078 目に映るものを信じて(2)【メリー視点】
先程より少し歩調を落とし、スイウの後ろについて警戒しながら歩いていると一羽の小鳥がメリーへ向かって飛んでくる。慎重に観察すると、その小鳥はうぐいすであった。
「なんだ、お前らか」
スイウがふっと気を緩めると、元の空気感が戻ってくる。同時に勢いよくこちらへ誰かが走ってくるのが見えた。逆光で誰かも認識できないうちに抱きつかれ、勢いに押されてよろけながら数歩後退する。
「メリー……!」
「ぺ、ペシェ……苦し……」
名前を呼ぶ声ですぐに誰かわかった。ペシェ本人はどういうつもりかわからないが、彼に抱きつかれるときは大体容赦がなくて圧死しそうになる。自分が男性だということを忘れているのではないかと思うほど力強いので困る。
「あ、ごめん」
「何でこんなところにいるんですか? 何かあったんですか?」
あのウグイスはペシェの使い魔で、わざわざ追わせてまで探しに来たということでもある。何か只事ではない気がして尋ねると、ペシェは首を横に何度か振って否定した。
「何かあったもへったくれもないって。アンタがいないから……その、心配で……」
「え?」
てっきり急ぐ用件か、何かまた良くないことでも起きたのかと思っていただけに拍子抜けする。いつもハキハキと喋るペシェにしては珍しく、バツが悪そうに口ごもった。見つめてくる桜色の瞳は不安げで、体は離れたものの両肩にかけられた手にはまだ力がこもっている。
「やっと追いついたわ! ってメリー、昨日の怪我全然治ってないわね」
「それはそうですよ。自然治癒の速度には限界がありますから」
後方から走って追いかけてきたフィロメナがいまだ腫れの引かない頬や痣のあった部位に手をかざす。じんわりと熱を帯び、治癒術をかけて治してくれたのだとわかった。
「良かっ……メリー、心配、しっ」
ミーリャがぜぇぜぇと息を切らしながらようやくここまでやって来る。昨日のことで体力が落ちているのも大きいとは思うが、普段引きこもって研究ばかりしているせいか恐ろしく体力がないらしい。
ペシェが言うには何かあったというわけでもなくただ単に探しに来ただけということらしいが、わざわざ三人でというのも大げさで少し戸惑う。まるで迷子の子供にでもなったような気分だ。
「私がいなかったから探しに来たのはわかりました。元々の用件は何ですか?」
「そんなの決まってるわよ。みーんなメリーが心配で来たの!」
心配で来たのは先程ペシェからも聞いて知っている。それをまた繰り返したフィロメナに首を傾げると、ミーリャがついっと眼鏡の位置を直しながら呼吸を整えるようにため息をついた。
「フィロメナ、メリーわかってない」
「えぇ? えーっと、昨日の夜のことが気になって心配で来たのよ。そしたら家にずっといないんだもの」
「なるほど?」
心配というのはいなくなったことではなく、昨日のことだったらしい。やはり少し大げさだと感じつつも、心配してくれていたという事実は少しだけ嬉しかった。忌避したくなるような魔力を使い、嫌な思いをするとわかっていてなぜ三人は無理をするのか。疑問と共に昨夜の思いが生々しく蘇りかけ、俯きそうになる。
「だからみんなでメリーを迎えに来たのよ!」
フィロメナの言葉にハッと目が覚めるような心地がし、沈みかけた心が上向く。屈託のない朗らかな笑みは一片の曇りもなく、快晴の空のように澄み渡っている。呼吸も声を発するのも忘れて、食い入るように凝視していた。
「ほーら、一緒に帰るわよ」
ペシェはパチンとウインクしたあと、ニッといたずらっぽく笑いかけてくれる。ミーリャに無言で手を引かれ、やや前につんのめりながら歩き出した。
「す、スイウさんっ」
慌てて首だけで後ろを振り返ると、スイウはその場で立ったまま軽く片手を上げる。口元が動き、何か言ったようだが聞き取ることができない。
「今なんて言いました?」
「またな」
今しがた口にしていた言葉はそんなに短くなかったはずだと思いつつも、スイウはサッと踵を返して森の奥に消えていく。またな、という返事も思えば珍しいなと感じる頃、メリーは三人と共に森を抜けていた。
夕日が照らす街道を、以前と変わらず他愛のない会話を交わしながら歩く。一ついつもと違うといえば、いまだにミーリャに手を引かれていることくらいだった。
ここにいても良いのだろうか。自信のない思いがじわじわと心を蝕み始める。友人を傷つけ、脅かすような存在になってしまったら終わりだ。自分を形作ってきた信条や矜持を失ったら、きっともう生きてはいけない。
『ならそれはメリーの勝手な妄想でしかないよ』
不意にアイゼアの声が耳元で聞こえたような気がし、思わず振り返る。当然アイゼアがいるはずもなく、ただただ平原の遥か遠くまで続く街道が見えるだけだった。
『もっと一人一人のありのままを見て』
先程の声に続くアイゼアの言葉をメリーは思い出していた。先入観を捨て、一人一人のありのままを見る。それが答えに続く手がかりになるとアイゼアは言った。
昨夜のメリーの姿を目の当たりにしながら、時間にして一日も経っていない今、三人はここにいる。心配した、迎えに来た、一緒に帰ろう、と言って。
これが三人のありのままの思い表れだというのなら、今まで通り友人として一緒にいるつもりなのだろうか。それが三人の本当に望んでいることだとするなら、離れなくてはと思っていたことに意味はあるのだろうか。
もし、このままでいられるなら──
泣き腫らしたような赤い夕日を見つめながら、もう昨夜のように離れてしまえばいいとも思えなくなっていることに気づく。
まだこうして話していたい。これまでのように食事したり、出かけたり、家に招いたり、いろんな話をして一緒に過ごしたい。離れ難い思いを抱きながらも、すぐに答えは出せなかった。
焦らず、急がず、もっといろんなところを見て、ゆっくり結論を出そう。今はただ、三人がくれた優しいひとときに心から浸っていたかった。
大通りで三人と別れ、自宅まで続く路地を一人歩む。この帰り道ももうすっかり見慣れた光景として馴染んでいる。最初は異邦だったこの街も、第二の故郷となりつつあった。
やがて自宅が見えてくると、ほんの少しだけ安心感のようなものが湧く。一人ぼっちの寂しい場所でありながら、唯一帰ることの許された大切な場所だ。
ふと、玄関の前で人影が揺れるのが見える。誰か来ているのだろうかと目を凝らすと、相手もこちらに気づいたのか片手を緩く上げる。西日を浴びた黒い人影は、所作ですぐに誰かわかり鼓動が一つ強く高鳴る。
「あぁ、よかった! 入れ違いにならなくて」
メリーを訪ねてきていたのは他でもないアイゼアであった。近づくにつれ、黒い人影だった彼の姿が少しずつ色を取り戻していく。
銀の髪は夕日の色を受けて麦の穂のように輝き、紅紫色の瞳はフクシアの花のように鮮やかに温かく色づいている。ホッとしたように気の抜けた笑顔は、いつもよりほんの少しだけあどけない。高揚と執着のもたらす熱に内側を灼かれながら、胸の奥の方が切なく疼いた。




