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084 あなたの手の温もりは私の絶望の温度(1)【メリー視点】

 しんと静まり返る裏庭を、夜風がさわさわと草葉を揺らしながら吹き抜けた。アイゼアの穏やかな微笑みはいつもと変わらないのに、真剣な眼差しに強く射貫かれて目が逸らせなくなった。


 彼の口にした唐突な言葉が上手く呑み込めず、言葉どころか声すら失っていた。冗談とは思えない真面目すぎる空気感に、思考と体が分離していくような感覚をメリーは他人事のように感じていた。


『メリーが好きです。君の隣を僕にください』


 告げられたばかりの言葉が、誠実で穏やかな声色で頭の中を反芻(はんすう)する。普段とは違う改まったような言葉遣いと率直な言葉選びに、友人としてという意味ではないのだと自覚させられた。これが世間で言うところの、恋愛的な意味での告白というやつなのだろう。


「えぇと、あのー、んー……そのですね……」


 呆然として何も考えられないのか、それともいろいろ考えすぎて頭がぐちゃぐちゃなのかも判別できないほどに混乱している。時間稼ぎにもならない間抜けで無意味な音列が口から無駄に漏れ出るくらいには何を言えば良いのかわからなくなっていた。


「僕の恋人になってくれませんかって意味だからね」

「あ、はい。なんかそんな感じなのかなーって思ってたところです」


 気負った様子もなく勘違いのしようもない言葉で念押しされ、サクッと退路を断たれた。言葉に込められた意味の重さとアイゼアの穏やかで希望に満ちた雰囲気のちぐはぐさに頭がついていかない。


 とにかくどうにかしなければならないのは、目の前にある告白されたという事実だ。にわかには信じられないと思いながらも想いが通じていたことを嬉しく感じている自分がいることに愕然としていた。


 いや、暢気(のんき)に愕然としている場合ではない。そもそもこんなはずではなかった。早く断らなければいけないのだと気づき、ハッとする。


「さすがに驚かせちゃったかな?」


 などと言いながら、アイゼアは少しだけ困ったように笑った。照れた様子もないが、冗談だとも言わない。思っていることをそのまま口にしただけと言わんばかりの自然体にも見える態度は、自身の意識や考えとの差を浮き彫りにしていく。


 種族の違いによるあらゆる差や黄昏の月の性質は、関わりが密接になればなるほど無関係というわけにはいかなくなる。たとえ互いに想い合っていようが出す結論は変わらない。


 元々想いを捨てようとしていた。それは叶う叶わないという次元の話ではなく、どうあっても最終的にアイゼアの負担にしかならないと考えたからだ。


 余計な苦労をアイゼアに背負いこませることはお互い不利益にしかならない。大切な人を守るために全ての障害を取り払うと決めた以上、自分自身が障害となるのなら例外なく取り払う。ただそれだけの単純な答えだった。


「まぁ、そうですね。さすがに驚きました」


 できるだけ平静を装い、こちらの心の内が漏れないよう感情を殺す。告白に何と言って断ろうか。


 元々自分がアイゼアへ特別な好意を向けた時点で友情はほぼ破綻していた。そしてまさかのアイゼアの告白という形で終止符が打たれた。それでも今の関係を何とかして維持しつつ近くにいたいと願っている。だからこそできるだけ嘘のない拒否の言葉を探していた。


「えっと、気持ちはありがたいんですけど、アイゼアさんにはもっと相応しい人がいると思いますよ」


 童話の最後に描かれるような、多くの人に祝福される幸福を架空の女性でぼんやりと思い描いてみた。想像の中は陽だまりのように温かくて、めでたしめでたしという締めの言葉がよく似合う、そんな世界だ。


 破壊するしか能のないこの手では、思い描くような温かな世界を築くのが難しい。本心を伝えればこの場で恋人同士になれるのかもしれないが、きっと近い将来破綻してしまう。表面上は元通りに戻れたとしても、互いの心までは今までのような友人同士には戻れない気がした。


 アイゼアとの関係に影が差すのも、縁がそんな形で終わってしまうのも嫌だった。長く関係を続けたい大切な相手こそ距離感というものはとても重要で、近ければ近いほど良いというものでもない。少なくともメリーはそう考えていた。


「いつも穏やかに笑ってて、人を害したらちゃんと良心が痛む人とか。種族だって人間の方が余計な悩みも少ないと思いますし」


 理想と現実、どちらから見ても間違ったことは言っていない。明確な一線を引く言葉は、冷静に考えれば親切心だとアイゼアならわかるはず。そんな根拠のない自信は、返ってきたため息によって静かに否定された。


「それは“相応しい”んじゃない。“無難”って言うんだよ」


 アイゼアの微笑みが、泡が弾けるようにして消える。僅かに陰った瞳に、本心を言葉の裏に隠したことを咎められているように感じた。もちろんアイゼアがこちらの本心を知っている可能性は低い……と信じたいが、胸の奥にある鈍い痛みは火傷のようにじわじわと深くなる。


「メリーがどうするのか、どうしたいのかはもちろん君の自由だ。だけど僕が誰を好きになるか、誰と一緒にいたいか、何を幸せと感じるか、それは僕の自由だよね。君が勝手に決めることじゃない」


 思わず全身が強張り、ギクリとぎこちなく軋む。何と表現すれば良いのかわからないが、表情は悲しげありながら、瞳に鋭い光が宿ったように見えた。


 諭すような穏やかな声色なのに、率直な言葉が心に深く突き刺さる。もしかしたらアイゼアを怒らせてしまったのかもしれない。


 いや、確実に怒らせた。むしろ怒らない方がおかしいくらいのことを言ってしまった。自分がアイゼアの立場なら確実に怒るだろうし、相応しい相手の人物像なんか余計なお世話だと一蹴したはずだ。


 他人に自分の意思を決めつけられ、歪められることは、メリーにとって腹立たしく、大嫌いなことだった。なのに気持ちを蔑ろにして踏みにじるような真似を自分がしてしまうなんて。あまりにも軽率だったことを自覚し、自身への嫌悪感で思わず視線が落ちる。


「……失礼なことを言ってすみませんでした」


 自己嫌悪を握り潰すように謝罪する声は、必要以上に強く重い響きがこもってしまったような気がした。


 しかし今はそんなことを気にしている場合ではない。ハッキリ言って断らなければ思うほどに焦るが、固く握りしめた拳を見つめて気持ちを何とか持ち直した。冷静さを手放さないよう、一呼吸置いて口を開く。落ちていた視線を上げ、まっすぐにアイゼアの目を見た。


「ですが、考えてみてください。私は霊族ってだけでなく黄昏の月です。一緒にいても余計な心労が増えるだけなのは明──」

「それは僕の? それともメリーの?」


 抑揚のない、淡々とした声に言葉を遮られる。話はきちんと聞く方であるアイゼアがこんな露骨な遮り方をするとは思わなかった。


 まるでそれ以上は聞く価値もないと言いたげなほどの圧がある。告白された直後の穏やかな雰囲気は、もうどこにもない。今は、喉が焼けるのではないかと思うほど、ひりついた空気が漂っている。


 重苦しさすら感じるアイゼアの視線は彼の真剣さを伴ってメリーを貫き続けている。穴があきそうなほど居たたまれないが、むしろこちらが穴をあけてやるという気持ちで負けじと見つめ返した。


「そんなの聞くまでもなく、アイゼアさんの心労に決まってるじゃないですか」


 迷うことなく決まりきっていた答えを返した。自身にまとわりつく面倒事は自分にとっては日常でも、アイゼアにとっては非日常だ。恋人ともなれば巻き添えを食らう。


 こんなことになるのならやめておけば良かったと後で思われるくらいなら、最初から選択を排除して現状維持が賢明だ。トラヴィスのときと同じ失敗を繰り返すほど、愚かなつもりはない。


「そっか、なら良かった」


 突然それまでの緊張を緩め、アイゼアは安堵の色を滲ませながら小さく笑った。張り詰めていた空気が少しだけ緩んだのを感じると、無意識に小さく息が漏れ、体から余計な力が抜ける。


 アイゼアの言う「良かった」の意味を尋ねるよりも早く距離を詰められた。気配がぐっと近づき、一歩後退る。警戒心からか心が小石のように固く縮こまっていくような感覚がした。


 少し見上げるような位置関係はいつもとほとんど変わらないはずだが、こんなに背が高かっただろうかと感じるほどの威圧感があった。


「愛する人と共に小さな日々を重ねていけること、僕はそれが一番の幸せだって思ってる」


 思わず息を呑んだ。アイゼアの口にした幸せの形は、自分も知っているものだったからだ。


 兄のミュールと妹のフランと共にささやかな幸せの中で暮らしていた。あの頃の記憶が確かな温もりを持って胸の中にある。二人との暮らしが凄惨な終わりを迎え、今も心に暗い影を落としているのだとしても、二人と一緒にいたことをメリーは不幸だと思わないし、後悔もしていない。


 大切な二人と共に重ねた小さな日々は、掛け替えのない幸せだったと胸を張って言える。たとえ立場が逆転し、自分が死ぬ側だったとしてもそこだけは絶対に変わらないと言い切れる。


「気持ちだけで突っ走ってるわけじゃない。僕なりに考えて決めたんだ」


 何となくだがアイゼアの言いたいことがわかってしまった。直接口にはしなかったが、先程の言葉の最後にはきっと『だから何があっても後悔はない。その覚悟がある』という言葉がついてくる。メリー自身が二人と一緒にいたことを後悔していないように。


「だから、ありのままの僕を見て」


 心を覆う厚く固い殻をこつこつと優しく叩くような声。ささやくような静かさでありながら、まっすぐ誠実に耳に響く。聞き覚えのある短い言葉が一陣の風となり、心の中に立ちこめた霧を吹き流していくようだった。


 以前言われたばかりのことをすっかり忘れていた。もっと一人一人のありのままを見るように言われたことを。先入観や固定観念で相手の心を決めつけてはならないと気づかせてくれた言葉だったのに。


 一緒に日々を重ねていくこと、それが一番の幸せだとアイゼアは言った。彼の言葉をありのまま信じるなら、こちらが懸念していたことは解消されたに等しい。だというのに彼の想いに素直に応じられない自分がいる。ハッキリとした思考の中で、理由のわからない不安感だけが暗雲のように垂れ込めていた。


 誠実に心を打ち明けてくれた人に対して、自分は心をなかなか上手く言語化できない。わからないものをどう説明すれば良いのかに悩み、もやもやとした気持ち悪さと焦りが募る。いつの間にか、無言のまま俯いて立ち尽くすことしかできなくなっていた。


 感情のやり場もなく、歯痒い思いを握り潰すように右の拳を左手で強く握りしめていた。その手をアイゼアに制されて初めて、爪が食い込んで右手の甲を傷つけていたことに気づく。


 労るように包んでくれる手を辿るようにゆっくり視線を上げると、こちらを見つめるアイゼアと視線が交わった。眼差しはただただ優しく、じんわりと伝わってくる手の温もりをきっかけにして徐々に不安の理由が見えてくる。


──この温もりを失うのが怖い。


 大切に思えば思うほど、別離の痛みと傷は深くなる。ミュールとフランの存在はたくさんの幸せと共に、失う苦しみや二度と帰らないものへの寂しさと悲しみまでもを心に刻んでいった。二人の温度を失った手は酷く寒かった。


 もしこのままアイゼアの手を取ったとして、将来彼を失ったとき、彼の存在はどれほどの痛みとなって──この心を裂くのだろう。

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