009 こんぺいとうの精の憂鬱(1)【アイゼア視点】
宿を確保し、現地調達した水着へと着替えて宿の裏手から浜辺へと出た。燦々と降り注ぐ太陽に、青く澄み切った海の水面が煌めいている。平日ということもあり、人でごった返しているということもなく、場所を提案した者としてアイゼアは一安心していた。
そしてこの果てしない海の青さに、カストルとポルッカも来ればよかったのにとアイゼアは思う。二人のことはもちろん誘ったのだが「学校は絶対休まない」「気にしないで一人で羽を伸ばしてきて」「とにかく行かないから」と取り付く島もなかった。
普段であれば二つ返事でついてくるはずだ。二人のあまりにも頑な態度に何かあったのかと聞いてはみたが、決して口を割ろうとはしなかった。何かあることだけは一目瞭然なのだが。
「わぁー、すっごい綺麗な海!」
少し遅れてやって来たフィロメナの感嘆の声に思考が遮られる。せっかく二人も送り出してくれたのだから、休暇として存分に楽しまなければ損というものだろう。
フィロメナはずいぶんと露出度の高い水着を選んだらしく、自身のスタイルの良さをこれでもかと惜しげもなく晒している。それでいて健康的に見えるのは、水着が淡い爽やかな色だからだろうか。
手を引かれてやって来るメリーは浮き輪に隠れていてよく見えないが、黒っぽいワンピースのような水着を着ている。
メリーは立ち止まった瞬間空を見上げ、鬱陶しそうにため息をついた。雪国育ちの彼女にとって、この日差しや暑さは厳しく感じるのかもしれない。普通の人に比べて白く見える肌に、雪のように溶け出すのではないかと思うほどだった。
「それにしてもあんた、太陽の下で見ると、より肌が白く見えるのね。砂糖菓子のお人形みたい!」
フィロメナがずいっとメリーへ顔を寄せると、メリーはたじろぎながら大きく一歩距離を取る。
「それは……雪国もやしだからですよ」
『雪国もやし』と復唱する声が、フィロメナとエルヴェと重なった。
「病的だって言いたいんですよね? 極寒で日照不足の貧しい土地で家に引きこもって……それはそれは貧相に育ったんです。だから仕方ないんですよ」
フィロメナの言葉は決してメリーを貶めるものではなかった。にも関わらず、メリーにしては珍しくかなり卑屈な発言だな、とアイゼアは違和感を覚える。
「あたし、病的とか貧相だなんて思ってないわよ? 砂糖菓子みたいに白くて繊細に見えるから、太陽に溶けちゃいそうって思っただけで」
言葉を誤解されたと思ったフィロメナが首を捻りながら弁明する。話を聞いている間メリーの視線は、フィロメナとメリー自身を忙しなく行ったり来たりしていた。メリーの発言とその視線がどこへ注がれているのかを見れば、何を思っているのかは簡単に察しがつく。
メリーは傍らに浮き輪を置き無表情で顔を逸らすと、頭の高い位置でポニーテールを作り始める。うなじから背中にかけての肌もやはり白い。薄紅色の髪と合わせて見ると、フィロメナが例えた砂糖菓子の人形という表現は的確な感想だとアイゼアも思う。
普段からあまり外に出ず、出かけてもフード付きのケープを羽織り、肌の露出はほとんどないことを思えば、そもそも日に焼ける機会というものがないのだろう。その白さをメリーは病的というが、客観的に見て透明感のある綺麗な白さの範囲だろう。
チャコールグレーの水着は正面からみれば普通のワンピースのようだが、背中は水着らしく大きく開いている。メリーにしては意外と大胆な水着を選んだなとは思うが、そのふんわりとしたシルエットと大人っぽい色選びは良い選択のように思えた。
「肌が白く見えるのは水着の色のせいもあるんじゃないかな? メリーのいいところを引き立ててくれてるってことだし、よく似合ってると思うよ」
胸元に差していた金属の細い棒で髪をくるくると巻き、器用に団子の形にしていた手が完成直前でピタリと止まる。
「それは、どうも……ありがとうございます」
髪の団子を完成させながら、メリーはどうでも良さそうに素っ気なく言い切った。だがその口元が少しだけ照れたように緩んだのを見逃すほど、この目は甘くない。本音を素直に伝えただけだが、それが更に劣等感を煽るような結果にならずに済んだことに、アイゼアは少しだけ安堵した。
「暑さに滅法弱いんで、倒れたら介抱よろしくお願いしますね」
「え、あんたどこ行くの?」
「潮騒の青を探しに行きます。そのために来たんですから」
メリーは浮き輪を片手に、さっさと一人で海へ行ってしまう。呆気にとられたフィロメナはメリーの背中を見つめて目を瞬かせていた。
「ねぇ、あの水着ってメリーが自分で選んだのかい?」
純粋に気になったのでフィロメナに尋ねると、ふるふると首を横に振る。
「メリーに選ばせてたら高確率であの全身スーツよ? 別の水着を勧める度に凍死するーって騒いでたくらいだもの」
「うん……何となくそんな気がしてたよ」
アイゼアは店に吊り下がっていた全身を覆う型の水着を頭の中に思い描く。観光気分で来ただけだというのに、それはあまりにも本格的過ぎるだろう……という何とも言えない気持ちになった。とはいえ、それはそれで絵面は面白そうでもある。
「だからあたしがペシェの助言を元にして選んだのよ。ペシェがきっとメリーは決められないかもって。似合いそうなのはどんなのかしらって聞いて覚えてきたのよ」
ペシェと言われ、うぐいす色の髪の男性を思い出す。メリーとは学生時代からの友人で、男性でありながら女性と見紛う容姿をし、化粧をして女性に扮していた。
だがそれは単なる趣味による女装で中身は至って普通の男性らしい。あの水着がお洒落に造詣が深く、男性目線も持っているペシェの助言だというなら妙に納得できる。
「お前あの面倒くさい状況でよく何か言おうと思えたな」
「僕は思ったことを素直に伝えただけだよ」
「ほっとくのが刺激しなくて一番楽だろ。爆弾つつくような真似しやがって……」
スイウの言う通り何も言わないのが一番無難な対応だということはわかりきっていた。劣等感を感じて卑屈になっているのなら、褒め言葉すら捻じ曲がって悪く作用してしまうことも多い。
メリーはフィロメナに対して、スタイルに劣等感を感じていたのだろう。言葉選びや、視線が胸元や足ばかりに向けられていたことを思えば、探るまでもないほどわかりやすく言動に出ていた。
そういったことを全く気にしない性格だと思っていただけに、少し拗ねたような姿が微笑ましく、物珍しさを覚えた。だからこそ言葉にして伝えてみたくなったのだ。結果普段は絶対に見せないような可愛らしい表情を引き出せて、何となく得したような気分だ。
「ねぇ、あたしにもわかるように説明してちょうだいよ」
眉間にシワを寄せているフィロメナに、あんなのもわからんのか、とスイウは嘆息していた。
「メリー様はきっと、フィロメナ様のことが羨ましかったのですよ。よくお似合いですからね、フィロメナ様も」
「ありがとう、エルヴェ! メリーもすごく褒めてくれたし、この水着で間違ってなかったわね!」
フィロメナは満面の笑みを浮かべ、パレオを摘んでひらひらとさせながら満足そうに眺めている。
「でもメリーも似合ってるのに、あたしのどこを羨むのかしら?」
「……さすがに僕もそこまではわからなかったかなー」
その質問に答えるつもりはないし、答える必要もない。スイウやエルヴェもそう考えているのか、それを口にすることはなかった。メリーとしても、フィロメナには知られたくない話だろう。
「ま、何でもいいわよね。あたしが羨ましいなんて、可愛いとこあるじゃない〜」
具体的なことは何もわかっていないようだが、フィロメナは羨ましがられたという事実だけでもとても上機嫌なようだ。
「おい、メリーに余計なこと言うなよ」
「わかってるわ、大丈夫よ! えへへ、メリーも素直じゃないんだから」
「そういうのを顔に出すなと俺は……」
スイウの忠告もそこそこに、フィロメナはメリーを追いかけて走っていってしまい、行き場を失ったスイウの声が尻すぼみになって消えていく。
「もう俺は知らん」
ヤツの頭の花畑が焦土になるぞ、というスイウの呟きがため息と共に漏れ聞こえてくる。スイウはなんだかんだと世話を焼いてくれることが多いが、妖魔の彼は面倒になれば刀に憑依したり猫の姿に戻って逃げることもできる。必ず助けに入ってくれるという過信は禁物だ。
「俺は寝る。昼間は少し眠気があるからな」
スイウは一度消滅したのち、メリーによって妖魔として蘇った。それ以降、かつてのように寝食を必要としない体質ではなくなり、今では少しだけ眠るようになっているらしい。
太陽に灼かれることはなくなったようだが、昼間はやはり力が落ちてしまう。夜以外は猫の姿のままで過ごすしかなく、人の姿に戻るにはメリーの魔力が要るという、やや不便な状態になっていた。
スイウは近くにあるパラソルの下に入り、早速備え付けのビーチベッドに寝転がった。
「何か飲み物でも買ってこようか?」
スイウは返事をしなかったが、無言を肯定と捉えることにする。エルヴェにも何か欲しいか尋ねたが、アンドロイドの体に水分補給は必要ないのでと断られてしまった。
パラソルの下から出ると、再び太陽がジリジリと照りつける。陽の光は強いが、木影に入ると風が爽やかで気持ちいい。
波打ち際では、メリーとフィロメナが何か話しながら屈んでいる。二人の口元が楽しげに弧を描いているのが遠目からでもわかり、ふわっと心が緩む。復讐のため、世界の破滅を阻止するためと、皆で奔走していた頃が懐かしく感じられるほどに、今は穏やかな時間が流れていた。




