068 夢の綻び(2)【メリー視点】
隣が入れ替わってからしばらくして、苦しむ演技を始めてみる。機材へ供給される魔力量から演技であることを悟られないよう、できる限界まで魔力の流出量を絞る。
勝手に漏れていく魔力を抑えるなんてことは人生で初めてだ。神経を鋭く尖らせ、息を止めるようにこらえるが、おそらく長くは持たない。早く気付けと念じながら続けていると、少しして人の気配が近づいてきた。
「コイツもう魔力切れしてんのかよ。おい、替えを連れてこい」
メリーの傍らにいる賊が別の賊に指示をし、間もなく誰かを連れてくる。抵抗する声から若そうな女性だとわかる。
その女性の声がすぐ傍で聞こえたかと思うと、入れ替えるためにメリーの拘束具を取り外しにかかる。全ての拘束具が外れ、手枷をつけられそうになった瞬間、一気に魔術を構築する。メリーの腕から賊の腕へと細い炎が蛇のように這う。
「コイツ弱ったフリしやがっ──」
細い炎は一気に発火して全身を飲み込み、相手は体を焼かれる痛みに絶叫する。地面に転がってのたうち回っていたが、すぐに動かなくなった。
炎が消え、悶え苦しんだように手を伸ばした黒い人型の塊が出来上がる。それを目の当たりにした他の賊たちは絶句し、連れられてきたと思しき霊族の女性が悲鳴を上げた。
拘束を逃れて自由になったものの、体の痺れはいまだに残っている。魔力を吸い取られたせいもあるのか、いまひとつ体に力が入らない。
痺れで魔力制御が上手くできていないのは先程行使した魔術で確認済みだ。いつもの魔術とは雲泥の差の出来だった。本来であれば一瞬で灰になるものが、何秒もかかって黒焦げにしかできなかったのだから。
「う、嘘だろ……」
「なんだよっ。なんなんだよコイツ!」
黒焦げの死体に視線が引きつけられている隙に、メリーは更に火球での攻撃を繰り出す。魔力を行使した瞬間、敵の反応の早さに大きな差が出る。残された四人のうち三人は反応が明らかに鈍い。人間か、才能と練度の低い霊族といったところだろう。
一人は魔術障壁で火球を凌ぎ、一人は武器で防ぎ、残り二人は吹っ飛ばされて地面を滑りながら転がった。殺さないように威力を落としたわけではなく落とすしかなかった。
先程の“失敗”が頭を離れない。通常は一瞬の間に二つの術を連結して展開している。一つは爆破で体を細かく破砕する術、もう一つはその残骸を一気に燃焼させる術だ。
なぜ一つの術ではなく、わざわざ二つの術を使っているのかと聞かれれば、継戦能力の向上のためだ。大きな塊を燃やすより小さな破片を燃やす方が容易いように、二段階で術を行使する魔力消費量を十とするなら、小細工なしに灰にするには百の魔力が必要になる。手順を踏んで魔力使用量を抑えるのは、制御力と術の構築速度、その両方を兼ね備えているからこそできる節約方法だ。
今は体の痺れや魔力を奪われた疲労もあるせいか全てが上手くいかない。先程のアレはいつも魔術を発動させている速度に、制御と構築が追いつかず放たれてしまった。
それだけでなく本来使うはずの十の魔力より余分に魔力が溢れて消費されていた。十の魔力では黒焦げの塊にはならないが、不完全かつ余分な魔力を喰って発動した。あれは小規模の暴発と言っていい。
使用した魔力量が膨大であれば、魔術を行使した方向は全て更地になっていてもおかしくなかった。
とにかく安定しないとわかった以上、不用意に大きな力は使えない。下手に行使すれば大規模な暴発の危険性がある。広い場所や守るものもない場所ならまだしも、魔術が効果的に機能する狭い屋内かつ拘束されたままのミーリャがいる状態だ。暴発に巻き込んで殺したとなれば、取り返しがつかないという言葉では済まされない。
思うように動かない体で地面を踏みしめ、感触を確かめる。虚空から杖を呼び出して構え、道具を出すために後ろ手に回した左手は空を掴む。いつも腰につけているカバンはなく、道具は頼れない。今使えるものは威力を抑えた魔術とこの杖一本だけだ。
だとしても、やるしかない。
メリーは魔力を大量消費しないよう最大限心がけながら、炎狼を二匹、使い魔を一羽呼び出す。数の不利は魔力で補う他ない。
他の者たちを戦闘に巻き込まないために部屋の出口を目指して距離を取った。守る気がなく、とにかく逃げることを考えていると思わせる意図もある。人質の価値があると知られれば形勢はより悪い方へと傾く。
賊の二人がすぐに出口付近へ駆けつけ、行く手を阻むように立ち塞がる。倒れていた二人も背後からこちらへ迫る。視界に全員を入れるため右へ方向を変え、壁を背にして杖を構えた。炎狼たちを前へ出し、不用意に近づかれないよう牽制する。
「相手は一人だ! 畳み掛けりゃいい」
四人は武器をこちらへと向ける。その内人間と思しき三人は魔装備だった。複数の魔力を感知すると同時に、遠距離攻撃がメリーを襲う。攻撃速度は早くはなく、すぐに魔術障壁を展開してそれらの攻撃を防いだ。
炎狼に攻撃をさせるが、四人で代わる代わる繰り出される波状攻撃は、こちらにそれ以上の反撃を許さない。普段であれば攻撃速度と魔力で力押しできたかもしれないが、現状は両方封じられている状態に近い。
とはいえ、このままでも障壁が消耗し、いつかは破られてしまう。今は魔力の制御が安定していないため、障壁自体もいつもより脆い。
「いと冷たき白銀の御手よ、動きを封じよ!」
言葉に魔力を乗せた詠唱が、微かに震える女性の声で紡がれる。それが先程連れられてきた女性のものだとわかり、魔力障壁を解除して魔力を練り始めた。
「拘束具が片方外れてんじゃねぇかっ」
女性の魔術は賊たちの足を氷で地表に縫い止め、賊の動きを封じる。その好機を逃すことなく魔術を放ち、小さな炎の檻で賊たちを閉じ込めた。
唯一霊族の賊だけが術を逃れ、攻撃の矛先を女性へと変える。攻撃が放たれる寸前、炎の狼が腕に食らいついて押し倒した。
「ずいぶん好き勝手やってくれたなぁ、嬢ちゃんたち」
形勢逆転かと思った瞬間、ぞろぞろと複数の人の気配が部屋へと雪崩れ込む。騒ぎを聞きつけたのか、十人以上の援軍が駆けつけてきていた。
「確かこの女、嬢ちゃんと一緒にいただろ? お友達じゃないのか?」
賊たちを率いて得意げに喋っている男性が、『お頭』と呼ばれていたこの集団の首領だろう。先程会話していたときの声や雰囲気からしても間違いない。荷馬車での襲撃を受けたときにも居た男で、見覚えがある。ミーリャとのことも知っていて当然だった。
首領の男はミーリャの首筋にナイフを当て、ゆっくりと引く。薄く斬られた首に一筋血が滲んでいく。痛みで意識が戻ったのか、ミーリャは小さく呻くと薄く目を開いた。やや焦点の合わない目でメリーを見つめる。
「め、りー……」
ミーリャの掠れた声と共に、動こうとしたのか拘束具の金属音が小さく鳴る。何もできない自分の無力さに、無意識に食いしばった奥歯が音を立てた。
ミーリャを傷つけられ、血が煮え滾るような怒りと殺意が全身を駆け巡っていく。すぐにでも飛び出して殺してやりたい衝動を必死で抑えながら、『冷静さを欠いた方が負ける』という亡き兄ミュールの教えを心の中で繰り返していた。
あれは下手な動きをすればこの場で殺すと示している。自分の一挙一投足にミーリャの命がかかっている。今は本調子ではないのだから、いつものようにはいかない。感情任せに攻撃に出るわけにはいかず、警戒しながら相手の様子を観察する。
「取引といこうか。そいつらを解放して、お前が大人しく従うならこの女の命は保証してやる」
取引と言うからにはもっと悩む価値のある対等な条件を提示したらどうだ、という言葉は飲み込んだ。従ったからといって応じる気が更々ないのも見え透いている。もし仮に取引に応じたとしてもすぐには死なないというだけで解放されるわけでもない。
それでも、死んでしまったらもう反撃はできない。死んでしまったら全てが終わりだ。ミュールもフランも戻らなかったように、二度と帰ってはこない。かと言って反撃の機会が再度巡ってくるとも限らず、そのときまでミーリャが生きている保証もなかった。
「早く決めろ」
考える猶予を与えないよう、首領の男は苛立ちを滲ませた声色で急かす。反撃すべきか従うべきか。どちらが正解かわからない。相手の思考を知りたくて、薄暗く濁った瞳の奥を覗くように睨みつける。
脳裏に浮かぶアイゼアの姿に、彼ならどちらを選ぶだろうかと問いかける。同時に、この選択は自身の生き様なのだと感じながら口を開く。
「……わかりました。従います。その代わり彼女の命は必ず保証してください」
「賢明な判断だな。そこを動かず、まずは術を解け」
返答を聞くなり、首領は満足そうに口の端を釣り上げた。彼の頭上にはメリーの使い魔が飛んでいる。命じると同時に青白い閃光を放ち、一筋の雷撃が首領目掛けて落ちて轟く。
メリーは反撃する道を選んだ。この機を逃せばもう全員で助かる道はない、直感でそう思った。ここで従えば、今度こそ魔力を奪いつくされて反撃する余力もなくなってしまう。
愚かだと嘲笑われても構わない。来るかもわからない助けを祈りながら無様に飼われるくらいなら、戦って死んだ方がマシだ。
唯一残された反撃の一手は首領の男の魔術障壁を破ったものの、掠めただけで決定的な一撃にはならなかった。反撃すると決めた以上、ここで手を緩めるわけにはいかない。
ミーリャから引き離すため、畳み掛けるように小さな火球を乱れ撃つ。相手側に何人か霊族が混じっているらしく、複数人で張った魔術障壁が火球を打ち消した。複数で魔力を合わせることを知っているあたり、魔術士の戦い方について知識のある人物があちらにいるのは明白だ。
それでもあの程度の障壁なら強力な魔力の一撃を見舞えば破れるかもしれない。ミーリャを視界の端で捉えながら、暴発を恐れて躊躇う。やはりこの狭い空間では、とてもその選択はできない。
「交渉決裂。死んでもらうしかねぇなぁ」
障壁に守られた中で、首領の男は手にしていたナイフを逆手に持ちかえる。その目はメリーではなく、ミーリャを見ていた。首領の男はミーリャとの距離を縮め、ナイフを向ける。ミーリャに近づかれてしまったら、今の制御力では簡単な魔術さえ使うことも躊躇ってしまう。
痺れの残る体に力を入れ、更に地面を蹴る。溢れ出そうとする魔力をできるだけ抑え込んだ。火球を放ったが、いつもの精度が出ずナイフを持つ手に当たる。ナイフを落としたものの、首領の男がミーリャへ近づく勢いは衰えない。
首領の男は魔力を放ち、手に鋭く風をまとわせ始める。流線形に渦巻く魔力の風を見た瞬間、間違いなく殺されるという確信が稲妻のように背筋を突き抜けた。心臓が潰れそうなほど縮み、気持ちばかり焦る。あの一撃を受ければミーリャの体は裂け、バラバラに千切れ飛んでしまう。
「ミーリャ!」
迷っている暇などもうない。一か八かを賭けるか悩むよりも早く、反射に近い速度で鋭く炎の矢を放った。




