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073 魔法は泡沫の如く(1)【アイゼア視点】

 熱した鉄でできたような檻から敵を解放したあと、メリーはこちらを振り返ることなく夜の森へと消えていった。普通に引き止めたところできっと聞き入れてはくれない。仮にここに留まってくれたとしても、この妙な空気に晒し続けることが正解なのかわからなかった。


 寂しそうに見えた背中がアイゼアの胸の内を妙にざわつかせる。彼女の存在がいつもよりも小さく心許なく見え、一人で形勢をひっくり返したときとはまるで別人のようだとさえ思った。


 メリーの戦う光景が脳裏に蘇り、自身の不甲斐なさに悔しさがこみ上げる。あのときのメリーは怒りや憎しみに心を支配されているとは思えないほど冷静な顔をしていた。


 だが普段は音のない深海のような青を湛える瞳が、全てを引き千切るような荒海の激しさを宿していた。行動は激情に身を任せたものではなく冷静ではあったものの、容赦は一切なかった。


 本当はメリーを戦わせたくなかった。怒りのままに魔術を振るうことばかりを危惧していたわけではない。『黄昏の月』への忌避感の程度はわからないとはいえ、魔術を使えば救助者の霊族たちから良い顔されないかもしれないと考えていた。


 いくら強大な魔力の持ち主でも、平然と人を殺せるとしても、メリーはただの一人の人だ。他人を助けたことをきっかけに多くの人から恐れられ、不躾な視線、心ない態度や言葉をぶつけられるなんてあまりにも残酷すぎる。


それでもメリーならきっとこう言う、「別にそれで構いません」と。


 だがアイゼアはそうは思わない。率先して買って出るからといって、全てを押し付けて良いことにはならない。メリーが戦っていなければ無事に切り抜けられたかもわからないのに、彼女の心が傷つくような事態になる前に止めたかった。止められないのならせめて少しでも重荷を自分が肩代わりしたい、その一心だった。


 気づけば前線で戦うメリーを追いかけて飛び出していた。防衛に徹するべき戦況にも関わらず私的な感情を優先したことは、騎士として失格なのかもしれない。だとしても、メリーが汚れ役を一手に引き受けることで場が収束することを受け入れたくなかったのだ。


 だが結果はこの有様だ。自分はほとんど何もできず、皆を守ったはずのメリーは恐れられ、警戒の眼差しを浴びせられた。それは間違いなく、メリーが戦う前に何とかできなかったアイゼア自身の失態であり、結局メリーを守りきれなかったということでもあった。


「メリー一人で帰っちゃったの!? 怪我だってしてるのに、早く追いかけないと!」


 なかなか切り替えられずにいる思考を、フィロメナのよく通る鈴の音のような声が打ち払う。どうやらミーリャの治療を終えたようだ。エルヴェに頼んだのか彼がミーリャを横抱きにし、フィロメナの隣に立っている。


「ほっとけ。行くにしてもお前はやめとけ」

「どうしてよ?」


 スイウがため息混じりにフィロメナを一瞥すると、フィロメナは意味もなく雑にあしらわれたと思ったのかムッと眉間にシワを寄せながら不愉快そうに目を細める。


「アタシからもお願い」

「何で? ペシェまでそんなこと言うなんてどうして?」


 治療に集中していたフィロメナは一連の出来事を把握していない。ただでさえ鈍い彼女は今のこの空気感にすら気づけているかどうか怪しい。


「ごめんね。あとで理由は話すから」


 フィロメナへ優しく言い聞かせるペシェの顔色は良くなく、力ない笑みを浮かべている。いつもカラッと笑っている彼からは想像もできないほど弱々しく、どこか追い詰められているようにさえ見えた。


「……わかったわ」


 フィロメナは腑に落ちないと言わんばかりに不満そうな顔をしている。ペシェの気持ちを汲んで渋々聞き入れただけで、決して納得しているわけではないことが伝わってきた。



 それから怪我人の応急処置をしつつ、少しだけ言葉を交わしながら精神状態の改善にも努める。押し並べて同じだった霊族たちの反応も、時間が経つにつれ徐々に変化してきていた。


 視線をメリーが去った方向へ向けている者は、相変わらず怯えた表情の者もいれば、困惑したような複雑な表情の者もいる。他にも、捕らえられた賊たちをじっと険しい表情で見ている者、互いに顔を見合わせてぽそぽそと会話している者や安堵と恐怖に泣き出す者など様々だ。


 そもそも彼らがメリーに対して抱いた恐怖が、単純に『黄昏の月の魔力』へ向けられた本能的なものなのか、強力な魔術を目の当たりにしたことへなのかはわからない。


 だが決して恐怖心に塗り潰されたわけではないところに、まだ何とかなるかもしれないという一筋の光明を見たような気がした。


「俺は……助けてもらったのに何で……」


 ひとり言を耳が拾い視線だけ向けると、呆然としながら小さく震える手を見つめているトラヴィスの姿が視界に入る。ペシェがトラヴィスの方へ距離を詰めていくのが気になり目で追っていると、彼と視線を合わせるようにしゃがみ、片膝をついた。


「魔力ごと愛するって言ってたじゃない。あれってなんだったの……?」


 ペシェは表情や感情を豊かに表に出すが、今は淡々と静かな雰囲気だ。だが抑揚のない低い声に隠しきれない感情が滲んでいる。怒りというよりは、沼の底に淀んで溜まった泥に似た恨みの感情を孕んでいる。まるで呪いをかけるかのような、重々しい響きだった。


「アタシもアンタと変わらないから責めるつもりはないけど、自分で言ったことくらいは嘘でも貫いてほしかった」


 淡々と事後処理が進む中で、やるせないペシェの声が夜の森に静かに響く。仲裁は必要かと目でこちらに訴えるスマルトとプルシアへ不要だと首を振って答えた。


「メリーも何でこうなるってわかってて使っちゃうのかな」


 深いため息をつきながら、ペシェは頭を抱える。この場にいないメリーへ宛てたひとり言から、焦燥ともどかしさが痛烈に伝わってくる。ペシェの意見と似たような考えをアイゼアも持っている。魔力さえ使わなければ普通の人と同じように迫害されることもなく生きていけるはずだ、と。


 だがメリーはそういう生き方を選べないのだと、アイゼアも……きっとペシェもわかっている。メリーは大切なものが傷つけられれば、必ず守るために立ち上がる人だ。それによって自分の立場が悪くなるとわかっていても、なりふり構わず命すら惜しむことなく戦うことを選ぶ。そうやってずっと生きてきたのだと、彼女のこれまでの姿が雄弁に語っている。


 それを一方的に奪うのは、彼女の生き方そのものへの否定でもあった。だからこそ「もうやめてほしい」と、たったその一言を誰もメリーに言うことができない。思わず言葉を飲み込んでしまうだけのひりついた気迫と風格が彼女にはあった。


「トラヴィスくんにはさ、メリーってどんな人に見えてる?」

「それは……えっと、強くて、気高くて……」

「そうね。でもメリーも案外普通なとこもあんのよ。あんな体質だから拒絶され慣れてるみたいなことあの子は言うけど、友達に拒絶されればさすがに傷つくってアタシは思うのよね」

「……!」


 ペシェの言葉にトラヴィスは黙り込んだ。誰だって親しい者から拒絶されれば多少なりとも傷つく。たとえそれが抗うことのできない本能から来るものだと理解できていたとしても、納得できるかどうかと傷つくか否かは別問題なのだ。


 以前ペシェが、メリーは好きだがメリーの魔力は好きになれないと話してくれたことがあった。同時に、口が裂けても言えないとも言っていた。あれは魔力の恐怖も飲み込んで、それでもなおメリーの友人であり続けたいと願うペシェの切なる思いと覚悟だったのだ。


 メリーは親しくなった者をとても、傍から見れば異様なほどに大切にする性格だ。それはおそらく迫害され、孤独に晒され続けてきたからこその反動だとアイゼアは考えている。


 国民のほぼ全員が霊族の国でメリーは生まれ育った。聞いてきた話から察するに、メリーが誰かに関わったとき、相手は親しくしてくれるか迫害するかで二極化し、その大半は迫害側の行動をとる。


 無害な他人という存在は限りなく少なく、『黄昏の月』と知るだけで後ろ指をさされる。メリーの目に映る世界は、きっと自分を害する敵ばかりだっただろう。よく知りもしない者たちに傷つけられてきた彼女が他人を重視しなくなるのは、当然といえば当然なのかもしれない。


 だから見知らぬ他人を切り捨てることに躊躇いがなく、親しくしてくれる人を人一倍大切にしようとする。メリーにとって友人という存在は、普通の人が思う以上に何物にも替え難いと感じているのかもしれない。


 好意を抱き、積極的に歩み寄ってくれていたトラヴィスにもメリーは友人として好意的に接するようになっていた。あまり口にはしていなかったが、トラヴィスの存在を少なからず嬉しいと感じていた節がある。


 その相手から恐怖の目を向けられるのはさすがに深く傷ついただろう。長く友人として傍でメリーを見てきたペシェは、見るに耐えなかったのかもしれない。


 寿命の違いで取り残されたとしても人間の中で生きていく方がいい、以前そう言いながらペシェは笑っていた。人間のいい人を紹介してくれ、とも。その言葉に込められたあまりにも深刻な真意と願いを、事態がここまで悪化してようやく全て理解できた。

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