ある画家の話 2
筆を置き、少し離れた場所から眺め……そうして、ゆっくりと息を吐き出した。
「……出来た」
もう自分には、色を置くべき場所がわからない。
これ以上何処に手を加えていいか、わからない。
現時点での、作品の完成だった。
筆を下ろすのを躊躇った白いキャンバス。
その面影もないくらい、様々な色や形で、そこは彩られている。
大きな窓から入る柔らかな光に包まれて、絵は静かにそこに在った。
「完成したの?」
アトリエの入り口から、同居人がこちらを伺っていた。
自分が本当に集中しているときは、彼はこちらに近寄ってこない。
今もそっと、近寄るタイミングを計っていたみたいだった。
頷くと、彼はぺたぺたと足音をたてて、隣に立った。首を傾げ、ふうんと呟きながら絵を見上げる。
この瞬間が、一番緊張するのだと言ったら、彼は笑うだろうか、それとも呆れるだろうか。
他の誰に見せるよりも、どこの展覧会に出すのよりも。
他の誰の評価を得るよりも、一番。
「なんだか音楽が聞こえるみたい、な。そんな感じがする」
俺は好きだなと彼は笑う。
どんなに言葉を尽くす感想より、解剖して分析するような評論よりも、その短い言葉が何よりも嬉しいものだった。
「ありがとう、そう言ってもらえて嬉しいよ」
ようやく肩の力を抜いてスツールに座りこんだ。
そうして、そうだ、最後の最後、仕上げが残っていたと、再びパレットを取り上げる。
絵に溶け込むように彩度を下げた色に混ぜ合わせ、彼の方へ差し出した。
「仕上げだよ。サインをお願いできるかな」
彼はきょとんと目を丸くし……そうして呆れた声をあげた。
「アレ、本気で言ってたんだ!」
「そう、しっかり本気。色は決めさせてもらったけど、好きな形にどうぞ」
差し出されたパレットと、完成したキャンバス。それらを交互に眺めやったあと、彼はまったくと笑った。
「どんなでも、文句言うなよ」
言わないよと答えると……彼は躊躇いもなく絵の具を手のひらにつけた。
そうして。
描きあがったばかりの、キャンバスの片隅を走る、数本の線。
まるで。
「鳥の足跡みたいだね」
絵の模様と言えばいえる。サインでなく絵の一部のようでもある、そんなサインを彼は残したのだ。
「ありがとう。これでこの絵は完成したよ」
そうして……再び向かうのは、まっしろいキャンバス。
「さて、次は何を描こう」
何度も躊躇った後、ようやく下ろされた筆。広がる色とかたち。
真白の完璧さなど打ちこわし、進む先には、どんな色が見えるのだろうか。
END
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