074 魔法は泡沫の如く(2)【アイゼア視点】
拒絶されたメリー、罪悪感に苛まれるトラヴィス、本能的に受け入れられない現実に打ち拉がれるペシェ。全員がそれぞれに傷ついている不毛な状態に、何とも言えない虚無感を感じずにはいられなかった。
「すみませんでした……」
長い沈黙を破り、トラヴィスは謝罪の言葉を口にした。項垂れて俯いたまま、声は消え入りそうなほど弱々しく震え、掠れていた。
「アタシに謝られても……もし後悔してるなら、いつか今日のお礼をメリーに伝えてくれない?」
「お礼……?」
「僕もペシェと同意見かな」
二人の様子に見かねて、歩み寄りながらペシェの言葉に便乗して言葉を足した。メリーに必要なのは謝罪でも弁解でもない。感謝の言葉だ。
「何がどうであれ、助けられたって事実は揺るぎないからね」
忌避する本能を消せず、覆すこともできないのが事実なら、それを打ち砕くのもまた事実だ。感謝の言葉は彼女の全てが拒絶されているわけではない何よりの証明になってくれるとアイゼアは信じている。メリーの夢見る未来への一歩になるはずだ。
そしてこの言葉は決してトラヴィスだけに宛てたものではない。この場にいる全員へ向けたつもりだ。人を殺し、恐ろしいほど強大な魔力を持つメリーにそれぞれ思うことはあるだろう。
それでも大勢の人の命を守り抜いたという事実がある。殺すことや傷つけることは褒められないが、戦う術を持たない者たちを救ったことは賞賛に値する。彼女のしたことは、騎士の在り方と何が違うのか。
突き詰めれば同じことをしているのに、なぜ騎士は民衆を守る存在と持て囃され、彼女は恐ろしい魔術士だと蔑まれなくてはならないのか。メリーの行動が全て賞賛されるべきものだとは思わない。だが決して全て非難されるものでもないはずだ。
「私もお礼言わないと。確かに変わった魔力だったけど、あの子いなかったら私は今日死んでたかもしれないし」
一連のやり取りを静観していたプルシアが突然会話に加わる。彼女の声は場や内容にそぐわないほど明るく軽い。メリーの存在を単なる助っ人のように扱い、活躍してくれた人への態度と同じだった。
「どんな力だろうが使い方次第ってことだろう?」
スマルトは捕縛されて集められている賊たちを眺めながら苦笑する。ペシェの嘆きとプルシアの言葉、そしてスマルトの問いかけが、トラヴィスだけでなくこの場にいる霊族たちの感情や考えに影響を与え、少しだけ変化をもたらす。アイゼアは場に流れていた張り詰めた空気が少しだけ緩んで溶けていくのを感じていた。
「ねぇアイゼアくん。メリーの様子を見てきてほしいんだけどいい? 任務の後で構わないから」
「もちろん。元々そのつもりでいたよ」
トラヴィスに拒絶された事実がある以上、魔力を感知できる者では傷つけるだけだとペシェは考えているのだろう。であればメリーと親しくて今回の任務に就いた者、なおかつ魔力のわからない『人間』でなければならない。自ずと選択肢はアイゼアに絞られた。
どんなに親しくとも、魔力を感じてしまう者の言葉は今のメリーには届かないかもしれない。彼らには根底に拭えない恐怖心がある。それでも友人でいたいと傍にいるのがペシェでありフィロメナであり、今は眠ったままのミーリャもそのはずだ。
今のメリーの心に、ペシェたちの思いを信じて受け入れられるだけの余裕があるかは怪しい。友人でいたいと望んでいても、怯えさせてしまうという事実は何一つ変わらない。いつ拒絶されるかもわからない恐怖にメリーは晒され続けることになるのだから。
「そういうことならアイゼアはここで任務終了だな」
「だってさ。命の恩人を労いもせずに帰しちゃったら、特務騎士として恥ってものでしょ。ちゃんとありがとって伝えといて。ここにいるみんなの分も」
二人が早くメリーを追うように促してくるということは、メリーに対する偏見に関しても何かしら働きかけてくれるつもりなのだろう。この場にいる同僚がこの二人で本当に良かったと、少しだけ安堵する。
メリーと霊族たちの関係は個人間の問題のことのように見えて、治安維持や平穏を守ることにも繋がる。脅威や恐怖の対象が近くにあることで人々は不安になる。だからこそ誤解を解き、混乱しないように未然に働きかける。二人ならそれができると信用できる。
「スイウ、エルヴェ、フィロメナ。悪いけど、救助者の護衛を騎士団本部まで頼みたいんだ。いいかな?」
「承知いたしました。責任を持って任務を完遂します。どうかご安心下さいませ」
「えぇ、もちろんよ。メリーのことは頼むわね」
「護衛終了までなら付き合う」
「ありがとう」
軽く礼を言い、アイゼアは急いでメリーが立ち去っていった方向へと走り出した。
* * *
しばらく走り続け、街へと入る。おそらく自宅に向かっていると推測し、通りを駆ける。とうとうメリーの家が見えてきたが道すがら彼女の姿は見つけられず、明かりも灯っていない。玄関で呼び鈴を鳴らしても出てくる気配はなく、人の気配すら感じられなかった。
救助者は通常、まず騎士団本部へ行き、保護者や身元引受人に来てもらうことになっている。傭兵として従事しているメリーはそのあたりの流れにも慣れており、もしかしたらそちらへ向かったのかもしれない。アイゼアはすぐに騎士団本部へと向かったが、そこにもメリーの姿はなかった。
「どこに行ったんだろう……」
来た道を引き返したところで見つかるとは思えない。かといってどこに行ったのかもわからない。行き先の見当もつかず、ひたすらに足を動かして本部周辺から探し始める。
宿舎方面へ走っていると、ふと視界の端に鮮やかな薄紅色を捉えた。そこは以前メリーの誕生日に一緒に来た、猫の集まる広場だった。メリーは屈んでおり、猫が二匹寄ってきている。撫でてもらっている猫は気持ちよさそうに目を細めていた。
「ここにいたんだね。探したよ」
声をかけたことでアイゼアの存在に気づき、メリーは猫から離れてこちらへと近づいてくる。
「息を切らしてどうしたんです? 何かありました?」
「何もないよ。ただ、家まで送ろうかと思って」
そう言うとメリーは目を丸くし、やがて眉根を寄せて首を軽く傾げる。
「家に? 報告が必要だと思って、みんなが戻るのを待ってたんですが」
「今度でいいよ。他の救助者もまずは休んでもらって、話を聞く場合は後日って感じになるだろうし」
「そうでしたか、なら帰ります。付き添いは不要です」
メリーは軽く会釈すると、スタスタと自宅方面に向かって歩き始める。切り替えの早さに驚きながらも、一人で帰すわけにはいかないと後を追った。
「悪いけど一人では帰せないよ。君も救助者の一人だし、無事に家まで送らないと」
「……なら仕方ないですね」
任務の内ということにしておいたおかげか、なら言っても引き下がらないだろう、とメリーはあっさり折れた。日頃真面目に勤めてきたことが良い方に働いてくれたのかもしれない。
今のところメリーの様子は普段と何も変わらないように見える。様子を伺うためにいろいろ話を振ってみたが、こちらの言葉に一言二言は返してくれるが会話は続かない。彼女自身から話を振ってくることもなかった。
表情こそいつも通りだが、僅かに減った口数から気分が落ちているのだとわかる。沈黙が訪れると、靴の音だけがやけに夜の街に響いた。
「そういえばメリーの力に助けられたって、プルシアもみんなも君にお礼を言──」
「助けられた……本当にそう思ってるんですか?」
突然こちらの言葉を遮ったかと思うと、不意にメリーが立ち止まる。アイゼアも足を止めて振り返った。いつもと変わらないように見える笑みは貼り付けたもののように見えた。
「アイゼアさん、もう魔法は解けてしまったんです」
「……魔法? 魔術じゃなくて?」
「はい、魔法です。あなたが私にかけてくれたものですよ」
「僕が? 魔法を?」
何のことを言っているのかわからず聞き返したが、メリーから返ってきたのは核心をわざと外したような実体のないふわふわとした言葉だった。魔力のないアイゼアがどうやってメリーへ魔法をかけたのか。
そもそも魔法が何かもよくわかっていない。意味がわからず無言で見つめていると、メリーは笑みを浮かべたまま、ふっと残念そうに伏し目がちになった。
「私の魔力は、誰も幸せにしません」
メリーから放たれた言葉は諦観と絶望を抱え、声色は穏やかでありながら酷く冷えきっていた。笑みで誤魔化されたくすんだ昏い瞳に呼応するように、頭の中に『言霊』という言葉が浮かぶ。言霊、思いのこもった言葉には魔力が宿り、現実になる力を持つことがあるという話を以前メリーはしていた。
『メリーの魔力は強いだけじゃなくて、みんなを幸せにするんだね』
確かに言った。本心からの言葉だった。メリーにかけたという魔法が一体何だったかを理解し、言葉になり損なった声が潰れた小さな呻き声となって喉の奥から漏れた。
同時にみぞおちのあたりが締めつけられるように痛む。彼女が今口にした言葉は、紛れもなく以前アイゼアがかけた言葉を真っ向から否定するものだった。
メリーは淡々とした強さを持っている。一人でも十分だと感じさせてしまうほどの、独立した個としての強さだ。
だからといって揺らがないわけではない。温もりがいらないわけではない。傷つかないわけではない。一人ぼっちの寂しさや大切なものを失う恐怖に震えるごく普通の面も持っている。
人の中で普通に暮らせることを夢見たり、誰かを幸せにできる力を持っていることに喜んだり、誰もが多かれ少なかれ持ちうる当たり前の心を持った人だ。
メリーが抱いていたささやかな希望や喜びは、すでに輝きを失ってしまっている。まるで──おとぎ話の、願いを叶える魔法が解けてしまったかのように。




