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071 愚者と優しい嘘つきたち(1)【メリー視点】

 救出に来てくれた皆と脱出すると、外にはすでに二十人程度の人が疎らに広がって座っているのが見えた。救助者たちは体力の消耗と心労からか疲弊した様子で、中には衰弱の激しい者もいるようだった。


 忙しなく働き続けている者たちは救助に来てくれた騎士たちだろうか。その中にはフィロメナの姿も含まれる。彼女も任務に加わっていたらしく、先に救出されたと思しき者たちを診て回っているようだ。プルシアという女性の騎士を中心にして動いており、アイゼアたちも彼女と何か言葉を交わした後、各々動き始めた。


「メリーさん! ご無事でしたか!?」


 焦りを滲ませた声は、葉が擦れるくらいの大きさで交わされていた周囲の会話の声をかき消してメリーへと迫る。視線を向けると、すぐそこにトラヴィスの姿があった。騎士の制服ではなく私服を着ており、なぜか戦闘でもしたあとのようにあちこち擦り切れ、乾いた血が付着している。


「トラヴィスさんこそ、その怪我は大丈夫ですか?」

「もうかなり時間が経ってるんで平気です」

「そんなに前から任務に……?」

「あぁ、いえ! その……実は俺も助け出されて。本当に情けない……」


 トラヴィスも救援任務に参加したのだろうかと思い尋ねると慌てて否定され、彼はバツが悪そうに俯いた。擦り切れた服や血痕、彼の顔にある怪我は、拉致されたときに負ったものらしい。


 彼が騎士でそれなりに訓練を受けているからなのかはわからないが、救助者の中ではかなり動けている方だ。彼まで拉致されていたことには驚いたが、とにかく無事かつ元気そうで良かったと胸を撫で下ろす。


「それよりメリーさんです。こんな酷い怪我を……早くフィロメナさんに手当てしてもらいましょう!」

「大げさです。この程度なら処置の必要もありません」

「自分が見えてないからそんなこと言って……ハッキリ言ってボロボロ……いや、ボコボコですよ」


 ボコボコと言われ、何となく視界の狭い方の目のあたりを摩る。いつもと違う膨らんだ輪郭は厚ぼったく、もったりと熱い。


 少し力を入れて押すと確かに鈍く痛むが、これまで経験してきた痛みと比較すれば気にするほどのものでもない。今のメリーの症状の中で深刻なのは体の痺れの方だ。そのせいで魔術がいつものように使えず、有事のときに対応できないのではないかと不安で仕方なかった。


「うーん、やっぱり必要ない気が……」

「そんなこと言ってないで、ちゃっちゃとやるわよ!」


 フィロメナのよく通る鈴の音のような声に振り返ると、彼女はやる気満々に救護鞄をポンと軽快に叩いて見せた。深い傷を負っている者から順に治療して回っていたのは知っていたが、どうやらメリーの番が巡ってきたようだ。


「変な粉のせいで体が少し痺れてるんです。そっちをどうにかしてくれませんか?」


 ここへ来た救援の人数はさほど多くはなく、できるだけ自力で移動できるように処置をしているのだろう。ならばと思いお願いしてみたが、フィロメナは首を横に振った。


「それはまた後でね。今はバタバタしてるし、ここではちょっと無理だから」


 フィロメナは羽を出さなくても簡単な治癒術を使うことができるが、薬物による痺れを取るのはその範囲外らしい。


 どこか人目のつかないところで治療してほしいところだが、次が詰まっている今は諦めるしかなかった。歩いたりするのに支障がないことだけが不幸中の幸いだろう。


「やっぱり治療は必要ないです」

「ダメよ。大人しく受けてちょうだい」


 こちらの意見が通ることもなく、フィロメナは手際良く手当てを進めていく。傷口の消毒と包帯やガーゼ等で処置され、それが一通り終わるとフィロメナは他の救助者の元へと駆けていった。


 衛生兵としての治療を学び始めた頃と比べると目覚ましい成長を遂げている。少しずつできることを増やし、人の世界に馴染んでいく彼女の背中が少しだけ眩しい。


「あのっ、俺、メリーさんに会えたら謝らないとってずっと思ってたんです。すみませんでした!」


 治療が終わるや否や、突然トラヴィスが謝罪したかと思うと、直角に腰を折って頭を下げる。


「また唐突な……今度は何の話ですか?」


 何事かと思いながら様子を伺っていると、そろりとトラヴィスは頭を上げた。申し訳無さそうにしょぼくれた顔は、まるで親とはぐれた子供のようにすら見える。


「前に触媒の件で会う約束をしましたよね。覚えてますか?」

「えぇ、覚えてますよ」


 トラヴィスに言われて初めて思い出した。前に改めてトラヴィスと触媒を店に見に行く約束をしていたが、約束の日に来なかった。最後に会ったとき、メリーはトラヴィスの想いを受け入れられないとハッキリ断っていたため、気が変わって来なかったのだと思いこんでいたが。


「約束を破って、ご迷惑をかけてしまいました」

「こんなことに巻き込まれてたなら仕方ないですよ」


 友人でいたくないと言われたような気がして残念に感じていたが、誤解だったようだ。またこうしてトラヴィスと談笑できることは素直に嬉しい。


「それより約束の話ですけど、また今度──」


 再度約束の話を口にしかけたとき、突然この場全体を覆うような微かな魔力を感知する。微量だった魔力は瞬く間に膨れ上がると、それが地中から放たれていることに気づく。


 どんな魔術が来るかわからずトラヴィスの腕を引っ掴んで引き寄せ、自身を中心に半球状の魔力障壁を周囲にいる数人が入るように展開する。地面が大きく揺れたかと思うと同時に、森の中に響いた複数の悲鳴が鼓膜を震わせる。


 障壁がビシッと軋むと大きく深い亀裂が入り、硝子が砕けるようにして破られた。ギリギリ相殺しきったのか攻撃が当たることはなかった。メリーの張った魔術障壁の部分だけをぽっかりと残し、多数の水晶の棘が地表から突き出している光景が目の前に広がっている。


「メリーさんっ、これは設置型の……!」

「魔工学兵器ですね」


 性質や魔力の気配から魔工学機械による設置型の罠で間違いない。魔力で張られた罠と違い、機械によるものは展開が始まって初めて魔力を感知できるようになる。地中にそんなものが仕掛けられているなんて、発動しなければ知りようもない。


 呻き、泣き叫ぶ声に気づき顔を向けると、皆がいた方にも水晶の棘がいくつも突き出しているのが見えた。突き出た棘の本数が少ないことから誰かが魔術障壁を展開したのだろうが、耐えきれず破壊されたようだ。


 一部防ぎきれなかった攻撃で怪我人が出ている。障壁がなければ壊滅していたことを思えば、被害はこれでも最小限に抑えられた方と言っていい。


「気配が近づいてる……警戒しろっ」


 珍しくスイウが鋭く声を張り、戦える者たちは一斉に臨戦態勢に入る。一方で救助者たちは命の危険が迫っている状況から恐慌状態に陥り、身を寄せ合って怯えていた。


 スマルトが絶え間なく指示を出し始め、戦える者たちが迎撃のために慌ただしく態勢を立て直していく。それでも簡単には収拾がつかないほどの混乱と被害が既に出ていた。


「おねえちゃん! おねえちゃんっ!」


 呻き声と指示を出す声の中に響く、幼い少年の悲痛な声にドキリと心臓が跳ねる。反射的に視線がそちらへ向き、目に映った光景に愕然とした。


「ミー……リャ?」


 泣き叫ぶ少年の傍らでミーリャが不自然な姿勢で膝をついている。否、本来なら倒れているはずの体が、刺さった水晶にもたれかかるような形で体勢を保っているだけであった。


 メリーはすぐにミーリャの元へと駆け寄り、顔を覗き込む。意識の有無はわからないが固く目を閉じ、血色も良くない。少年を庇ったことでミーリャが代わりに直撃を受けてしまったという話が滑り落ちるようにメリーの耳の中へと入ってくる。


「ミーリャ! しっかりしてっ、ミーリャ!」


 半狂乱になっているペシェの叫び声すら、隣にいるのに少し遠くに聞こえる。声に答えようとしたのかミーリャの口元が微かに動いたが、何を言ったのか聞き取ることはできなかった。


 ペシェが縋るようにミーリャの傍でへたり込む。ペシェもミーリャも魔術士としての訓練は受けているが、人同士の殺し合う実戦の地に立ったことはおそらくほとんどない。学院での模擬戦ですら緊張した顔をしていたことを今でも覚えている。


「ペシェ落ち着いて! 風術で水晶の根本を慎重に切ってちょうだい。それからミーリャを屋内へ、あたしが治療するわ!」


 気の抜けてしまったペシェをフィロメナが叱咤し、ペシェは震えながら水晶を風術で切り始める。


 だらりと落ちたミーリャの腕はピクリとも動かない。普段から愛用している臙脂色(えんじいろ)の服は、刺さった水晶の周りがじわりと赤黒く染まっている。あの水晶を下手に抜けば一気に血が失われ、あっという間に死んでしまうことは明白だった。


 地面から突き出している水晶を切り離すと、ミーリャをそっと横たえる。ペシェは自身が羽織っていた白衣をもたつきながら脱いだ。


「お願いよ、死なないで……」


 どんなときもカラッと明るかったペシェの瞳から、涙が溢れては雨のように落ちる。呼びかける声も、ミーリャに白衣をかける手も震えていた。


死なないで、諦めないで──


 力なく横たえられた姿に亡き妹フランの姿が重なる。復讐を誓ったあの夜、フランは屋敷の冷たい床に捨てられたように転がっていた。全てが手遅れで、何もしてやれなかった。


またこの手をすり抜けていくのだろうか。


 やけに耳につく自身の呼吸の音を聞きながら、エルヴェに抱えられたミーリャが治療のできる屋内へ運ばれていく姿をじっと眺めることしかできなかった。


感情に目を向けるな。

すぐに動こうとしたら、きっと暴走してしまう。


 制御のできない魔力で感情のままにそんなことをすれば、敵どころか味方ごと皆殺しにしてしまう。湧き上がる激情を切り捨てようと、他へと意識を逸らす。


呼吸の他に唯一明瞭に聞こえてくるのは、激しい剣戟の音。


 先程までは静かだった森が、今は戦場と化している。罠を作動させ、一気にこちらを潰すために襲撃をかけてきていた。次に同じ追撃が来たら間違いなく死人が出るだろう。


 フィロメナは治療でここを離れている。ペシェは精神的に安定していないせいでまともな魔術障壁は望めない。先程の攻撃は、魔力が不安定とはいえメリーの障壁すら破った。他の者たちも防ぎきれなかったことを思えば、残りの霊族たちで凌ぐのは現実的に考えて厳しいものがある。


「メリー様っ!」


 エルヴェの声に我に返り、魔力を感じた方へ魔術障壁を展開して打ち払う。エルヴェは屋内へ繋がる入口に立ち塞がるように立っている。フィロメナが集中して治療できるよう、事情を知っているエルヴェが守るように指示されたのだと察した。


「俺が必ずみんなを無事に家に帰します!」


 いつの間にかトラヴィスがメリーや救助者たちを背に庇うように前に立っている。


「こんなでも一応騎士ですから」


 トラヴィスは僅かに振り返り、夏空のような澄んだ青い目をこちらへ向ける。この場に似つかわしくないほどの笑顔は夏の日差しのように明るく眩しい。


 彼の勇気が伝播(でんぱ)したのか、救助されたばかりの他の騎士二人は動けないなりに守ろうと、身を盾にするようにして救助者の前へと歩み出る。トラヴィスの力強い声かけが、怯えて震えていた救助者たちの心をも励ましていた。


「メリーさん、すみませんが一緒にみんなを守ってくれませんか? 俺一人だけでは少し厳しいかもしれないんで」

「もちろんです」


 この場には多くの賊がいる。中にはあの首領の姿もあった。メリーは戦場になっている場全体を囲うように炎を放つ。木々が燃え、炎の壁を形成して封じ込めた。目的は二つ、敵の退路を断つことと増援を断つことだ。


「だからここはトラヴィスさんに任せます」

「め、メリー、さん?」

「大丈夫、ちょっとの間だけです。すぐに終わらせますから」


 今は少しだけ理性を保てている。それはきっと親しくしてくれる皆に感化されたからなのかもしれない。ここは故国ではないのだから、と一歩引いて現状を捉えられている。


 だからといって見縊(みくび)られて黙っていられるわけがない。ミーリャはもしかしたら死んでしまうかもしれない。そんな状況で敵を生かすなんて、本来の自分ではありえなかった。


 それでも殺すことが歓迎されないのはわかっている。ここには戦いを知らない者も子供も大勢いる。あまり好きではないが、スピリアのやり方の“もう一つの方”を取るべきだと判断し動き出す。


 一度ならず二度までも危害を加えられたのだ。スピリアの魔術士を敵に回すことがどういうことか、身を持って思い知らせてやらなくてはならない。圧倒的な力と恐怖は、巡り巡って大切なものを守る力になる。それが“スピリアの魔術士”のやり方だ。


「もう一発お見舞いしてやる。死ね、王国の犬共!」

「まだあったのか、全員下がれ! プルシア皆を頼む!」

「それって死ねって命令? ま、私しかいないもんね。仕方ない、やってあげる」

「スマルト! プルシアだけじゃ本当に……!」


 まだ発動していない罠が仕掛けられているのか、囲われても優勢だと思い込んでいる敵が勢いづく。逃げられない以上、相手もこちらを壊滅させるしかないわけで、ここからは本当に文字通りの殺し合いだ。


「肉壁じゃ、守れるもんはたかが知れてる」

「スイウ!?」


 スイウは人とはかけ離れた身体能力を活かし、たった一人で前へと突出する。月光に閃く刀は戦場を駆ける流星のように疾い。敵は尋常ではない様子のスイウに圧倒され、罠の発動に僅かな隙が生じた。


「全員下がってください!」


 体の麻痺のせいか、自制が効かなくなりかけている戦意に呼応するように魔力がとめどなく溢れてくる。救助者を背後に庇うように前進し、術を構築しながら地面に手をつく。


 先程の結果を省みれば、全員を囲う広範囲の魔術障壁は得策ではない。今やれる最善を信じて目を閉じ、地中に蠢く魔力の流れを読む。罠が作動する刹那、魔力が噴き出した根本を冷静に見極め、雷撃を拡散させて放った。

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