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075 君の心には痛覚がない【アイゼア視点】

 メリーの空虚な瞳が静かにアイゼアを捉える。全く似つかわしくない穏やかな笑みが、切り傷のようにジクジクと痛みを胸に刻みつけてくる。


「アイゼアさんがかけてくれた言葉に夢を見ていました。現実になればいいのに、と。本当に分不相応な夢でした」


 僅かに(うつむ)いたメリーの顔に影が落ち、表情はハッキリと見えない。ただ彼女の左手は右腕を強く握りしめ、固く力が入っている。まるで痛みを痛みで制しているようにも見えた。


「サントルーサに来て浮かれてたんです。人の中に溶け込んで生きる普通の人になれたような気がして。今更普通のフリをしたって、結局なれるはずもないのに」


 顔を上げたメリーは自身を嘲笑っていた。恐れていたことが目の前で色濃く現実になっていく。なぜペシェが初めてトラヴィスに会ったとき表情を曇らせて警戒したのか、今なら嫌というほど理解できる。おそらく彼が想定していた最悪の事態が目の前で起き、最悪の結果を生み出そうとしている。


 無力感に支配され、メリーの言葉をただ聞くことしかできない。どうすればメリーを今までのような気持ちに引き戻せるのか全く糸口が掴めない。そもそもこの状態でそんなことが可能なのだろうかとさえ思う。もう取り返しのつかないところまできてしまったのかもしれない。そんな途方もない絶望感に呑まれてかけている。


「そんな顔してないで、私と一緒に笑い飛ばしてくれませんか?」

「……今、何て言った?」

「笑い飛ばしてほしいと言いました。あまり深刻な顔されると逆に困っちゃうんですけど」


 本人に自覚があるのかはわからないが、きっと傷ついている。メリーの心情を思うと、まるで心臓を直に焼かれていくような心地になった。なぜだかわからないが、自分の方が泣きたくなってくる。


 普通の人とメリーでは『拒絶』の重さが違う。普通の人であれば、誰か一人に嫌われても他に気の合う人がいると思える。だがメリーは忌避されてきた性質上その限りではない。


「君が傷ついてるのに笑えるわけないよ。これは笑って済ませていいことじゃない」


 真剣に言葉をかける自分に対し、メリーはきょとんと目を丸くする。そして次の瞬間、戯けた調子で明るく高らかに笑った。こちらが笑わなくても関係ないと言わんばかりに。


「アイゼアさんは深刻に捉え過ぎなんですよ。相変わらずの悪い癖ですね」


 メリーは笑うことで“笑える程度の些細な事”にしようとしている。彼女の姿が目を背けたくなるくらい痛々しく見え、胸が苦しい。何もしてあげられない自分の無力さが悔しくて歯痒くて、キリキリと胸が締めつけられる。


 悲しいときも苦しいときもいつだって力になりたい。その心の傷と孤独に触れ、癒せる存在でありたい。メリーが必要として求めてくれるのなら必ず傍にいる。口にしなければ伝わるはずのない思いと千切れそうなほど切羽詰まった感情を抱え、言葉が漏れないように唇を固く引き結ぶ。


 言えるはずがなかった。全て受け入れると語ってきた相手にあっさりと裏切られてしまったばかりなのだ。今言ったところでメリーが信用してくれるはずもないことはわかりきっている。


 黙り込んでいたせいか、メリーは一際大きなため息をつくと呆れたように肩を竦めた。自身の傷心を見せるどころか、むしろこちらを気にかけているようにすら見える眼差しに悔しさが込み上げる。


「他人のことに一々そんな顔しててどうするんですか? 深刻に捉えるなと言ってる通り、そもそも当事者の私自身が特別何も思ってないんですよ?」

「本当に? 普通に暮らせるようになるかもって嬉しそうに僕に話してくれたよね。社会の中に溶け込んで、魔力や存在が受け入れられて、友人ができたり恋人ができたり……そういう当たり前を夢見てたんじゃないのかい?」

「……そうですよ」


 それまで平然としていたはずのメリーの表情がほんの一瞬、ほんの僅かに泣きそうに歪んだ。瞬きすれば見逃してしまいそうな小さな小さな変化だったが、それを見落とすほど自分は間抜けではない。


「無謀な夢を抱いて、楽しくて、浮かれて、都合の良い言葉に酔ってたんです。最高に滑稽じゃないですか」

「そんなことない。僕は本気で君の語った夢が叶うって信じてる」

「私も、昨日まではもしかしたらって思ってましたよ」


 トラヴィスはきっと今もメリーを嫌いになったわけではない。申し訳ないという気持ちも反省の念も垣間見えた。悪い感情を持ってはいないのに、彼はメリーに恐怖を感じて凍りつき、差し出された手を取れなかった。


 彼の反応は、好意や親しみを持って接している者にすら拒絶されるという確かな証明となってしまった。やっと灯ったはずの小さな願いの火は、たった一度の決定的な出来事の前に消し飛んでしまったのだ。


「そもそもこの魔力が他人に受け入れられること自体ありえないんです。親愛の情が私に向くなんてもっとありえない。これが私にとっての“当たり前”なんです」


 今のメリーの表情には、先程の微かな傷心の気配すらない。凛と、あまりにも不自然なくらいに芯からいつも通りだった。アイゼアはふと気づく。こうやってメリーは一つずつ痛みを感じるものを捨てて、心の傷も痛みも意識の外へ追いやってきたのではないかと。


 それはまるで道端の石ころや草を気にも留めず素通りするように、視界には確かに入っているはずなのに意識の外にあるせいで認識されない。必要ないから求めない、受けつけない。


 自分の人生から自分を傷つけるものや可能性を徹底的に排除し遮断してメリーは生きている。切り捨てたことによって人が当たり前に持っている感覚や痛みを一つずつ失い、一歩ずつ孤独の道へと進んでいく。


 そうして先鋭化していく強さに、一人でも平気だと思いこんでいる。堂々と孤独の道を駆け抜けながら、ズタズタに傷ついて血を流していることにも気づけない。痛みも(ろく)に感じず、傷ついた自分の姿も見えていないのだろう。


「あ、でもアイゼアさんにすごく感謝した気持ちは今も変わってませんよ」


 メリーは胸元に手を当て、静かに目を伏せる。月明かりの中で咲く一輪の白百合のように美しく、それでいて物悲しい。森の奥深くでひっそりと、人知れず散っていく儚さと寂しさに似た影を背負っているからだろうか。


 メリーはきっと、痛みを切り捨てなければ自分を保って生きてはこられなかった。残酷な現実と環境が、その選択しかメリーに与えなかったのかもしれない。


「短い間でしたが、あの言葉のおかげで本当に幸せな夢を見ることができたんです。それだけでも私にとっては十分貴重な経験でした。ありがとうございます」


 今のは本心だ、と直感で思う。あまりにも綺麗に嬉しそうに笑うメリーに苛立ちに似た焦燥がこみ上げ、拳を握りしめる。固くて分厚い壁に阻まれ、断絶されたような気分だった。


 お願いだからそんなことで笑わないでくれ、と心が叫んでいる。怒りでも悲しみでも何でも構わない。八つ当たりだって泣いたっていい。旅をしていたときのように激しく本音をぶつけてくれたら、弱さを見せてくれたら、そう願ってもメリーは決して表に出そうとはしない。


 いや、復讐心や憎しみは自覚していたからこそぶつけられただけだ。傷ついていることを認識もしていないのなら、そもそもぶつけようがないということに気づき、更に絶望へと突き落とされた。


「メリー、あの言葉は夢じゃない。メリーの魔力は本当にみんなを幸せにする力がある。僕だって何度も君に助けられて、勇気も幸せな気持ちももらってきた。紛れもない事実なんだよ……!」


 何とかわかってほしくて必死に言葉を紡いだが、特に響いた様子はない。メリーはただただ困惑し、眉根を寄せながら首を傾げていた。少しの沈黙の後、メリーはどこかやるせない笑みを浮かべながら自身の顔を指でちょんちょんと指し示す。


「アイゼアさん、自分がどんな顔してるかわかってて言ってます? 私の魔力はあなたを困らせ、こんなにも容易く笑顔を奪ってしまえるんですよ。これのどこが幸せにする力なんですか?」


 アイゼアの言葉は一欠片すらメリーには届かなかった。当然だ。メリーの方が説得力のある言葉をぶつけてきたのだから。


 魔力がもたらした今の状況に苦心し悩むアイゼア。自分の力が親しい者たちをも怯えさせ、困らせ、笑顔を奪っていく。メリーはそう感じているのかもしれない。それは彼女の諦めきってしまった目を見れば嫌というほど思い知らされた。


 いつもは強い光を宿していた瞳が、海原の水面に浮かぶ月のようにゆらゆらと不安定に揺れて見える。掬い上げようと手を伸ばしても指の隙間をすり抜け、触れた途端に波間に砕けてバラバラになっていく様に似た、脆くて虚しい印象を抱いた。


 対外的に繕った仮面から誰にも見せない心の奥の核まで、人は複数の面を持っている。角度や視点を変えれば見え方が変わり、どれが本物で偽物なんてない。仮面を被り続けて自分を見失いかけていたアイゼアに、メリーはそう言った。


 それと同じように、凛と自身を貫く強さや他者を平然と切り捨てられる冷淡さばかりが彼女ではない。友人に向ける優しい笑顔も、命を賭けて大切なものを守ろうとする姿も、今にも消えてしまいそうなこのメリーもまた、一つの面であり間違いなくメリーなのだ。


「とにかくもう気にしないでください。心を砕く相手は私ではありません。あなたを必要としてる人は、もっと他にいるはずです」

「君に……僕の助けは必要ないと?」

「はい。元々大半のことは一人で何とかしてきてます。それと、これからはあまり私に関わらないでもらえますか? ついでにみんなにもそう伝えておいてください」

「関わるななんて、突然どうして?」


 とうとう明確に拒絶の言葉をつきつけられてしまい、一瞬息が詰まる。メリーはどこか誰の目も届かないところへ消えようとしている。勘でしかないが、何となくそう感じていた。


「どうしても何も、簡単な話ですよ。私といたら、普通に暮らせないじゃないですか」


 メリーはさも当然と言わんばかりにあっけらかんと言い放ち、失礼しますと会釈してから一人帰路を歩き始める。普通に暮らせないという言葉にかかる“私”は、『恐怖を与える存在』と『迫害される存在』の二重の意味を持つのだと気づく。


 前者なら恐怖に怯えて暮らすことになり、後者なら迫害の巻き添えを食らって暮らすことになると。つまり恐怖を感じてしまう霊族だけでなく、人間であるアイゼアすらも突き放したのだ。


「送るのはここまでで結構です。あとは一人で帰れます」


 メリーはこちらを見もせず横をすり抜けていき、声をかける隙すら与えてくれない。一連の躊躇いのない対応に、嫌な想像が頭をよぎった。自分に不要な存在としてアイゼアたちを認識し、切り捨てる判断をしてしまったのではないか、と。


 すれ違いざまに見た、いつも以上に冷然とした横顔が頭を離れない。去りゆく小さな背中を、呆然と立ち尽くして見送ろうとしている。


このままで良いのか。


 消えていく後ろ姿に形容し難い何かが込み上げ、呼吸が浅く早くなっていく。今追わなければメリーとはもう二度と会えないような予感めいたものが胸の内をざわつかせる。かといって、メリーを説得する隙はどこにもない。


それでも。勝算がなかったとしても。


 気づけば、遠くなっていく彼女の背を全力で追いかけて走り出していた。近づくにつれ背中は少しずつ大きくなり、まっすぐにメリーへと手を伸ばす。


「メリーを捨てるくらいなら、僕は普通じゃなくていい!」


 右手がメリーの腕へと届き、掴んだ手が離れないよう力を込める。とにかく引き止めなくてはと必死で、加減も忘れて強引に腕を引いた。


 抵抗もしていないせいか手応えは想像以上に軽く、必要以上の勢いにメリーがぐらりと体勢を崩す。転ける前に支えなくてはと反射的に左手をメリーへ伸ばし、気づけば受け止めるような形で抱きしめていた。

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