の折、儂が今ここにいることをあまり美濃側の人間に知られたくない」
攻め手の大将の嫡男が美濃攻めの中、持ち城を離れ一商家の元にいる。その様な情報は自身の意図していない不利な状況を作り出すかも知れない。吉法師はここで父上の足を引っ張る様なことはしたくないと思った。
「分かりました」
又八郎も吉法師の意を組み、例え孫右衛門が全ての仕掛けを突破してここに現れたとして吉法師の身元を明かさぬことにした。
そして改めて二人が階下の状況を覗き込もうとした時だった。
「又ぁ、あんまり難易度上がっておらぬぞぉ」
又八郎と同い年くらいの若者が物足りなさそうな表情で制御部屋に入って来た。その所要時間からしても特に苦もなくここにたどり着いた様に思われる。
(この男、あの仕掛けの数々をほぼ素通りで来たというのか…)
吉法師は驚愕の目で見つめる中、又八郎は残念な様子で孫右衛門に話し掛けた。
「もう全て突破して来たのか、ぬしには簡単すぎたか、再度この警報体制を見直さねばならぬなぁ」
この楼閣の特別警戒体制は二人に私物化されている。その二人の会話を聞いて、吉法師たちはこの障害物突破競技の難易度が上がって行く理由が分かった様な気がした。
「孫右衛門、ぬしの苦手なものって何だ、是非仕掛けに加えてくれよう」
「苦手なものか、そうだなぁ、饅頭だな、饅頭は苦手で恐いんだよね」
「そうか、饅頭だな、分かった!」
特別警報体制の仕掛けは一部個人向けの特有なものになろうとしていた。
「ところで又、こっちの子供たちは?」
吉法師たちの存在に気が付いた孫右衛門が訊ねる。
「あー、その子らはなぁ…」
その又八郎の説明は話を切り出した所で止まった。吉法師から身元を伏せたいとの話は受けたが、具体的に仮となる身分の話をしていない。すると孫右衛門の方が神妙な面持ちを見せて逆に話をしてきた。
「いやいや、折角だから私が当てて進ぜよう」
孫右衛門はそう言うと一点集中で吉法師の方に目を向け、ささっと近付いて行った。
(即座に儂に着目するとは、儂を知っておるのか?)
吉法師が不思議に思うと同時に他の皆もこの孫右衛門の行動を不思議に思った。
「孫右衛門、何故その子に着目するのだ?」
又八郎が問い掛けると、孫右衛門は様々な角度から吉法師を見つめながら答えた。
「あぁ、自分がこの子らのことを訊ねた時、他の子の視線が一斉にこの子に集まっておった。おそらくこの子が代表的な存在なのであろう、この子をよく見れば分かるかな、と思った次第だ」
孫右衛門は推理ごとを好む様であった。
(なるほど、鋭い)
吉法師は一瞬の皆の視線でそこまで把握する孫右衛門の洞察力と分析力に驚きを感じた。その孫右衛門の視線が前後左右上下遠近長短様々な様相で絡んでくる。更に孫右衛門は触覚、臭覚、時に味覚まで使って自分に関する情報収集と分析を行っている。
(これは見破られるかも知れぬ…)
吉法師は身元が露呈することを覚悟した。
そして暫し熟慮した様相を見せた孫右衛門は吉法師を指差しながら声を上げた。
「分かったぞ、ぬしの正体が!」
吉法師の身元が美濃の者に割れてしまう、その緊張した一同の雰囲気の中で、孫右衛門は自信たっぷりに言い放った。
「ぬしは味噌問屋の秘蔵っ子だろう!」
見事な大はずれ、その孫右衛門の言葉に一同がひっくり返った。
「そしてこっちの子らは秘蔵っ子を守る愉快な仲間たちと見た、どうだ?」
吉法師は何故味噌問屋と思いつつも逆に機転を聞かせてこれに乗じた。
「すごい、大当たりじゃ、儂は味噌問屋の吉兵衛じゃ、なぜ分かったのじゃ?」
(本当は大はずれじゃ~)
吉法師は思わず吉兵衛を名乗りながら煽てる様にそう訊ねると、孫右衛門は得意気になって答えた。
「ぬしの頭の耳の後ろ辺りに微かに味噌っ粕が付着しておった。その味噌は熟成の感じから庶民が手にすること叶わぬ高級八丁味噌とみた。その様な味噌を頭に付けているとなると生産者の方で、生まれながら味噌造りに才のある秘蔵っ子しかおらぬと推理したのじゃ、秘蔵っ子ゆえ愉快な仲間たち護衛団が付いておったのであろう」
頭に味噌っ粕が付いていたとは自分でも気が付いていなかった。その原因としては那古野の城を出る際、細工した味噌樽に籠っていた時に付いたと想像できる。
「孫右衛門どのは凄い推理力をお持ちじゃ、おみそれしました」
(みそだけに~)
吉法師は表裏の感情を制御しながら孫右衛門を称賛していた。一方で他の皆は笑いを堪えるのを必死になって制御していた。
(ははは、吉法師さま、味噌問屋の吉兵衛だって…)
(くくく、石問屋の吉に続く異名ができました…)
(ふふふ、吉法師さま、今日一日、頭に味噌っ粕つけていたの…)
(ぷぷぷ、脳みそ増やすおまじないとか言われなくて良かったかも…)
「さぁ、吉兵衛どの、ぷっ…、今日はもう夜も遅い、隣の部屋に布団が用意してある故、お休みになられるが良い」
ここで又八郎は笑いを堪えながら吉法師に就寝を提案した。
「すまない、又八郎どの、それでは我らはこれで…」
この後長くこの孫右衛門に顔を合わせていると身元がばれる可能性が高まる。そう考えた吉法師は挨拶を交わし早々に退出しようとした。
その時であった。
カランカラン
最下層の階に再び何者かが入り込んだことを知らせる音が鳴り響いた。
「ん、今日は他にも誰か仕掛けに挑戦する者がおるのか?」
「いや、おらんぞ」
「…」
「では本当の侵入者ではないか!」
一同の中に緊張が走る。又八郎は慌てて階下の様子を確認した。皆も続いて階下の様子を窺う。
「もう三つ目、いや四つ目の仕掛けも突破しているぞ」
「先程の儂のより速い、一体誰じゃ」
又八郎と孫右衛門は侵入者の動きを監視しながらその人物を探った。それを聞いて勝三郎が叫んだ。
「吉兵衛どの、何処かの刺客かも知れぬ、吉兵衛どの、お隠れになった方が良いのではないですか、吉兵衛どの、吉兵衛どの」
叫ぶ内容は緊急事態の切羽詰まったものあったが、吉兵衛を連呼する勝三郎は何か楽しんでいる様にも見える。
パカッ
「あいて!」
吉法師の無言の叩きが飛ぶ。
その中で又八郎は次々と仕掛けを突破する侵入者の特徴を捉えていた。
「ん、この者はまさか?」
猿山の仕掛けもほぼ素通りの速さを見せる侵入者に何か心辺りを感じる。
そしてその直後であった。
わぁーーーーーー!
侵入者の仕掛けに引っ掛かった声が響いた。
「よし、掛かった!」
又八郎は制御部屋を出ると侵入者が引っ掛かった仕掛けへと向かって行った。
(一体誰であろう?)
皆が又八郎の後を追って前の部屋に向かった。
「こら、又八郎、何という仕掛けを作っておるんじゃ!」
そこには女狐の姿をした人形たちに絡まれている小太りの男の姿があった。
「父上だけですよ、こんな仕掛けに引っ掛かるのは」
それは小荷駄隊を率いて美濃攻めに向かったはずの又八郎と弥三郎の父加藤図書助であった。図書助が引っ掛かったのは女人の姿で舞う人形たちの仕掛けの所で、突破達成を祝う人形の舞は実は更なる追加の仕掛けの様であった。ただ自分から手を出さなければ絡まれることはなく、父図書助専用の仕掛けの様になっている。普段から女衆の中に飛び込み癖があり飛び加藤の異名を持つ男には痛いところを突く仕掛けであった。
皆がその図書助の滑稽な姿に大笑いする中で、吉法師だけは真剣な表情で見つめていた。
(人は弱みを突かれると脆い、そして戦に勝っても油断してはならない、ということを表した姿だな)
図書助の姿を格言として捉えていた。
「それで父上、何故戻られたのですか、美濃への小荷駄隊はどうされたのですか、まさか途中で放棄されたのではないでしょうね?」
又八郎は仕掛けの人形を解きながら図書助に訊ねた。
「何を言うておるか、荷駄はちゃんと儂の影が運んでおる」
それは自身の影武者のことであった。図書助は戦時などの緊急時に度々自身の影となる存在を使っていた。
「美濃攻めより緊急事態じゃ、早々に津島に向かうぞ!」
「は? 今から津島ですか、何故ゆえ」
図書助の言葉に又八郎が驚きの表情を見せる。
「国友で開発量産に成功した鉄砲が披露されておるそうじゃ、商人としては一度見ておき、その価値判断をしておかねばならぬ」
真剣な面持ちで小荷駄隊の任務を抜け出て来た理由を明かす図書助であったが横から顔見知りの孫右衛門が口を挟む。
「あー、確かに武具展覧の催しの中に国友の鉄砲ありますよ、他に出雲の興行舞とかの披露も予定されている様ですけど」
その話を聞いて又八郎は白い目で図書助を見つめながら言った。
「父上の目的は出雲の興行舞の方でしょ」
追及の目を向ける又八郎に図書助はニヤッと笑顔を見せた。
「ははは、ばれては致し方なし、又八郎、ここは手分けしての対応が必要じゃ、儂は出雲に専念するゆえ、ぬしは鉄砲に専念せよ!」
「父上、その鉄砲の価値判断を私にさせるのですか、第一私まで津島に赴いたらこの城の留守はどうするのですか?」
又八郎は父図書助の滅茶苦茶な指示に困惑した。
「大丈夫じゃ、この城の留守はこの影其の二にやらせる」
そういう図書助の後ろにはいつの間にかそっくりの影武者が控えている。
「もう父上の影、何ぼおるんですか?」
又八郎は呆れ顔を見せつつ津島行きについてはもう観念していた。続いて図書助は又八郎の横にいる孫右衛門に言い放った。
「孫右衛門、熱田にはぬしの船で来たのであろう、今風向きと潮流は津島に向けてちょうど良い、さぁ行くぞ、出発じゃ!」
それは完全に息子の友人への対応だった。
「もう敵わないな、図書助どのには!」
今宵はゆっくり又八郎のいる熱田でと考えていた孫右衛門も津島へのとんぼ帰りを観念していた。
吉法師は暫し図書助たちの話の様子を伺っていたが、彼らの中で津島行きが固まって来ると勝三郎の方を向いて囁いた。
「勝三郎、我らも津島へ行くぞ、国友の鉄砲とやらを見てみたい、犬千代たちを起こしてまいれ」
「えー、我らも行くのですか?」
驚く勝三郎とは裏腹に四郎、結、弥三郎の三人も津島行きに興味を抱いている。
「世で最新兵器と噂になっている鉄砲というもの、私も見てみたいですね」
「私も熱田とは違う出雲の国の舞がどの様なものか見てみたいですわ」
「鉄砲と出雲の舞、皆が左様な見聞にて行くとなれば私も行きたいです」
吉法師たちの間でも津島に向かう気運が固まって来ていた。
勝三郎は犬千代、内蔵助、九右衛門が眠り込んでいる座敷牢に向かいながら一つの思いが沸き立っていた。
(結局、ここでは寝んのかーい!)
勝三郎の心の声が熱田の夜に響いていた。