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こういう時代が

私にもありました

 「えっ、新しいサークル?」

 僕は、学食のざるそばを口に運ぶ手を止めて、陽平の顔を見直した。

 「そう……ハフ、ハフッ。ちっちゃい音楽隊とか面白そうだろ?」

 陽平は、普段から好物だと言いふらしてやまないカツカレーを口いっぱいに頬張って、咀嚼しながら説明してくれた。

彼は、スポーツが得意で、いつも友達と構内をはしゃぎまわっているタイプの人だ。

 背が高くよく日に焼けて、引き締まった身体は新陳代謝が活発そうだ。

そのためだろうか、たまに一緒に食事をすると、このように豪快な食べっぷりを見せてくれる。

思わずこちらの空腹も忘れて見入ってしまいそうだ。

 「そんな、新しい音楽隊って言ったって、僕はもうオケ部に入っちゃったんだし」

 僕は、箸を置きながら口ごもった。

 「お前、オーケストラなんか始めてたのかぁ」

 陽平は素っ頓狂な声を上げる。

 「あんなの、俺ら金管はうるさがられて、合奏でもほっとかれるだけじゃんか。お前のパート、ひどい時は一曲に一か所しか出番が無いって聞いたぞ。正直楽しいかぁ? おっと、フーフー……ハフッ」

 彼はひときわ大きなカツに、フォークをザクリと突き刺して、冷ましてから口に運ぶ。揚げたてのカツからはそれでも湯気が立ち上っており、火傷しやしないか心配になる。それにしても、よく胸やけの心配をせずに食べられるものだ。

 「……うん、まあ、そうなんだけど」

 快活な彼の誘いに対して、僕は即答できずにうつむいた。

 覗き込んだお椀の中では、さっきからつけられっぱなしの蕎麦が、たっぷりおつゆを吸って茶色くなってきている。

 正直な話、彼の言葉は、僕の心中を十中八九あてていたのだ。

 僕は、中学の時から、吹奏楽部でチューバという楽器を吹いている。

 チューバ? 聞きなれない方もいるかもしれない。

 ここで少し、チューバをしらない方のために、チューバっていうのがどんな楽器なのか、説明する時間を取らせてほしい。もし「そんなの常識だい!」って思う方がいるなら、こんな眠くなる説明なんて読み飛ばして、下の会話文のところまで行ってくれても、べつにかまわない。

 チューバの見た目を一言で表すと、「でっかいかたつむり型のラッパ」だ。難しい言葉で言うと、オーケストラや吹奏楽のような楽団の、最低音部を担当する金管楽器である。

 「金」管楽器というだけあって、真鍮という金属の上につるつるのメッキをかけているから、大抵、金ピカか、銀ピカのボディをしている。

 トランペットやトロンボーンのように、カップ型のマウスピースの中で、唇をぶるぶるふるわせて音を出す楽器、すなわち金管楽器の中で、一番大きいのがチューバ。

 もし君が、どこかで吹奏楽の演奏を聴く機会があったなら、手前から右の奥の端っこの方に注目してみてほしい。

 大抵、座高よりも高い大きなベルをゆらゆらさせながら、一生懸命低音を吹くチューバ吹きくん(もしくは、さん)を見つけることが出来るはずだ。

 チューバ吹きの役目というのは、大抵、低音としてリズムを刻むこと。そして、和音、つまりハーモニーの基礎になる事。

 バンドの皆をまとめるためには、打楽器の次に重要なパートだ。

 でも、だからこそ。

華やかなメロディなんか、めったに回ってくることはない。ずっと表打ちの四分音符か、長い間伸ばしているか。そのどちらかだ。

 その作業は、肺活量と、基礎体力があればあるほど楽になる。

正直、男にしては体格の小さな、どちらもないやせ気味の僕には、少し荷が重くもあった。

「ほら、高三の夏さ、良が吹きたがってた曲あったじゃん。ああいうの、少しはやらせてもらえてるのか?」

 気のいいかつての同級生は、僕の方を、心配そうにのぞきこんでくる。

 またしても僕はうつむくしかない。

 答えはノーだった。

中学の時も、高校に入っても、吹く曲といったら、単調なマーチか、拍子もよくわからない現代音楽ばかりだった。

 僕の所に回ってくるのは、楽譜が読めなくても、聞き覚えで何とかなってしまうような簡単なパートばかりで、折角練習しても、地味な仕事だから目立てないな、と少し残念に思っていた。

 そんな僕を変えてしまったのは、高校二年生の時、先輩から卒業記念にと渡されたCDだ。

 先輩はフランケンシュタインのように大柄な男性だったが、楽器の扱いが巧く、非常に繊細な演奏の仕方をする人だった。

 『さ、参考になると思うからさ、良君も聞いてみたらどうかな……?』

 そう、不器用そうに彼ははにかんだ。

 小遣いとバイト代で少しずつ買い貯めたいろいろなCDから、より抜きで集めたのだというその音源は、いずれもワグナーという人が作曲したものばかりだった。

 先輩の丸文字で書かれた目録には、一流のオーケストラ団と、「ワルキューレの騎行」とか、「ニュルンベルクのマイスタージンガー前奏曲」とかみたいな、長ったらしく、仰々しい名前ばかりが並んでいて、最初はとっつきにくいと思ったものだ。

 でも、実際にCDを聞いてみて、その感想は180度向きを変えることになる。

 ああ、この曲は知ってる! この曲のここって、よく聞いたらチューバだったんだ!!

 聞くたびに、5年も付き合ってきた楽器が、次々と新しい側面を見せてくれるようになったのだ。

 例えるなら、いつもは話しかけても、ぶすっと黙ってる女の子が、ある日いきなり、笑顔を見せて、話しかけてくれたような気分。

 今すぐ飛び出して行きたくなるほど勇ましい曲、輝かしく芳醇な曲。

ワグナーの作ったオーケストラ曲では、いつもチューバが、メロディラインの一番いいところにいた。

 その場の空気ごと、轟々と震えて雄たけびを上げるような音があったと思えば、繊細なアルト歌手のように包み込んでくれる音もある。

 それらの音源をヘッドホンをで聞くと、僕は背筋がぞくぞくと震えて、恍惚とした、少しいけないような気持ちになったものだった。

 先輩の刷り込みは功を奏し、僕はあっという間にチューバとワグナーの虜になっていた。

体格が小さかろうが、肺活量が無かろうが関係ない。絶対この旋律を吹いてやるという気になり、俄然練習に身が入ろうというものだった。

 去年、つまり、高校を卒業する年にも、僕らはコンクールに出場した。

 部員皆で自由曲を選曲する際に、僕は狂ったように件の「ワルキューレの騎行」を推薦した。

 いつもおとなしくしている僕が、いきなり強硬な姿勢に出たのだから、部員は、特に女の子たちは相当驚いていたようだ。

 当時の僕はどうやら、やり方を間違えていたらしい。

 いつの間にか何となく、良君は大会で自分が目立ちたいがために言っているんだな、という雰囲気になった。四分音符しか吹けないチューバのくせに、生意気じゃない? という雰囲気だ。

 その評価こそ当時の僕としては心外だった。なにせ、練習の甲斐あって、とても速いパッセージこそ苦手だったものの、そこらへんにいる、喋ってばかりのフルートの女の子たちよりも、ずっと早く連符を吹けるようになっていたからだ。

 しかしその事で調子に乗ったのがよくなかった。僕は大人げない男というレッテルを貼られてしまった。

 結局僕の要求は、50人近い部員の仲間たちに聞き入れられることはなかった。

 かくして、僕らは高校最後の年に、ネリベルの「交響的断章」という、これまたよくわからない現代音楽で大会に出場し、県大会の銀賞をもらって帰って来た。

 部への影響力が強いOB講師の選曲だったから、文句も言えなかった。

 当時の仲間の大部分とは、それでさようならである。

 かろうじて、目の前の陽平と、女子を仕切っていた、ピッコロの芹沢さんが僕と同じ大学に来ていたくらいだ。

そう言えば僕がオケ部に入ったのも、芹沢さんの熱心な誘いを断れなかったせいだった。

 芹沢さんはチューバが足りないからと、僕を一生懸命に誘ってきた。彼女は甘えたような声を出すのが大好きで、その声で頼まれると僕は弱い。

 『ねぇ、一緒にオーケストラ部にはいろぉよォ。大学なんだしぃ、ワギナーでもなんでも吹けるよォ、きっと』

 鼻にかかったような芹沢さんの言葉や態度も、ワグナーの名前を間違えて覚えていた事も、今でも鮮明に思い出せるのだが、彼女を前にすると、なぜか怒る気が失せてしまう。

 そういうのが得意な女性は、天性の才能という奴を持っているに違いない。

 結局、彼女のいいなりにサークルを選び、中高時代よりももっと出番の減った楽譜を与えられながら、僕は、ぼんやりと楽器を抱えて座りっぱなしの大学生活を始めることになったのである。

 そうして、一月半の時が流れた。季節は6月。じめじめとした生ぬるい空気が、ただでさえ乏しかった僕のやる気や生命力を、ジワリジワリと削いでいくような気分さえしていたところだった。

 「……」

 陽平は、回想に入ったまま答えない僕にしびれを切らしたらしい。

 「よし、決まりだ。明日の放課後、鷹山市民センターに集合なっ!あそこ練習室取れっから。市民だと安く借りれるから」

 「ええ、そんな! 待ってくれよ。明日はオケの練習日だし……」

 義務感から喰い下がろうとする僕の口の前で、陽平はVサインを出した。

 「なんだ、それ」

 「二人、だ」

 陽平は、なおも真剣な顔つきで、僕に語りかけてくる。

 「ちっちゃくて素直な、かわいい系。スレンダーでモデル体型の大人美人系。どちらもそこらの女の子たちとは、ランクが違う」

 「だからなんだ、それは」

 「明日からの、お前のチームメイトだよ。決まってんだろ?」

 陽平は、歯をむき出して笑顔になった。悪戯好きなガキ大将がそのまま大人になったような顔つきだ。

 悔しいことに僕はこの瞬間、この悪ガキのこの悪だくみに、まんまと引っ掛かってしまったのである。

 「ち、ちなみに、そそ、その子たち、彼氏いるの?」

 「はは、お前どもりすぎてんぞ。いねーよ。少なくとも俺が聞いて来た限りではな。お前の頑張り次第なら、彼女にだってなってくれるかもな。よし、じゃあ明日にはオケ退団してこっち来いよ」

 「だからなんでそうなるんだよ!」

 その時、

「……あれ、陽平君?」

 僕の背後から、鈴を転がすような声が降ってきた。

 「おっ、ちあじゃん!」

 陽平が、明るい声で僕の背後にあいさつした。

 僕が振り返ると、ふわり、いい香りが鼻をくすぐり。

小さな女の子と、目があった。

 身長は、多分145あるか無いか。

やわらかなパーマがかかった栗色のショートボブ。清潔そうなストライプのシャツに、太ももの真ん中まで見えてしまうサロペット。適度に肉付きのいい足には、暗い色のニーハイソックスを合わせていて、肌とのコントラストが僕にとって少し刺激が強い。

 彼女は、僕を見て、ぱちくりと目を瞬かせると、やがてニコッとほほ笑んだ。

 「こんにちは」

 ああ、上品な声だ。荒んだ僕の心にはもったいないくらい、優しい声だ。

 「ちあちゃん、こいつがこないだ話してた、チューバ。良だ」

 「こ、こんにちは。よろしくっ」

僕は、よくわからないままに、一生懸命頭を下げた。女の子の前で挙動不審になってやしないかと、すごく心配だった。

 「こっ、こちらこそよろしくねっ。知識の知に、結晶の晶で知晶っていいます。みんな、ちあって呼んでくれてるの」

 ちあちゃんも、僕が慌てて頭を下げたせいか、つられてぺこりっ、とお辞儀してくれる。

 なんだか、一つ一つのしぐさが小動物みたいで、すごくかわいい。

 「ちあは、音楽隊でトランペットを担当してくれるんだ。こんなにちっこいけど、俺たちと同い年だぜ」

 陽平がフォローを入れてくれた。

 「もう、陽平君ってば、ちっこいは余計だよぅ!」

 ちあちゃんも、笑いながら返す。その間僕は、顔が赤くなってしまわないか、気が気じゃなかった。女の子の笑顔は、何にも勝る化粧だよ、ホントに。

 「明日、こないだんとこで良も合わせて打ち合わせな。衣装とか考えよう」

 「わぁ、じゃあ明日で全員そろうんだ。楽しみだね、良君!」

 ちあちゃんが、いきなり僕の手をぎゅっと握ってきた。

 うわぁ、小さい。まるで別の生き物の手みたいにあったかくて、白くて柔らかかった。

 「う、うん」

 思わずうなずいてしまう僕。

 ああ、情けない。これじゃあまるでハニートラップに引っかかったみたいだ。

 「じゃあ、私次も講義だからいくね。ばいばい、また明日!」

 ちあちゃんの後ろ姿は、すぐに雑踏にまぎれて見えなくなってしまった。ううむ、つぶされてしまわないか、心配になってしまう。

 「じゃ、明日はよろしくな、リョウく~ん」

 陽平がちあちゃんの口調を真似して、僕にニヤニヤした顔を向けてきた。

 「う、うるさい」

 僕は照れ隠しに、陽平の頭に軽いチョップを食らわせた。

 「いてっ。ま、タダでとは言わないよ、コレ、やるから」

 そう言って、陽平は僕に、四角い包みを渡してきた。

 「なんだ、こ」「CD」

 僕がみなまで言い終えないうちに、陽平は言葉をかぶせてくる。腹いせに、その場で包みを開いてやった。

 「何これ」

そのCDのパッケージはかなり異様に見えた。

 タキシードをまとった男性が6人、映っている。指揮者を除けば、全員、金管楽器の演奏家のようで、トランペット担当が2人、後の3人はそれぞれホルンとトロンボーンとチューバに割り当てられていた。

 しかし、それだけで異様と呼べるはずもなく、彼らを異様たらしめているのは、その頭部のかぶり物だった。そう、彼らは皆、別々の動物を模したかぶり物を身につけたまま、正装して楽器や指揮棒を構えているのである。

 その様子はさながら、頭部だけが動物の、古代エジプトの半獣神のようにも見える。

 「横浜のでっかい動物園、知ってるか?あそこの、イメージキャラクターたちだ」

 知らなかった。

 陽平によると、この、一見おかしな格好をした音楽隊――ズィーラシアンブラスというらしい――は、日本でも屈指の若手プロ奏者で構成された金管五重奏なのだとか。

 「一度聞いてみろよ。もしかしたら、お前の世界を広げる助けになるかもしれない」

 女の子の話をした時と同様に、やけに真剣な顔で陽平は僕に語りかけた。

 「う、うん」

 思わず、生唾を飲み込みながら返答を返す。

 「よっし。じゃ、もう講義行くわ。俺の伝えることは全部言ったから!」

 すると、彼はいつの間にか空になっていたカツカレーの皿を持ちあげて、素早く撤収の準備を始めてしまった。

 学食では、食べた者が返却口まで皿を片づけるルールなのだ。

 「あっ、ずりぃ!こっちだって次あるんだよ」

 かく言う僕のざるそばは、情けないことに、半分も減っていない。しかも、おつゆのお椀には、つけっぱなしにしていた蕎麦が、茶色くなって伸びていた。見るからにしょっぱそうである。

 「クっクっク、後10分だが、せいぜい遅刻しないよう、頑張ってくれたまえ。バイバイ」

 そう言って、陽平はフットワークも軽く、食堂から出て行ってしまう。僕は、返事もしないでざるそばと格闘を始めた。

 くっそう、はめられた……。そう、心の中で呟いた。


お断りしなくてはいけないことがいくつかありますので、ぜひ読んでいってください。


作中に出てくるズィーラシアンブラスには、元ネタになったブラスアンサンブル団があります。

その名も「ズーラシアンブラス」

ばればれですかね。

私は大ファンです。

パフォーマンスも、演奏も一流!  すごいですよねー

たびたび地方公演も行われているようなので、横浜に住んでいないから会えない!なんて思わずに、たまーに新聞のチラシを読んでみるといいかもしれませんよ。

関係者さん、こんなところからですが、勝手に名前を使ってしまってごめんなさい。


もう一つの話。

私見ですが、ネリベルの交響的断章は、超名曲です

創作の都合上、良君の気持ちを大合奏から離れさせるため、どこかの曲に悪役になってもらう必要がありました。

ならば……現代音楽で、大迫力のこの曲ならば、悪役にしたって、怪傑ゾロのように輝いてくれる!と、勝手に信じての選曲いたしました。


交響的断章は、私が始めて吹奏楽部に入った年の自由曲でした。私はベンチでした。

生まれて初めて耳にした現代音楽で、初めてての変拍子だった曲です。

「な、何だこりゃぁぁぁ―――っ!?」ってなったのを、今でも覚えています。でも、何度も聞いているうちに不思議と愛着が湧いてきて、今では超かっこいい!と思っています。


だから、悪意は一切ありませんので、許してね。

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