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鬼姫伝説  作者: 澤田 紅
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其の四

中学生二人が屋上で話をしたその夕暮れ時。

神田道場の広い和室で、二人の大人が話し込んでいた。


かたや十三代目師範、神坂真一郎と、こなた師範代、澤井佳祐である。


熱いお茶を静かにすすりながら、真一郎は開け放した障子の向こうに立つ広い背中に向かって云った。

「言いたいことは判るよ。だがね、何と云ってもまだ子供だ。

友達と遊びに行ったり、ボーイフレンドを作ったりと、今の時代は楽しい事が多いしね。

汗だくになって、打ち込まれて、痛い思いをあの子に限らず誰がしたいと思う。」

広縁に立つ男は返事もしない。

「そりゃぁ剣道は好きだろう。でなきゃ始めて一年半であそこまで行けるものじゃない。

しかし、それとこれは全く別物さ。

そんなこたぁ佳さんよ、お前さんだって判ってるだろ。」

佳祐が躰ごと向き直った。

「判ってる。」

ブツリと告げるその表情が言葉を裏切っていた。

仕方が無い、と云う様に真一郎が肩を竦める。

「佳さんの気持ちは判るが・・・」

「俺の事ではない。」

珍しく強い口調で佳祐が遮った。

「あれだけの才を見出し、あそこまで育て上げ、なお自分の限界を知るが故に惜しげもなく他者に委ねようとした、あの少年の眼が俺には・・・」

ぐっと黙り込んだ佳祐を見ながら、真一郎は表情こそ変えなかったが酷く驚いていた。

(まったく珍しい事もあるものだ、この男がこれ程になるとは。)



佳祐がこれ程こだわるには悠自身とは別の理由がある。

あの日、脳震盪を起こした悠を葉子に任せて二人が島本と話した事だった。

これが本当に十五歳の少年なのかと信じられない想いは真一郎も全く同じ。


グラウンドを走る少女を見た一方的な出会いで一目で魅かれたこと。

二年生で同じクラスになってから食い下がって剣道部に引きずり込んだ経緯。

おそらくそうだろうと思うよりも尚、高村悠の弾けるばかりの才能に驚き、喜んだことの総てを少年は静かに語った。

そして、

『大変失礼な言い方ですが、この眼で直接見るまで高村を預けるに足る道場であるか心配していました。ですが、これで僕の方は納得いたしました。後は先生方にお任せしたいと思いますが、彼女に入門の資格は有るのでしょうか。』

気負わず、力まず、だが大の大人二人を前に動じることなく淡々と語った少年。

彼女にその気が有るなら喜んで預かりましょうと真一郎が応えた時、少年の表情には安堵と同じぐらいの別のものが確かに有った。

そしてそれが何か、二人とも知っている。


冬の冷たい空気の中、広い廊下で居ずまいを正し深く深く少年は頭を下げる。

ただ一言、よろしくお願いしますと告げて。

その言葉に万感の思いを込めて。




だがしかし、肝心の高村悠にその気が無かったなら話にもならない。

日曜日の夜遅く、家に帰りついた悠と母親から電話は有ったが、それは侘びと礼に過ぎなかった。

その後は何も言ってこない。

明日の朝、来るのか来ないのか。

そして彼女を待つのは今や真一郎ではなく佳祐であった。


修羅の澤井と二つ名で呼ばれる男、氷刃剣と呼ばれるその太刀捌き。

どんな相手に対しても一切の手加減も容赦もない道場の鬼神が、まるで恋人を待ち焦がれるかのように高村悠からの電話を待っている。

どう見ても荒削りなあの剣のどこに惹かれるのか。


(此奴は俺も立ち会ってみた方が良いだろうな・・・)

もし彼女が入門したなら一切を見るのは師範代の佳祐の仕事となる。

だがこの男の心をこれ程動かす剣というものを真一郎は知りたかった。

むっつりと座った佳祐を見て苦笑しかけた時、足音が聞こえた。


「真一郎、お客様ですよ。」

タエの日頃は落ち着いた声が僅かに上ずっている。

さらりと障子を開くとどこか慌てたような母親の顔が有った。

「早くなさい。佳祐さんも一緒に。」





居間には三人の人間が座っていた。

一人は先代師範であり父である龍之介。

二人目は初めて会う顔、四十代後半の男性。

三人目は・・・高村悠であった。


一通りの挨拶が交わされた後、高村昇と云う悠の父親が話を切り出した。

本人の希望でぜひ入門を許して戴きたいと。

ただし、それは高校入学後の四月からで、それまでの入試期間を除いた土日祝日、そして冬休みは泊まり込みで指導を受けたい事などを静かに話す父親の横で、悠は視線を頑ななほど自分の手から離さなかった。

「わが娘ながら、一度言い出すと強情で・・・本日も帰宅するなりそう云いだし、ご迷惑だからと止めても聞きません。入門を許して戴けるまで門前に居座ると・・・全く困り果てました。」

真顔で告げる悠の父親に応えたのは龍之介であった。

「いやいや、どうかご心配なく。

この二人も御嬢さんがいつ見えるかと待ち焦がれていたようですのでな。

そうですか。門前に居座ると・・・道場を構える身には何よりの冥利に尽きましょう。」

嬉しそうな龍之介の声を聴きながら、真一郎の視線がちらっと佳祐に走った。

まったく冷静な、感情を消した顔を見て六代目当主は笑いをかみ殺す。

が、言葉だけは大真面目に客人に向けられた。

「父の云う通りです。

もとより私どもからお願いしたこの話、ご家族の皆様には此方から伺うべき処至らぬばかりに御足労をおかけしました。

申し訳ございません。」

一礼して居住いを正すと龍之介、そして佳祐がそれに習って両手を着いた。


「拙い武芸の家にあって同じ剣の道を志す輩とあいまみえる喜びに勝るものなし。

北辰一刀流、神田道師範 神坂真一郎、確かに御嬢さんをお預かり申し受けましょう。」

道場主の貫録で一礼すると、高村親子も両手を着いたそれを受けた。

「なにぶんにも若輩者、皆様のご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します。」



娘を置いて車で帰る高村を見送った後、悠はタエについて与えられた部屋へ向かった。

その背中を見ながら真一郎は大きく息を吐き出す。

見れば佳祐も同様だった。

「まったく・・・なぁ、佳さん。」

「・・・・・ああ、まったくだ。」

それだけで意思が通じ合った。

真一郎の眼に佳祐の笑顔が映る。

まさに至妙の笑みであった。





悠の忙しい生活が始まった。

平日五時に起き走る。

七時までに登校、早朝練習そして授業。

火、木曜日の放課後の後輩指導、それ以外の日に受験勉強。

夜は素振りときっちり組み上げ、土曜日の午後防具を担いで道場へと向かう。

午後一杯を澤井佳祐相手に打ち込みを続け夕食を挟んで夜再び道場に立つ。

日曜日は走る代わりに道場の掃除を一時間かけて行い、その後も内弟子同様に神坂家の雑用を行いながら稽古をつけて貰う。


掃除雑用などは悠の方から云いだした。

真一郎もタエも今はまだ正式に入門していないのだからと断ったのだが、四月まで月謝を固辞した神坂の家に対する、悠が出来る唯一の礼であった。

佳祐は何も言わなかったが、時間を計って用事を足す頃になると黙って竹刀を置く。

道場に戻るとまた竹刀を取る、と暗黙の裡に悠の行動を認めていた。

日曜日一杯をそうして過ごし、夜の九時に神坂家を後にするという日々が続いた。



冬休み直前の日曜日、道着姿で庭掃除を済ませた悠を真一郎が縁側から呼んだ。

「悠さんが良くやってくれるから助かるよ。」

まだ午前中の早い時間である。

「二週間になるか、どうだね、やって行けそうかい。」

出会った時のお気楽男の印象は、一度立ち会った後あっさりと消え、今は先生と素直に呼べるようになって居た。

悠のそれが特徴の、正面から真っ直ぐ見つめる大きな眼で真一郎を見て頷いた。

「はい。とても楽しく過ごさせて戴いています。」

真一郎の眼が笑う。

彼女の躰が打ち身と痣だらけなのを己の経験から知っている。

だがこの少女は躊躇いも無く楽しいと云えるのだ。

相も変わらず佳祐の竹刀は悠を打ち、その実力差を見せつけ、そしてまた励ましだの労りだのの言葉一つ掛けようともしない。


それでも楽しい・・・か。

「なぁ悠さん、正月家に帰らなくて良いのかい。

冬休みの間、一度も帰らないではご両親は心配だろうし寂しがらないかい?」

「私も両親も大丈夫ですが、此方でご迷惑なら・・・」

「いや、違う。」

慌てて真一郎が手を振った。

「迷惑どころか俺としてはぜひ居て欲しいんだ。俺や佳さんもそうだが、何より親父殿とお袋様が、ね。」

ちらっと奥に眼を向けてから真一郎が続ける。

「実はね、俺には妹がいたんだ。もうだいぶ前に病気で亡くなったんだが。

それが少し、お前さんに似ていてね。背格好と雰囲気・・・かな。

親父もお袋も末っ子の紗枝を誰より可愛がっていて・・・あぁ、すまんね。こんな話は迷惑だったな。」

悠にはまったく初耳だった。

真一郎には姉と弟が居てどちらも他県で暮らしていると、台所を手伝いながら聞いて居たが・・・

だが、初めて挨拶した時二人が驚いたように悠を見ていた訳がこれで分かった。

「迷惑だなんて、そんな事有りません。とても光栄です。

それに、今までより気が付くようになったって母に喜ばれてますから、これからもいろいろ教えて戴きたいです。」

ぺこりと頭を下げて道場へ向かう背中はどう見てもまだ子供だった。

だが真一郎はその背中に思わず頭を下げていた。




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