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序章 戦乱の世

 応仁元年(一四六七年)室町幕府が開かれてから百三十一年、八代将軍足利義政の後継ぎ問題を発端にして起きた有力大名の間の大乱により京の都は焼け野原となり幕府の統治体制は完全に崩壊した。その後戦乱は全国へと拡大し、日本は中央統治のきかない戦乱の世へと突入していった。


 戦乱の世において、領国間の対立における最も簡潔で手早い解決手段は武力による決着であった。このため諸国の領主には旧来の家柄や血統よりも真の実務能力が求められ、下剋上や新興勢力の台頭といった形で移り変わっていた。日本の世は様々な新しい政治体制を試みている様であった。


 天文十一年(一五四二年)、この頃尾張の国(今の愛知県西部)では幕府有力守護大名であった斯波氏が没落し、上四郡を支配する岩倉城の織田伊勢守家と下四郡を支配する清州城の織田大和守家が尾張の国を二分して統治していた。両家は互いに織田本家を主張して対立していたが、対外的には結束し実質的に下四郡の守護代を奉じる清州三奉行の一人、織田弾正忠信秀が尾張の国をまとめていた。


 一方隣の三河の国(今の愛知県東部)では、それまで優勢を誇っていた松平宗家七代当主の清康が、天文四年(一五三五年)に尾張へ攻め入った際に、いわゆる守山崩れで家臣に暗殺されると、松平家は家中から離反者が出るなど急速に弱体化し、八代当主の広忠は、駿河、遠江の二か国を支配する今川氏に協力を求めながら、尾張の織田氏に対抗していた。


 この様な情勢の中、尾張の織田軍と今川の加勢を得た三河松平の連合軍は西三河の覇権をめぐり、三河岡崎城に近い小豆坂で激突した。いつもは風光明媚な草原が広がる街道の四方から土煙が上がり、戦特有の様々な音が響き渡る。


風に靡く軍旗や馬印の音

突撃を知らせる陣太鼓や法螺の音

敵方に向けて一斉に放たれる弓矢の音

勢い良く戦場を駆ける騎馬の蹄の音

武器を手に走る武者の甲冑の音

戦闘で槍や刀のぶつかり合う音

そして戦う武者達の怒号の声と断末魔の叫び


 やがて今川、松平の連合軍が戦場から退却し、戦場に勝ち残った織田軍の勝ち鬨が周囲に轟き渡ると、小豆坂の草原は本来の姿に戻っていった。


 この時応仁の大乱からは既に七十五年が経過していた。この頃を生きる人々はその昔戦乱の無かった時代があった事を知らない生まれながらの戦国人であり、常に不安定な情勢の中で生きていた。どの様な身分においても日常の中に争いがあり自営の手段が必要となっていた。特に良質な土地を所有する領主においては、その権利を維持し続ける力が求められていた。


 この戦乱を収め一つの国家としての秩序を回復させるためには、再度一つの勢力を以て天下を統一させるしかない。しかしそのためには強大な軍事力と膨大な国営費用が必要となる。しかしその目標の高さと人の寿命時間の観点から誰も成し遂げる事が出来ずにいた。


 その様な乱世に生を得た一人の幼将が「人生五十年」の期限と「天下布武」の方針を掲げて行動を起こし始めた時、長く続いた戦乱の世はようやく終息へと向かっていく。


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