第六章 継承 濃尾の覇権(8)
熱田の飯場で食事を終えた吉法師と子供衆がその日の宿のために弥三郎実家の加藤家の城を訪れたのは夜もだいぶ更けた頃であった。
「二人とも我らに付いて来て大丈夫なのか?」
吉法師たちには熱田で食事を共にした四郎と結がそのまま付いて来ていた。
「えぇ、宮の方は長老たちに頼んで来ましたので大丈夫です」
「私も吉法師様と四郎様の共をすると断って来ましたので大丈夫ですわ」
四郎は熱田大神の化身の白い鳥より受けた天下再構築の天命を良い機会にて伝えるべく、そして結はその四郎に便乗する形で吉法師に同行していた。
「吉法師様をお連れもうした、開門願います!」
弥三郎は実家の城に到着すると、硬く閉ざされた城門の前で開門を叫んだ。程なくして城門が開くと、弥三郎は皆を宿泊の場となる離れの楼閣へと案内した。楼閣への道は篝火が少なく、所々に置かれている動物の置物の目付きが何か異様な雰囲気を発している。
「何かこの道は気味が悪いな」
「あぁ、何か動物たちが睨んでおる様に見える」
「こっちのは不敵に笑っておる様に見えるぞ」
「何か憑りつかれそうだわ」
昼間は多くの商人が商談に訪れ、歓迎の雰囲気を発している道であったが、夜は何か訪れる者を拒む雰囲気を発していた。
「あぁ、今我らが通るので作動しておらぬが、いつも夜間は盗人と魑魅魍魎を警戒しておるのじゃ、特に最近は美濃攻めもあって斥候の侵入にも警戒しておる様で、特別警戒体制が敷かれておる」
弥三郎は道の先を案内しながら淡々と答えた。加藤家の城では夜間訪れる者は盗人、斥候、魑魅魍魎という前提にしている様であった。
「あれっ!」
それはちょうど楼閣の建物に入った時であった。弥三郎は中の回廊を一目した時、驚きの声を上げて立ち止まった。
「如何した、弥三郎?」
吉法師が訊ねると弥三郎は困惑した様子で応えた。
「この回廊の先に今夜泊まる部屋があるのですが、どういう訳か特別警戒体制が作動している気がします」
それを聞いて皆は回廊を注意深く窺った。灯りが乏しく分かり難いが、特別変な様子は見られない様に思う。
「おかしいなぁ、私が吉法師様を連れて来ることを知って作動させておくとは、兄者は解除するのを忘れておるのか、いや、これはその様な感じではないな、う~ん」
弥三郎が悩み続けていると、業を煮やした勝三郎が話し掛けた。
「弥三郎、何はともあれ先に行くしかあるまい、もう眠くなってきたし、早く行こう」
今日はあともうここで寝るだけ、特に楼閣の雰囲気が気になっていない勝三郎はあくびをしながら弥三郎の横を抜けて先に進んだ。
「ちょっと待て、勝三郎!」
弥三郎が慌てて勝三郎に制止を叫んだその時だった。
チュー、チュー!!!
何匹かの黒い小動物がいきなり横から声を上げながら勢いよく勝三郎に向かって来た。
「わっ、何じゃ!?」
驚いた勝三郎はその小動物を避けて反対側に向かって飛び跳ねて逃げた。すると次の瞬間、突如開かれた壁から大きな別の動物が現れ、叫びながら勝三郎に体当たりをしてきた。
モー!!!
ドカッ!
わぁーーーーーー!
吹っ飛ばされた勝三郎は反対側の壁に激突する瞬間、急に開かれた壁の仕掛け窓の穴に落ち、絶叫の声を残して暗闇の奥へと消えて行った。
「勝三郎―!」
皆で呼んだが瞬時にかなり先まで行ってしまった様で返事が無い。
シーン…
この突然の出来事に皆が沈黙して立ち尽くした。
「これがこの城の特別警戒体制か…」
その吉法師の呟きで我に返った他の子供衆は弥三郎に問い詰めた。
「おい弥三郎、勝三郎は大丈夫なのか?」
「今ので命を落としていたら冗談にならぬぞ!」
「一晩の就寝が永遠の就寝になってしまうだろう!」
慌てる子供衆の皆に弥三郎は困惑顔で答えた。
「ここの仕掛けは命を奪うものにはなっておらぬので勝三郎は大丈夫じゃ、しかし仕掛けは制御部屋で兄上が制御しているはず、兄者め、我らがこの時間に来るのを知って作動させておるということは、兄者は我らがこの仕掛けを突破できるかどうか試しておるのじゃ」
弥三郎は吉法師に向けて頭を下げた。
「申し訳ありませぬ、吉法師さま、兄者には困ったものです。これは兄者の実験です」
弥三郎の兄、加藤又八郎は楼閣の特別警戒体制に修正を加えて行くうちに、そのからくり仕掛けの完成度を高めることに凝る様になっていた。しかし最近はその仕掛けの巧妙さの噂が侵入者たちの間で広がっているのか、夜間城に入り込む者は皆無となり、新しい仕掛けを施してもなかなか動作の機会が得られないことを逆につまらないと思う様になっていた。仕掛け改善の効果を試したい、そう思っていた中での吉法師らの訪問となっていた。
吉法師は頭を下げる弥三郎に笑顔を見せて言った。
「ははは、弥三郎、そういう事であればこの実験、是非とも我ら挑戦させてもらおうではないか!」
取り敢えず命を落とす様な事は無いという状況の中で、先程の鼠と牛の高度な模型を使った仕掛けはこれまで見たことがなく非常に面白いと思う。そしてこの先にもこの様な面白い仕掛けが用意されている。吉法師は前向きに又八郎の実験に挑戦したいと思った。
吉法師の意思を聞いて他の子供衆も声を上げた。
「ここの仕掛けはもはや特別警戒体制とかのものではないですね」
「あぁ、障害物突破競技だな」
「うむ、からくり仕掛けの様相からしてそんな感じだね」
「よーし、こうなったらここの仕掛け、全突破してやるぞ!」
「あぁ、このからくり楼閣突破してゆっくり寝るのじゃ」
「私はちょっと不安なのだけど」
「大丈夫です、おおよそ私は仕掛けを把握しておりますので」
吉法師と子供衆は挑戦への意気込みを高めつつ、仕掛けに注意しながら回廊を進んで行った。
その後吉法師たちは内情を知る弥三郎を先頭に吠える虎と穴うさぎの仕掛け、龍胎内で蛇まみれの仕掛けの二つを突破して行った。
仕掛けの概要を知る弥三郎がいれば攻略はさほど困難なものでは無い。連続して仕掛けを突破していた皆はこのまま勝三郎を除く皆で全ての仕掛けを突破できるのではないかと思う様になっていた。しかし次の仕掛けを前にした時、弥三郎は神妙な面持ちを見せた。
「何かが変わっている気がする」
目の前には等身大模型の馬と羊が回廊の奥に向かって、ずらっと列を成している。
「ここは順番に二頭の真ん中、右、真ん中、左、真ん中と進んで行けば良いのですが気を付けて下さい、何かが変わっている気がします」
いつもと違う。弥三郎の直感がそう思わせる。しかし何がどう変わっているのかは定かでない。皆は慎重におそるおそる弥三郎の後をついて馬と羊の列の合間を進んで行った。そして何列目かの羊を抜けた時であった。
ヒヒーン!
メェー!
複数の馬と羊の模型が何かに反応して鳴き声を上げると、大きく首を動かして進行を妨害し始めた。弥三郎の背後にいた吉法師と四郎は模型の動きを躱しつつ結を伴っていち早く脱出したが、その後方では内蔵助、犬千代、九右衛門がそれぞれ近くの模型に触れ、模型は更に大荒れとなりながら妨害の様相を見せていた。
「とりゃ!」
「おりゃ!」
あちらこちらの床や壁の仕掛け窓がバタバタと開いたり閉じたりしており、馬や羊の模型がそこに押し込もうとしてくる。それに対して内蔵助は伏せながら躱し、犬千代は跳び上がって躱し、九右衛門は別の模型にしがみ付いて躱した。しかし九右衛門がしがみ付いた羊に隣に並んでいた馬が体当たりすると、その羊は態勢を崩し、その先の壁には仕掛け窓が開いていた。
わぁーーーーーー!
九右衛門はしがみついていた羊ごと仕掛け窓の穴に落とされると、そのまま暗い穴の先へと消えて行った。
「九右衛門―ん!」
シーン…
皆で叫んだが九右衛門からの返事は無い。
「おい、弥三郎、本当に大丈夫なのか、これ!」
「怖すぎだぞ!」
皆が九右衛門最後の断末魔の叫び声に恐怖していた。羊にしがみつきながら深い穴の暗闇に落ちて行く久右衛門の悲壮感は尋常では無かった。
「ははは、大丈夫ですよ、つぎつぎ」
しかしこの皆の中で何故か弥三郎だけは楽しそうな表情を浮かべていた。兄者は自分の知らぬ間に新たな形に仕掛けを改良している。弥三郎はその凝った仕掛けの突破に逆に何か面白みを感じる様になっていた。
「ここは何じゃ?」
次の回廊の入り口には何か厳重な鉄格子の扉が施されていた。
「ここは本当に俊敏さが問われますよ」
「どういう事じゃ?」
「ちょっと入って見たら分かりますよ」
そう言われた内蔵助と犬千代は鉄格子の扉を開けて恐る恐る入ってみると、直ぐに慌てた様子で出て来た。
「ここ中は猿山になっているぞ、ここを突破するのか?」
「しかも守っておる猿は本物っぽい、十匹くらいおる!」
「えっ、十匹?」
驚きながら説明する二人に弥三郎は自らも扉の中を確認した後、笑いながら言った。
「ここは猿たちの攻撃をうまく躱して向こうの扉に達すれば良いのですけど、困った兄者です、猿の数を増やして難易度を上げている様です」
素早い動きで十匹の猿の攻撃を躱し反対側の扉に到達する。その様なことが実際に可能なのであろうか、皆が弥三郎の言葉を懐疑的に思い怪訝な表情を見せた。しかし弥三郎は特に問題とは思っていない。
「もう兄上の仕掛けも酷いですよね、先ず皆で中に入った後、私が最初に突破の見本を見せますので、それを参考にして後から続いて来てください」
弥三郎の見本は実際参考になるのであろうか、不安な思いを抱きながら皆で鉄格子の扉を開けて入って行くと、さっそく猿たちの視線が自分たちの方に集まってくるのが分かる。
(あの猿たちの攻撃を躱して進むのか…)
吉法師は改めてここの突破は厳しい様に思った。
「それでは参ります」
弥三郎はそう言い残すと奥の扉へと駆け出して行った。するとその弥三郎に向かって一斉に猿たちが向かって行く。弥三郎は最初の猿の攻撃を難無く躱すが、その後も猿山の上から下から、そして進行の前後からも次々と猿たちが攻撃を仕掛けて来る。しかし弥三郎はそれらの猿の攻撃を瞬時の判断で巧みに躱しながら奥の扉へと進んで行く。その弥三郎の動きは尋常なものでは無かった。
「弥三郎、すごいな!」
吉法師たちが感嘆する中で弥三郎は反対側の扉へと到達しようとしていた。
シャー!
するとその瞬間、それを阻むかの様に突如上方から鉤爪による攻撃が迫った。それは大きな軍鶏であった。
「よっと!」
しかし弥三郎はその大軍鶏の攻撃を事前に知っていた様で、大軍鶏の両足を掴んでその攻撃を封じると、そのまま反対側の扉の前に誘導して舞い降り、扉を開けて抜け出して行った。
「くそ、やるなぁ、弥三郎!」
「儂も絶対突破してやる!」
その弥三郎の余裕持った鮮やかな突破を犬千代と内蔵助は弥三郎の挑発の様に感じていた。弥三郎に突破出来て自分たちが出来ないということはない。
「吉法師さま、我ら二人で挑戦します」
二人は吉法師にそう言い残すと、猿山の斜面に向かって駆け込んで行った。それを見た猿たちが弥三郎の時と同じ様に四方八方から二人に襲い掛かる。弥三郎の時と比べて二人という事で猿の攻撃量は分散されているが、猿たちの動きは早く、中央付近まで来た所で二人は一進一退の状況に追い込まれていく。
「やはり厳しいか…」
四郎が二人の状況を見ながら呟く隣で吉法師はじっとその状況を窺っていた。
「ええい、このエテ公ども!」
二人は力を振り絞って攻撃を躱しつつ、時には逆に応戦を試みながら少しずつ出口に向かって進んでいた。
(よし、あと少し!)
内蔵助がそう思った時だった。
ガブッ!
「いてー!!!」
一匹の猿に不意に尻を噛みつかれた内蔵助は大きな声を上げた。
「今だ!」
すると犬千代は猿たちが内蔵助の声に一瞬驚いて躊躇した瞬間高く跳び上がり、一気に猿たちを躱して出口の扉の近くまで駆け去った。
わぁーーーーーー!
しかしその一方で態勢を崩した内蔵助は何匹かの猿を道連れに猿山を転がり落ちて行った。
「よし出口だ!」
犬千代は反対側の扉へと到達しようとしていた。
シャー!
すると弥三郎の時と同様に大軍鶏が上方から鋭い鉤爪で襲って来た。
「それはもう拝見済みじゃ!」
しかしこの大軍鶏の攻撃は弥三郎の時に見ており動じるものでは無かった。犬千代は弥三郎と同じ様に大軍鶏の両足を捕まえると、更に体を反転させて大軍鶏の上に飛び乗った。
「これで突破じゃ!」
自分の重さに耐えられず大軍鶏が舞い降りた所で飛び降りて反対側の扉に到達する。弥三郎の上を行く印象での突破、犬千代はそう考えた。
「あれ、あれ?」
しかしその予想に反して大軍鶏は高度を落とさない。
わぁーーーーーー!
逆に更に羽をばたつかせて高度を上げた大軍鶏は犬千代を背負ったまま天井に開いた穴へと飛び去って行った。
あっと言う間に消滅する二人、その凄惨な光景に結は恐怖の顔を滲ませていた。
「こ、ここ、私も通るのかしらね?」
「これはまずいですね、吉法師様?」
四郎もここの突破にあまり自身が持てない様子であった。これまでとは格段に難易度が違う。自分たちに突破する手段はあるのだろうか、内蔵助と犬千代の奮闘の様子を見ていた吉法師は神妙な面持ちで考えた後、二人に向かって言った。
「儂にちょっと考えがある、成功するか分からぬが儂が先行するので二人は後から機を見て来てくれ」
吉法師はそう言うと猿山の斜面に向けて静かに歩みを始めた。
(吉法師さま、どうされるのであろう?)
二人が注目する中で、吉法師は一歩、二歩と猿たちに気が付かれない様に静かな歩みを続ける。そのまま刺激させずに静かな突破をしようと試みているのであろうか、二人がそう思っていると、吉法師は突如猛然と駆け出し始めた。それを見た周りの猿が一斉に吉法師に向かって襲い掛かる。すると次の瞬間、吉法師は急な陽動で方向転換を掛け、一気に猿山を駆け登り始めた。
(吉法師さま、何を?)
四郎と結が見ていると、吉法師は猿山の登頂にいた一匹の猿を捕えた。
「あ、あれは?」
吉法師が捕まえたのはひと際大きな猿であったが、首根っこを押さえつけ全く抵抗ができない状態にしている。それを見た他の猿たちは襲い掛かるのを止め、吉法師にひれ伏する様になっていた。
「四郎、結、もう良いぞ!」
吉法師は笑顔を見せながらそう言って、四郎と結にこの場を通り抜けることを促した。
二人が通る間も猿たちはおとなしくひれ伏している。吉法師が捕えた猿はこの猿山の棟梁の猿であった。吉法師はその猿との圧倒的な力の差を他の猿に見せ付けることにより、その猿山でひと際大きな威厳を放つ様になっていた。
その後、犬千代を連れ去った大軍鶏は登場して来ない。仕掛けの突破と同時に捕まえた猿を放逐すると、即座に弥三郎と結が吉法師に話し掛けた。
「この様な作戦で突破されたのは吉法師様が初めてですよ」
「私はとても突破できる気がしませんでしたわ」
「ははは、あの棟梁猿、捕まえることができて良かった」
驚きの表情を見せる弥三郎と安堵の表情を見せる結に吉法師は笑顔を見せていた。その吉法師に対して、四郎は深い思慮を巡らせていた。
(吉法師さまは問題の解決に対しては局所的な視点では無く包括的な視点で見ておられるのだ。それ故に此度棟梁猿の存在に気が付き、これまでに無い突破方法にて臨まれた。やはり…)
四郎は神妙な面持ちで熱田での白い鳥のことを思い起こしていた。