080 おいていくこと(1)【アイゼア視点】
あの事件の夜、帰還したスマルトは休むことなく実行犯たちを尋問にかけ、霊族の情報を提供していた協力者を割り出して捕らえた。協力者は騎士団の公務部に所属する貴族出身の女性騎士であり、職権を悪用して管理している個人情報を盗み見、横流ししていたようだった。
公務部を総括している部隊長や事情を知った貴族出身の騎士たちは事実が公になることを嫌がり、内々で終わらせようとした。しかしそれらの意見は騎士団長でもあるラウィーニア公が許さなかった。
ラウィーニア公はセントゥーロ王国で最も大手の新聞社から霊族狩り……『霊族連続失踪事件』における騎士団の失態への謝罪の文を出し、更には中央広場で直接説明と謝罪する場まで設けた。
世論は騎士団や貴族への批判を強めたが、ラウィーニア公自らが民衆に直接語り、誠心誠意謝罪したことから最悪の事態は免れることができていた。
* * *
その後も忙しない日々が続いていたが、あれから半月ほどが経過した今では、すでに落ち着きつつあった。大都市で人の流入が激しいこの街は、様々な物事の流れが早い。あれほど世間を騒がせていた霊族狩りに関する件も、今ではほとんど話題になっているのを耳にしなくなった。
と言っても、事件内容に関しては被害に遭っていたのが霊族だけということもあり、人間が大半を占めるこの街では他人事のようにしか考えていない者も多かった。注目されていたのは専ら騎士団の不祥事の方だったが、その話すらもあまり耳にしなくなっていた。
アイゼアはようやくこの一件に関しては一息つけそうだと思った。それは騎士団の不祥事が風化していってるからという意味ではない。このまま人々の興味が薄れてくれれば、事件に『メレディス・クランベルカ』が関わったことが露見せずに終わってくれるからだ。
ただでさえメリーは父親が起こした事件のことやクランベルカ家の内情のことで偏見を持たれている。こういったことに名前が上がるのは望ましくない。たとえ真実が、被害者の一人かつそれを救った英雄的立場であったとしてもだ。
世間から疫病神のように見られるくらいならまだマシな方で、謂れのない噂や疑惑をかけられて吊るし上げられたり、恐怖や怒りを向ける対象として扱われる可能性はある。
良い感情に比べ負の感情は波及しやすく、そうなれば個人の力で鎮静化させるのは困難を極める。とにかくメリーの平穏が無事保たれそうだということに安堵していた。
「アイゼアどうした、ボーッとして。飲み物は決まったか?」
「あぁ、うん。明日勤務あるし炭酸水にしとくよ」
「真面目〜。私はせっかくだし飲んじゃおー!」
束の間の平穏の中、アイゼアは同僚のスマルトとプルシアと一緒に仕事終わりに酒場に来ていた。
王都であるサントルーサの賑わいは夜になっても衰えない。通りにある街灯や犇めき合うように立ち並ぶ店には煌々と明かりが灯り、人々の談笑の声で溢れている。日が落ちてもこの街の飲食街が賑わっているのは見慣れた日常風景だ。
少し前から雨季に入り雨続きだったが、今日はその晴れ間ということもあり、テラス席はどこの店も満席になっている。湿り気を帯びた空気にじんわりと暑さを感じ、ほんのりと体が汗ばむ。
いつもなら不愉快なはずのまとわりつくような湿気と暑さも、今だけは冷えた炭酸水の清涼感を引き立てるスパイスとなってくれるだろう。
「今日は俺の奢りなんだから遠慮なく食べていってくれよ。協力してくれた二人を労いたい気持ちもあるしな」
「へぇー、それはすごいね。僕は飲まないし、たくさん食べようかな。とりあえずベーコンのポテトサラダの大盛と日替わりカルパッチョ、串焼きは全種三本ずつで──」
「待て待て待て、確認させてくれ。それは俺らを含めた三人分か?」
「僕一人分だけど?」
「やっぱりそうだよな!? 俺が悪かった! アイゼアの胃袋が底なしなのをすっかり忘れてたんだ。悪いが、お前は少ーしばかり加減してくれると助かる」
両手を合わせて申し訳なさそうに懇願するスマルトのお人好し具合に思わず吹き出す。癖のある性格の者が寄り集まっている隊の中で、スマルトは根が真面目で親しみやすい性格をしている。そのせいか今のような感じで年齢の上下関係なく仲間たちにからかわれていたりする。
「こんなのも真に受けるなんて、真面目だなぁ。さすがに冗談だよ」
「いやぁ、俺としても小遣いに余裕があれば腹一杯食べさせてやりたいんだけどな」
「アイゼアの胃袋を相手にするなら、余裕あっても足らないでしょ」
「そうかもしれんが、こうして仲間と飲みに行く機会も滅多にないし気持ち的にはだな」
スマルトはメニューへ視線を落としながら、人懐っこい印象の笑みを浮かべている。確かに彼がこうして隊の仲間と共に食事するのは珍しい。というのも彼は既婚者で、遠征も度々ある仕事柄、家族との時間をとても大切にしているからだ。アイゼアの知る限り、可能なときは必ず自宅に帰っている人だった。
今日は家族が旅行へ行っているらしく、霊族狩り事件の解決祝いも兼ねて奢るから飲みに付き合ってくれと誘われたのだ。誘いに乗ったのはスマルトが悪酔いするタイプではなく、介抱の心配がないことも大きい。
だがそれだけではなかった。霊族狩りの件以来ずっと、思考と感情が泥のように重く心の底に沈殿していっている自覚がある。
メリーを幸せにする方法どころか、守ることさえできなかった。結局何も力になれなかった現実があのときの記憶と共に重くのしかかっている。どうしようもなく身動きが取れなくなった思考の転換を期待していた。
何が解決したというわけでもないが、やはりこうして賑やかな雰囲気の中で誰かと会話しながらする食事は、仕事や悩みを抱え続けている心を少しだけ緩めてくれているような気がした。
「そういや最近ラセットが静かだな。前までは一人は寂しいですよ〜ってよく騒いでた気がするんだが……」
会話の内容が他の同僚のことへ移ると、スマルトはふと思い出したように尋ねてきた。昨年末、アイゼア先輩みたいにフラれる〜と喚いていたラセットは、結局恋人と別れてしまったと言っていた。
それからずっと事あるごとに寂しいとぼやいていたのだが、その記憶と同時に少し前にラセットと交わした会話も思い出す。
「聞いてないのかい? 新しい恋人ができたって言ってたけど」
「おいおい、いくら何でも早すぎじゃないか? それは本当に相手のことが好きなんだよな? 騙されてるとか悪い男に引っかかってるとかじゃ……」
スマルトには娘が一人いる。立場ゆえか年代ゆえかは知らないが、視点が完全に父親のそれだ。こういった事情は無条件で親心というものが掻き立てられて見過ごせないのかもしれない。
「スマルトって結構純情よね。ラセットだし、騙されてるとかはないと思うわ。パッと見は可愛くて可憐でか弱そうな感じだし、やっぱモテるんじゃないの?」
「うーん? ラセットがか弱い……か?」
呆れとも困惑ともつかない声のプルシアに対し、スマルトは納得いかない様子で眉根を寄せ親指で顎を撫でた。
ラセットは見た目こそ騎士っぽさのない、というよりはいつまでも新人騎士のような未熟な雰囲気ではあるが、特務騎士に選ばれた一人なのだ。当然それなりの計算高さも腕っぷしもある。
その辺の男性よりも余程強く『か弱い』『可憐』などという言葉とは縁遠い。スマルトが微妙に納得していないのも当然だが、ここで重要なのは本質がか弱くて可憐であることではない。
「特務騎士やってるんだから、か弱い女の子っぽく見せかけるのは得意って意味だと思うよ」
「えぇ……? 任務がなくても任務みたいなことしてるってことか。そりゃ純粋にすごいというか、大丈夫か?」
「若いからできるのかわかんないけど私は無理〜。あの子病まないかたまーに心配になるわ」
スマルトは理解できないと言わんばかりに大仰に肩を竦め、プルシアは嘆息しながらも、なんだかんだラセットの身を案じている。アイゼア自身はわかるようなわからないようなどっちつかずの気持ちだった。
特務騎士であっても、自分ではない何者かを演じ続けることは精神を疲弊させる。比較的器用な者が多いとはいえ、本心を偽り、時には自身の理念や思想すらも裏切って自分ではないものを自分に強いる。言葉にすれば簡単だが、行動に移せば多かれ少なかれ心に負荷がかかる。
だからこそ平時は素の自分を通す者が多い。自分が自分でいられるときくらい自分を尊重しなければ、自分でいられる瞬間がなくなってしまう。そうでなくても自分が何者かわからなくなり、見失いそうになるというのに。
ラセットは部署内でも最年少で経験も浅い。気づかないうちに自分を失って心の均衡が崩れてしまうのではないかと気にかかることはあった。
しかしアイゼア自身はあまりラセットのことを言える立場でもない。自身が普段素のままに振る舞っているかといえばそうでもなく、騎士としての理想像や善良さを意識して仮面を被っている面は確実にある。とはいえ、虚構の自分を演出し続けてまで恋人がほしいかと問われれば、答えは『いいえ』だ。
「にしても恋人ねぇ。私はこのまま引退まで仕事と添い遂げるか、殉職して仕事と添い遂げるかの二択になりそうで……」
プルシアは落胆したように呟き、お酒を一気に飲み干していく。不満は収まらないらしく、一際大きなため息をついていた。
「余暇を恋愛に割く余裕がないならそうなるさ。プルシアは霊族だから仕事と添い遂げるにしても相当先が長そうだな」
「そうよねー。この生活を八十年、九十年と続けるのも嫌だしどうしよっかなー」
「ちょっと待って、九十年……? 霊族ってこの仕事あと九十年も現役でやれる……ってこと?」
「んー、まぁ老化の仕方は個人差大きいとこだから断言はできないけど、心身健康なら引退はそのくらいになるかなって」
「そう、なんだ……」
「俺たちがよちよちしてる頃からよぼよぼになるまでプルシアは現役で活躍できるってか。子供を助けたらその子のひ孫あたりまでは普通に助ける可能性があるって考えると途方もないな」
プルシアの言葉にアイゼアは一瞬目眩を覚えた。あと九十年、騎士団に入団した年齢から換算するなら百年間騎士を勤められるということだ。
人間の寿命とほぼ同じ年数、つまり生まれた瞬間から死ぬ最期の瞬間までの全てを仕事に捧げられるほどに霊族の寿命は長い。長いと言っても五百年、千年を生きるわけではなく、寿命の平均は百五十年ほどらしい。
年老いて無事に寿命まで生ききれるとするなら、自分が年老いたときメリーは一体どんな姿をしているだろう。メリーが今と大差なく魔術を使って戦う姿の隣で、杖をついてよろよろと歩く自分がいる。
外見を比べたら下手をすれば祖父と孫くらいの差があってもおかしくない。寿命差を数字で見ればたった五十だが、年齢にした途端途方もなく遠くて胸が締めつけられる。
「お、おいおい……アイゼアまで顔色悪くしてどうした?」
「九十年もここで働く自分を想像したらちょっと気が遠くなった」
小さな嘘をつきながら真顔で答えると、今度はスマルトの方が煮魚のような目になり、覇気のない声で「わかる……」と呟いた。
「ちょっとー、酷くなーい? 二人にはもしもの話でも、私にとっては現実の話なんですけどぉー?」
プルシアは目を細めながら眉間にシワを寄せ、あからさまに不満を訴えてくる。彼女はテーブルに肘をかけて悪態をつくと、グラスを片手に持ってくるくると回す。そうしてカラカラと中で鳴る氷を眺めながら、また一つため息をついた。
「スマルトが羨ましいなー。素敵な奥さんと娘さんまでいてさ」
「そうだな。任務が立て込むとなかなか会えないのがつらいところだが、妻と娘が家で出迎えてくれるとじんわりと幸せな気持ちになるな」
スマルトは家族のことを思い出しているのか、家族はいいぞ〜と言わんばかりにじわじわと柔らかく顔を綻ばせていく。何ともほっこりする家族愛に満ちたおじさんの表情に、つくづく彼は幸せに歳を重ねているなと思わざるを得ない。
いつか自分にもそんな日が来るだろうか。帰る場所があって、待ってくれている人がいて、ごく当たり前のように家族がいる温かな光景。ずっとずっと昔、記憶が定かでないような幼い頃から羨み、憧れてきたものだった。
『おかえりなさい、アイゼアさん』
ポルッカの看病をしてくれた日の、夕日の中で柔らかく微笑むメリーの姿が不意に脳裏に浮かんだ。呼吸も忘れて目を奪われていた。あのときの少し照れ臭くてくすぐったかった感覚がじわりと蘇る。
もしかしたらあの日からこの恋は始まっていたのだろうか。あの瞬間、自分でも気付けなかったほどに輪郭のぼやけた淡い思いを抱き始めていたのかもしれないと今になって思った。




