066 徒花の慕情(2)【メリー視点】
メリーは少し遠くの空を眺めながら、静かに息を吐く。ここでちゃんと終わりにしよう、そう決意して口を開いた。
「気分転換に付き合ってくれてありがとうございました」
「とんでもない! 力になれて嬉しいくらいですよ」
変わらず爽やかに笑うトラヴィスの表情が次には曇ることを知りながら、それでも伝えるべきことを伝えるために口を開く。
「親切にしてくれたのに申し訳ないですが……私は嘘をつきました」
「嘘とは?」
「元気がないように見えた理由、本当は仕事ではないんです。今日トラヴィスさんと一緒に過ごしてわかりました」
「俺と過ごして? えっと、どういうことですか?」
「私は……あなたに恋愛感情を抱くことはありません」
「えっ!? あの、俺……メリーさんに何か失礼なことをしてしまったんでしょうか?」
唐突に切り出したせいか、彼の夏空のような深い青の瞳が動揺で揺らぐ。たったこれだけの言葉では、考えの結論の部分しか伝わらない。きちんと説明する責任がメリーにはあり、自身に非があると勘違いさせたままではあまりにも気の毒過ぎる。
「失礼なことなんて一つもされてませんよ。むしろ私があなたに礼を欠き続けてきたんです。私を好きだと言ってくれるのはありがたいことですが、その気持ちに応えられもしないのに友人としてずるずると親しくしていることが本当に正解だったのか、と」
「そ、そんなこと! むしろ俺の方から友人になってほしいと頼んだはずです。俺のことを知って振り向いてもらえたらって。メリーさんが知らない人とは無理だって言ってましたから」
初めてトラヴィスが家に押しかけてきた日、勢いに負けて友人としての付き合いが始まった。その選択に後悔はない。彼といて楽しいことも新しく知ることもたくさんあった。何より好意的に友人になりたいと言ってくれたことを、今では嬉しく感じている。
「先ほども言ったように、あなたに恋愛感情を抱くことはありません。だからもし振り向かせるために友人を続けてるなら、もう今日で終わりにしてください」
トラヴィスは親切で明るい人だ。だからこそ先のないものに延々と付き合わせるのは失礼だ。メリーの中で、アイゼアは特別な人になってしまった。彼の存在がある限り、トラヴィスは大切な友人の枠から突出することはおそらくない。それを心のどこかでわかっていたから、ずっともやもやし続けていたのだ。
「あなたが嫌いだとかそういうわけではないんです。ただ、無駄なことに時間を費やさないで新しい出会いを探してほしい。友人として好感を感じているからこそ、そう思ってるんです」
「……優しいんですね。それって俺に後悔させるかもって思って落ち込んでたってことでしょう?」
「買い被り過ぎです」
それはさすがにこちらの感情を美化し過ぎだろうと苦笑する。トラヴィスのために言ったわけではない。アイゼアを意識し始めたことで、いよいよ彼の好意を踏みにじるような関係になりそうだったからだ。
好意を知っていて、応える気もない。振り向かせようと労力と時間を割いてくれることを利用するような行為は卑怯だ。時間も労力も有限の資源であり、それを浪費させることは自分を許せなくなりそうだった。
「単に私が後悔の責任をなすりつけられるのが嫌なだけです。トラヴィスさんは都合の良いように捉えすぎですよ」
「メリーさんのそういうハッキリしてるとこ、俺好きですよ」
「人を見る目がないですね。私は私の利益しか考えてないっていうのに」
何度断っても挫けずに会いに来てくれたことといい、本当にめげない人だなと感心してしまう。同時に、ここまで想ってくれる人に巡り会えたことは、きっと自分の人生において幸運な出来事だったのだとも思えた。
「ひとまずメリーさんの考えはわかりました。けど、一つだけ聞かせてほしいんです。どうして俺に恋愛感情は抱かないと断言できるんですか?」
トラヴィスの質問はごく当たり前のものだ。これまで付き合いが浅いから無理だと断ってきて、突然のこれだ。何かこちらに思うことがあってのことだと考えるのは自然な流れとも言える。
これまで何度も想いを伝えてくれていたトラヴィスには知る権利がある。かといって、あまり口にしたい事でもないせいか言葉に詰まってしまっている。何と言おうか考え倦ねていると、メリーよりも先にトラヴィスの方が口を開いた。
「……もしかして好きな人ができた、とかですか?」
好きな人であることは間違いない。友人としては間違いなくアイゼアが好きだ。だがトラヴィスの言う『好き』と本当に同じなのかまではわからない。
恋愛感情なのか、異様な執着なのか、自分でも見極められないでいる。いや、結論を出さないように目を背けて深く考えないようにしている。それでも考えるまでもなくわかってしまうのは、彼が『特別』だということだ。他の友人たちに同じ感情は抱いていないという時点で。
魔法薬の幻で感じていた以上に、アイゼアは自分の中で特別な人になってしまっていたのだと今日改めて気づかされた。それくらいこの心の中は彼が占めている部分が大きい。
「自分でもよくわかってないので、肯定も否定もできないです。ただ、特別な人ができたというのは間違いないと思います」
「そう、ですか……」
トラヴィスは弱々しく呟くと、俯き気味に黙りこくってしまった。最初から好きだと公言していた彼は、振り向かせるために今日までいろんなことに誘ってくれていた。その努力が全く報われなかったのだから、落胆するのも理解できなくはない。
努力が報われない悲しみはもちろん、向けた思いが返ってこない苦しみも経験があった。それはもうとうの昔に切り捨てた幼い自分の心のことではあるが、父親や兄弟たちの突き放すような冷ややかな視線の記憶が古傷のようにうっすらと残っている。
「だから、あなたはあなたのために時間を使ってください」
「……それが、今日で終わりにしたい理由なんですね?」
「そうです」
きっぱりと即答した。変に言い渋ることで妙な期待を持たせることはお互いに無益だ。好意を持ち、親しくしてくれた彼にできる自分なりの感謝と誠意の形だとも思っている。
「俺、たぶんすぐには諦められないです。でも、特別な人がいて心が変わらないって話してくれたメリーさんの気持ちを無視することも……やっぱりできません。とりあえず振り向いてもらおうって頑張るのは今日でやめることにします」
「聞き入れてもらえて良かったです」
それでもと食い下がられたらどうしようかと思ったが、思いの外あっさりと受け入れられたことに安堵する。それはトラヴィス自身が恋心というものを知っているからだろうか。意のままに変えられるものでもないと理解を示してくれたのかもしれない。
「でも、一つ怒ります。俺は振り向いてもらえないからって友人をやめるような薄情者じゃないですよ」
困ったように眉根を寄せてメリーを叱るトラヴィスは、怒ると言いながらも叱っているような響きがあった。叱るという行為はお兄さんっぽいはずだが、いつもの子供っぽい雰囲気が抜けていないのが彼らしくて頬が緩む。
人から疎まれやすいせいで、離れていくことが当然だと思っていた。そうでなくとも、この状況なら気まずくなって離れることもあるのではないかと思う。友人として付き合う目的もなくなり、今の関係を継続する利点が少なくともトラヴィスにはない。
「俺は友人をやめたくないです。俺の時間を俺のために使えと言うなら、また友人として会いに行っても良いですか? ただ……メリーさんを好きな気持ちの整理がいつつくかはわかりませんが」
トラヴィスの真剣で緊張した表情を見て、どう返答するかを迷っていた。自分の意思で言えば、もちろん友人としてならと返したい。メリーにとってトラヴィスはもう大切な友人の一人になっている。
だがそうやって自分の都合でうやむやにしてしまっていいのだろうか。トラヴィスの気持ちに整理がつかず、時間を浪費してしまう原因になるかもしれない。会うことすらやめ、無理にでも次へ進めるように突き放すべきなのではないかとも思う。
一方で、自分の立場はトラヴィスと同じだ。アイゼアを一方的に特別視しながら、友人として会おうとしている。特別な感情を持ったままでも、できることなら友人のままでいたい。突き放されたくない。そう思っている。
「俺がそうしたいんです。これで終わりなんて俺は嫌です」
こんなに沈んだ表情のトラヴィスを見るのは初めてだ。いつも明るくて賑やかで実直だった。多少のことなら気にしないように見えるのに、今は物陰で怯える子供のようにすら見える。
「優しいのはトラヴィスさんですね。友人のままでいてほしいとお願いしなければいけないのは私の方です。失礼なことを言ってすみませんでした」
「へ?」
下に落ちていたトラヴィスの視線が上向き、メリーを捉える。こちらの返事が意外だったのか、呆気にとられたような顔でぽかんと口を開いたままで止まっていた。
「それから、ありがとうございます。トラヴィスさんとこれからも友人でいられるなら、私は嬉しいです」
「あ……」
素直な気持ちを伝えると、トラヴィスは頬を赤くしてごにょごにょと何か呟く。何を言っているのかは聞き取れなかったが、感謝されたことに照れているように見えた。
こちらの言動のせいで不必要に傷ついたことも多かったはずだが、怒りもせず友人でいたいなんてお人好し過ぎる。そんな人の良い彼は、人を見る目が絶望的だ。次に見初める人は思いやり深く、たくさん笑い合える人であるといいなとメリーは思う。
「あ、あのっ! 俺もです! 俺もメリーさんと友人でいられるのはすごく嬉しいですからっ! ね!」
慌てたように嬉しいと口にするトラヴィスは、もういつもの明るさを取り戻している。その言葉に偽りがないことは、疑う余地もないほどにまっすぐな声と眼差しから伝わってきた。
「何かあれば無理せず離れてください。それと、ずっと言えてなかったんですけど、最初に友人になろうって言ってくれたことも嬉しかったです」
「メリーさんにそんなふうに言ってもらえる日が来るなんて、俺……!」
「あの、だから大げさ過ぎですって……」
トラヴィスは大仰に手を組むと、喜びを通り越して感激したような表情で目を輝かせている。相変わらずの前のめりで突っ走り気味のトラヴィス節が戻ってきたことに僅かに安堵した。
そんな彼のペースにだいぶ慣れつつあるなと苦笑するも、こういうのも悪くはないなと感じている自分がいた。そのあとトラヴィスとは改めて後日、触媒を店に見に行く約束をして別れた。
約束の日、待ち合わせ場所にトラヴィスは来なかった。何が理由かまではわからないが、時間が経って考えが変わったのかもしれないと結論づけた。友人でいたいと言ってくれた言葉を信じていただけに、全く悲しくなかったと言えば嘘になる。
それでも想いには応えられないと先に突き放したのは自分の方だ。その後どうするかを選ぶのはトラヴィスなのだから、この結果でも納得している。もし自分に何かできることがあるとすれば、この選択がトラヴィスにとってより良いものになることを願うことくらいだろうか。
彼が最後別れ際に見せてくれた、夏空のような笑顔を思い出しながら帰路に着く。友人が一人離れていった寂しさを胸の片隅で感じながら。




