『悪役令嬢アルベルティーヌの優雅なる日常・五』―謝ったら死ぬんか―
お久しぶりです。
アルベルティーヌが、ようやく帰ってきました。
前作から少し間が空きましたが、
相変わらず優雅に微笑み、
相変わらず理屈を積み上げ、
そして必要な時には、きっちり吠えます。
今回は「謝罪」がテーマです。
謝るとは何か。
頭を下げれば、それで終わりなのか。
許してもらうために謝るのか。
それとも、自分が壊したものを直し始めるために謝るのか。
そんな少し真面目な話を、
アルベルティーヌとマルタらしく書きました。
久しぶりの『優雅なる日常』、
どうぞ肩の力を抜いてお楽しみください。
謝罪文が、五通届いた。
謝っているものは、一通もなかった。
アルベルティーヌ=ヴァルモンは、朝の光が差し込む応接間で、机の上に並べられた封書を見下ろしていた。
王家の紋章が押されたものが一通。王太子セドリックの署名が入ったものが一通。王太子付き秘書官から一通。夜会の警備責任者から一通。そして、騒動の調査を担当する王宮書記官から一通。
五通すべてが上質な紙に書かれ、格式に沿って封をされ、読みやすい美しい文字で整えられている。
文章としては、申し分ない。
謝罪文としては、壊滅的だった。
「先日の夜会におきまして、双方の認識に行き違いが生じ、結果としてヴァルモン公爵令嬢にご不快な思いを抱かせる事態となりましたことを、誠に遺憾に存じます」
アルベルティーヌは一通目を読み上げた。声は穏やかだった。
穏やかだからこそ、向かいに立つマルタは何も言わない。
「双方の認識」
アルベルティーヌは繰り返した。
「わたくしと王太子殿下の間に、何か認識の違いがございましたかしら」
「お嬢様は、根拠の薄い断罪を受けたと認識しております」
「ええ」
「王太子殿下は、正義を執行したと認識しておられました」
「認識ではなく、事実のお話をしていますの」
「でしたら、行き違いではありません。王太子殿下の誤認です」
「そうですわよね」
アルベルティーヌは一通目を机へ戻し、次の手紙を取った。
「先日の一件につきましては、王太子として国の秩序を守るために行動したものでありましたが、結果として公爵令嬢の名誉を損なう形となったことは、私の本意ではありません」
そこで読むのを止める。
「本意ではない」
「便利な言葉です」
マルタが言った。
「意図していなければ、結果の責任を薄められます」
「では、人を馬車で轢いても、轢くつもりがなければ謝らなくてよろしいのかしら」
「通常は、馬車を操っていた者が責任を問われます」
「王太子殿下は、断罪という馬車を御自分で操っておられましたわね」
「はい」
「それなのに、馬車が勝手に走ったような書き方ですわ」
アルベルティーヌは二通目も机へ戻し、三通目を開いた。
「殿下におかれましては、信頼する者たちから寄せられた情報を基に御判断されたものであり、悪意をもってヴァルモン公爵令嬢の名誉を損なう意図はございませんでした」
「また意図」
「意図が人気ですね」
「流行しているのかしら」
「王宮では、責任より流行しているようです」
アルベルティーヌは深く息を吸った。
微笑みは崩れていない。だが、指先が紙の端を正確に揃え始めている。
マルタは知っていた。
アルベルティーヌが紙を揃える時は、心の中で誰かを整列させている時だ。
「マルタ」
「はい」
「これは、謝罪文ですの?」
「王家としては、そのつもりなのでしょう」
「謝罪する相手の名が、ほとんど書かれていませんわ」
「王家の体面には、十分配慮されています」
「わたくしの名誉には?」
「配慮されておりません」
「公爵家への損害には?」
「触れられておりません」
「リュシエンヌ様を利用したことには?」
「書かれておりません」
「では、何に謝っているのです」
「騒ぎが大きくなったことに、でしょうか」
アルベルティーヌは、五通の手紙を見下ろした。
王宮が困っているのは、彼女を傷つけたことではない。断罪に失敗したことでもない。
騒動が王宮の外まで広がり、王太子と王の判断が疑われたことだ。
だから文章の主語が消える。
誰が何をしたのかを書かなければ、誰も責任を負わずに済む。
「赤いインクを」
「こちらに」
マルタは、すでに用意していた小瓶を差し出した。
アルベルティーヌが顔を上げる。
「用意していたのね」
「必要になると思いました」
「わたくしが五通すべてに修正を入れると?」
「三通目で済む可能性も考えておりました」
「期待しすぎましたわね」
「はい」
アルベルティーヌはペン先を赤いインクへ沈めた。
一通目の「双方の認識に行き違いが生じ」という箇所へ線を引き、余白に書く。
『何について、誰の認識が、どの事実と異なっていたのかを明記してください』
二通目の「ご不快な思いを抱かせた」にも線を引く。
『問題は感情ではなく、根拠のない断罪によって名誉を傷つけたことです』
三通目の「本意ではなかった」にも、同じように赤を入れた。
『意図ではなく、行為と結果について記してください』
さらに、別紙を取り出す。
一。誰が判断したのか。
二。何を根拠としたのか。
三。その根拠をどのように確認したのか。
四。結果として誰に、どのような損害を与えたのか。
五。その責任を誰が負うのか。
六。何を訂正し、どう償うのか。
七。再発防止のために何を改めるのか。
アルベルティーヌは七項目を書き終え、ペンを置いた。
「少し多かったかしら」
「一つ減らしますか」
「どれを?」
「減らせるものはありません」
「でしょうね」
五通の謝罪文は、その日のうちに王宮へ返送された。
三日後。
王太子セドリックが、ヴァルモン公爵邸を訪れた。
事前の知らせはあった。正式な先触れもあり、護衛も最低限に抑えられている。
王太子が公爵家へ謝罪に赴いたという事実を、できるだけ目立たせたくないのだろう。
だが、王都という場所に秘密はない。
王太子の馬車が門前に止まった時点で、近隣の屋敷では使用人たちが窓際へ集まっていた。
応接間へ通されたセドリックは、以前より幾分やつれていた。髪も服装も整っている。姿勢も王族として申し分ない。
ただ、表情には隠しきれない疲労と苛立ちがあった。
アルベルティーヌは立ち上がり、正式な礼をする。
「ようこそお越しくださいました、王太子殿下」
「……急な訪問を受け入れてくれたことに感謝する」
「事前に御連絡をいただいておりますので、急ではございませんわ」
セドリックの眉がわずかに動いた。
開始から、言葉を正確に訂正された。
アルベルティーヌに攻撃の意図はない。ただ、曖昧な言葉を曖昧なまま通さないだけだ。
それが今のセドリックには、ひどく息苦しく感じられた。
二人が向かい合って座る。
マルタはアルベルティーヌの半歩後ろに立つ。セドリックの後ろには、王太子付きの秘書官が一人。
以前の夜会で断罪文を整えた人物だった。
彼はアルベルティーヌと目が合うと、すぐに視線を伏せた。
「公爵令嬢」
セドリックが口を開いた。
「返送された文書を読んだ」
「ありがとうございます」
「だが、これ以上、何を書けというんだ」
アルベルティーヌは静かに瞬きをした。
「別紙へ記載しております」
「そういう意味ではない!」
セドリックの声が、わずかに大きくなる。
秘書官の肩が揺れた。マルタは動かない。
「私はすでに謝意を示した。王家の文書として、十分な形式も整えた。それをすべて否定し、赤字で返すなど――」
「謝意は示されていますわ」
アルベルティーヌは穏やかに言った。
「謝罪はされておりません」
「同じことだろう」
「全く違います」
声を荒げてはいない。低くもない。
普段の、優雅なアルベルティーヌの声だ。
それでもセドリックは言葉に詰まった。
「謝意とは、申し訳なく思っているという感情です。謝罪とは、自分が何をしたのかを認め、相手に与えた損害を引き受ける行為です。殿下の文書には、殿下が何をなさったのかが書かれておりません」
「私は、誤った情報を与えられたのだ」
セドリックが言った。
「側近たちは、リュシエンヌが君から嫌がらせを受けていると報告した。エミリアも証言した。私は信頼する者たちの言葉を信じたにすぎない」
「その報告を採用したのは、どなたですの?」
「……私だ」
「裏付けを取らず、公開の場で使うと決めたのは?」
「それも私だ」
「わたくしが反論しようとした時、言葉を遮ったのは?」
セドリックの顎が強張る。
「私だ」
「では、謝罪文の主語は明確ですわね」
アルベルティーヌは微笑んだ。
美しい微笑みだった。
だからこそ、逃げ道がなかった。
「私は騙された側でもある」
「ええ」
「ならば、私も被害者だ」
「被害者であることと、加害した責任を負うことは両立しますわ」
セドリックの眉間に皺が寄る。
「私が悪意をもって行ったと思っているのか」
「いいえ」
「なら――」
「悪意がなければ、人を傷つけても責任を負わなくてよろしいのですか?」
セドリックは黙った。
アルベルティーヌはテーブルの上へ一枚の紙を置く。夜会当日の配置図だった。
王太子が立った壇上。その隣にいたリュシエンヌ。広間の中央へ立たされたアルベルティーヌ。そして周囲を囲む貴族たち。
「殿下は、皆の前でわたくしを呼び出しました」
「……ああ」
「悪行について証言が集まったとおっしゃいました」
「ああ」
「わたくしが反論しようとすると、言い逃れをするのかと遮りました」
セドリックの指が膝の上で動く。
「その時点で、わたくしは何を言っても、罪を逃れようとする悪役令嬢に見えるよう配置されていました」
「そこまで考えてはいなかった」
「考えていなかったことが、問題なのです」
アルベルティーヌの声は静かだった。
「殿下の一言には、人の立場を決める力がございます。殿下が『罪がある』と言えば、周囲は証拠を見る前に罪人として扱う。だからこそ、考えなければならなかった」
セドリックは視線を逸らした。
窓の外では、風に木の枝が揺れている。穏やかな午後だった。
この部屋にいる者だけが、身動きのできない場所に立っている。
「リュシエンヌを守りたかった」
セドリックが小さく言った。
「彼女は泣いていた。怯えていた。私は、王太子として、弱い者を守るべきだと思った」
「そのお気持ちは理解できますわ」
アルベルティーヌは否定しなかった。
そのことが、かえってセドリックを戸惑わせる。
「ですが、守ることと、誰かを犯人に決めることは別です」
「では、私はどうすればよかった」
「リュシエンヌ様に、何があったのかを尋ねる」
「尋ねた」
「誰が、いつ、どこで、何をしたのかまで?」
セドリックが黙る。
「周囲の者にも確認する。侍女や給仕係の動線を調べる。わたくしにも話を聞く。その上で、必要なら正式な調査を行う」
「それでは時間がかかる」
「人を裁くのですから、時間をかけてください」
アルベルティーヌは即答した。
「急いで間違えるより、遅くても正しく確かめる方がよろしいでしょう」
セドリックは唇を引き結んだ。
正論だ。
正論だからこそ、腹が立つ。
自分が王太子として未熟だったと、言葉を重ねるたびに突きつけられる。
「君は簡単に言う」
「簡単ではございませんわ」
アルベルティーヌの微笑みが、少しだけ薄くなった。
「わたくしは、殿下が確認を省いた結果を引き受けた側です」
応接間の空気が重くなる。
セドリックは息を吐き、背もたれへ身体を預けた。
「では、君は私に何を求めている」
「御自身の言葉です」
「だから、文書を――」
「秘書官が整えた言葉ではなく」
セドリックの後ろに立つ秘書官が、さらに深く俯いた。
アルベルティーヌは責める視線を向けなかった。秘書官が仕事として文章を整えたことは分かっている。
問題は、その整えた文章の陰へ、本人が隠れていることだ。
「殿下御自身が、何をなさったのかを言葉にしてください」
「ここでか」
「はい」
「君に向かって」
「わたくしだけでは足りません」
アルベルティーヌが言うと、応接間の扉が静かに開いた。
マルタが事前に合図を送っていたのだろう。
入ってきたのは、金色の髪の少女だった。
リュシエンヌ。
以前よりも地味な服装で、装飾も少ない。彼女は緊張した面持ちで部屋へ入り、セドリックを見ると足を止めた。
「リュシエンヌ」
「殿下……」
セドリックは立ち上がりかけた。
「なぜ君がここにいる」
「わたくしがお招きしました」
アルベルティーヌが答える。
「今回の謝罪に関わる方ですもの」
「彼女は被害者だ」
「何の被害者ですの?」
問い返され、セドリックは言葉を失う。
リュシエンヌは、ゆっくりとアルベルティーヌの隣へ座った。手は膝の上で強く握られている。
「リュシエンヌ」
セドリックが声を柔らかくした。
「怖がらなくていい。私は君を守るために――」
「わたしは、お願いしていません」
小さな声だった。
だが、部屋の全員に届いた。
セドリックが固まる。
「何を」
「アルベルティーヌ様を断罪してほしいなんて、お願いしていません」
リュシエンヌの声は震えていた。
それでも、言葉を止めなかった。
「わたしは、皆がアルベルティーヌ様のことを怖いって言うから、そうなのかもしれないと思いました。エミリア様が、きっと嫌がらせをされているって言いました。殿下も、私を守るって言ってくださって……」
「そうだ。私は君を――」
「でも、わたしが泣いていたからって、アルベルティーヌ様が悪いことにはなりません」
セドリックの口が閉じる。
「アルベルティーヌ様に教えていただきました。泣いている人を見ただけで、誰が悪いかを決めてはいけないって」
リュシエンヌは俯いた。
「わたしも、皆が言うからって、アルベルティーヌ様を悪い人だと思いました。確かめませんでした。だから……わたしも、謝らないといけません」
そして、アルベルティーヌへ向き直る。
「アルベルティーヌ様」
「はい」
「わたしは、自分で確かめずに、皆の言葉を信じました。殿下が断罪を始めた時も、違うと言えませんでした。アルベルティーヌ様が皆の前で責められているのに、黙っていました」
一度、息を吸う。
「申し訳ありませんでした」
言葉は短かった。
格式もなかった。
美しく整えられてもいなかった。
それでも、五通の文書より、はるかに謝罪だった。
アルベルティーヌは、すぐには答えなかった。
リュシエンヌが不安そうに顔を上げる。
「謝罪を受け取りましたわ」
「ありがとう、ございます」
「ただし、これで何もなかったことにはなりません」
「はい」
「これからは、“皆が言っていた”ではなく、御自分で確かめてください」
「はい」
「それが、あなたの責任です」
リュシエンヌは、今度ははっきりと頷いた。
セドリックは、そのやり取りを黙って見ていた。
自分より立場の弱い少女が、自分より先に非を認めた。言い訳をせず、自分が何をしたのかを語った。
それでもアルベルティーヌは、彼女を侮辱しなかった。責め立てもしなかった。
ただ、責任を示した。
「殿下」
アルベルティーヌが呼ぶ。
セドリックの肩がわずかに強張る。
「今度は、殿下ですわ」
「……私は」
声が出ない。
秘書官が後ろで息を殺している。
セドリックは自分が何を言えばいいのか、分からなかった。
謝罪の作法は学んだ。王族として頭を下げる角度も、国同士の交渉で遺憾を示す文言も知っている。
だが、自分の失敗を自分の言葉で語る方法は、教わっていなかった。
「王太子が軽々しく非を認めれば、王家の権威に傷がつく」
ようやく出た言葉が、それだった。
「私は、将来この国を背負う立場だ。判断を誤ったと公に認めれば、私を軽んじる者が出る」
アルベルティーヌは黙って聞いていた。
「王家は、常に正しい姿を示さねばならない」
「誰に教わりましたの?」
「父上も、教育係も、皆そう言った」
「間違いを認めない者が、正しい姿なのですか」
「王族には、王族の事情がある」
「ええ。ございますわね」
「ならば――」
「ですが、それは謝らない理由にはなりません」
セドリックの声が強くなる。
「君には分からない! 私が非を認めれば、王太子としての立場が――」
その時だった。
マルタが動いた。
アルベルティーヌの前へ、小さな包みを置く。
薄紙に包まれた蜂蜜飴。
音はしなかった。
それでも、部屋の空気が変わった。
アルベルティーヌは包みを見た。
マルタを見る。
マルタは何も言わない。ただ、いつもの位置に置いた。
アルベルティーヌは包みを開き、飴を口に含んだ。
甘さの後から、薬草の苦味が広がる。喉が温まる。
リュシエンヌが小さく息を呑んだ。
秘書官の顔色が変わる。
セドリックだけが、その意味を理解していなかった。
アルベルティーヌはゆっくりと立ち上がった。
微笑みは残っている。
声だけが、低く落ちた。
「――謝ったら死ぬんか」
セドリックの目が見開かれる。
「な……」
「間違い認めたら、王太子の格が落ちるんか。謝った瞬間、王冠割れて、国が滅びるんか」
「その口調を――」
「今、口調の話してへん」
アルベルティーヌは一歩も動かなかった。
それでも、セドリックは椅子へ押しつけられたように身動きが取れない。
「王族には王族の事情がある。そらあるやろ。せやけどな、事情があったら人の名誉潰してもええんか。事情があったら、間違い認めんでええんか」
「私は国のために――」
「国のため言うたら、何でも通る思うな」
言葉が、鋭く落ちる。
「上に立つ人間が間違い認めへんかったら、下の人間はどうする。失敗隠すようになるやろ。報告書ごまかす。責任押しつける。問題起きても、怒られるん怖いから黙る」
秘書官の肩が、小さく揺れた。
「ほんで最後に、誰も止められへんくらい腐ってから噴き出すねん。王太子が謝れへん国で、誰が正直に失敗報告すんねん」
「だが、王家の権威は――」
「謝らんことでしか守れへん権威なら、最初から中身ないやろ」
セドリックの顔が赤くなる。
「私は王太子だぞ!」
「せやからや!」
アルベルティーヌの声が、応接間を震わせた。
リュシエンヌが背筋を伸ばす。秘書官が目を閉じる。
マルタだけが、喉の状態を確認するように主の呼吸を見ている。
「王太子やから、間違えた時に認めなあかんのやろが! 下の人間にだけ責任取らせて、自分は立場あるから謝れません? そんなん誰がついて行くねん!」
セドリックは言い返そうとした。
だが、言葉が出ない。
「頭の高さで、責任の重さは変わらへん」
アルベルティーヌは、セドリックを真っ直ぐに見た。
「土下座なんかいらん。泣けとも言うてへん。許してくれって縋れとも言うてへん」
一つ一つ、言葉を区切る。
「何したか、自分の口で言え」
部屋が静まり返った。
外を走る馬車の音が、遠く聞こえる。
セドリックは俯いた。
王太子として育てられてきた。
常に正しく。
弱みを見せず。
迷いを表に出さず。
失敗は側近が処理し、問題は下の者が整える。
そうして王家の威信は守られるのだと教わった。
だが、その教えの結果が、あの夜会だった。
自分は確認しなかった。
反論を聞かなかった。
皆の前で、一人の令嬢を罪人にした。
彼女が強く言い返さなければ。宰相が止めなければ。
断罪は、そのまま成立していた。
「私は……」
声が掠れる。
アルベルティーヌは待った。
急かさなかった。
猛虎の声を出したのに、その後は黙っている。
言わせるための沈黙だった。
「私は、裏付けの取れていない噂を、証拠として扱った」
セドリックが言った。
誰も動かない。
「リュシエンヌが泣いていることを理由に、誰が何をしたのか確かめないまま、アルベルティーヌが加害者だと決めつけた」
リュシエンヌが唇を噛む。
「君が反論しようとした時、王太子という立場を使って言葉を遮った」
セドリックの手が震える。
「公衆の前で君を呼び出し、逃げ場のない状態で罪を告げた。君の名誉と、公爵家の信用を傷つけた」
言葉にするたび、自分が何をしたのかが形になる。
形になれば、逃げられない。
「リュシエンヌの不安を、私の判断を正当化する材料として使った。側近たちの報告を信じたことも、確認しなかったことも、断罪を決めたことも……すべて、私の判断だ」
セドリックは顔を上げた。
王太子の顔ではなかった。
失敗を認めた、一人の若者の顔だった。
「申し訳なかった」
アルベルティーヌは、すぐには答えなかった。
セドリックの表情に、期待と恐れが浮かぶ。
「謝罪を受け取りましたわ」
アルベルティーヌは、標準語へ戻っていた。
「……許してくれるのか」
「いいえ」
セドリックの顔が固まる。
「謝ったのに」
「謝罪は、行為をなかったことにする呪文ではありませんもの」
「では、何のために謝らせた」
「許されるためではありません」
アルベルティーヌは椅子へ座り直した。
声も表情も、再び優雅な公爵令嬢のものに戻っている。
「御自分が壊したものを、御自分で直し始めるためです」
「直す……」
「まず、夜会で行った断罪が事実確認を欠いたものであったと、公に訂正してください」
セドリックは黙って聞く。
「次に、わたくしだけではなく、ヴァルモン公爵家へ正式に謝罪すること。リュシエンヌ様にも、彼女の不安を利用したことを謝ること」
「……ああ」
「そして、今後、王家が公開の場で誰かを裁く場合の手続きを整えること」
「手続き」
「証言と伝聞を分ける。本人への聞き取りを行う。裏付けを取る。責任者を明記する。少なくとも、その程度は必要ですわ」
「それを、私が行うのか」
「御自身の失敗から始まったことですもの」
セドリックは、しばらく考えた。
以前なら、王太子にそのような実務をさせるのかと怒っていただろう。
だが今は、その言葉を飲み込んだ。
「分かった」
短い返事だった。
けれど、今度は逃げていなかった。
王太子が帰った後。
応接間には、アルベルティーヌとマルタだけが残った。
リュシエンヌは別室で休んでいる。緊張が解けた途端、足に力が入らなくなったらしい。
アルベルティーヌは椅子へ深く座り、喉へ手を当てた。
「……痛いわ」
「声量が大きすぎました」
「必要だったでしょう」
「必要でしたが、もう少し短くできました」
「途中から腹が立ってきたの」
「存じております」
マルタは薬草茶を差し出した。
アルベルティーヌは一口飲み、眉を寄せる。
「苦い」
「効きます」
「飴も苦かったわ」
「効きました」
「あなた、わたくしの味覚を何だと思っているの」
「喉より優先順位が低いものです」
「ひどい侍女ね」
「最強ですので」
アルベルティーヌは一瞬黙り、それから小さく笑った。
「自分で言うのね」
「事実です」
「謝罪文みたいに曖昧にしないのね」
「主語と責任は明確にしております」
その言葉に、アルベルティーヌはまた笑った。
喉が痛み、途中で咳になる。
マルタが無言で蜂蜜飴を差し出した。
「もう要りません」
「必要です」
「嫌です」
「喉を傷めたのは、お嬢様御自身の判断です」
「……はい」
アルベルティーヌは大人しく飴を受け取った。
それから十日後。
王宮から、新しい文書が届いた。
王太子名義による、夜会での断罪の正式な撤回。
ヴァルモン公爵家とアルベルティーヌへの謝罪。
リュシエンヌへの謝罪。
証言の確認不足と、反論の機会を与えなかったことへの明確な言及。
そして最後に、今後の再発防止策として、新たな手続きの整備を進めるとの記載。
以前の五通とは違う。
主語がある。
行為がある。
責任がある。
アルベルティーヌは最後まで読み、静かに文書を閉じた。
「今度は、謝罪文ですわ」
「はい」
「ずいぶん時間がかかりましたわね」
「初めてですので」
「王太子殿下が?」
「王宮が、です」
マルタは、もう一枚の文書を差し出した。
「こちらも届いております」
「何ですの?」
表紙には、硬い文字で題名が記されていた。
『公的謝罪文作成時における確認事項』
アルベルティーヌは嫌な予感を覚えながら、ページをめくる。
一。誰が判断したのか。
二。何を根拠としたのか。
三。その根拠をどのように確認したのか。
四。結果として誰に、どのような損害を与えたのか。
五。その責任を誰が負うのか。
六。何を訂正し、どう償うのか。
七。再発防止のために何を改めるのか。
見覚えがある。
あまりにもある。
「マルタ」
「はい」
「これ、わたくしが書いたものですわよね」
「ほぼそのまま採用されています」
「わたくし、王宮の謝罪作法を作った覚えはありませんわ」
「王宮書記官の間では、すでに名称も決まっております」
アルベルティーヌは顔を上げた。
「名称?」
「虎式謝罪七原則」
沈黙。
アルベルティーヌの微笑みが止まる。
「誰ですの」
「王宮書記官です」
「何で虎やねん!」
廊下の外で、何かが落ちる音がした。
続いて、若い侍女の小さな声。
「出た……」
マルタが無言で扉を開ける。
廊下の先を、若い侍女が全力で逃げていく。
「待ちなさい」
「申し訳ありません!」
「備品庫へ」
「はい!」
「蜂蜜飴を補充」
「はい!」
「三倍に」
「はい!」
侍女は振り返ることなく走り去った。
アルベルティーヌは額へ手を当てる。
「二倍で十分でしょう」
「王宮へも納品することになりました」
「どうして」
「謝罪指導の際、殿下が喉を痛めたそうです」
「わたくしは怒鳴らせていませんわよ」
「三度、練習したと」
「真面目なのか不器用なのか、分からなくなってきましたわ」
「両方でしょう」
マルタは、机の上に蜂蜜飴を一つ置いた。
いつもの位置。
いつもの距離。
いつでも使えるように。
けれど今日は、使う必要はない。
謝るべき者が謝り、直すべき者が動き始めた。
それなら虎は、檻の中で眠っていてよい。
――ヴァルモン公爵令嬢は、今日も優雅である。
ただし、謝罪文から主語が消えている時だけは、少し声が低くなる。
【アルベルティーヌ】
……お久しぶりですわね。
ずいぶん長いこと、わたくしを放置してくださったようですけれど。
【作者】
いや、その……ほかの悪役令嬢たちが次々と出てきまして。
【アルベルティーヌ】
言い訳は結構ですわ。
謝罪文に主語がないと、先ほど申し上げたばかりでしょう?
【作者】
私が、アルベルティーヌたちの続きをしばらく書かず、別の作品ばかり書いていました。
申し訳ありませんでした。
【マルタ】
行為と結果が明確です。
以前の王宮よりは、よくできています。
【作者】
比較対象が低すぎません?
【アルベルティーヌ】
それで?
今後の再発防止策は?
【作者】
思いついた時に、ちゃんと書きます。
【マルタ】
曖昧です。
期限と責任者を明記してください。
【作者】
責任者は私です。
期限は……できるだけ早く。
【アルベルティーヌ】
マルタ。
【マルタ】
はい。
【アルベルティーヌ】
蜂蜜飴を。
【作者】
待って。私、猛虎弁は出ません。
【マルタ】
では、普通に怒られてください。
【作者】
それが一番怖い。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
久しぶりのアルベルティーヌでした。
前作で王にまで吠えてしまったので、次は何をさせればいいのか少し迷っていたのですが、今回は「謝罪」をテーマに戻ってきてもらいました。
謝ることは、負けることではない。
許してもらうためだけにするものでもない。
自分が何をしたのかを認め、壊したものを直し始めるための最初の行動なのだと思います。
……などと真面目にまとめようとしましたが、最終的には王宮に「虎式謝罪七原則」ができました。
アルベルティーヌは相変わらずです。
マルタも相変わらずです。
そして作者は、相変わらず二人に詰められています。
久しぶりに帰ってきた『優雅なる日常』を、楽しんでいただけていたら嬉しいです。




